【2024年】ツイッターつぶやき
「どうする家康」が終わり、一気に頼朝の時代よりさらに平安時代まで歴史はさかのぼりました。
主人公は、紫式部ですが、藤原道長を通して源氏物語の摂生政治が描かれるのでしょう。
戦国時代は下剋上の武士の歴史ですが、頼朝の時代は、源氏と平家という貴族から分かれた武士の世界です。
道長が我が世の春と絶頂期にあった時代は、平将門の乱があったり、地方の荘園を守る武士団が強い力を得ていた。その武士の頂点が平清盛で藤原氏の政治が大きく揺らぐ。
頼朝の先祖たちが権力争いに右往左往していた時代でしょう。
武士の時代の仕上げには500年から600年かかる。
≪過去の日記≫
【2004年】
学校から帰った息子が「チキンラーメン」を食べていた。なんか懐かしいです。最近またコマーシャルでもやっていますね。
僕が小学校の頃か?インスタントラーメンができました。日清だったか、エースコックだったかはっきり覚えていないのですが、どんぶりにラーメンを入れて熱湯をかけ、皿でフ倒し、出来上がったラーメンのおいしさはまだ覚えています。
今のインスタントラーメンは発展をして本物に近いものがありおいしくなりました。でもまたあの懐かしい味も食べてみたいです。
今日は風が強かったです。東北の方では台風なみだったようです。
買い物。。。さむかった・・・・・
天気はよかったので掛け布団を干したのですが、風に飛ばされそうになりました。
夏生さんの「君のそばで会おう」をまとめ中です。
【2005年】
暇だったので妻と娘と新規開拓のスーパーを探しに行きました。どこも変わりがありませんねぇ。。。
しかし、安売りで有名なロジャース発見!!
余計なものも安いので買ってしまった。。。ハハハ
今夜はおでんです。
少し高いのですが蛸の足も入れました。牛筋というのもおいしいのですが、今はいろいろありますからね。。。。やめました。
息子の部屋を掃除したら、ベッドの裏から誇りまみれのゴミが出てきました。何だか朝シャンをして出かける息子も自分の部屋となると汚い(笑)
【2006年】
夜は外食でした。
僕が時々一人で行く隠れ家のの中華屋さんに家族で行ってきました。いつもながらおいしかったです。
いろいろと腹いっぱい食べ、紹興酒や人参酒で酔っ払い、デザートも食べて、息子はバイトでこれなかったのでチャーハンと餃子をお土産にしてもらい。。。
8000円弱でした。
安くてうまい!感謝です。。。。
しかし。。。
今日はスポーツジムに言ったのですが、夜腹いっぱい食べて酒まで飲んでしまいこれでいいのかと反省。でも、おいしく食べて飲むことがで切るのも健康維持のためのジムの成果でしょうか?(言い訳。。。ハハハ)
津田青楓の「漱石と十弟子」を読んでいますが、若い津田青楓の芸術論を漱石はしっかり受け止めます。たぶん若さゆえの背伸びした芸術論だったのでしょうが、漱石はまじめに受け取る。津田青楓の貧乏生活を訪ねていくし、文芸誌の挿絵を津田に紹介をする。えらい先生とはこんな漱石を言うのでしょう。もっとえらいのは、師である漱石が謙虚に津田青楓煮絵の具のセットを頼んで絵を教えてもらうというそんな漱石の謙虚さにも感激しました。
津田青楓は、そんな漱石を心から師と思ったのでしょう。。。自分の子とをこんなに思ってくれる師。。。でも、こんな気持ちは弟子たち一人一人が持っていたのでしょう。自分にとっての師漱石。。。ここに漱石の懐の深さがあります。
内田樹さんの「先生はえらい」の感想がもう少しなのですが、上のような感想も考えながら読んでいます。
【2007年】
昨日からの風もやみ、穏やかな成人式。
娘の厄除けのためにお大師さんへ初詣。
もう混雑もないだろうと思って行ったのですが、3連休ということもありこんでいました。成人の日ということもあり着物姿の女性も多かったです。
参道には多くの屋台が出ていました。モツ煮込みに缶ビール。。。。
ぐっと我慢をして門を出ました。
毎年、車のフロントガラスにくっつける交通安全の破魔矢を買ってくるのですが、また今年も無事故でありますようにとお願いもしてきました。
お札やお守り、破魔矢というのは、返しに行かなくてはならないので、毎年同じお寺に行くようになります。方位除けというのも家族4人もいれば、誰かしら方位除けの年となります。全部やっていたらキリがないので、まぁ厄除けの年だけはと思ってます。
【2008年】
新聞を読んでいたら、日本で捨てられた家電製品がアジアなどの国にわたっているそうです。中古として使われるのはいいですが、家電製品に含まれる貴重金属を溶かして集めるらしい。だいぶ体によくない作業らしいです。
4品目でしたっけ、リサイクル料を支払って引き取ってもらっていますが、その他にもアジアの国々にもわたっているのですね。。。。
これから地上波デジタルで大量のテレビが捨てられるらしい。
もったいないですなぁ。。。。
チューナーだけでも買えば映るのかな?テレビが映るうちはどうにか間に合わせたいです。
【2009年】
暮れの大掃除は当たり前だが、我が家は新年の大掃除。
暮れの大掃除に間に合わなかった家具が来ましたが、古い家具を片付けようとしたら。。。。大掃除になってしまいました。
まだ粗大ゴミもたくさんあるし、年始の燃えないゴミの収集もまだ。ゴミ屋敷状態です。ゴミはいまや捨てるもんではなくて引き取り寮のかかるものとなりました。
でも、新しい家具というのは気持ちよいもんですね。
【2010年】
(記事なし)
【2011年】ツイッターつぶやき
内田 樹さんの「日本辺境論」(新潮新書)を読み始めました。
古代からアジアでは中国が「世界」の中心であり日本は辺境の地だった。江戸も終わる頃からそして明治になるとヨーロッパ文明から見た極東の地という辺境の地となる。
古代からさまざまな文化を中国から輸入をし、明治からはヨーロッパ文明を輸入をする。世界の中心が中国からヨーロッパに移った中にすでに中国は世界の中心ではなくなり逆に意識としてはアジアの中心は日本というものとなる。
文化でも辺境の地にありながら世界と対等にそして一番になるために追いつけ追い越せと。あるときは物まねの日本といわれながら。
