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健康寿命があと4年

健康は既にほぼ消滅したし、あちこちで不具合があります。

個人情報

2025-04-29 06:12:50 | 独断と偏見
個人情報保護と言う。
しかしインターネットとか一般から名前も消すのか?
そこまでしないと意味ないと思う。

子供の頃には筆箱に名前を書いた。
いろんなものに名前を書いた。
パンツにも名前が書いてあった。
靴箱にもあった。
家の玄関に表札があった。

ところが今はそういったものの多くから名前を省く。
むしろ名前を出さない。

そもそも仏教では一般で使う名前を俗名と言う。
俗世間では人と人とが出会い暮らす場合に呼び名が必要だからだ。
現代の俗名は個人を確定してしまう危険なナニカになっている。
それだけ詐欺や盗人が増えたのと、危険極まりない事件に使われるようになった。

名前のことだ。
ただの名前のはずなのに、だ。
それをおおやけにすると危険という。
危険なのは身体もそうだろう。
危険な因子は他にも世間にはうじゃうじゃ有る。
そう考えたら、ただ道を歩いているだけで車に跳ねられ流かもしれない。
また死亡する事故にすら会う可能性もある。
近年はちょっとした事でも危険が大きくなってるのだろう。

かつての安心で平和な暮らしが遠のいていると感じる。
発展と進化は危険の増大と共に進んでる。
ラジオで昨今のニュースを聴くと近々に世界戦争すら起こりそうだ。

個人情報。
それを世間に出せない時代になった。
個人をおおやけにしない。
人が存在することが見えない。
見えない世界で生きねばならないのか。

人はそういう未来を目指した生きてきたのか。
そういう世界は根本的に間違ってないか。
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小林旭 赤いトラクター

2025-04-28 05:47:28 | 独断と偏見
当時の世の中の風潮を表している歌だ。

国民に農業をさせようと言う意味を込めた歌でしょうな。

当時から国による洗脳は存在していたとわかる。

この頃は国民はそういう印象操作を感じていない。

ただの流行としてだけ感じていた。

今の時代はそれが分かった上でも尚さら流行る。

受け身の国民性がよくわかる。

けっこうな酷い仕打ちでも受け入れる。

そろそろ今のままで良いとは思えないのだが、受け入れる。

まるで他人事だ。

平和が過ぎるとこうなるという見本かな。
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金融とITが発展すると一般労働者は疲弊する

2025-04-25 10:42:38 | 独断と偏見
アメリカはIT業界の大手であるGoogle  Amazon Facebook、 Apple Microsoftなどを優遇し大金持ちを増やした。
それによって膨大な金持ち国家となっている。
そちらを優遇するものだから一般の肉体労働者は放って置かれた。
そして一般の肉体労働者が減り、あるいはそういった肉体労働者も、そういう新しい業界に入り込もうと意識するようになった。
そのため、一般的な労働が海外に流出して国内で作れなくなった。
ほとんどのそういった労働は中国に流れた。
アメリカの資産を持つものはそういうプログラムや構造を自分の資産として保持していると思っている。
ところがAppleはアメリカの会社だけれども、その部品を作る肉体労働者は中国に存在するということだ。
現実のその会社の製造拠点である部分、核は中国にある。
中国で作って世界全国に売り出す。
ところが中国は泥棒の国である。
そういうノウハウを可能な限り全て取り込んでしまった。
それが現状。

話は変わるが、日本はアメリカの属国である。
そしてアメリカと同じ道をたどっている。
現在N I S A や投資を進める世の中になっている。
お金を一ヶ所に集めて運用すると言うが、そのお金は一般の人々から細かく細かく集めようとしてい流。
そしてそこに投資する人たちは、肉体労働から離れて働かずとも良い環境を目指している。
したがって、肉体労働はしたがらない。
いくら肉体労働市場に雇用の受け皿があってもやろうとしない。
つまりアメリカと同じ道をたどっている。
国がそれを先導している。

トランプは労働者の雇用増やすために、アメリカ国内に工場などを集めようとしている。
ところが、いくらそういう労働の雇用環境がアメリカに移ったところで、労働者が存在しない。
あるいは労働者になるべく人口はいても、そういう労働環境に入ろうとしない。
まさにそこに経済と雇用市場のデカップリングがある。

