テアトル十瑠

1920年代のサイレント映画から21世紀の最新映像まで、僕の映画備忘録。そして日々の雑感も。

ネバーランド

2008-11-28 | ドラマ
(2004/マーク・フォースター監督/ジョニー・デップ、ケイト・ウィンスレット、ジュリー・クリスティ、ラダ・ミッチェル、ダスティン・ホフマン、フレディ・ハイモア/100分)


 「チョコレート(2001)」のフォースター監督の2作目。フォスターと思っていたらフォースターで、英語圏ではなくドイツ出身の監督さんでした。

*

 ディズニーアニメでお馴染みの「ピーター・パン」はスコットランド出身の劇作家ジェームズ・マシュー・バリの書いた戯曲が原作だが、バリがこのお伽話を思いついた背景には、ご近所のある一家との関わりがあり、「ネバーランド」はバリと一家とのふれあい、そして彼らとの交流から「ピーター・パン」が生まれるまでが描かれた映画だ。オープン・ロールの最後には、<実話に着想を得た話>であると字幕が流れる。【原題:FINDING NEVERLAND

 1903年のロンドン。劇作家ジェームズ・バリ(デップ)は最新作の劇が不評で、興行主(ホフマン)からは新しい作品を望まれていた。いつものように釣り竿を持って愛犬と公園へ行き、ひとしきり遊んだ後はベンチでペンを持ってノートに向かう。既に結婚はしていたが子供は居ず、未だに少年のような遊び心を失わない人物で、執筆はいつも公園のベンチだった。
 その日、ジェームズは公園で四人の男の子とその母親の一家と知り合いになる。子供達の父親は既に亡くなっており、未亡人はシルヴィア(ウィンスレット)といった。帰って妻のメアリー(ミッチェル)にその事を話すと、シルヴィアの母親デュ・モーリエ夫人(クリスティ)は演劇界に顔の利く人物なので子供達共々食事に招待しようと言う。メアリーは夫の為にコネを作ろうとしたのだが肝心のジェームズは子供達を喜ばす事に夢中で、当夜もモーリエ夫人へのアプローチには無関心だった。

 ジェームズの外出先は公園よりもシルヴィアの家が多くなった。四人の男の子達と西部劇ごっこや海賊ごっこをして遊ぶ。どの子もジェームズとの遊びを楽しんだが、三男のピーター(ハイモア)だけがどこか冷めた態度を見せた。ピーターは、明日は一緒に遊ぼうと言っていた父親が翌日死んでしまった為に大人への不信感を拭えずにいたのだ。やがて子供らの様子に刺激されて、ジェームズは新しい劇の着想を得る。子供の居ないジェームズにとって、彼らとの関わり合いは全てが新鮮だったのだ。

 四人の子供を抱え実家の援助で暮らしているシルヴィアをジェームズも助けたいと思い、夏には彼の別荘を無償で貸したりする。そんなジェームズが理解できないメアリーとはやがて気持ちのすれ違いが続き、夫婦関係は悪化していく・・・。

*

 前作は現代アメリカの南部が舞台で、死刑囚の未亡人とその死刑囚の処刑を担当した刑務官との人種を越えた愛を苦く切なく描いたフォースター監督が、今作では20世紀初頭のロンドンという時代色を濃厚に出しながら、子供心を失わない作家の心理を描き、尚かつファンタジックなシーンまで描いて見せた。

 ファンタジックなシーンというのはジェームズが子供達と西部劇ごっこや海賊ごっこをするシーンで、突然背景がアメリカの大西部になったりインディアンが出てきたりする。大海原をゆく海賊船も出てくるし、ジェームズもジャック・スパロウのような船長になったりする。
 通常のドラマの中に“そういう”シーンがある時には大抵登場人物の誰かの空想を描く場合が多いが、今作では特定の誰かの空想という設定ではなく、いわば共有化された空想が描かれていると理解した方がいい。終盤では、病魔に冒されたシルヴィアの為に彼女の家で「ピーターパン」が演じられ、最後に幻想的な“ネバーランド”が現れる。最初はどう捉えてよいものやらと戸惑ったが、ここはシルヴィアの空想をみんなが共有したと思い込むことにしました。(笑)

 前半に所々ショットの繋ぎに荒っぽいところが見え隠れしたが、バリ夫妻の関係、ジェームズとシルヴィアの関係、そしてジェームズとピーターとの関係の移ろいが破綻無く描かれ、「ピーター・パン」初日の成功までの積み重ねも巧く構成されておりました。