この「追いつけ追い越せ」の中に日本人の二面性が出るのだろうか?中国に追いつき追い越すこと、ヨーロッパアメリカに追いつき追い越すこと。これはその追いつくものにしろ追い越すものにしろ結局はそのときの世界の中心にある文化であることに変わりがない。中国文化に追いつき追い越すといっても結局は中国の文化的土俵の中であり、ヨーロッパ文化の土俵の上でしかない。追い越すには新たな日本独自の文化を世界の中心として創らねばならないのだがそれができない。だから今のように世界の中心が見えなくなり、経済学やいろいろな思想にこれといったものがなくなると右往左往する。経済で一番になるというものは見えるが、その後の日本の文化的役割に自身が泣く独創的なものがない。一方では日本の内政においては日本が一番になるという建前は先走っていく。内政と外交の二面性や、内弁慶的な発言とアメリカや諸外国に対する発言の二面性。
日本が辺境であるという中から抜け出せないものが。。。
日本人論というものがいろいろ紹介をされている本だそうですから楽しみに読みたいと思います。
内田さんは武道家でもあると聞いていますが、本を数冊読んだことがありますが、その文は武道で言えば酔拳ともいえるような相手を油断させながら眼光は鋭いようなそんな文章です。こういう文章はこちらとしてはぼうっと眺めながら鋭い眼光だけをしっかと見つめることがその対戦極意かと。。。。。
【2012年】ツイッターつぶやき
朝日新聞朝刊1面に「脱成長か成長か」と題された「エダノミクスvsマエハラミクス」という記事があった。
ケインズ(不況時の財政出動など国の役割の重要性))とハイエク(市場の役割を重視して国の介入を批判)を縦の対立軸とし、「エダノミクス」(成長にこだわらない新たな暮らし)と「マエハラミクス」(あくまでも成長を追求)を横軸にして、その組み合わせで政治家の立つ位置を示している。
この図式化を見ると面白いことに市場を重視(ハイエク寄り)した成長にこだわらない新たな暮らし(エダノミクス寄り)という政治家がいない。
上の二つの対立軸を見るときに、どちらの路線を選べば、あるいは組み合わせれば今の経済情勢を改善できるかといった二者択一的な考え方や組み合わせに固定してしまう。しかしこの二つの対立軸の二者択一的な経済の失敗が今の経済の混迷があるわけです。
ケインズ型の国家による税の投入はこれまで起きていたように公共投資という形でばらまかれ企業は一息つくが国民生活へは波及をしない。ハイエク的な新自由主義は本来の企業活動の収益から離れてすべてを投資(国債を含めて)目的にしたギャンブル資本主義あるいはねずみ講的な経済を引き起こして現在の金融恐慌の心配が出てきている。そして国民生活は今現在の格差社会における貧困化を産んだ。国家による介入は国家財政を圧迫をして好況期の法人税率アップはしないで結局は国民負担増という大衆増税につながり、新自由主義はその破綻の中にやはり結果的には国の介入(支援)を求めてそのツケは大衆課税の強化でしかない。ケインズ型かハイエク型かという対立軸の問題ではなくて、例えば好況期の企業収益を税として国が税を回収できるかあるいは雇用や賃金に反映できるかという企業の利潤をどう配分するかの問題なのではないか。
また、「エダノミクス」(脱成長型)や「マエハラミクス」(成長型)の二者択一的な視点ではないのである。資本主義は高度成長がなければ維持できなくなる経済的な矛盾を持っているのであり、先進国はすでにこの高度成長を望めない(低成長あるいはゼロ成長今ではマイナス成長の危機)ように経済は進んできているのである。この中で「脱成長か成長か」という二者択一型の対立軸を立てること自体が間違いなのである。今の大方の意識は経済の成長=企業の生き残りなわけですが、この企業の生き残りのために直接国が介入したり市場に任せるとしてその経済政策を立てても国民生活の安定にはつながらないわけです。その中で経済はじり貧となっていく。
このように二つの対立軸を二者択一的にあるいは今までのような組み合わせ方では経済の立て直しは無理なわけです。
先に市場を重視(ハイエク寄り)した成長にこだわらない新たな暮らし(エダノミクス寄り)という政治家がいないと書きましたが、なぜいないのでしょうか?
市場自体は資本主義の発達の中に作りだした一つの経済システムです。ですからこの市場は生かさねばならない。しかしこの市場を投資目的にした利潤追求は矛盾を生むわけです。同時に市場を無視した国家の税の投入は無駄なわけです。市場を経済の状態を見るための基本的なものに戻さねばなりません。そしてそこからの自動調性としての機能を取り戻すことです。市場主義ではなくて市場を人の手で管理をして生かすことでなければなりません。脱成長か成長かのこの成長は、成長=企業の収益といったものから離れなければなりません。外需型か内需型かという対立軸もありますが、結局は企業収益そのものからの成長を見ると税は企業に投入され企業収益の社会への還元は行われない中では同じなわけです。外需型が成長型と言えばそうではないし、内需型が脱成長型かというとそうではない。どちらも企業優先型の国民生活の切り捨て型になります。本来の国民生活の安定からの内需型ではありません。
市場はその優れた機能を生かしていく。企業収益は自由ではなくて社会に還元(金の配分だけではなくて生活様式なども)させるシステム化を行う。これでしか安定成長期の資本主義は生き残れないでしょう。ここに一つの市場を重視(ハイエク寄り)した成長にこだわらない新たな暮らし(エダノミクス寄り)という政治が見えるのではないでしょうか?その基本的なシステムは社会民主主義です。
【2013年】ツイッターつぶやき
スナップエンドウ(スナックエンドウかな?)はお湯に塩とオリーブ油を入れて2分ぐらい茹でて半分に切っておきます。
ささみ肉は筋を取り除いて食べやすい大きさに切り、塩コショウと酒を振りしばらく置いておきます。
卵を溶いて砂糖で少し甘くして半熟に炒めておきます。
フライパンにお湯を入れて先ほどのささみ肉に片栗粉を薄くまぶしてさっと火が通る程度に茹で、ザルに捕ります。
フライパンをきれいに洗いごま油を入れて茹でたささみ肉を炒めます。そこにスナップエンドウと卵を入れます。
味付けは我が家では「味覇」をお湯で溶いたスープです。このスープを入れてさっと炒めたら出来上がり。
スナップエンドウを塩・オリーブ油の入ったお湯でゆでるとおいしくなります。ささみ肉は片栗粉をまぶして茹でるとすごく柔らかくしあがります。
安倍政権は、「日本経済再生本部」の初会合で『縮小均衡の分配政策』から『成長と富の創出の好循環』へと転換を打ち出した。
多くが公共事業の復活という中身でしょう。財界の支持もうなづけます。
しかしこれがデフレの脱却となるのでしょうか?