日本においても同様で、環境は同じだ。
雇用の現場は人を欲しがっている。
しかし、その雇用に入ろうと言う意志があるのは、死にかけの老人たちだ。
若者になればなるほど、そういう労働市場に目を向けさせる政策は取らない。
そして、日本と言う国は、超高齢社会だ。
高齢者ばかりが増えた国になっている。

中国が製造産業の核を持っていると書いた。
現在の中国はなぜそういった労働市場を運用して行けているのか?
それは1~2割程度の支配層がいて、残りの8割以上は奴隷のごとく貧困な人たちだからだ。
高肉体労働の市場は、その極貧のものたちがやるのである。
極貧は言い過ぎかもしれないが。
豊富な人口とその人口の大半が貧しい人たちで運用されている。
つまり、貧富の差の大きな国の構造となっている。
それでも労働市場に人が足りなければ、ウイグルとかの民族を取り込んで、まさに奴隷として働かせることもする国だ。
ところが、昨今は、アメリカの関税政策によって中国の富裕層もなかなか厳しい現状に追い込まれている。
貧しい人たちがいてもやや労働市場は減っている。
アメリカが関税政策であってたとしても、とことんやり込めれば、中国市場も疲弊するだろうが、先にアメリカがどうなるかだ。

アメリカや日本でも 前述の中国と似た構造を作れれば、再度 栄華を取り込むことができるだろう。

別の角度で世界を見る。
プーチン率いるロシアは他国の民族を奴隷のごとく従えようとしている。
この構図は、人類の発展の過程において、重要な役割を構築した。
この構図があるからこそ、人類は発展したとも言える。

したがって、今アメリカがやろうとしている事は自己矛盾を孕んでいる。
まさに到達不可能な政策と言って良い。
破綻に追従するのが日本なのだが。
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大丈夫ですか?

2025-04-23 17:16:47 | 独断と偏見
『大丈夫ですか?』と聞いて『大丈夫です』と答える人の半数は大丈夫ではない。

何か困っていそうな人に『大丈夫ですか?』と問いかけることがあるが、その場合の答えはして大抵の場合『大丈夫です』と答えるケースが多い。

経験上の結果ではあるけれども、そういった場合に本当に大丈夫な場合は半数以下だと思う。

自分の場合は、とっさに『大丈夫です』と答える癖がついている気がする。
そしてそれは自分以外の人も同じではないかと思う。
なぜそう答えるのか?

きっと、「他人に対する煩わしい感覚」が心の中にあるからだと思う。
人を応対するのは煩わしい。

多くの人はそう思っている気がする。
できれば他人を応対するのは避けたい。
なぜなら自分が自由でありたいからだ。

自由と言うのは「他人を意識しなくても良い」ということだ。
人を意識すると身構えてしまう。
警戒してしまう。
緊張してしまう。
非常にたくさんの労力を使うことになる。
もっと言えば面倒だ。

他人は面倒だ。
自分が自由にできない。
そういった諸々の感情から他人から問いかけをされた場合に「大丈夫です」と答えるのだろう。

でも本当は大丈夫ではないと思う。

なぜ他人が煩わしいのか?
それはワガママを言ってはいけないと言う社会的風潮があるからだろうと思う。
人は子供の頃から成長する過程で「ワガママを否定」されて育っていく。
しかしながら大人になっても実際には大人と子供の区切りがあるわけではなく、そのまま時間が経過して肉体が大きくなっただけだ。
そして、知識がついただけだ。
人間が変わったわけではない。
だからワガママな心はワガママな心のまま肉体の成長と経験だけが増えた。

にもかかわらずワガママでなくなっている自分を大人であると意識している。
それは世の中がそういう束縛によって作られているからだと思う。

非常に不健康だ。

したがって、大人になってもワガママでは良いではないか。
「大丈夫じゃない」と言っていいではないか。
困っているように見えるならそれは実際に困っているんだろう。
それを自分が認めないといけないと思う。

もし本当の大人の定義を言うのであれば自分がワガママであるということを認めることが、本当の大人になった証拠になる。
そう思う。
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年金が存在する理由

2025-04-21 05:16:33 | 独断と偏見
つまり年金は生きてて、働いてて退職後の暮らしをより良くするお駄賃的な意味から始まった。
従って、そもそも年金だけで暮らせるというものではなかった。
しかし現在は年金だけで暮らせる前提で考える人がほとんどになった。
では、以前はどういう考えだったか?