▼(ネタバレ注意)
 「ピーター・パン」の初日に、ジェームズは興行主に25席分の予約席を頼む。誰が来るかは最後まで明かされないが、劇場の全体に散りばめられたその予約席には「ピーター・パン」を楽しむにふさわしい観客が用意されていた。ほっておけば、いつものしかつめらしい紳士淑女しか集まらない観客席にはジェームズが招待した施設の子供達がおり、空中を飛び回るピーター・パンや演技をするぬいぐるみの犬に大喜び、周りの大人達も童心にかえって劇を楽しんだ。ジェームズの策略が功を奏し、「ピーター・パン」は大成功したのでした。

 この映画はNHKのBS放送を録画したもので、映画終了後には解説者が実際のジェームズと一家との関係を話してくれた。
 ジェームズと一家が知り合った時には子供らの父親も健在で、弁護士をしていた父親とジェームズも友人となった。その後父親、母親と亡くなり、映画のようにジェームズは子供達の面倒をみた。子供達は実際は五人兄弟で、判っている範囲では、長男は第一次世界大戦で戦死し、次男は大学時代に溺死した。又、ピーターは63歳で自殺したとのことだった。

 ピーターの自殺の理由は分かりませんでした。
 映画では、子供のままでもいられず、大人にもなりたくないピーターは、最後に子供の心を持った大人に出逢いついに心を開く。幸せな人生だったと思いたいですが・・・。
▲(解除)


 2004年の米国アカデミー賞では、作品賞、主演男優賞、脚色賞(デヴィッド・マギー)、編集賞等にノミネートされ、作曲賞(ヤン・A・P・カチュマレク)を受賞したそうです。
 英国アカデミー賞でも、作品賞、主演男優賞、主演女優賞、助演女優賞(クリスティ)、監督賞(デヴィッド・リーン賞)、脚色賞、撮影賞(ロベルト・シェイファー)等にノミネートされたそうですが無冠だったようです。

 黒目がちな可愛らしい瞳をラスト・シーンで涙で溢れさせたフレディ・ハイモア君(ピーター役)は、翌年も「チャーリーとチョコレート工場(2005)」でデップと共演し、その後も「アーサーとミニモイの不思議な国 (2006)」、「奇跡のシンフォニー (2007)」、「スパイダーウィックの謎 (2008)」と快進撃が続いています。

・お薦め度【★★★=一度は見ましょう、私は二度観ましたが】 テアトル十瑠

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4 コメント

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TB&コメント有難うございました。 (オカピー)
2008-12-02 01:16:54
なぬっ、★三つですか!
相変わらずハードルが高いなあ。
僕みたいに雑食だとハードルは自ずと低くなりまする。

>共有化された空想
良い表現ですね。
映画館で観ていると、最終的には観客を巻き込んでいく感覚があるでしょうね。

>ピーターは63歳で自殺
こういうトリビアは良し悪しで、余り現実に引き戻してほしくない思いがあります。

ところで、山本晋也氏と一緒におしゃべりをしている渡辺俊雄アナはNHK一の映画通のようですが、ルネ・クレマンの「しのび逢い」放映時に双葉師匠の言葉を紹介していました。「たいへん尊敬している映画批評家」と仰っていて嬉しく思いましたよ。
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★三つは双葉流70点です♪ (十瑠)
2008-12-02 06:02:35
但し、限りなく★四つに近い★★★です。

>こういうトリビアは良し悪しで、余り現実に引き戻してほしくない思いがあります。

山本晋也はこのトリビアをエンドロールに付け加えて欲しかった等と申しておりました。誰だったけなぁ~。確か、ワイルダーなら付けただろうとも言ってましたね。
馬鹿ですねぇ。
それを聞きながら、そんなもん付けたらこの映画の味が落ちるだろうとプチっと怒りが沸いてきましたね
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空想の共有 (宵乃)
2011-01-05 11:57:09
CGはこういう風に使うのがいいですよね。
シルヴィアの家でネバーランドが広がった時は感動したんですが、どこかで読んだ感想に”庭につくったセット”とあって呆れてしまいました。

>山本晋也はこのトリビアをエンドロールに付け加えて欲しかった等と申しておりました。

この解説はいつも見てなかったんですが、これからも見なくていいかも。どうして付け加えてほしいと思ったのか、彼の思考回路がまったくわかりません・・・。
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”庭につくったセット” (十瑠)
2011-01-05 14:40:39
アハハ。
何とかオンチっていうんでしょうねぇ。
でも本人は映画が好きって言ってたりしたら、こっちは悲しくなっちゃうけど。
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