(1958/ジャック・ベッケル監督・脚本/ジェラール・フィリップ、アヌーク・エーメ、リノ・ヴァンチュラ、レア・パドヴァニ、ジェラール・セティ、リリー・パルマー)
今年公開の「モディリアーニ 真実の愛」という、アンディ・ガルシアがモディリアーニを演じた作品が有るが、それは当時既に成功を収めていたピカソとの確執を軸に描いた作品らしい。
今回紹介する「モンパルナスの灯」は、半世紀前に作られたフランス映画で、モディリアーニと愛妻ジャンヌとの出会いから別れまでを描いている。先日、NHK-BSで放送されて、久しぶりに観ることになった。
そういえば、ガルシアの方は英語で作られているとのこと。ガルシアもイタリア系みたい(実はキューバ出身)だから雰囲気は出るのかも知れないが、モディリアーニ役ってのはどうなんだろう?(ここまでは映画の題に即してモディリアーニと表記しましたが、この後は“モジリアニ”でいきます。)
アメデオ・モジリアニは1884年7月生まれ。亡くなったのが1920年で35歳の時。映画はその数年前から始まる。場所は、パリのモンパルナス地区。安いアパートやカフェがあるため、若い画家達が世界中から集まる所だ。
美術学校の教師からも(ある意味皮肉を交えながら)“巨匠”と呼ばれるモジリアニだが、暮らしは楽ではない。キャフェでお客の似顔絵など描いてみせるが、内面を描くという独自の視点のデッサンなので、素人のお客には受けない。似てないので、『絵は要らないが金は払う』と同情される始末だ。
そんなモジリアニだが、モディと呼ばれて女性達には人気があるらしい。新聞にコラムなど書いているベアトリス・ヘイスティングス(パルマー)とはネンゴロの間柄だし、軽食堂の女主人ロザリー(パトヴァニ)にもお酒を振る舞われたり、優しくされている。
アパートの家賃が溜まっているモジリアニはベアトリスのアパートに泊まるが、ちょっとした諍いから彼女を殴って気絶させ、そのまま帰る。アパートの大家さんは、1週間ぶりに帰ってきた彼にクリーニングしたシャツを渡し、溜まっていた家賃は隣室の画商ズボロフスキー(セティ)が支払ってくれたと話す。ズボロフスキーも彼の理解者であり、恩人であった。
そんなある日、街角で見かけた美しい娘が画材を抱えていたので、久しぶりに美術学校へ行ってみると、はたして彼女がいた。ジャンヌ(エーメ)はお堅い家庭のお嬢さんで、後で分かるが、以前からモジリアニのことを気にかけていたらしく、二人はアッという間に恋に落ちる。
出会って二日目に結婚を決めた二人。早速ジャンヌは家から荷物を持ってくると言う。モジリアニはお堅いという父親の事が気がかりだったが、案の定ジャンヌは戻ってこない。
意気消沈した彼はジャンヌのアパートの前で倒れ、ロザリーの店に運び込まれる。不摂生が続いていたモジリアニの身体はボロボロで、医者は南フランスでの療養を勧める。
映画ではちゃんと語られていないが、南仏ニースでの療養の費用を出したのはズボロフスキーのようである。
健康を取り戻しつつある彼の所に、ズボロフスキーに聞いてジャンヌがやって来る。ニースの海辺を歩きながら、ジャンヌは今後の生活についての夢を語り、モジリアニも変わらない愛を誓う。こうして二人は結ばれ、モンパルナスへ戻る事になるのだが・・・。
モジリアニを演じたのは、ジェラール・フィリップ。モジリアニが亡くなって2年後の1922年に生まれ、この映画の翌年(1959年)、36歳の若さで亡くなった。アラン・ドロン以前のフランスの二枚目の代名詞的存在で、その品の良さから“貴公子”と呼ばれ、ドロンがいてもフランス映画史上最高の二枚目だという人が多かった。
▼(ネタバレ注意)
リノ・ヴァンチュラ演じる画商モレル。この映画の面白さの最大の要因は彼の存在でしょう。
モジリアニの才能を認めながら、『彼は死んでから価値が上がる。』と読んだ画商は、生前には一枚も絵を買わない。再起を期して開いた個展にも顔を見せるが、画廊の女主人からは疫病神と嫌がられる。これはフィクションであろうが、皮肉にもモジリアニの最期に立ち会ったのはモレルであった。
悲運の画家の死亡を確認した画商は、すぐにジャンヌの待つアパートへ行き、彼の死は告げずに部屋にある絵画を買う。何も知らないジャンヌは、絵が売れたことをただ喜ぶばかりであった。
