
2023.04.19(水)二ヶ領用水の残りの区間をめぐってきた。
その後は川崎駅まで電車で移動し、そこから徒歩で小泉次大夫像や供養塔のあるお寺さんに行った。
さらには川崎駅まで来たついでに、バスに乗り川崎大師へ。
(川崎大師参拝は別途ご紹介。)
これまでの様子は
上河原堰~五ヶ村堀緑地 ⇒ こちら
宿河原堰~円筒分水 ⇒ こちら
高津~等々力緑地~武蔵小杉 ⇒ こちら

(今回歩いたコース)
まずは東急田園都市線で溝の口駅へ、次いでJR南武線武蔵溝ノ口駅から武蔵小杉駅に移動。
すぐに二ヶ領用水に向かう。

(武蔵小杉駅)

(今井上橋の下流側)

(渋川分岐)

(小杉町1号橋)

(渋川分岐下流側) 水量多い。

(所々水辺に降りられるようになっている。)

(JR東海道新幹線の高架の下を行く。)

川崎市平和館に立ち寄ってみることにした(入館料:無料)。
太平洋戦争末期に川崎が大空襲にあった映画や、現在も続いている世界各地の紛争の紹介パネルなどを見てまわった。
率直に言ってこういう難しいテーマを掲げていることに大いに感心した。

(川崎市平和館)

(平和館わきの道)

(同)

(同)
水遊びする子供たちでにぎわう様子を想像しながらここで長めの休憩。

(公園内の親水護岸)

(遊具の一部)
この「うんてい」はかなり長い。
ぶら下がってやりきるのはかなり大変だろう。
なかなか長い名の個性的な橋に到着。

(昭和橋人道橋しょうわばしじんどうきょう)

用水路が線路下をくぐっている。

(JR横須賀線・武蔵野線(貨物)の下へ)
用水路わきの道がだんだん分かりにくくなってきた。
線路下をくぐるわけにはいかない。
少し回り道をした先には神奈川県道111号の跨線橋があった。

階段を上り、道を渡って水路を探すと見当たらない。
一瞬とまどってしまった。
跨線橋の階段を上がった側の歩道を下ると、すぐ左下に水路が見えてきて一安心。

(こちら側には侵入禁止柵が設置されている。)
この先も迂回、民家の軒先歩きなどが必要になったがそれでも道はたどることができた。

しかし、こうなってはもう先に進めない。
左岸、右岸側ともに行き止まり。

(JR南武線線路のため行き止まり)
右回りかそれとも左回りで迂回か。
行きつ戻りつしてしまい、時間も費やしてしまった。

(町田堀跡の石碑)
水路はいっそう細くなってきた。
もうこれが二ヶ領用水かと心配になる。
すれちがった年配の女性に声がけして確認、そして安心する。

(小さな池のようになっているところではコイや金魚が泳いでいる。)
歩道脇の水路は、二ヶ領用水だという雰囲気が感じられない。



(ここで用水は側溝のようになり、水は地下(暗渠)へと流れていく。)

(用水路は、画像のスーパーの左側歩道にある。画像前方の右に鹿島田駅がある。)

(画像右が鹿島田駅の入り口。回廊がすごい。)
二ヶ領用水をたどる歩きもここで終了。
せっかくなので川崎駅まで足を延ばして小泉次大夫ゆかりのお寺さん(日蓮宗長継山妙遠寺みょうおんじ)にも行ってみることにした。
川崎駅から徒歩10分。

(妙遠寺)

(山門入ってすぐ左手にある石碑)


