(1948/ヴィットリオ・デ・シーカ製作・監督/ランベルト・マジョラーニ、エンツォ・スタヨーラ、リアネーラ・カレル、ジーノ・サルタマレンダ/88分)
ネオレアリズモ映画の先駆けの1つといわれている「子供たちは見ている (1942)」を作ったヴィットリオ・デ・シーカの代表作の一つ。観るのは40数年ぶりでしょうか。
第二次世界大戦後のイタリア、ローマ。今日も職安の前には大勢の人が職を求めて押しかけていた。アントニオももう2年仕事にあぶれていたが、漸く役所のポスター貼りの仕事にありつけた。仕事には自転車が必須だが持ってるかと問われ、持っているが今手元には無い、直ぐに取って来ると答える。実は先日質に出したばかりだったのだ。妻のマリアに相談すると、彼女がシーツ6枚を質に入れて金を工面、自転車を取り戻すことが出来た。
夫婦のアパートには子供が二人。6歳の息子ブルーノと赤ん坊。ブルーノは学校に行くべき年齢だが、既に早朝からガソリンスタンドで働いていて、父親と一緒に仕事に出かける時には、赤ん坊の寝ている部屋の窓を閉めるのを忘れない優しい少年だった。
そんな親子に不幸がおとずれる。
仕事の初日に、アントニオが慣れないポスター貼りをしている隙に三人組の男達に自転車を盗まれてしまうのだ。自転車に乗って逃げる男、通行人の振りをしてアントニオの追跡を遅らせる男、仕上げに一緒に犯人を追いかける振りをして誤った犯人の逃走方向を示す男の三人は、明らかにプロの連中だった。
警察に届けるも、被害届けは受け取るがいちいち探している時間は警察には無い、自分で探せといわれる。
友人達にも手伝ってもらって、翌日からブルーノも連れ立って自転車市場などを探して回るが、既にバラバラにされてパーツ毎に売られている可能性もあると言われた。ブルーノは自転車の製造番号を記憶していたが、膨大な数の露店の店頭を探し回っても容易に見つけることは出来ない。途方にくれるアントニオだった・・・。
中盤、友人に自転車探しの相談に行った先で政治集会のようなものが開かれているが、演説者は政府の景気対策への無策ぶりを批判している。そういう時代背景が反映された作品なのでしょう。それは切実な問題だったから、コメディで笑い飛ばすのではなくリアリズムという表現によったのだと思いました。
モンタージュに不具合は無く、まさに映画のお手本のような作り。
しかし、1年違いの1949年に小津安二郎が傑作「晩春」を作ったことを考えると、積極的にお薦めする気持ちにはならないというのが正直な感想です。「晩春」以外にも、もっと巧妙な技術で作られた深遠なテーマの旧作は他にも沢山有るでしょうし。
前作の「靴みがき(1946)」に続いて素人俳優を使ったらしいですが、どなたにも我が国のにわか俳優が陥る学芸会のような演技臭さは無かったですね。
備忘録としてストーリーの続きを書いておきます。
自転車探しを続けるアントニオとブルーノは、或る日自転車を盗んだ若者が老人と話をしているところを街中で見かける。アントニオは必死で追いかけるが、又しても盗人を取り逃がしてしまう。それではと件の老人に盗人の居所を聞こうとするが老人は知らないの一点張りで、おまけに苛立ったアントニオがブルーノを怒ってしまい親子の仲が壊れる一幕もあったりする。折りしも、親子が離れ離れになった時に子供の水難事故が発生して、もしやブルーノではとアントニオが心配し、親子の絆は再び結ばれる事になる。
終盤でついに盗人の家を見つけるが、証拠の自転車があるでも無し、警察を呼んでも裁判に訴えることは出来ないとアントニオは悟る。しかも、盗人の近所の住民達にまで言いがかりを付けたと逆切れされ危うく袋叩きにあうところだった。
万事休す。
帰路に着く親子の前にサッカー場が現れ、近くの路上には観衆のものと思われる沢山の自転車が並んでいる。それを見ているうちにアントニオはふと・・・という展開です。
間が悪いというか、素人が出来心でやった事でも、世間の人は犯罪を許すわけも無く、あっさりと大勢の通行人に捕まってしまう。しかも、電車で先に帰らせたと思っていたブルーノが全てを目撃。『パパ、パパ』と泣いて駆け寄る子供の姿を見て、自転車を取られそうになった男もアントニオを解放してやるのでした。
突っ放したようなラストながら、親子の変わらぬ情愛、強い絆を感じさせるところが救いですね。
健気なブルーノを演じた子役が巧い。
1949年のアカデミー賞で脚色賞(チェザーレ・ザヴァッティーニ)にノミネート、特別賞というのを受賞したそうです。
NY批評家協会賞とゴールデン・グローブでは外国映画賞を受賞、英国アカデミー賞でも作品賞(総合)を受賞したそうです。
ネオレアリズモ映画の先駆けの1つといわれている「子供たちは見ている (1942)」を作ったヴィットリオ・デ・シーカの代表作の一つ。観るのは40数年ぶりでしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/2c/cc6549ab8891852d2bbc128118b7b268.jpg)
夫婦のアパートには子供が二人。6歳の息子ブルーノと赤ん坊。ブルーノは学校に行くべき年齢だが、既に早朝からガソリンスタンドで働いていて、父親と一緒に仕事に出かける時には、赤ん坊の寝ている部屋の窓を閉めるのを忘れない優しい少年だった。
そんな親子に不幸がおとずれる。