日本経済の立て直しはデフレの脱却といわれていますが、経済の景気を上げることとデフレの脱却とは違うものと見た方がいいでしょう。デフレの原因は労働者層の失業や低賃金化による大衆消費財の消費が鈍ることにあるというのが最近の主張に出るようになりましたが、日本経済再生本部の議論の中身にはこの国民生活の改善が抜けています。
景気の回復による雇用や賃上げもあり得ますが、特に賃上げは市場に任せておけば自然に行われるというものではありません。これは失われた20年の間にも景気の回復期といわれるものはあったがそれが国民生活には波及せずに現実としてデフレがやってきたわけです。
政府は日銀の雇用問題の責任を負わせようともしていますが、大変な間違いです。政府が行わなければならない政策のはずです。しかしここの政策は示されずに社会の富の創出を言う。インフラ整備もまた無駄や箱ものにならなければ国民生活にも波及するものがありますが、ここには日常の生活向上は含みません。子育て支援はどうなるのでしょうか?福祉の拡充という言葉が見えませんね。
【2014年】ツイッターつぶやき
今朝の朝日新聞朝刊に「消印のない郵便、遅配続々、人で少ない局は常態化」という記事があった。
「消印を押さない「料金別納郵便」が対象で、郵便物の量に対する配達員の人手不足が主な理由」これに対して日本郵政は「、「郵便物の遅配や紛失につながり、あってはならないことだ」として、近く全国の郵便局に注意喚起する方針」だと。(「 」内は上記リンクページより引用)
失業と一方における人手不足や過度の労働がひとつの特徴となるのが景気が後退しているときのひとつの現象面でしょう。この状態を国や企業は生産性の向上だとも言うわけです。しかしこの人手不足とかどの労働が生産性を上げるとされているが実は生産性を落とす結果ともなるというのが経済法則の皮肉なのです。
そしてこのような状態は人口問題として働く人々が少ないからではなくて企業の人減らし合理化(これを生産性の向上と勘違いするが)からの状態といえるでしょう。
利益の確保・維持・拡大のために合理化を行うがそれが一定の限度に達すると非合理化となる。
考えすぎだといわれるかもしれませんが、企業の不祥事や食品偽装や食品事故が昨年は問題になりましたがこういったものもその非合理化に起因すると思います。
このような現われが社会全体になっていき賃下げにまで及ぶと社会的な合理化はデフレとなります。一方における失業(不安定雇用も含めて)と一方における過度の労働(それは低賃金でもあります)が進めば合理化の作用は府の方向に動き社会システムが崩れ始め、低賃金化と失業(不安定雇用)は必然的にデフレとなります。
デフレというのはただ単に商品価格が下がり続けるといった現象面ばかりに原因があるわけではなくて、なぜ商品価格が下がり続けなければ商品が消費されなくなるのかという原因を見なければならないのです。
ですから合理化は過度に進めば非合理化となるのです。
アベノミクスは頑張った人が報われる社会といっていますが、この頑張った人が過度の労働と人手不足の中で働く人々となるわけですから、社会全体がリンクした郵政の職場のような現象が出てくると見たほうがよいでしょう。でも、この郵政の職場も昔の郵政局の現業公務員の職場ですからその名残が残っていてまだましなほうかもしれませんが。
人口問題解決のために外国人労働者を入れたり移民さえ受け入れるといわれていますが、それは単純労働などでの労働力でしょう。では多くの日本人が単純労働以外で完全雇用をされるかといえば堂ではなくて一方における失業(不安定雇用)と一方における人手不足からの過度の労働におかれることに変化はないでしょう。人口問題が言われていますが、実は人口問題ではなくて合理化の強化なわけです。
日本をまともな経済に戻すには労働者全体の賃金を上げる底上げの賃上げが必要ですし、失業や過度の労働をなくすための反合理化の運動が必要であるのです。
経済が成長していたときは、この反合理化と大幅賃上げが言われていてある程度の成果もあったのです。
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2018年】ツイッターつぶやき
10日ほど前、冬越しをさせるつもりのペンタスを少し刈り込みました。
新しい新芽の部分も一つ切ってしまったので指し芽にしておきました。今の季節ではだめかと思うのですが、部屋の中に入れておいたら小さな葉の芽が出てきました。どうにか大丈夫でしょうか?
ペンタスも東京の冬では冬越しをすることもできるそうですが、外の気温はいくら東京と言ってもマイナスにもなります。特に今年は寒さが厳しいし・・・・
平野部屋に入れたインパチェンスは元気に花を咲かせています。
晴れた日には窓越しの日が当たるところに。今日のようにどんよりとした日はカーテンで窓からの冷気を防いでいます。
指し芽をしたペンタスを含めて3月まで元気ならどうにか5月にはたくさんに花を咲かせてくれると思います。
時々花の育て方のサイトを見せていただくのですが、今は花の値段が安くなっていて無理に冬越しさせる必要もないと時々書かれていますが、もともとは多年草なんですからどうにか冬越しもさせてあげたいという気持ちにもなります。
でも、花も厳しいでしょうなぁ。。。。ガンバレ!
僕も冬は苦手です・・・・・
部屋の中の花に癒されています。
【2019年】ツイッターつぶやき
労働力の再生産というと、なんだか人の労働を物扱いしているように聞こえてしまうかもしれませんが、人も人間動物ですし、社会は人の労働によって成り立っています。こう見ると労働力は使い捨てをして消費してしまうような社会は持続可能な社会としては存在できなくなります。ですから、労働力の再生産というのは重要な問題なのです。
社会全体の中で、労働力を消費しながら労働するわけですから、消費された労働力を再生産しなければその労働力は消失してしまうでしょう。
単純なもので見てみると、寝て食って生活をしなければ次の日も次の月も次の年も働き続けることはできません。働き続けられないというのは労働力が再生産されないからです。商品社会やサービス社会は発展しますから、ただ食って寝るだけでは労働力の再生産はできんくなります。様々な娯楽や文化面でも消費をする中で労働力も再生産されます。
また労働力の再生産というのは、社会が持続するための次世代の労働力を再生産売る必要があります。自分自身の労働力を再生産しながら次世代の労働力としての子育てという面での労働力の再生産が必要となります。もちろんここでも子供は寝て食っていればよいというものではなくて、行動な教育や技能を習得しなければなりません。このすべてが労働力の再生産とあります。
再度書きますが、労働力の再生産というのは重要なのです。
労働力の再生産という言葉を使うから人の労働を物扱いをしているのではないのです。おととしあたりからブラック企業という言葉が多く聞かれるようになってきましたし、これは労働力の使い捨てという物扱いです。最近の外国人労働者の扱いも労働力の使い捨てという物扱いでないでしょうか。
そんな中現在の日本は人口が減少し、当然労働力が減少しています。
団塊の世代という豊富な労働力は一つの矛盾でした。さきのせんそうによりわかいいのちがう失われて労働力が減少する中産めよ増やせよとべびーぶむが起こりました。団塊の世代というのも戦争の災いでしょう。しかしこれまでの社会はこの豊富な労働力量を維持することをできないものになってしまいました。団塊の世代が減益から引退するし、バブルの崩壊あるいはリーマンショック後は就職氷河期が起こり労働力は使い捨てとなりました。
「社会にもたらした悲劇は大きい。日本の人口ピラミッドは団塊の世代と、その子供たちである団塊ジュニアが2つのこぶになった「ひょうたん型」をしている。団塊ジュニアの子供世代がもう1つこぶを作っているべきだが、そうなってはいない。雇用が不安定化し、賃金も抑制された結果、団塊ジュニアの世代で出産が増えなかったためだ。日本の人口構造のゆがみはバブル崩壊と無関係に見えるかもしれないが、実はそれぞれ底流でつながっている。」
(ロイター「平成に積み残した三つの宿題」より引用)」
【2020年】ツイッターつぶやき
日銀はその景気判断を需給ギャップに軸足を置いている。
これまで需給ギャップがプラスになっていることから景気判断も強気になっていたが、そもそも需要=GDPのGDP自体が下駄をはかせた数字ではないか?