(小泉次大夫像)
「吉信作」との刻みがあるがそれがどういう方なのかはネットで調べても私にはわからなかった。
像の左すぐ後ろの石塔は次大夫奥方の、その左が次大夫の逆修塔。
※逆修塔:死後の往生をねがって生前に自らが建立するもの
この後は川崎駅まで戻り、バスで川崎大師に向かった。(続きます。)
その後は川崎駅まで電車で移動し、そこから徒歩で小泉次大夫像や供養塔のあるお寺さんに行った。
さらには川崎駅まで来たついでに、バスに乗り川崎大師へ。
(川崎大師参拝は別途ご紹介。)
これまでの様子は
上河原堰~五ヶ村堀緑地 ⇒ こちら
宿河原堰~円筒分水 ⇒ こちら
高津~等々力緑地~武蔵小杉 ⇒ こちら

(今回歩いたコース)
まずは東急田園都市線で溝の口駅へ、次いでJR南武線武蔵溝ノ口駅から武蔵小杉駅に移動。
すぐに二ヶ領用水に向かう。

(武蔵小杉駅)

(今井上橋の下流側)

(渋川分岐)

(小杉町1号橋)

(渋川分岐下流側) 水量多い。

(所々水辺に降りられるようになっている。)

(JR東海道新幹線の高架の下を行く。)

川崎市平和館に立ち寄ってみることにした(入館料:無料)。
太平洋戦争末期に川崎が大空襲にあった映画や、現在も続いている世界各地の紛争の紹介パネルなどを見てまわった。
率直に言ってこういう難しいテーマを掲げていることに大いに感心した。

(川崎市平和館)

(平和館わきの道)

(同)

(同)
水遊びする子供たちでにぎわう様子を想像しながらここで長めの休憩。

(公園内の親水護岸)

(遊具の一部)
この「うんてい」はかなり長い。
ぶら下がってやりきるのはかなり大変だろう。
なかなか長い名の個性的な橋に到着。

(昭和橋人道橋しょうわばしじんどうきょう)

用水路が線路下をくぐっている。

(JR横須賀線・武蔵野線(貨物)の下へ)
用水路わきの道がだんだん分かりにくくなってきた。
線路下をくぐるわけにはいかない。
少し回り道をした先には神奈川県道111号の跨線橋があった。

階段を上り、道を渡って水路を探すと見当たらない。
一瞬とまどってしまった。
跨線橋の階段を上がった側の歩道を下ると、すぐ左下に水路が見えてきて一安心。

(こちら側には侵入禁止柵が設置されている。)
この先も迂回、民家の軒先歩きなどが必要になったがそれでも道はたどることができた。

しかし、こうなってはもう先に進めない。
左岸、右岸側ともに行き止まり。

(JR南武線線路のため行き止まり)
右回りかそれとも左回りで迂回か。
行きつ戻りつしてしまい、時間も費やしてしまった。

(町田堀跡の石碑)
水路はいっそう細くなってきた。
もうこれが二ヶ領用水かと心配になる。
すれちがった年配の女性に声がけして確認、そして安心する。

(小さな池のようになっているところではコイや金魚が泳いでいる。)
歩道脇の水路は、二ヶ領用水だという雰囲気が感じられない。



(ここで用水は側溝のようになり、水は地下(暗渠)へと流れていく。)

(用水路は、画像のスーパーの左側歩道にある。画像前方の右に鹿島田駅がある。)

(画像右が鹿島田駅の入り口。回廊がすごい。)
二ヶ領用水をたどる歩きもここで終了。
せっかくなので川崎駅まで足を延ばして小泉次大夫ゆかりのお寺さん(日蓮宗長継山妙遠寺みょうおんじ)にも行ってみることにした。
川崎駅から徒歩10分。

(妙遠寺)

(山門入ってすぐ左手にある石碑)


(小泉次大夫像)
「吉信作」との刻みがあるがそれがどういう方なのかはネットで調べても私にはわからなかった。
像の左すぐ後ろの石塔は次大夫奥方の、その左が次大夫の逆修塔。
※逆修塔:死後の往生をねがって生前に自らが建立するもの
この後は川崎駅まで戻り、バスで川崎大師に向かった。(続きます。)
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