オーストラリアに住んでみれば

南国暮らしに憧れて、住み始めたオーストラリア。
住んで、暮らして、初めて分かる、色々な体験談をお披露目します。

オーストラリア How The Grinch

2019-12-24 22:57:22 | 日記

今日は、クリスマスも明けた、Boxing デーのオーストラリア

ブログも書かないで、一体何をしていたのかと言うと、

日本にホリデーに行っていたのです…しばかれそうですか?

日本は知りませんが、オーストラリアでは、シングルマザーが未成年の子供を海外に連れてゆくというのは

結構大変なことで、

弁護士家族の前夫との離婚裁判は、裁判長のアジア人差別と相まって、

全て前夫に有利な判定が付いているので、バーグ条約という、

国際結婚の一方の親が子供を連れ去って、一方の親が子供に会えなくなるのを防ぐためなど、のもので

日本も4,5年前に加入したんだけれど、

それまで日本政府は、虐げられて逃げだしてきた女性を保護していたもの、で、

(大体、アジアの女性が子連れで逃げるというのは、頼る人もなく、助けも無いから、泣く泣く着の身着のままで、

逃げ帰ったのだと思うのです)

その条例が、あるにもかかわらず、

 

1.旅行行程表作成、各地の住所、連絡先を前夫に伝え、

2.前夫に許可をもらい、

3.弁護士に相談して、裁判所に事情説明を書いてもらい、

4.許可が下りたら、決められている額を、子供の身代金として裁判所に払い、

5.飛行機の行き帰りの時間と領収書提出し、

6.すべての書類をそろえて、オーストラリアポリスに連絡して、空港に載っている子供の名前をリストから外してもらう、

 

と言う手続きをしながら、旅行準備をしなくてはいけなくて、それも、

子供の誕生日や、前夫の誕生日、クリスマス、等の日にかからないようにするなど、

前夫の好きなように作られた法廷からの命令には色々なハードルがあり、それに従って

今回も泊まる場所と食事、交通と荷物の持ち運びを考えなくて良いクルーズにしたかったので、

時間と長さや、日がマッチするコースがかなり限定され、探すのにかなり時間がかかったのです。

 

そしてめでたく、申請していた日本への旅行の許可が、裁判所から下り、

ぎりぎりになって、高価になった航空券を買って、

友人に帰国を告げる暇もなく、あわただしく、オーストラリアを立ったわけなのです。

 

今回、日本に行くことを決めた理由は、

高校を卒業した息子が、家を出ることになったので、、、

 

…大体、週3、4回ぐらいしか大学に行かないので、家から学校に通うよ、と言っていた次男を説き伏せて

家を出させた意地の悪い前夫…

どうしても、私に嫌がらせしたいのね…と思うけど、まあ、何れは出てゆくんだし、まぁ、いいか! 

と言う事で、

以前から私の夢だった、”子供を世界旅行に連れて行く”  を前倒しして、

せめて、日本を見せておきたい、興味を持ってほしいと思って、

決行したのです。

色々な難関を潜り抜けての出国…入り鉄砲に出女?…いったいなに時代やねん?!

 

訪日と言えば思い出す、

 

あれは、

忘れもしないもう10年ほども前の今頃、

今は亡き母が危篤になった時、一目母に子供を見せてあげたくて、前夫に許可をして欲しいと頼んだら、

自分で裁判所に出す書類を作成して持って来たら、サインしてあげるといったので

必死の思いで、英語の難しい分厚い書類を、弁護士にも相談しながらようやく作成し、

持って行って、サインを頼んだら、

”そんなこと言ってない” とあざけるように言った前夫。

食い下がったら、シャッターで締め出されたので、外で叫び続けたら、警察を呼ぶと言われたけれど、

それでも泣いて叫び続けた…

その前のクリスマスの時期も、こんなことがあった。

オーストラリアで一番に友達になってくれたPattyが、私の子供の為に、

クリスマスパーティを企画してくれたのに、

弁護士が何故か、クリスマスの日にちを間違えていて、子供が2年続けて前夫側に滞在する

という命令になっていることがクリスマスの日に発覚して、

前夫に子供を2時間ほど貸してほしいと頼んだら、

”計画があるからダメ”

と…いうのはいつもの事で、計画なんて無いと知っているので、

Patty が、もう、用意してくれているから、と頼んだのにシャッターを閉められた。

 

離婚裁判で、不利な判決を受けたのもこの頃だったし、

 

失恋して泣いたのも、クリスマスだった。

 

大体クリスマスにはろくなことが無い。

クリスマスなんて、大嫌い‼