夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2017年 3月 9日(木)「東京日記(2)」

2017年03月09日 14時54分17秒 | 「本・文学」
昨日か書きました東京日記の続きです。
内田百閒は夏目漱石の弟子です。
漱石からはいろいろなものを吸収したようです。
奇妙な不思議な話としての「東京日記」はどうも漱石の「夢十夜」に近いものがあります。
「夢十夜」は日記ではなく「こんな夢を見た」ではじまる夢のお話です。
「東京日記」はどこか凶器すら感じる政界を感じますが、「夢十夜」は私的な世界です。しかし6歳の我が子を背負って歩いていると、その子がお前は100年前に私を殺した。。。などと口走る。この恐ろしいような世界は、「東京日記」の世界でしょう。
しかし「夢十夜」は詩的な世界です。
少し怖さもあったり不思議な言動を見聞きしたりその世界に引き込まれていく詩的な世界という面では、銀色夏生さんの「夕方らせん」があります。
やはり10ほどのお話が納められています。心に浮かぶ怖さ、というよりも不安でしょうか。そこに吸い込まれていくような読者の心。でも、「夕方に住む私」はいつも暖かに見つめていてくれる安堵さ。これが私人らしく美しい言葉でつづられていきます。初めて読んだとき、これは『夢十夜』だな。。。。」と思いました。
漱石の「夢十夜」百閒の「東京日記」川上さんの「東京日記」夏生さんの「夕方らせん」。。。。
これらすべての作品は、心が主題ではないでしょうか。
文学はいろいろな主題を描きますが、心時には作家自身の心自体を描きそれを感じさせてくれる作品化と思います。
心自体を描くには夢のようなそして怖いような不思議な世界になるのかもしれません。とらえようがないのが心。そのとらえようがないものが不思議な世界です。
(ちなみに僕のハンドルネーム「夕螺」は、夏生さんの「夕方らせん」を「夕方螺旋」と監事漢字にして「夕」と「螺」をお借りしました。)

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