ようやく読み終わって
非常に充実した読書でしたが
本はボロボロになってしまいました
本を作る人は
これを読む時どうなるか
考えなかったんだろうか
この本必死で読むと
何回も頁を繰り直し
前の画像とひっくり返しとっ繰り返し見て考えないと理解できない
そういう本なのに
ものすごい重い!
どうせ読者は絵を眺めるだけさ 書いてあることなんか読みやしないと
作ったんだろうか
そうしたら翻訳してくれた先生にしろ
元の作者にしろ 馬鹿みたいじゃないか
岩波書店にも 本文の文字が薄い色で印刷してる馬鹿な本がある
さて
キュビズムだけど こう ピカソの1907年から17年をたどって
ずいぶんいろいろわかったが わかったそばから忘れるが
↓の画像に
久子さんから わからないとのコメントをいただきました
先日下館美術館でも
わけのわからない絵を描く人は好きじゃない
自分勝手にわけのわからない絵を描いてる
というようなコメントをなさる方もいたようなのです
私がいろいろ実験すると
「わけわかんね~~!」と寄ってくるおじさんもいます
わけわかんない
ように見える絵っていっぱいありますよね
わけがわかる 共通の絵画言語で描かれていないと
わかりにくい ということは多いのだなと思います
ここに何が描いてあるんだろうって
そういう風に考えるように出来上がってる
こういう風にものを見ると出来上がってる
そういうものから脱出する作業が キュビズムだったのだと思うのです
ルネサンス以来の視覚的リアリズムから 脱出
ピカソはもう新しくはないんだろうけれど
今までこういうのがきれいで素敵だなあと思う絵があって
ごひいきがあって
と みんなそうだと思うけれど
意外なものを描いたり作ったりする作品に出会ったら
わけがわからないと切り捨てないで
まずは 色と形 そういうもののハーモニーを味わっていただくと
新しいお気に入りができるんじゃないかなと思います
だって
お歌でもね 歌詞がなくても スキャットでも素敵な歌があるし
民謡の掛け声で血が騒ぐということもあるからね
1917年の絵に↓のがあるので前に書いたことがあります
キュビズムの絵の点々とはちょっと違う
まるで点描
この画像は上の本にはありません
どこから見つけたんだろう?
キュビズムの次の10年の話の本に載ってました
どう?
これだと何が描いてあるかわかるから
安心でしょう?
なんでこんなに 違う描き方で描くのか
不思議かもしれないけれど
実は
同じような絵ばかり描いてるほうがもっと不思議かもしれない
物事も見方を変えるといろいろな面が見えてくるけれど
絵もそう
常に新しいものの見方をしていかないと
停滞して 滞ってしまうのですもの
そういうことは何事にも言える気がする