ヨーロッパの文化史って
その前の時代のことを否定することで新しいエネルギーをくみ取る
そういう図式に見える
弁証法的に発展する
と
そう考えると世界史なんか頭の整理に都合がよくて
ヘーゲルはうまいこと考えたなあ
と思ったものだったが
この頃東洋人の私は別の歴史運動原則ってのもあるように思った
昨今の尖閣諸島がらみのことはともかくとして
中華思想って 結構すごいかも
中国の魅力ってのをさかのぼってみたい感じ
東洋的な考え方って けっこうパターン化するのが好きだ
故事成語だってそうだ いつまで古臭い故事成語が
幅を利かせるか
と思うけれど意外と面白かったりする
然し踊りとか 王様の帽子とか
ワンパターンすぎて すごくつまらないが
何で朝鮮はそれをそっくり真似したんだろう?
かっこいいと思ったのだろうな
わたしは記号化されたさまざまな意匠
文字なんかも含めて
ステキだなあと思うものによくぶつかる
色の組み合わせとか ぞくぞくしたり
で
ワンパターン化されたさまざまな表現は時代を超えて変容を受け入れて
常に新しかったりするので
その辺が西洋と違うかもしれない
西洋が異文化と接触してそこからくみ取るものも
異文化側から見ると意外な発想にびっくりしたりもする
そういう文脈で
リアリスムって考え直してみたいものだ
19世紀後半のリアリスムが 写真みたいに写し取ることと混同したのは
写真技術も夜明けだったから
写真のやることが刺激的だったからということもあるだろう
写真みたいにそっくり って リアリスムとは関係ないと思うのは
写真があまりにも当たり前のものになったから言える話だな
多分