そのような実態である需要ギャップがマイナスになるのではないかと言われ始めている。
ここにきて中東城勢が悪化をし、アメリカの同盟国である日本の立場から原油輸入に影響が出るのではないかとされ始めている。このような国際情勢と同時に、国内では昨年10月の消費増税10%が実施されて需要の落ち込みが現実味をおびている。
日銀は国家財政の健全化を捨てるかのように政府の景気対策の支出増による内需の下支えに依拠せざるを得なくなっている。
しかしこの需給ギャップはすでにプラスから横ばいそしてマイナスへと動き始めているのだと思います。鉱工業指数の落ち込みが言われ、最近では飲食店チェーンの店舗数の削減やコンビニの不振が続いている。すでに需要の落ち込みが顕在化していると見たほうが良いでしょう。
国家独占資本主義は、国家が前面に出て経済を支えざるを得ない状態だと思います。国家財政を企業や富裕層そして不労所得者(株式など)に配分をし、経済の表面的な数字を人為的にコントロールする。そしてそのためには国民の生活実態や自由や平等という権利を抑え込まなくてはならない。それが改憲です。そして国家主義的な思想と経済のための戦争の道です。
バブル崩壊やリーマンショックなどとは質の違う資本主義の矛盾が噴き出てきているのでしょう。
【2021年】ツイッターつぶやき
東京をはじめ医療崩壊の危機が本格的にはじまろうとしている。
そして市中感染の爆発的増加に検査体制自体も崩壊をはじめているようである。
神奈川県では自治体自体が県民に背を向けて「市中感染が広がり、濃厚接触者の追跡などに意味がなくなってきている」(TBS)と捨て台詞を語りはじめている。
市中感染が爆発して保健所も濃厚接触者を後追いできなくなってきたということでしょう。検査もできなくなっている状態を「意味がなくなっている」とするものです。意味がないどころか、市中感染をそのままにしたらさらに感染拡大は広がるでしょう。無症状者がたくさん日常の中で活動する。その中で軽傷をはじめ重症者数も増加をするでしょう。さらに医療崩壊が進む。
日本のコロナ感染防止策は、はじめからクラスターの後追い検査でした。またその後は濃厚接触者の後追いでした。これによりより多くの市中感染者を見つけることができず、そのうえGO Toなどの経済対策が優先され人の移動を政府自ら拡大させました。これにより現在の第三の波があるわけです。
クラスター濃厚接触者後追いの感染防止の過ちがはっきりしました。
東京世田谷区では確か明日からプール方式の検査がはじまるようです。一つの効率的な検査方法だと思いますが、より多くの検査を行うことができると思います。
しかしアメリカやヨーロッパでは感染者数が日本の10倍100倍もいるのに検査を行えるのはなぜでしょう?そして最近では医療崩壊もはじまった国もあるようですが、なぜ日本はこうも早く医療崩壊が始まったのでしょう?
日本の医療体制や検査体制に決定的な欠陥があるのでしょう。これは政府の初動行動の過ちから来るでしょう。
【2022年】ツイッターつぶやき
去年の秋も深まったころだったか、スーパーに行ったら70歳前後の爺さんがスーパーの駐輪場あたりをうろうろしながら少しでも自転車の止め方が曲がったりしていると大きな声で注意をしまげて止めるとほかの人が迷惑でしょと大きな声で話をしていた。その後も大きな声で皆さんも自転車の置き方には注意をしましょうねというようなことを言いながら相変わらずうろうろしている。もちろんこのスーパーには何ら関係のない人だった。
まぁ、互いに注意をしあうことは大切ですが、注意をすることと晒すことは全く違うものです。
最近は少なくなりましたが、テレビのニュース番組で、交通ルールを守らないドライバーが多い道路の取材で、「アブナイ!アブナイ!」などと大きな声を出し、「またルールを守らない車が来ました」と言いながらその車を止めてドライバーに「この道路では・・・・・してはいけないのではないですか!」とインタビュー。
これも公共の電波を使って顔出しで晒しているようなもんです。
去年だったか、コロナが拡大したころ学校が休校になった時、公園で体を動かしたりしている子を学校に通報したりする人が多く出ました。これも一種の晒しです。
こういったものはツイッター上でも多くなり、マナー違反だとか、ポイ捨てだとか、迷惑行為だとか。。。。。
これをツイートという形で晒し、時には写真で顔を晒すツイートをしたりすることも。
一見良いことをしているようですが、実は端から見ると晒すような行為に気分が悪くなるわけです。
こういう人たちの心の中は複雑なんでしょうね。。。。。
名付けて「晒し族」。。。。。
【2023年】ツイッターつぶやき
ある所に共働きをする夫婦がいて子供が二人。夫婦には互いに年金生活の両親がいる。
親の年金を支えるためだと夫婦の社会保障負担が増加した。子育て支援だからと親の医療費の自己負担が増加した。社会保障の充実だからと消費増税が一家に降りかかり、子供への手当てだからとさらに消費増ぜが検討される。夫婦の年金支給開始年齢が70歳になるという。
この一家のそれぞれを世代として見たら今の社会の構図が見えてくる。
庶民は庶民同士で助け合えということです。国民生活全体を見れば向上していませんね。
その中で軍事費だけが特別扱いで、たばこ代や酒代という楽しみの費用が増税として消えていく。
企業利益は空前の額となり不労所得は増え続ける。
庶民は庶民同士で助け合えというからくりでは日本はよくなりませんなぁ。。。。。
「どうする家康」が終わり、一気に頼朝の時代よりさらに平安時代まで歴史はさかのぼりました。
主人公は、紫式部ですが、藤原道長を通して源氏物語の摂生政治が描かれるのでしょう。
戦国時代は下剋上の武士の歴史ですが、頼朝の時代は、源氏と平家という貴族から分かれた武士の世界です。
道長が我が世の春と絶頂期にあった時代は、平将門の乱があったり、地方の荘園を守る武士団が強い力を得ていた。その武士の頂点が平清盛で藤原氏の政治が大きく揺らぐ。
頼朝の先祖たちが権力争いに右往左往していた時代でしょう。
武士の時代の仕上げには500年から600年かかる。
≪過去の日記≫
【2004年】
学校から帰った息子が「チキンラーメン」を食べていた。なんか懐かしいです。最近またコマーシャルでもやっていますね。
僕が小学校の頃か?インスタントラーメンができました。日清だったか、エースコックだったかはっきり覚えていないのですが、どんぶりにラーメンを入れて熱湯をかけ、皿でフ倒し、出来上がったラーメンのおいしさはまだ覚えています。
今のインスタントラーメンは発展をして本物に近いものがありおいしくなりました。でもまたあの懐かしい味も食べてみたいです。
今日は風が強かったです。東北の方では台風なみだったようです。
買い物。。。さむかった・・・・・
天気はよかったので掛け布団を干したのですが、風に飛ばされそうになりました。
夏生さんの「君のそばで会おう」をまとめ中です。
【2005年】
暇だったので妻と娘と新規開拓のスーパーを探しに行きました。どこも変わりがありませんねぇ。。。
しかし、安売りで有名なロジャース発見!!
