奥松島(宮戸島)で開催されたトークイベントに行ってきた。
「世界一周した最初の日本人」とは、今から210年ほど前の江戸時代に、石巻から江戸に物資を輸送しようとした若宮丸がいわき沖で嵐に遇い遭難、半年もの漂流の末にアリューシャン列島でロシア艦隊に救助され、皇帝ぺテルブルグ一世に謁見するなどの後に日本に帰国した4人。
その彼らから聞き取りした内容は、環海異聞(かんかいいぶん)としてまとめられ今に残されている。
宮城県図書館にその複製が保存され、誰でも目にすることができる。
なお、九州大学デジタル・アーカイブでは、インターネット上で公開もしている。 ⇒ こちら
※若宮丸漂流民については、『石巻若宮丸漂流民の会』のサイトをご覧ください。 ⇒ こちら
改めて勉強しなおそうと心に決め、会場を後にした。
※貞山運河事典での関連記事 ⇒ こちらとこちら
※このブログでの関連記事 ⇒ こちらとこちら
▲会場のある奥松島縄文村では『縄文まつり』が開催中だった。
*
その後、せっかくなので島内を歩き回ってきた。
最初は、嵯峨見台。
▲嵯峨見台への登り口
▲岩屋(中には観音像が祭られている)
▲大岩が道をふさいでいる。
▲嵯峨見台の東屋
▲嵯峨渓の眺望(残念ながら今日はよく見えなかった)
▲鮫ヶ浦崎等への細道に咲いていた花
次は、東名漁港近くの塩竈神社。
こちらは、神社の石柱等は倒れたまま。
これまた横倒しになっている奉献記念碑によれば、長年尊く奉祀してきたが傷みが激しくなってきたことから平成14年に修復、平成15年に県北連続直下型地震で被災したので再度修復事業を実施したとある。
参道にはトラロープが張られ、立ち入り制限がされている。
▲東名漁港(震災復旧工事が進められている。)
▲塩竈神社の鳥居
▲塩竈神社は岩山の上の方に位置している。
▲神社下の採石跡
▲奉献記念碑
▲参道
▲塩竈神社
▲神社脇から東名水門の方角を眺望
▲浸水したままの景色
東日本大震災からの復旧工事は進められているが、地域の方々の1日も早い安定した生活が戻るよう心から願っている。
▲宮戸小学校近くで進められている集団移転用の宅地造成工事
「世界一周した最初の日本人」とは、今から210年ほど前の江戸時代に、石巻から江戸に物資を輸送しようとした若宮丸がいわき沖で嵐に遇い遭難、半年もの漂流の末にアリューシャン列島でロシア艦隊に救助され、皇帝ぺテルブルグ一世に謁見するなどの後に日本に帰国した4人。
その彼らから聞き取りした内容は、環海異聞(かんかいいぶん)としてまとめられ今に残されている。
宮城県図書館にその複製が保存され、誰でも目にすることができる。
なお、九州大学デジタル・アーカイブでは、インターネット上で公開もしている。 ⇒ こちら
※若宮丸漂流民については、『石巻若宮丸漂流民の会』のサイトをご覧ください。 ⇒ こちら
改めて勉強しなおそうと心に決め、会場を後にした。
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▲会場のある奥松島縄文村では『縄文まつり』が開催中だった。
*
その後、せっかくなので島内を歩き回ってきた。
最初は、嵯峨見台。
▲嵯峨見台への登り口
▲岩屋(中には観音像が祭られている)
▲大岩が道をふさいでいる。
▲嵯峨見台の東屋
▲嵯峨渓の眺望(残念ながら今日はよく見えなかった)
▲鮫ヶ浦崎等への細道に咲いていた花
次は、東名漁港近くの塩竈神社。
こちらは、神社の石柱等は倒れたまま。
これまた横倒しになっている奉献記念碑によれば、長年尊く奉祀してきたが傷みが激しくなってきたことから平成14年に修復、平成15年に県北連続直下型地震で被災したので再度修復事業を実施したとある。
参道にはトラロープが張られ、立ち入り制限がされている。
▲東名漁港(震災復旧工事が進められている。)
▲塩竈神社の鳥居
▲塩竈神社は岩山の上の方に位置している。
▲神社下の採石跡
▲奉献記念碑
▲参道
▲塩竈神社
▲神社脇から東名水門の方角を眺望
▲浸水したままの景色
東日本大震災からの復旧工事は進められているが、地域の方々の1日も早い安定した生活が戻るよう心から願っている。
▲宮戸小学校近くで進められている集団移転用の宅地造成工事
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