テアトル十瑠

1920年代のサイレント映画から21世紀の最新映像まで、僕の映画備忘録。そして日々の雑感も。

軽蔑

2012-06-24 | ドラマ
(1963/ジャン=リュック・ゴダール監督・脚本/ミシェル・ピッコリ、ブリジット・バルドー、ジャック・パランス、フリッツ・ラング/102分)


ゴダールについては食わず嫌いだったと、以前ネットのどこかに書いた気がするんだけど、食べる機会がなかったというのが正直なところだ。実際、代表作たる「勝手にしやがれ」も「気狂いピエロ」も、ブログを始めた後に観ているし、それまでもレンタルショップで探したはずだが、ゴダール作品を置いている所なんてなかった。ツタヤが出来てやっと観れるようになったんだ。
 だけど、食わず嫌いというのも半分は当たってる。洋画を映画館で観るようになった60年代の終わり頃のゴダール作品は、「ウィークエンド」とか「中国女」とかとっつきにくい題材ばかりで、たとえロードショーが行われたとしても行ったかどうかは微妙だからだ。
 だけど(しつこいな)、そうは言いながらも、「ウィークエンド」とか「中国女」は観に行かなかった可能性が高いというだけで、他の題材のゴダールだったら観に行っただろうとも思っている。というのも、実はそんな60年代にTVで観て大いに気に入ったゴダール作品があったからだ。
 原作がイタリアの作家アルベルト・モラヴィアの代表作「軽蔑」。主演はミシェル・ピッコリとブリジット・バルドー、そしてジャック・パランス。
 仲の良かった夫婦の間に、ほんの些細なきっかけで溝が出来、夫が修復に躍起になればなるほど妻の気持ちが冷めていくという、男女の心理のゆれ動きが感じられる映画。初めてだったのに思ったね、ゴダールって面白いじゃんって。そう、あれはまだ10代の頃。あれから数十年、ゴダールは食えないままだったのです。

*

 ピッコリ扮する主人公のポールは劇作家。BB(ベベ)扮する妻のカミーユは金髪で均整のとれたナイスバディの元タイピスト。冒頭でベッドに全裸で横たわるBBとそれを眺めているピッコリが出てきて、「あたしのお尻、好き?」とか「乳首と乳房とどっちが好き?」なんて他愛のない話をしている。つまり、この夫婦が相思相愛でベタベタだと表現しているわけですな。
 そんなポールに、ギリシャの古典文学を基にした映画をイタリアで撮影中のアメリカ人映画プロデューサー、プロコシュ(パランス)から連絡が入り、ドイツ人監督フリッツ・ラングの脚本が難解で、プロコシュの望むものとは違う為に、脚本を手直しするように依頼される。

 ポールが撮影所でプロコシュと会う日、カミーユも実家に寄った後にそこで落ち合うことになる。
 スタジオ内で撮影済のラッシュを観ながら、ポールはラングやプロコシュと議論を交わす。しかし、最後はプロデューサーの意向が優先されるのがこの世界の常識で、しかもプロコシュは自身の権力を最大限に使おうとするタイプの人間だった。ラングを傷つけるかもしれない本の手直しをやるべきかどうか迷っていたポールも、最後はプロコシュの切った小切手の額を見てソレを受け取るのだ。
 表に出ると、丁度カミーユもやって来た。
 赤いスポーツカーで自宅に戻ろうとするプロコシュは、カミーユを見つけて、ポールと彼女を誘う。一緒に酒でも飲もうと。
 カミーユはポールにどうしようかと尋ねるが、ポールは行けばいいと言う。プロコシュはカミーユを助手席へと誘い、リアシートは狭くて危険なのでポールには後で迎えに来るからと言う。ポールが、それでは自分はタクシーで行くからと言うと、カミーユも『あたしもタクシーで行くわ』と言う。すると、ポールは自分にはかまわずにカミーユにプロコシュの車に乗って行くように言い、彼女を助手席に座らせる。夫の行動に違和感を感じながら黙り込むカミーユを乗せてプロコシュの赤い車は走り出す。『ポール!』という彼女の叫びを掻き消しながら・・・。