余計なものも安いので買ってしまった。。。ハハハ
今夜はおでんです。
少し高いのですが蛸の足も入れました。牛筋というのもおいしいのですが、今はいろいろありますからね。。。。やめました。
息子の部屋を掃除したら、ベッドの裏から誇りまみれのゴミが出てきました。何だか朝シャンをして出かける息子も自分の部屋となると汚い(笑)
【2006年】
夜は外食でした。
僕が時々一人で行く隠れ家のの中華屋さんに家族で行ってきました。いつもながらおいしかったです。
いろいろと腹いっぱい食べ、紹興酒や人参酒で酔っ払い、デザートも食べて、息子はバイトでこれなかったのでチャーハンと餃子をお土産にしてもらい。。。
8000円弱でした。
安くてうまい!感謝です。。。。
しかし。。。
今日はスポーツジムに言ったのですが、夜腹いっぱい食べて酒まで飲んでしまいこれでいいのかと反省。でも、おいしく食べて飲むことがで切るのも健康維持のためのジムの成果でしょうか?(言い訳。。。ハハハ)
津田青楓の「漱石と十弟子」を読んでいますが、若い津田青楓の芸術論を漱石はしっかり受け止めます。たぶん若さゆえの背伸びした芸術論だったのでしょうが、漱石はまじめに受け取る。津田青楓の貧乏生活を訪ねていくし、文芸誌の挿絵を津田に紹介をする。えらい先生とはこんな漱石を言うのでしょう。もっとえらいのは、師である漱石が謙虚に津田青楓煮絵の具のセットを頼んで絵を教えてもらうというそんな漱石の謙虚さにも感激しました。
津田青楓は、そんな漱石を心から師と思ったのでしょう。。。自分の子とをこんなに思ってくれる師。。。でも、こんな気持ちは弟子たち一人一人が持っていたのでしょう。自分にとっての師漱石。。。ここに漱石の懐の深さがあります。
内田樹さんの「先生はえらい」の感想がもう少しなのですが、上のような感想も考えながら読んでいます。
【2007年】
昨日からの風もやみ、穏やかな成人式。
娘の厄除けのためにお大師さんへ初詣。
もう混雑もないだろうと思って行ったのですが、3連休ということもありこんでいました。成人の日ということもあり着物姿の女性も多かったです。
参道には多くの屋台が出ていました。モツ煮込みに缶ビール。。。。
ぐっと我慢をして門を出ました。
毎年、車のフロントガラスにくっつける交通安全の破魔矢を買ってくるのですが、また今年も無事故でありますようにとお願いもしてきました。
お札やお守り、破魔矢というのは、返しに行かなくてはならないので、毎年同じお寺に行くようになります。方位除けというのも家族4人もいれば、誰かしら方位除けの年となります。全部やっていたらキリがないので、まぁ厄除けの年だけはと思ってます。
【2008年】
新聞を読んでいたら、日本で捨てられた家電製品がアジアなどの国にわたっているそうです。中古として使われるのはいいですが、家電製品に含まれる貴重金属を溶かして集めるらしい。だいぶ体によくない作業らしいです。
4品目でしたっけ、リサイクル料を支払って引き取ってもらっていますが、その他にもアジアの国々にもわたっているのですね。。。。
これから地上波デジタルで大量のテレビが捨てられるらしい。
もったいないですなぁ。。。。
チューナーだけでも買えば映るのかな?テレビが映るうちはどうにか間に合わせたいです。
【2009年】
暮れの大掃除は当たり前だが、我が家は新年の大掃除。
暮れの大掃除に間に合わなかった家具が来ましたが、古い家具を片付けようとしたら。。。。大掃除になってしまいました。
まだ粗大ゴミもたくさんあるし、年始の燃えないゴミの収集もまだ。ゴミ屋敷状態です。ゴミはいまや捨てるもんではなくて引き取り寮のかかるものとなりました。
でも、新しい家具というのは気持ちよいもんですね。
【2010年】
(記事なし)
【2011年】ツイッターつぶやき
内田 樹さんの「日本辺境論」(新潮新書)を読み始めました。
古代からアジアでは中国が「世界」の中心であり日本は辺境の地だった。江戸も終わる頃からそして明治になるとヨーロッパ文明から見た極東の地という辺境の地となる。
古代からさまざまな文化を中国から輸入をし、明治からはヨーロッパ文明を輸入をする。世界の中心が中国からヨーロッパに移った中にすでに中国は世界の中心ではなくなり逆に意識としてはアジアの中心は日本というものとなる。
文化でも辺境の地にありながら世界と対等にそして一番になるために追いつけ追い越せと。あるときは物まねの日本といわれながら。
この「追いつけ追い越せ」の中に日本人の二面性が出るのだろうか?中国に追いつき追い越すこと、ヨーロッパアメリカに追いつき追い越すこと。これはその追いつくものにしろ追い越すものにしろ結局はそのときの世界の中心にある文化であることに変わりがない。中国文化に追いつき追い越すといっても結局は中国の文化的土俵の中であり、ヨーロッパ文化の土俵の上でしかない。追い越すには新たな日本独自の文化を世界の中心として創らねばならないのだがそれができない。だから今のように世界の中心が見えなくなり、経済学やいろいろな思想にこれといったものがなくなると右往左往する。経済で一番になるというものは見えるが、その後の日本の文化的役割に自身が泣く独創的なものがない。一方では日本の内政においては日本が一番になるという建前は先走っていく。内政と外交の二面性や、内弁慶的な発言とアメリカや諸外国に対する発言の二面性。
日本が辺境であるという中から抜け出せないものが。。。
日本人論というものがいろいろ紹介をされている本だそうですから楽しみに読みたいと思います。
