広島県被爆二世・三世の会活動日記

広島県被爆二世・三世の会の日々の活動状況を報告します。

明日からまた・・・雪?

2017-01-19 15:53:32 | 日記

今日は比較的暖かく、近場にはセーター一枚で出かけられました。

事務所には色々な方が来られますが、どなたも予約をしているか、玄関から声をかけて、用件を言って来られます。

しかし、今日はビックリしました。玄関を開けるや、名前も用事も言わずズカズカと奥に入りいすに座っておられます。

「何の用ですか?」と聞いたら「ワシは最初は1号被爆者手帳が出たが、次は2号だった。なんでこうなったんか?16年ぐらい前にここに来て話したら、背の高い人が県に問い合わせどなってくれた」と言いながら、大きな声で昔の話ばかりされ始めた。

「今日は何の用事ですか、誰かを訪ねてこられましたか?」と再度聞いても同じ事の繰り返しで、手帳を出してみせられたので良く見ると「2号の入市被爆者」となっています。良く聞いてみると原爆の時は、学童疎開で鈴張のお寺にいたと本人が話され、逃げてきた人を看病したのに1号でないのはおかしい。と言われます。

自宅が白島なので戦後よく調べず町内で生き残った人に一括申請をしたため1号になったと思われます。そして、本人は11日に広島に帰ってきていることを改めて広島市に申請書出したため2号になったものと思われ、そのことを言うと怒り狂って「被爆者の味方ではない、被爆者を食い物にしている!とか金儲けの道具にしている」などと大声で怒鳴り始められたので、私は言い返しました。

「あなたは何を言いに来られたのか知りませんが、私たちは無償でボランテイアをしています。すべて、被爆者のためにこうして活動しているのです。私は被爆二世ですが無償でして居ます」と言うと「被爆二世は関係ない、病気もせんし関係ない」と言われるのでまたプッツンしました。「自分を基準にして考えておられるようだが被爆二世は手帳もなく、親が早くに亡くなっ手帳も出ていなかったが被爆したと聞いている。自分はよく病気をするが関係ないのか?とか、私の友達も死んでいる、関係無いというような人は帰ってください」ときつく言ってしまいました。

良く聞くと子どもは3人おられ、みんな出世をしているそうです。その事もあって「被爆二世は関係ない」と言いたい、思いたいとの言動だったかと思い至りました。

帰られた後も事務所ではみんなが後味の悪い思いをしました。

電話や訪問で色々なことがありますが、この人は時々来られていたようで、私は初めての対応です。

子どもさんが病気になられないように祈ります。

 

コメント
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