575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

韓国船水難救護の記録 ③ ー漂着事件を伝える文書 見つかるー竹中敬一

2017年03月24日 | Weblog
「泊の歴史を知る会 」のメンバーの一人、大森知良さん の話では
明治33年(1900)に韓国船が漂着して、村人が総出で救護に当たったという話は、
子供の頃から聞いていたが、この事も次第に忘れ去られようといた為
有志で調査に乗り出したのだ、と云うことです。

その結果、民家の土蔵から当時の韓国人からの礼状が二通と泊区長文書
「韓人遭難漂着歴史」が、相次いで発見されました。
また、内外海村 (うちとみむら) 役場にあった公文書 「韓国人水難救護ニ
関スル書類」が小浜市立図書館に保管されていることが分かりました。
これらの資料を大森さんらが一年がかりで解読、小冊子にまとめました。
この資料集によって、遭難救護の状況が次第に明らかになっきました。

まず、当時の泊区長をしていた波濤與太郎が書き残した「韓人遭難漂着歴史」から。

「明治33年1月12日 午前9時頃に、泊地崎へ十町程のところへ流れ着いて
大声をあげてい男がいたので、区民一同、何だろうと思って海岸へ行ってみると
妙な船があった。
よく見ると船体が随分破損しており、船の中の人員の姿も奇妙ななりだったので、
これは日本人ではない、唐人に違いないと判断した。
これは大変なことになったと、直ちに村中の小舟を出して救助に向かった。
(「泊区長文書」より意訳」)

明治初期までは外国人を" 唐人"と呼んでいたようです。
村人は手分けして、難破船の中にいる疲労困憊した人たちを次々に救い出し、
とりあえず、浜に上陸させました。
見なりから、遭難した人たちは韓国人と思われ、漢字による筆談が行われました。

韓国人 「ここはいったいどこですか。」
村人 「ここは大日本国北陸地方です。」
村人 「この船はどこの国からきましたか。」
韓国人 「朝鮮です。」
村人 「船中に病気や死人はありませんか。」
韓国人 「この船には病気や死人はありません。」
(「泊区長文書」より)

ここから泊の人と韓国人の交流が始まっていきます。次回をお楽しみに。


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