仕事の初日に、アントニオが慣れないポスター貼りをしている隙に三人組の男達に自転車を盗まれてしまうのだ。自転車に乗って逃げる男、通行人の振りをしてアントニオの追跡を遅らせる男、仕上げに一緒に犯人を追いかける振りをして誤った犯人の逃走方向を示す男の三人は、明らかにプロの連中だった。
警察に届けるも、被害届けは受け取るがいちいち探している時間は警察には無い、自分で探せといわれる。
友人達にも手伝ってもらって、翌日からブルーノも連れ立って自転車市場などを探して回るが、既にバラバラにされてパーツ毎に売られている可能性もあると言われた。ブルーノは自転車の製造番号を記憶していたが、膨大な数の露店の店頭を探し回っても容易に見つけることは出来ない。途方にくれるアントニオだった・・・。
中盤、友人に自転車探しの相談に行った先で政治集会のようなものが開かれているが、演説者は政府の景気対策への無策ぶりを批判している。そういう時代背景が反映された作品なのでしょう。それは切実な問題だったから、コメディで笑い飛ばすのではなくリアリズムという表現によったのだと思いました。
モンタージュに不具合は無く、まさに映画のお手本のような作り。
しかし、1年違いの1949年に小津安二郎が傑作「晩春」を作ったことを考えると、積極的にお薦めする気持ちにはならないというのが正直な感想です。「晩春」以外にも、もっと巧妙な技術で作られた深遠なテーマの旧作は他にも沢山有るでしょうし。
前作の「靴みがき(1946)」に続いて素人俳優を使ったらしいですが、どなたにも我が国のにわか俳優が陥る学芸会のような演技臭さは無かったですね。
備忘録としてストーリーの続きを書いておきます。
自転車探しを続けるアントニオとブルーノは、或る日自転車を盗んだ若者が老人と話をしているところを街中で見かける。アントニオは必死で追いかけるが、又しても盗人を取り逃がしてしまう。それではと件の老人に盗人の居所を聞こうとするが老人は知らないの一点張りで、おまけに苛立ったアントニオがブルーノを怒ってしまい親子の仲が壊れる一幕もあったりする。折りしも、親子が離れ離れになった時に子供の水難事故が発生して、もしやブルーノではとアントニオが心配し、親子の絆は再び結ばれる事になる。
終盤でついに盗人の家を見つけるが、証拠の自転車があるでも無し、警察を呼んでも裁判に訴えることは出来ないとアントニオは悟る。しかも、盗人の近所の住民達にまで言いがかりを付けたと逆切れされ危うく袋叩きにあうところだった。
万事休す。
帰路に着く親子の前にサッカー場が現れ、近くの路上には観衆のものと思われる沢山の自転車が並んでいる。それを見ているうちにアントニオはふと・・・という展開です。
間が悪いというか、素人が出来心でやった事でも、世間の人は犯罪を許すわけも無く、あっさりと大勢の通行人に捕まってしまう。しかも、電車で先に帰らせたと思っていたブルーノが全てを目撃。『パパ、パパ』と泣いて駆け寄る子供の姿を見て、自転車を取られそうになった男もアントニオを解放してやるのでした。
突っ放したようなラストながら、親子の変わらぬ情愛、強い絆を感じさせるところが救いですね。
健気なブルーノを演じた子役が巧い。
1949年のアカデミー賞で脚色賞(チェザーレ・ザヴァッティーニ)にノミネート、特別賞というのを受賞したそうです。
NY批評家協会賞とゴールデン・グローブでは外国映画賞を受賞、英国アカデミー賞でも作品賞(総合)を受賞したそうです。
・お薦め度【★★★★=クラシックファンの、友達にも薦めて】 ![テアトル十瑠](http://8seasons.life.coocan.jp/img/TJ-1.jpg)
![テアトル十瑠](http://8seasons.life.coocan.jp/img/TJ-1.jpg)
昨日見た夢の中にブログお友達が何人も出てきて
(会ったことないのにね)
その中に十瑠さんもいました。
来年も宜しくごひいきにどうぞ!
ヒューストンの管制官がエド・ハリスって、「アポロ13」と同じじゃ・・・。
>その中に十瑠さんもいました。
いやん。
きっと、実物の何百倍もカッコいいんだろうなぁ。
こちらこそ、来年もヨロシクです。
「自転車泥棒」はイタリア庶民に見せる為に作られた作品と思われますから、すごくシンプルなんですね。そこに却って力強さを感じたりもします。
中学1年の時に初めて観て義憤に震え、その凡そ10年後に生まれて初めて書いた映画評が本作なので、思い出の作品。
だから、多少評価が甘くなっているかも。
シンプルすぎて、今の若い映画ファンには面白くないでしょうね。
寧ろ映画も見られないような日雇い労働者の共感を呼んだりして?
起用前は素人だったと言われる出演者たち、なかなか達者でしたね。
私も子供の頃に見たときに、その創造力に感動した覚えがありますね。
三人組みの泥棒たちがアントニオの自転車を盗むシーンでは、追いかける主人公が街の大通りに入った所で俯瞰撮影にして犯人を見失った感を出したりと、まさにお手本のようなカットでした。
本当に少年も父親も素人とは思えない演技でしたよね。演技というよりは、実際にそういう事があったみたいに感じました。
こういう時代があったと知るにはいい作品ですし、あの親子の絆は今でも感動ものです。
名作ですね~。
>あの親子の絆は今でも感動ものです
人ごみの中に紛れて行きましたが、今思い起こすと、誰にも起こりえる話なんだと思わせるような感じを出そうとしたのかも。