*

 この夫婦とプロコシュとの最初のやり取りが、この心理ドラマの葛藤のきっかけですね。
 カミーユはプロコシュに嫌なものを感じて避けようとしていたのに、ポールはそんな妻の気持ちを察せずに、まるで顧客に賄賂を渡すように、まるでカミーユをサービス品のように扱った、そこに彼女はカチンと来たんでしょう。
 その後、ポール曰くタクシーがなかなか捕まらず、しかも途中で事故があったので、予想以上の時間を費やして彼がプロコシュの家にやって来た時に、カミーユはプロコシュと腕組みながら散歩をしていて、その後ポールの姿を見るとプロコシュから離れ、そしてポールに怒ったような表情を見せ態度も余所余所しいモノとなる。

 プロコシュと会ったその日の夜、マンションに帰ったカミーユにも、最初は昼間に出来たポールとの溝を埋めようという気持ちがあったように見えるんだけど、プロコシュ邸での余所余所しい彼女の態度が気になっていたポールが色々と詮索を始めたもんだから、カミーユの気持ちも揺らいでくるわけだ。
 脚本の手直し代として提示された小切手の額は、マンションのローンの残金を支払って余りある。だからこの仕事は二人の為なんだ。でも君が嫌ならやめてもいいよ、何てことも男は言ってしまう。
 なんだかなぁ。
 ン十年前に観た時に合わせて原作本も読んで、主人公の繊細さというか優柔不断さというか、自分はそんな風にはならないけれど、そんな男がいるだろうという想像はできるなぁ、なんて思いましたよね。奥さんの反応も理解出るし、どちらかが悪いとかそんなことじゃなくて、人間の考え方、感じ方の違いでこんなドラマが出来るんだという驚きもあった。





 アルベルト・モラヴィアの原作は1954年に発表された本。1961年に結婚したアンナ・カリーナとの関係がうまくいってなかったゴダールが、自身の心境を投影したんではないかと言う解説もありました。

 フリッツ・ラングはサイレント時代からドイツで活躍した伝説的な監督(「メトロポリス」)ですが、この映画ではゴダールの要請を受けて本人の役で出演しています。

 映画の最初と最後にスタッフや出演者の名前を紹介する、いわゆるクレジット・タイトルは字幕で表すのが普通ですが、この映画は珍しいことにナレーションのみで行っています。多分ゴダール自身の声でしょう。
 オープニングは屋外での撮影準備中のようなカメラとスタッフ数名がいる所を固定カメラで捉えている映像で、手前までドリー用のレールが延びており、ナレーション中にレールに乗ったカメラが徐々にコチラに近づいて来て、最後はレンズが正面を向いて終わる。




ゴダールの「軽蔑」、数十年ぶりに観る。ゴダールは不得意分野だけど、これは初見時から印象深い。今観ても迫力がある。映像にフェリーニのような奔放さがあり、人によってはしつこいと感じられるかも知れない。但し、ラストが弱いなぁ。結末の記憶がなかったんだけど、あれじゃぁね。

・お薦め度【★★★★=心理ドラマの好きな、友達にも薦めて】 テアトル十瑠

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« リアル・スティール | トップ | 「八日目の蝉」~TV放送を観... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ゴダールは・・ (anupam)
2012-06-24 11:28:24
「ヒア&ゼア・こことよそ」を百人劇場(確かそうだった)で鑑賞したが・・
さ~~~~~~~~~っぱり、わかりませなんだ。

わかんなくても「いいな」と感じられれれば、それはそれなんだけど、そういう感じもなく。

今見るとどうだろう?

「軽蔑」は最初のベッドでの会話が有名だよね。
そこは見てみたいかな。
返信する
ベッドの会話 (十瑠)
2012-06-24 15:59:53
見てみたいそのシーンのyoutube、「十瑠」にリンクさせてます。BBのお尻より、「サイダーハウス」のシャリーズ・セロンのお尻のほうがセクシーだったような・・。

>さ~~~~~~~~~っぱり、わかりませなんだ。

「気狂いピエロ」以降の作品には食指が伸びませんな。
トリュフォーが最後まで人間を描こうとしていたのに対して、中期以降のゴダールは、別のものを描こうとしていたように思えます。観てないから何ともいえないけれど。
返信する

コメントを投稿

ドラマ」カテゴリの最新記事