昔は老人になっての暮らしは「子孫に世話になり老後を送る」というのが基本だったし、それが他の哺乳類の動物でも似た感じだろうと思う。
だから猿でも同様だろう。
まぁ、知能がある程度高い生き物であるならば、だが。
人間は特に今でもそういう生き方が基本だと思う。

従って、現代社会での老人ホームというのは暮らし方が間違ったものになってると思う。
現代社会特有の暮らし方の悪化。
生き方の劣悪化だ。
だから子供が減る。

子孫繁栄の基礎は子供を多く残してそして未来の生き方に繋げる、或いは未来の自分の種の安定を意識することではないか?
従って、寺の坊主のような生き方はある意味間違ってる。
念仏を唱える事が重要ではなく、生きてるのは何が基礎か?ということ。
生きるための心の拠り所は念仏や説教ではない。
命の繋ぎだろう。

自分の存在が『あってよかった』と言えること。
子孫が居ないことは「そこで終わり」、終止符だ。
だから祈るしかなくなる。
もう存在しなくてイイという虚しさを吐き出せる何かを求めるからだ。

「年金の話」、本題に戻る。

老後、生きるには老人ホームに入って幸せか?
今後、少子化により介護する人間の数は減る一方だ。
従って、これから老人ホームなどの介護職で働く人は限りなくゼロになる。
最後には居なくなる。
つまり機械が介護するだけの施設になる気がする。

機械は機械だから、そこはいわゆる介護の現場ではなく捨てられた老人の掃き溜めのような場所になる。
将来はそこでかかる費用が年金だけで運用できるようになるかもしれないが、おそらく粗悪な場所になるだろう。
姥捨山だな。
生きる墓場だな。
さっさと死にたくなるだろうな。

それならば、長生きしなくていいんじゃないか?
長生きが幸せのバロメーターではなく、長生きが地獄行きを意味することになる。
もう既にそうなってる。

だから今こそ 子孫に囲まれて余生を眺めて、そしてそこで生きることが幸せな気がする。
ただ、生きるだけでも子孫がそこに居れば救われる。
仏門に入らなくても家庭がそこにある。
それが幸せの到達点に思える。
そう思えるのは自分の精神が老人になった証かもしれない。

そしてそこで、年金の役割がどういう意味を為すか?
年金はあまり意味を為さない。
あってもなくても別に意味を持たない。
つまりなくてもいい存在になる。
むしろそんなものがあると現代社会のような間違いを生む。

間違いというのは先ほどから書いてる内容だが、それだけではおそらくまだ結論が理解できない様に思うので続ける。
何故なら『それではどういう老後の生き方を目指すのか?』の結論が明記できていない。
はっきりと言う。

子供を最低でも三人は産むことだと思う。

子孫繁栄だけを言ってるのでは無い。
老人になって子孫が多ければ多いほど面倒をみてもらえると言うことに尽きる。
それが能書ではなく現実だということだ。
そういう家族を何かで見たとこがあるだろう。

大家族。
最近は沖縄県あたりでないと見ないかもしれないが。
二人ではおそらくそういう環境に至れない。
子供は最低三人はいた方がいいと思う。
先に書いたように三人居ればどこかで誰かに介護してもらえると思う。
まぁ、三人で安心できるわけではない。
もっと多い方が良い。

しかし、育てるのが大変だ。
だから生きるのは大変なのだ。
そこを頑張る。
年金というお金を作るのに『大変だ』というのがそもそも間違い。
年金は消えるだけ、誰かに搾取される『お金』だからだ。
或いは年金は将来減るから貯蓄とか投資で貯めておけ、と言うマスメディアもオカシイと思う。

ところが子孫には心がある。
どんなに劣悪な者であっても肉親関係は消せない。
それほどの結びつきがある。
こういうのを赤い糸と言うのだろうか。
しかし確かに先ほど言ったように安心できるものではない。

