安いお惣菜屋さんを見つけるとそれを買って食べたいと思う
でもそれは奥さんにはあまり好まれない
むしろ、嫌悪される
しょうがないから、奥さんが食べたいものに従う
まぁそれはそれで想定通りで、一番選択肢としては正解なのだろう
しかし、そうなると、私のストレスが溜まる一方だ
それと同時に奥さん自身も譲歩させてしまったと言う印象がどことなく残っているように思う
だから、私が選んだものだと言う言い方をしないと受け入れられないように思っている
そういう印象がまた今後は私に帰ってくる
だから、自分で選んだと、はっきりと言わざるを得なくなる
自分が欲していないことを自分が好んでやっていると言う選択肢を大っぴらに見せる
そうなると、いよいよ嘘になる
嘘をつき続けて、30数年
体力も落ちたし、肉体的老化も伴っていよいよ疲れてきた
もういい加減好きなものが好き、嫌いなものは嫌い、と言わなければならない年齢になったのではないか
幼児ならだだをこねる
でも、それはそれで正しい年齢になりつつある
それが世の中の当たり前だ と受け入れるのが一番良いような気がしている
やりたいことをやりたい、欲しいものを欲しい、とただをコネても受け入れてもらえなければそれはそれでしょうがない
そこから先は、それはそれで受け入れざるを得ない
『この世はすべてしょうがないでできている』
蓋し、名言だね