このモレルの存在で、天才モジリアニの悲劇が鮮明に印象づけられる。
ジャンヌ・エビュテルヌは、1898年4月にパリで生まれ、1920年1月26日、モジリアニの死後二日目に投身自殺したとのこと。お腹にはモジリアニの子を宿していた。21歳と10ヶ月の人生でありました。
哀しすぎるこのエピソードは映画では描かれていない。
▲(解除)
久しぶりに観た感想は、天才の苦悩についてはそれほど迫っていないということ。芸術家の苦悩は凡人には分かるはずもなかろうが、客観的な描き方であったと思う。
生活に困らないだけのお金は欲しい。しかし、絵は自分の分身のようなもので解る人にしか売りたくない。そういう事であったろうか。ヴァン・ゴッホに共鳴しているようで、『絵を売るのは冒涜だ。』みたいなセリフもあった。
酒に溺れるのは、自身の才能への不安なのか、経済的不安を忘れるためか。ドストエフスキー、フィッツジェラルド、ユトリロ、太宰・・・、アルコールに救いを求めた芸術家は数知れないですなあ。
もともとマックス・オフュルス監督の企画であったこの作品。1957年にオフュルスが54歳で急逝したため、彼と親交のあったベッケルが作った。不思議な因縁だが、ベッケル監督もこの映画の2年後、53歳という若さで亡くなっている。
ベッケル作品では、「現金に手を出すな(1954)」や遺作となった「穴(1960)」などもフィルム・ノアールの傑作と言われているが、前者は未見のような気がする。
今年公開の「モディリアーニ 真実の愛」という、アンディ・ガルシアがモディリアーニを演じた作品が有るが、それは当時既に成功を収めていたピカソとの確執を軸に描いた作品らしい。
今回紹介する「モンパルナスの灯」は、半世紀前に作られたフランス映画で、モディリアーニと愛妻ジャンヌとの出会いから別れまでを描いている。先日、NHK-BSで放送されて、久しぶりに観ることになった。
そういえば、ガルシアの方は英語で作られているとのこと。ガルシアもイタリア系みたい(実はキューバ出身)だから雰囲気は出るのかも知れないが、モディリアーニ役ってのはどうなんだろう?(ここまでは映画の題に即してモディリアーニと表記しましたが、この後は“モジリアニ”でいきます。)
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アメデオ・モジリアニは1884年7月生まれ。亡くなったのが1920年で35歳の時。映画はその数年前から始まる。場所は、パリのモンパルナス地区。安いアパートやカフェがあるため、若い画家達が世界中から集まる所だ。
美術学校の教師からも(ある意味皮肉を交えながら)“巨匠”と呼ばれるモジリアニだが、暮らしは楽ではない。キャフェでお客の似顔絵など描いてみせるが、内面を描くという独自の視点のデッサンなので、素人のお客には受けない。似てないので、『絵は要らないが金は払う』と同情される始末だ。
そんなモジリアニだが、モディと呼ばれて女性達には人気があるらしい。新聞にコラムなど書いているベアトリス・ヘイスティングス(パルマー)とはネンゴロの間柄だし、軽食堂の女主人ロザリー(パトヴァニ)にもお酒を振る舞われたり、優しくされている。
アパートの家賃が溜まっているモジリアニはベアトリスのアパートに泊まるが、ちょっとした諍いから彼女を殴って気絶させ、そのまま帰る。アパートの大家さんは、1週間ぶりに帰ってきた彼にクリーニングしたシャツを渡し、溜まっていた家賃は隣室の画商ズボロフスキー(セティ)が支払ってくれたと話す。ズボロフスキーも彼の理解者であり、恩人であった。
そんなある日、街角で見かけた美しい娘が画材を抱えていたので、久しぶりに美術学校へ行ってみると、はたして彼女がいた。ジャンヌ(エーメ)はお堅い家庭のお嬢さんで、後で分かるが、以前からモジリアニのことを気にかけていたらしく、二人はアッという間に恋に落ちる。
出会って二日目に結婚を決めた二人。早速ジャンヌは家から荷物を持ってくると言う。モジリアニはお堅いという父親の事が気がかりだったが、案の定ジャンヌは戻ってこない。
意気消沈した彼はジャンヌのアパートの前で倒れ、ロザリーの店に運び込まれる。不摂生が続いていたモジリアニの身体はボロボロで、医者は南フランスでの療養を勧める。