戦時中は大勢の人が亡くなった。
子供も亡くなった。
そして自分の子供が絶対に介護できる生き方をしてるかどうかわからない。
世の中は厳しい。
しかし、だからこそ多くの子孫を残すことが老後の生き方に道を造る。

従って、年金を考えるならばむしろ子孫を可能な限り多く残すことの方が、老後に於いても安心になる。
そこを、「面倒」とか「自由が欲しい」というようなマヤカシに導かれて道を誤るのが現代社会の罠だろう。
そこに至った原因が都市化の傾向だと思う。
西洋の民族で、滅んだ民族はたいていそこにハマっている気がする。

日本国土に於けるこの土地の民族は今まで、そういった西洋に於ける都市化の罠に嵌まらないでなんとか来た。
世界で見ても数少なくなった少数民族は発展こそしないが生き永らえている。
そして多くの子孫繁栄で生き繋いできている。
なぜか?
先ほどの『お金を残すより子孫繁栄』で繋いできたからだ。

現代の日本人の生き方は西洋の近代化に憧れ、都市化が良いと洗脳された事により、『子孫繁栄よりもお金を残すことを優先』している。
だから、ただ虚しい生き方で終わる。
それは今に始まったことではなく、大東亜戦争後の進駐軍に於ける西洋化への洗脳から始まっていて、まさに今至っている。
いまだに米軍はその道を突き進ませるために国土中に居座っていて止められない。
いや、明治維新からかもしれないな。

『近代化』という言葉と『都市化』という言葉がイコールで結ばれている。
それは一度壊滅させないと理解できないほどに。

多くの若者が大きな都市に憧れ、大規模な都市で生きることが正しいと勘違いしてる。
そして大都市に住むと多くのお金が必要になる。
お金を得るために時間の切り売りをして歳を取る。
気がつけば老後のためのお金(年金)を得るために生きている。
しかし、年金でできることは、介護する人のいない未来にお金を捨てるだけ。

そこに至った後の生活には無惨な暮らしが待ってる。
無機質な機械が物理的な動作をするだけ。
まるで人形を扱うかのような動きをする。
見た目は人の形をしてるだろうし、ある程度の会話はできるだろう。
しかし、人の心を読むことはできない。
一般的な人の動きに対応するだけのプログラムだから。
その時代において 変化する地球上の人間の個性を理解するには あらゆる変化に合わせられるDNA(プログラム)の改変が行われないといけない。
それを「進化」と言う。
人は自然に進化する。
そういう「命」を持つ。

未来に於ける破壊と創造。
それができるのが『神』だと言った。
しかし、実はそれができるのは『人間』そのものだろう。

宗教では『神』は唯一無二のものだと言った。
そこには変化しない『絶対』が居る、と。
しかし『破壊と創造』は「絶対の拒否」ではないのかな?
神を否定し、そして新たに生き直す。
それは『子孫繁栄』以外に無い気がする。
そこに至れば全てが落ち着くと感じる。

『年金問題』を解決するには人の暮らしが重要。
そしてその本質は『家庭』だろう。
それは一番身近にある。
まさにメーテルリンクの『青い鳥』に書かれてる意味だな。

日常を否定するから日常が手に入らない。
簡単な答えが見えない。
見ようとしない。
『都市化』の甘い罠とも言える。
それを見出すには一度いまの都市化社会を破壊するしかないのか。

トランプの世界を破壊する行為も、或いは それが朧げでも、見えてるんだろうか?
などと想像してみる。

元に戻る。
結論。
『年金』は必要ない。
或いは貯蓄や資産も必要ない。
必要なのは家族だ。
結婚して子供を可能な限り産む。

それを『愛』という言葉で唱えてる。

そこに至ったならば男性とか女性などと言ってても意味はない。
何故なら両方居ないと子供は誕生しない。
そこに祖父母も必要になるだろう。
何故なら『家庭』とはそういうものだからだ。
過去、5億年かけて出来上がった命の繋ぎ方。
そこに戻れば良いだけだ。

簡単な答え。
しかし実行するには一番難しい解答だろうけれど。
なんとかやるしかない。
たいてい多くに人は「そりゃあ年金問題とは違う」と理解するんだろうな。
そこがなんだか虚しい。
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