内田さんは武道家でもあると聞いていますが、本を数冊読んだことがありますが、その文は武道で言えば酔拳ともいえるような相手を油断させながら眼光は鋭いようなそんな文章です。こういう文章はこちらとしてはぼうっと眺めながら鋭い眼光だけをしっかと見つめることがその対戦極意かと。。。。。
【2012年】ツイッターつぶやき
朝日新聞朝刊1面に「脱成長か成長か」と題された「エダノミクスvsマエハラミクス」という記事があった。
ケインズ(不況時の財政出動など国の役割の重要性))とハイエク(市場の役割を重視して国の介入を批判)を縦の対立軸とし、「エダノミクス」(成長にこだわらない新たな暮らし)と「マエハラミクス」(あくまでも成長を追求)を横軸にして、その組み合わせで政治家の立つ位置を示している。
この図式化を見ると面白いことに市場を重視(ハイエク寄り)した成長にこだわらない新たな暮らし(エダノミクス寄り)という政治家がいない。
上の二つの対立軸を見るときに、どちらの路線を選べば、あるいは組み合わせれば今の経済情勢を改善できるかといった二者択一的な考え方や組み合わせに固定してしまう。しかしこの二つの対立軸の二者択一的な経済の失敗が今の経済の混迷があるわけです。
ケインズ型の国家による税の投入はこれまで起きていたように公共投資という形でばらまかれ企業は一息つくが国民生活へは波及をしない。ハイエク的な新自由主義は本来の企業活動の収益から離れてすべてを投資(国債を含めて)目的にしたギャンブル資本主義あるいはねずみ講的な経済を引き起こして現在の金融恐慌の心配が出てきている。そして国民生活は今現在の格差社会における貧困化を産んだ。国家による介入は国家財政を圧迫をして好況期の法人税率アップはしないで結局は国民負担増という大衆増税につながり、新自由主義はその破綻の中にやはり結果的には国の介入(支援)を求めてそのツケは大衆課税の強化でしかない。ケインズ型かハイエク型かという対立軸の問題ではなくて、例えば好況期の企業収益を税として国が税を回収できるかあるいは雇用や賃金に反映できるかという企業の利潤をどう配分するかの問題なのではないか。
また、「エダノミクス」(脱成長型)や「マエハラミクス」(成長型)の二者択一的な視点ではないのである。資本主義は高度成長がなければ維持できなくなる経済的な矛盾を持っているのであり、先進国はすでにこの高度成長を望めない(低成長あるいはゼロ成長今ではマイナス成長の危機)ように経済は進んできているのである。この中で「脱成長か成長か」という二者択一型の対立軸を立てること自体が間違いなのである。今の大方の意識は経済の成長=企業の生き残りなわけですが、この企業の生き残りのために直接国が介入したり市場に任せるとしてその経済政策を立てても国民生活の安定にはつながらないわけです。その中で経済はじり貧となっていく。
このように二つの対立軸を二者択一的にあるいは今までのような組み合わせ方では経済の立て直しは無理なわけです。
先に市場を重視(ハイエク寄り)した成長にこだわらない新たな暮らし(エダノミクス寄り)という政治家がいないと書きましたが、なぜいないのでしょうか?
市場自体は資本主義の発達の中に作りだした一つの経済システムです。ですからこの市場は生かさねばならない。しかしこの市場を投資目的にした利潤追求は矛盾を生むわけです。同時に市場を無視した国家の税の投入は無駄なわけです。市場を経済の状態を見るための基本的なものに戻さねばなりません。そしてそこからの自動調性としての機能を取り戻すことです。市場主義ではなくて市場を人の手で管理をして生かすことでなければなりません。脱成長か成長かのこの成長は、成長=企業の収益といったものから離れなければなりません。外需型か内需型かという対立軸もありますが、結局は企業収益そのものからの成長を見ると税は企業に投入され企業収益の社会への還元は行われない中では同じなわけです。外需型が成長型と言えばそうではないし、内需型が脱成長型かというとそうではない。どちらも企業優先型の国民生活の切り捨て型になります。本来の国民生活の安定からの内需型ではありません。
市場はその優れた機能を生かしていく。企業収益は自由ではなくて社会に還元(金の配分だけではなくて生活様式なども)させるシステム化を行う。これでしか安定成長期の資本主義は生き残れないでしょう。ここに一つの市場を重視(ハイエク寄り)した成長にこだわらない新たな暮らし(エダノミクス寄り)という政治が見えるのではないでしょうか?その基本的なシステムは社会民主主義です。
【2013年】ツイッターつぶやき
スナップエンドウ(スナックエンドウかな?)はお湯に塩とオリーブ油を入れて2分ぐらい茹でて半分に切っておきます。
ささみ肉は筋を取り除いて食べやすい大きさに切り、塩コショウと酒を振りしばらく置いておきます。
卵を溶いて砂糖で少し甘くして半熟に炒めておきます。
フライパンにお湯を入れて先ほどのささみ肉に片栗粉を薄くまぶしてさっと火が通る程度に茹で、ザルに捕ります。
フライパンをきれいに洗いごま油を入れて茹でたささみ肉を炒めます。そこにスナップエンドウと卵を入れます。
味付けは我が家では「味覇」をお湯で溶いたスープです。このスープを入れてさっと炒めたら出来上がり。
スナップエンドウを塩・オリーブ油の入ったお湯でゆでるとおいしくなります。ささみ肉は片栗粉をまぶして茹でるとすごく柔らかくしあがります。
安倍政権は、「日本経済再生本部」の初会合で『縮小均衡の分配政策』から『成長と富の創出の好循環』へと転換を打ち出した。
多くが公共事業の復活という中身でしょう。財界の支持もうなづけます。
しかしこれがデフレの脱却となるのでしょうか?