映画ではちゃんと語られていないが、南仏ニースでの療養の費用を出したのはズボロフスキーのようである。
健康を取り戻しつつある彼の所に、ズボロフスキーに聞いてジャンヌがやって来る。ニースの海辺を歩きながら、ジャンヌは今後の生活についての夢を語り、モジリアニも変わらない愛を誓う。こうして二人は結ばれ、モンパルナスへ戻る事になるのだが・・・。
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モジリアニを演じたのは、ジェラール・フィリップ。モジリアニが亡くなって2年後の1922年に生まれ、この映画の翌年(1959年)、36歳の若さで亡くなった。アラン・ドロン以前のフランスの二枚目の代名詞的存在で、その品の良さから“貴公子”と呼ばれ、ドロンがいてもフランス映画史上最高の二枚目だという人が多かった。
▼(ネタバレ注意)
リノ・ヴァンチュラ演じる画商モレル。この映画の面白さの最大の要因は彼の存在でしょう。
モジリアニの才能を認めながら、『彼は死んでから価値が上がる。』と読んだ画商は、生前には一枚も絵を買わない。再起を期して開いた個展にも顔を見せるが、画廊の女主人からは疫病神と嫌がられる。これはフィクションであろうが、皮肉にもモジリアニの最期に立ち会ったのはモレルであった。
悲運の画家の死亡を確認した画商は、すぐにジャンヌの待つアパートへ行き、彼の死は告げずに部屋にある絵画を買う。何も知らないジャンヌは、絵が売れたことをただ喜ぶばかりであった。
このモレルの存在で、天才モジリアニの悲劇が鮮明に印象づけられる。
ジャンヌ・エビュテルヌは、1898年4月にパリで生まれ、1920年1月26日、モジリアニの死後二日目に投身自殺したとのこと。お腹にはモジリアニの子を宿していた。21歳と10ヶ月の人生でありました。
哀しすぎるこのエピソードは映画では描かれていない。
▲(解除)
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久しぶりに観た感想は、天才の苦悩についてはそれほど迫っていないということ。芸術家の苦悩は凡人には分かるはずもなかろうが、客観的な描き方であったと思う。
生活に困らないだけのお金は欲しい。しかし、絵は自分の分身のようなもので解る人にしか売りたくない。そういう事であったろうか。ヴァン・ゴッホに共鳴しているようで、『絵を売るのは冒涜だ。』みたいなセリフもあった。
酒に溺れるのは、自身の才能への不安なのか、経済的不安を忘れるためか。ドストエフスキー、フィッツジェラルド、ユトリロ、太宰・・・、アルコールに救いを求めた芸術家は数知れないですなあ。
もともとマックス・オフュルス監督の企画であったこの作品。1957年にオフュルスが54歳で急逝したため、彼と親交のあったベッケルが作った。不思議な因縁だが、ベッケル監督もこの映画の2年後、53歳という若さで亡くなっている。
ベッケル作品では、「現金に手を出すな(1954)」や遺作となった「穴(1960)」などもフィルム・ノアールの傑作と言われているが、前者は未見のような気がする。
・お薦め度【★★★★=友達にも薦めて】
TB&コメントをいただきありがとうございました!
今年のブログの更新が本日で最期なので、
御挨拶もかねて遊びに来ました!
良い年をお迎えください!!!!!
この映画の記事は珍しかったので足跡を残してしまいました。
来年、またお邪魔いたします。良い御年を!!!
TBの相性には色々あるようですね。Livedoorにはこちらから出来ない場合が多く、gooは戴くと文字化けすることがありました。最近改善されたかもしれません。できないというのは初めてですね。
どちらかというと新しい伝記映画の方が史実に忠実なようですね(アンディ・ガルシアは画家の柄ではないです)。彼の人生よりも社会の酷烈さ描かれていたような印象が強いですね。
クルーゾーのピカソのドキュメンタリーは、観たいのに未だに会えません。
ジャック・ベッケルは大好きです。ただ、マックス・オフュルス監督が撮ってもすばらしい作品になったことでしょう。
マックス・オフュルス作品は殆ど観ておりません。観らねば