悠翠徒然

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令和の時代に求められる書道

2024-05-17 09:00:00 | Weblog
かたいなぁ〰️( ̄∇ ̄)

筆で書くことが生活に根ざしていた時代には達人が多くいたことでしょう。
我家の先祖にも達人の書いたであろう書物が残っていて、その達筆ぶりに嫉妬してしまいます。
達人のほとんどは多分指先が器用な人だったとおもいます。
それでも指先の不器用な人もたくさんいて、そんな人たちは書き文字を上手くする為に習字するために通ったさていたのだと思います。
寺子屋で教えていたのは識字を含む習字でしょうから『〇〇流』というと言う『派』とは違うものでしょう。
そこは大人が通う『習字教室』です。
今でも『この教室は何流ですか?』と質問をされる事があります。
茶道や花道、柔道や空手などでは流派を前面に出しているのですからそう考えるのも無理ない事です。
和翠塾も翠苑塾も元を辿って行けば行き着く流派はありますが、それを前面に出す事はありません。
今は必要ないからです。
昔は『流派』の違いで囲い込みをしていたのではないでしょうか。
筆文字が上手くなるために流派を唱える書家の元に集まって達人になる事を目指す。
今風に言えばそれが江戸時代の
『ビジネスモデル』です。

書道が流派を前面に押し出さなくなり始めたのは学校教育に組み込まれたからかもしれません。
組み込まれた時の国家からの条件が流派を前面に出さない事だったかもしれませんが、そこは不明です。
江戸時代の庶民が通った『〇〇派』の習字教室は明治時代になり学校教育に組み込まれた事で大きく変わったのだとおもいます。

その後筆記用具の向上がありながらも達人たちが活躍する場はまだまだあったのです。
生活の中に美しい書き文字が求められ、達人は今以上に一目置かれていたのです。
交通標語や街の看板はほとんど手書きでしたし、戦後時代劇を制作する映画やテレビの世界でも小道具作りには欠かせない存在として生き残っていたとおもいます。
彼らは皆達人です。

戦後、荒廃したのは街だけでなく心も同様だったと思います。
戦場で心を病んだ人
空襲で肉親や家を失った人
戦前に信じていた事が間違っていた事だと言われて心の行き場を失った人
多くの人が心を病んだ時、筆と紙さえあればそこにそれぞれの心情を吐露できる書の行為は手軽な一服の清涼剤になり得たはずです。
ある大学の最近の研究ですが、紙に怒りの具体的内容を書きそれをくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に捨てるのがアンガーマネージメントに効果的だと報告があったそうです。
『怒りを覚えたら何もしないで6秒待て』のアンガーマネージメントは目の前で起きている時に役立ちますが、ふと思い返して湧き上がる怒りを解消するには効果的でしょうね。

書く→くしゃくしゃにする→捨てる

いいですね!これ!

書く=問題ある怒りを明確にする
くしゃくしゃにする=ボコボコにする
捨てる=忘れる

これが令和に求められる書道?
じゃないけれど、そんな効果もある事知った上でお稽古するのって実に令和的ですよね

令和の書道は科学的なのです

私の書道は『温故知新』かな。
先人達の人生訓に学び自分を見つめ直す行為の成果として、書き上げた時の充実感が得られるのが私の目指す書道だと思います。

ここまで来るとお分かりだと思いますが、書家の生き方は書道とはちょっと違うところにあるのです。
時々重なったら交差したりするけれど違うのです。

書家はアーティスト。
アーティストは自分のダークサイドを覗き見ますからね、、、。
私も時々見ようとはしますが、
とっても、おっかない〰️

狂気ある作品ができた時は興奮しますが、後から見返すとと怖い、、、

ところで、空海さんや一休さんに書を習った人っているんですかね?

いなさそうだなぁ〰️










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