日本経済の立て直しはデフレの脱却といわれていますが、経済の景気を上げることとデフレの脱却とは違うものと見た方がいいでしょう。デフレの原因は労働者層の失業や低賃金化による大衆消費財の消費が鈍ることにあるというのが最近の主張に出るようになりましたが、日本経済再生本部の議論の中身にはこの国民生活の改善が抜けています。
景気の回復による雇用や賃上げもあり得ますが、特に賃上げは市場に任せておけば自然に行われるというものではありません。これは失われた20年の間にも景気の回復期といわれるものはあったがそれが国民生活には波及せずに現実としてデフレがやってきたわけです。
政府は日銀の雇用問題の責任を負わせようともしていますが、大変な間違いです。政府が行わなければならない政策のはずです。しかしここの政策は示されずに社会の富の創出を言う。インフラ整備もまた無駄や箱ものにならなければ国民生活にも波及するものがありますが、ここには日常の生活向上は含みません。子育て支援はどうなるのでしょうか?福祉の拡充という言葉が見えませんね。
【2014年】ツイッターつぶやき
今朝の朝日新聞朝刊に「消印のない郵便、遅配続々、人で少ない局は常態化」という記事があった。
「消印を押さない「料金別納郵便」が対象で、郵便物の量に対する配達員の人手不足が主な理由」これに対して日本郵政は「、「郵便物の遅配や紛失につながり、あってはならないことだ」として、近く全国の郵便局に注意喚起する方針」だと。(「 」内は上記リンクページより引用)
失業と一方における人手不足や過度の労働がひとつの特徴となるのが景気が後退しているときのひとつの現象面でしょう。この状態を国や企業は生産性の向上だとも言うわけです。しかしこの人手不足とかどの労働が生産性を上げるとされているが実は生産性を落とす結果ともなるというのが経済法則の皮肉なのです。
そしてこのような状態は人口問題として働く人々が少ないからではなくて企業の人減らし合理化(これを生産性の向上と勘違いするが)からの状態といえるでしょう。
利益の確保・維持・拡大のために合理化を行うがそれが一定の限度に達すると非合理化となる。
考えすぎだといわれるかもしれませんが、企業の不祥事や食品偽装や食品事故が昨年は問題になりましたがこういったものもその非合理化に起因すると思います。
このような現われが社会全体になっていき賃下げにまで及ぶと社会的な合理化はデフレとなります。一方における失業(不安定雇用も含めて)と一方における過度の労働(それは低賃金でもあります)が進めば合理化の作用は府の方向に動き社会システムが崩れ始め、低賃金化と失業(不安定雇用)は必然的にデフレとなります。
デフレというのはただ単に商品価格が下がり続けるといった現象面ばかりに原因があるわけではなくて、なぜ商品価格が下がり続けなければ商品が消費されなくなるのかという原因を見なければならないのです。
ですから合理化は過度に進めば非合理化となるのです。
アベノミクスは頑張った人が報われる社会といっていますが、この頑張った人が過度の労働と人手不足の中で働く人々となるわけですから、社会全体がリンクした郵政の職場のような現象が出てくると見たほうがよいでしょう。でも、この郵政の職場も昔の郵政局の現業公務員の職場ですからその名残が残っていてまだましなほうかもしれませんが。
人口問題解決のために外国人労働者を入れたり移民さえ受け入れるといわれていますが、それは単純労働などでの労働力でしょう。では多くの日本人が単純労働以外で完全雇用をされるかといえば堂ではなくて一方における失業(不安定雇用)と一方における人手不足からの過度の労働におかれることに変化はないでしょう。人口問題が言われていますが、実は人口問題ではなくて合理化の強化なわけです。
日本をまともな経済に戻すには労働者全体の賃金を上げる底上げの賃上げが必要ですし、失業や過度の労働をなくすための反合理化の運動が必要であるのです。
経済が成長していたときは、この反合理化と大幅賃上げが言われていてある程度の成果もあったのです。
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2018年】ツイッターつぶやき
10日ほど前、冬越しをさせるつもりのペンタスを少し刈り込みました。
新しい新芽の部分も一つ切ってしまったので指し芽にしておきました。今の季節ではだめかと思うのですが、部屋の中に入れておいたら小さな葉の芽が出てきました。どうにか大丈夫でしょうか?
ペンタスも東京の冬では冬越しをすることもできるそうですが、外の気温はいくら東京と言ってもマイナスにもなります。特に今年は寒さが厳しいし・・・・
平野部屋に入れたインパチェンスは元気に花を咲かせています。
晴れた日には窓越しの日が当たるところに。今日のようにどんよりとした日はカーテンで窓からの冷気を防いでいます。
指し芽をしたペンタスを含めて3月まで元気ならどうにか5月にはたくさんに花を咲かせてくれると思います。
時々花の育て方のサイトを見せていただくのですが、今は花の値段が安くなっていて無理に冬越しさせる必要もないと時々書かれていますが、もともとは多年草なんですからどうにか冬越しもさせてあげたいという気持ちにもなります。
でも、花も厳しいでしょうなぁ。。。。ガンバレ!
僕も冬は苦手です・・・・・
部屋の中の花に癒されています。
【2019年】ツイッターつぶやき
労働力の再生産というと、なんだか人の労働を物扱いしているように聞こえてしまうかもしれませんが、人も人間動物ですし、社会は人の労働によって成り立っています。こう見ると労働力は使い捨てをして消費してしまうような社会は持続可能な社会としては存在できなくなります。ですから、労働力の再生産というのは重要な問題なのです。
社会全体の中で、労働力を消費しながら労働するわけですから、消費された労働力を再生産しなければその労働力は消失してしまうでしょう。
単純なもので見てみると、寝て食って生活をしなければ次の日も次の月も次の年も働き続けることはできません。働き続けられないというのは労働力が再生産されないからです。商品社会やサービス社会は発展しますから、ただ食って寝るだけでは労働力の再生産はできんくなります。様々な娯楽や文化面でも消費をする中で労働力も再生産されます。
また労働力の再生産というのは、社会が持続するための次世代の労働力を再生産売る必要があります。自分自身の労働力を再生産しながら次世代の労働力としての子育てという面での労働力の再生産が必要となります。もちろんここでも子供は寝て食っていればよいというものではなくて、行動な教育や技能を習得しなければなりません。このすべてが労働力の再生産とあります。
再度書きますが、労働力の再生産というのは重要なのです。
労働力の再生産という言葉を使うから人の労働を物扱いをしているのではないのです。おととしあたりからブラック企業という言葉が多く聞かれるようになってきましたし、これは労働力の使い捨てという物扱いです。最近の外国人労働者の扱いも労働力の使い捨てという物扱いでないでしょうか。
そんな中現在の日本は人口が減少し、当然労働力が減少しています。
団塊の世代という豊富な労働力は一つの矛盾でした。さきのせんそうによりわかいいのちがう失われて労働力が減少する中産めよ増やせよとべびーぶむが起こりました。団塊の世代というのも戦争の災いでしょう。しかしこれまでの社会はこの豊富な労働力量を維持することをできないものになってしまいました。団塊の世代が減益から引退するし、バブルの崩壊あるいはリーマンショック後は就職氷河期が起こり労働力は使い捨てとなりました。
「社会にもたらした悲劇は大きい。日本の人口ピラミッドは団塊の世代と、その子供たちである団塊ジュニアが2つのこぶになった「ひょうたん型」をしている。団塊ジュニアの子供世代がもう1つこぶを作っているべきだが、そうなってはいない。雇用が不安定化し、賃金も抑制された結果、団塊ジュニアの世代で出産が増えなかったためだ。日本の人口構造のゆがみはバブル崩壊と無関係に見えるかもしれないが、実はそれぞれ底流でつながっている。」
(ロイター「平成に積み残した三つの宿題」より引用)」
【2020年】ツイッターつぶやき
日銀はその景気判断を需給ギャップに軸足を置いている。
これまで需給ギャップがプラスになっていることから景気判断も強気になっていたが、そもそも需要=GDPのGDP自体が下駄をはかせた数字ではないか?
