徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

文学散歩「ノンちゃん雲に乗る~本を読むよろこび~」―没後10年石井桃子展 / 神奈川近代文学館にて―

2018-09-03 10:00:00 | 日々彷徨


 あれほど降りしきる蝉しぐれは止んだ。
 代わって、秋の虫すだく音(ね)が合奏を聴かせる9月となった。
 こうなると残暑の戻りはあるとしても、本格的な秋の訪れはそう遠いことではないかも知れない。
 そうだ。
 そして、芸術の秋、読書の秋だ。

 昭和初期から101歳で亡くなるまで、石井桃子は翻訳家、作家として、児童文学の世界に幅広く活躍した。
 没後10年を機に、今回は本展では、その石井桃子の軌跡をたどりつつ、全てに前向きに、女性として自立の道を開いていった彼女の生涯を展観する。

 創作「ノンちゃん雲に乗る」など、現在も多くの作品が読者に読まれている。
 子供の頃にこの作者に出会った人たちは、きっと幸せな子供たちだっただろうなどと思いながら、筆まめだった石井桃子が知人や友人にあてた多くの書簡類を観ていると、とくに敗戦直後宮城県の鶯沢村(現・栗原市)で土地の開墾作業を始めた様子など、慣れない土地で文化の全く違う人々の中にあって、心身の本当の充実を求めながら、どんなにか苦しい日々であっただろうかと察する。

 






その頃、菊池寛らの知遇を得て、石井桃子独自の透徹した人物の見方を醸成していったことがうかがわれる。
農作業は大変だった。
これには真剣に取り組み、その合間では村の女性に裁縫を教え、自ら内職し、夜は執筆するという、朝から晩まで働き通しだったそうだ。
それだけで現代女性の鏡みたいな人だ。
下草を担ぎ、牛の乳を搾り、戦争直後の農場の仕事は、この作家にとって大きな領域を占め、命がけの挑戦でもあったようだ。
そんな中から、よくぞ実り多い、子供たちのための豊かな文学が生まれてきたものである。

没後10年 石井桃子展」は、神奈川近代文学館(TEL 045-622-6666)で9月24日(月、振休)まで開かれている。
本を読む歓びを伝え続け、そのために101年という生涯を全うした女性の展示会だ。
よく働き、よく学び、よく教え、 「東京子ども図書館」こそが、彼女が若い頃から抱いていた夢を実現したものだった。
「東京子ども図書館」は、石井桃子の事業の一環として今も受け継がれている。

「生涯勉強」というべき石井桃子の老年期が、いかに豊かで実り多き時であったとは次の一文も示している。
「・・・いろいろなことがあった。
 戦争前があり、戦争があり、飢えを知り、土地を耕すこともおぼえ、それから、戦争があった。
 それをみな、私のからだが通り抜けてきた。
 細く長い道があった・・・。」 (「かって来た道」より)
本展関連イベントはすでに終了しているものもあるが、9月15日(土)には「評伝 石井桃子」著者・尾崎真理子氏の講演や、毎週金曜日にはギャラリートークなども行われる。

次回は日本映画「きみの鳥はうたえる」を取り上げます。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