三浦雄一郎さんが登頂を断念した記事を読んで感じたことです。
随分お金をかけてたんだろうなと。
たくさんの人が期待をしてたんだろうなと。
たくさんの人が手伝ってくれていたんだろうなと。
随分な時間もかけて準備したんだろうなと。
それでも、断念するのは苦しかっただろうなと。
それでも断念する覚悟を持っていた。
それこそ現代人の学ばなければならないことではないのか。
比較にはならないが日常での簡単な例でいうと、
お金がかかっているから一度入った塾をやめられない。
同じく、お金がかかっているから食べ放題でお腹がパンパンになるくらい食べないといけない。
一度は行った会社は辞めてはならない。
様結婚は一生別れてはならない。
など。
それって、幻想に過ぎない。
幻想は言い過ぎかもしれないけれど、三浦雄一郎さんに言わせれば、一度停まって落ち着いて未来のベストな判断をすべき、と言うのではないのか。
登山は死がつきまとう。
だから、命を最優先にするのは当然だ。
でも、日常も生活も命の時間の一コマではないのか。
重要さの次元を区別する大きな差はないだろう。
「今」を生きるのであれば、
自分としては
差し出された食べ物を全部食べないと嫌われるとか、そんな意識を持ったままの自分がいる。
どうでも良いことではないか。
どうでも良くないのは自分の時間を最優先にしていないこと。
自分の好きなことをする。
それを優先して何が悪いのか。
忖度文化の日本人。
他人を尊重するのは良い事だけれど、やはり自分のことは最優先で考えて落ち着いて行動すべきではないのか。
なかなかできないことだろう。
だからこそ取り組まなければならない。
時間と労力をかけて。
三浦雄一郎さんの登山と同じくらいに。