そのような実態である需要ギャップがマイナスになるのではないかと言われ始めている。
ここにきて中東城勢が悪化をし、アメリカの同盟国である日本の立場から原油輸入に影響が出るのではないかとされ始めている。このような国際情勢と同時に、国内では昨年10月の消費増税10%が実施されて需要の落ち込みが現実味をおびている。
日銀は国家財政の健全化を捨てるかのように政府の景気対策の支出増による内需の下支えに依拠せざるを得なくなっている。
しかしこの需給ギャップはすでにプラスから横ばいそしてマイナスへと動き始めているのだと思います。鉱工業指数の落ち込みが言われ、最近では飲食店チェーンの店舗数の削減やコンビニの不振が続いている。すでに需要の落ち込みが顕在化していると見たほうが良いでしょう。
国家独占資本主義は、国家が前面に出て経済を支えざるを得ない状態だと思います。国家財政を企業や富裕層そして不労所得者(株式など)に配分をし、経済の表面的な数字を人為的にコントロールする。そしてそのためには国民の生活実態や自由や平等という権利を抑え込まなくてはならない。それが改憲です。そして国家主義的な思想と経済のための戦争の道です。
バブル崩壊やリーマンショックなどとは質の違う資本主義の矛盾が噴き出てきているのでしょう。
【2021年】ツイッターつぶやき
東京をはじめ医療崩壊の危機が本格的にはじまろうとしている。
そして市中感染の爆発的増加に検査体制自体も崩壊をはじめているようである。
神奈川県では自治体自体が県民に背を向けて「市中感染が広がり、濃厚接触者の追跡などに意味がなくなってきている」(TBS)と捨て台詞を語りはじめている。
市中感染が爆発して保健所も濃厚接触者を後追いできなくなってきたということでしょう。検査もできなくなっている状態を「意味がなくなっている」とするものです。意味がないどころか、市中感染をそのままにしたらさらに感染拡大は広がるでしょう。無症状者がたくさん日常の中で活動する。その中で軽傷をはじめ重症者数も増加をするでしょう。さらに医療崩壊が進む。
日本のコロナ感染防止策は、はじめからクラスターの後追い検査でした。またその後は濃厚接触者の後追いでした。これによりより多くの市中感染者を見つけることができず、そのうえGO Toなどの経済対策が優先され人の移動を政府自ら拡大させました。これにより現在の第三の波があるわけです。
クラスター濃厚接触者後追いの感染防止の過ちがはっきりしました。
東京世田谷区では確か明日からプール方式の検査がはじまるようです。一つの効率的な検査方法だと思いますが、より多くの検査を行うことができると思います。
しかしアメリカやヨーロッパでは感染者数が日本の10倍100倍もいるのに検査を行えるのはなぜでしょう?そして最近では医療崩壊もはじまった国もあるようですが、なぜ日本はこうも早く医療崩壊が始まったのでしょう?
日本の医療体制や検査体制に決定的な欠陥があるのでしょう。これは政府の初動行動の過ちから来るでしょう。
【2022年】ツイッターつぶやき
去年の秋も深まったころだったか、スーパーに行ったら70歳前後の爺さんがスーパーの駐輪場あたりをうろうろしながら少しでも自転車の止め方が曲がったりしていると大きな声で注意をしまげて止めるとほかの人が迷惑でしょと大きな声で話をしていた。その後も大きな声で皆さんも自転車の置き方には注意をしましょうねというようなことを言いながら相変わらずうろうろしている。もちろんこのスーパーには何ら関係のない人だった。
まぁ、互いに注意をしあうことは大切ですが、注意をすることと晒すことは全く違うものです。
最近は少なくなりましたが、テレビのニュース番組で、交通ルールを守らないドライバーが多い道路の取材で、「アブナイ!アブナイ!」などと大きな声を出し、「またルールを守らない車が来ました」と言いながらその車を止めてドライバーに「この道路では・・・・・してはいけないのではないですか!」とインタビュー。
これも公共の電波を使って顔出しで晒しているようなもんです。
去年だったか、コロナが拡大したころ学校が休校になった時、公園で体を動かしたりしている子を学校に通報したりする人が多く出ました。これも一種の晒しです。
こういったものはツイッター上でも多くなり、マナー違反だとか、ポイ捨てだとか、迷惑行為だとか。。。。。
これをツイートという形で晒し、時には写真で顔を晒すツイートをしたりすることも。
一見良いことをしているようですが、実は端から見ると晒すような行為に気分が悪くなるわけです。
こういう人たちの心の中は複雑なんでしょうね。。。。。
名付けて「晒し族」。。。。。
【2023年】ツイッターつぶやき
ある所に共働きをする夫婦がいて子供が二人。夫婦には互いに年金生活の両親がいる。
親の年金を支えるためだと夫婦の社会保障負担が増加した。子育て支援だからと親の医療費の自己負担が増加した。社会保障の充実だからと消費増税が一家に降りかかり、子供への手当てだからとさらに消費増ぜが検討される。夫婦の年金支給開始年齢が70歳になるという。
この一家のそれぞれを世代として見たら今の社会の構図が見えてくる。
庶民は庶民同士で助け合えということです。国民生活全体を見れば向上していませんね。
その中で軍事費だけが特別扱いで、たばこ代や酒代という楽しみの費用が増税として消えていく。
企業利益は空前の額となり不労所得は増え続ける。
庶民は庶民同士で助け合えというからくりでは日本はよくなりませんなぁ。。。。。
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