中日新聞より転載
キンちゃんとタロウの海(1)ー4年目の被災地から
三陸の静かな海に、ロープを巻き取るモーター音が、低く響く。
朝、岩手県田野畑村の佐々木公哉(きんや)さん(58)は、第18みさご丸(4.99トン)を港の沖合に止め、タコ漁の最中だ。
愛称・キンちゃん。腕利きのベテラン漁師だが、この5年間は休んでいた期間のほうが長い。
2009年11月に左足を骨折した。「かご網」を海底に送り込む作業の最中、ロープが長靴にからまった。海に引きずり込まれそうになり、懸命に踏ん張るうちに、左足首の骨が砕けて、長靴がポーンと海に飛んだ。翌年5月まで入院。その間に、大好きな母りよさんが88歳で世を去った。事故の記憶や復帰への焦りから、PTSD(心的外傷後ストレス障害)も患った。
退院後も、足の状態は一進一退。5回目の手術を受けた翌日、東日本大震災が起きた。家族は高台に逃げて無事だったが、持ち船も漁具も失った。休業中で船舶保険を中断していたため、保険金も出なかった。
度重なる不運を乗り越え、本格復帰して2年あまり。今度は「不漁続き」の現実がのしかかる。
海中から引き揚げられるオレンジ色のかご網の多くは空っぽ。茶色の海藻がからみつき、泥地を好むヒトデが入り込む。震災前にはなかった現象だ。燃料も高騰し、漁に出る回数はめっきり減った。かご網に入れていた冷凍サンマの餌もやめた。北海道のサンマ漁が記録的不漁で、餌用の安いものを入手できないからだ。空のかご網にたまたま魚が入るのを待つ。「前は、油代や餌代なんて気にしたこともなかったのにね」
この日は、70枚のかご網を引き揚げて、タコが2匹、ほかにアイナメ、カレイ、エイなど10匹ほど。油代にも届かなかった。
「タロウ、朝飯にすっか」
船首の白い犬が、尻尾を振って応えた。妻貞子さん(59)が作ってくれたおにぎり3個を、分け合う。
相棒タロウは、オス12歳。人間の年齢に換算すると60歳を超える。一緒に船に乗るのが大好きだ。以前は、餌のサンマを狙うカモメを追い払うのが仕事だったが、今は働くキンちゃんを眺めながら、おとなしく座っている。このタロウ、大津波から生還した奇跡の犬なのだ。(つづく)
東日本大震災で、深手を負った三陸の漁師たち。回復への道はまだ遠く、必要な支えも個々に異なる。1人の漁師と愛犬の3年半をつづる。(この連載は、安藤明夫が担当します)