5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

公園の紅葉

2007-10-29 22:02:32 | 社会

月曜で図書館は休み。それにしても、どうして何処の公共施設も月曜休みになるのだろう。隣接する市同士で休館日を調節するなんてことはできないのだろうか。



天気は晴れ、寒くもなく暑くもないから、ベンチで読書でもと思い立って、神宮前駅を降りたついでに、神宮東公園に向かう。夕方の犬の散歩時間にはまだあるので、公園のプロムナードは散歩者もわずか。



木のベンチを一人で占有して、「ミャンマーという国への旅」を読みはじめる。ジョージ・オーエルの足跡をたどるエマ・ラーキンというアメリカ人ジャーナリストの紀行本だ。戦後から今に続く独裁政権は北朝鮮だけではない。



頭の上をカラスの群れが飛び回っている。鳩の群れも地上に降りてきた。散歩する人がえさになるものでも撒いていくのだろうか。ベンチの後ろに廻った彼らの動きが気になって本に集中できなくなった。ベンチの前は運動場。球を廻しながらキャッチボールをしているグループや、三歳児ほどの幼児にサッカーを教えようとしている若い父親たち、運動場の周辺を走り回る自転車など、周辺も落ち着きがない。



気分を変えて万歩にしようと、ナップサックを背中に背負って立ち上がり、見上げると、落葉樹はすでに色づいて「黄落」が始まっている。はらりはらりと落ちる一葉だけは「静寂」を感じさせてくれる。11月に入れば、紅葉も本格的になってくるのだろうが、今ははしりといったところか。



歩きながら公園の木々を眺めてみると、以外に落葉樹はすくなく、常緑樹が多いのに気がついた。どうやら、都市環境管理の面倒を避けるためのようだ。そういえば、高架を通る電車の窓から街中を眺めても、グリーンの常緑だけが目立つ。自然を大切にと言うのだが、どうやら、知らぬ間に都市の植生が大きく変化してしまっているのだ。



雑木林はすでに無くなった。すべてが、自然の緑ではなく人為の緑ということになろう。落葉を清掃する面倒とコストのことが先行し、もはや焼却も簡単には行えない。街路樹の伐枝も木のことを考えるというよりは、交通の邪魔にならないようにという利便優先だ。



先日、街路に立った銀杏の木をゆすってギンナンを取ろうとしている若い男性を目撃した。コトバからすると中国人の留学生だろうか。季節の食材をただで仕入れようとしているらしい。 残念ながら、夏の間に枝打ちをされた銀杏は、充分な実をつけなかったようで、ゆすっても落ちてくるギンナンはわずかしかなさそうだった。



色とりどりの紅葉も、旨いギンナンも、身近なものではないようだ。昔はすぐ近くに秋があったのに。








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