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健康寿命があと4年

健康は既にほぼ消滅したし、あちこちで不具合があります。

不安定

2025-08-10 06:34:29 | エッセイ
不安定が嫌なのであって、安定してれば気持ちは落ち着く。

パソコンの下にモノを置いて角度を付けてキーを押しやすくする。

そうすると安定性が無くなり気持ちが不安定になる。

椅子を上げてキーを押すと楽になりキーの遅間違いがなくなる。

しかし、お腹に力を入れないといけないので疲れる。

なので角度をつける。

でもって不安定になる。

そかし、そこには不安定な土台が問題となり気持ちに反映する。

ならば安定した土台になればいい。

そういうことにつながる。

こういう観点は他にもある。

気分は色々な不安定なものに起因する。

住居が借家か持ち家か?

おそらく大きな違いは安定性だろう。

そう思う。
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前世

2025-08-09 06:55:22 | エッセイ
前世は虫でした、と言う人がいる。
前世も人か虫か或いは物か?

しかし、記憶は物にはないだろう。
虫にも無くないか?
じゃあ人ならいいか?

人も感受性はそれぞれだ。
感覚が違うし言語も違う。
暮らしが違えば生き方の意味も違う。

そうなる感性が伝わらない。
私は誰?
そうでしょ。

誰か分からないから記憶を消すのよ!
なるほど。
私の前世は誰だか得体の知れない何か。
それな在り得るかも知れないな(笑)
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効率がわるいゲーム

2025-08-08 17:27:10 | エッセイ
そもそも人の身体は効率が悪いように出来ている。
息を吸わないといけない。
食べ物を食べないといけない。
寝ないといけない。
なぜ会話などせねばならないのか?
などなど。
非常に効率が悪い。

しかし、それが一番生き易い。
そういうふうに出来ているし、それでここまで生き延びてきた。
子孫繁栄。
それこそが生き延びる最良の策。

しかし、ここに来てそれを自ら否定、拒否する文化となった。
効率がいいからだ、と。
メリットがないからだ、と。

つまりは効率を考え過ぎる。
そうすると、結果は何もしないことがいい。
或いは何もない方が効率がいい。
まぁ、自己否定でしかないのだが。

面倒臭い。
邪魔。
楽な方がいい。
などなど。

坊主の禅はただ息を吸うだけクライな。
悟りではないと感じる。
禅はそこから始まるからなぁ。
生きててこの世の真理を探究する。
それは何を意味するか?
確かに、そこには意味はない。
探究そのものが楽しい。
分かりやすく言うとだな、ゲームと同じだ。
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楽しみ

2025-08-08 10:20:47 | エッセイ
お酒は飲まない。
まぁタバコは当然吸わない。
ギャンブルもしない。
趣味らしいものは運転、それは仕事にしてる。
食ものはやや太ってるから制限しないといけない。
体力が衰えたから運動もなかなか難しい。
外をフラフラ歩きながらポッドキャストを聴くくらいか?
歩くのは思ったよりも試練になってきた。
パソコン好きだが、インターネットやSNSは昨今のフェイク情報で面白みが無くなってきた。
スマホゲーム、目に影響があってショボショボするから身体に異変、ヤバい。
書道でもやるか?それは言わずもがな、試練だ。

私には楽しみはあるか?
趣味と言っても、それがわざわざ鍛錬試練を要するならば苦しみだろが。
何が嬉しくて生きてるのだろうか?
だんだんその域にたどり着く。
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仏教

2025-08-08 05:32:54 | エッセイ
仏教の凄いところは、そこには理論で記載されいない点かもしれないと感じる。
感覚で教えようとしてる。

機械に痛さや快さを教えても、そこには言葉で書かれるだけで、機械にその痛い感覚を浸透させることはできない。
つまり機械は「嫌だなぁ」を感知できない。
「感知」というあたりに意味があるかもしれない。

機械がイライラしない様に、そういう感覚がない。
肉体が無いからだ。
では、そういう感覚を持つ物体を作りセンサーを作り刺激を与え、微細な反応ができるようにしたとして、どうなるか。
「心地良い」と感じる部分を教える。
心地よさは人により様々だ。
だから、センサーごとに別に教える。
痛さはどうですか?

結局、一つの個体の痛さは伝わらない。
伝わらないから、それぞれで教えあうしかない。
コミュニケーションをとることになる。
それぞれの個体が話し合う。
結局は統一された決まり事が分解されて、それぞれバラバラな感覚を伝達し合う。

動物も人も、或いは植物も、複数のコミュニケーションという文化を作って初めて成り立つものかもしれない。
宇宙があっても物体だけだ。
時間があっても変化するだけだ。
そこにコミュニケーションという次元がついてくる。
様々なものがつながる。
つながること。
つながるという次元。
それが5次元を構成してるのではないか。

仏教は感知を重要視してるのではないか。
感知の世界。
感覚は情報の一つなのか?
時間が無くなれば情報もないか?

痛いという感覚。
また、感情もある。
お互いに共有できる感情や感覚。
共同体。
共に感知する行為と身体と心を目覚めさせる。
そこに仏教の到達点、目標があるような気がする。

それは教え、というよりも生きることで受け取れる。
そのものに落ち着く。
生まれた時から死に向かって歩き始める。
その言葉で解る感覚。
きっと機械では、その理解が生まれないだろう。
量子コンピューターが産まれれば、それが解るという人がいるが。
果たして。
そこで「詩」や「歌」で何かを感じるかどうか。
感じること。
それも感情で。
それは扁桃体と海馬の友情、などと言ってみる(笑)
未来の話だな。
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