goo blog サービス終了のお知らせ 

Symphonyeel!(シンフォニエール!)

ようこそ。閲覧者の皆さんとのメッセージが響き合う場となってほしいナ―という想いで綴ってます

Concertino(コンチェルティーノ) 第3番 「『褒める』から『内なる力へ』」前編

2010-02-12 23:19:17 | SWEET SWEET SUITE
NHK番組「クローズアップ現代」を題材に、興味深い記事が載っていた。
今回は、この記事を主軸に、「褒める」ことから人間の内なる力に働きかけるということについて考えてみた。

「ほめて褒めてほめまくれ! ほめられて伸びる定着率・業績…」
http://www.j-cast.com/tv/2010/01/27058860.html?p=all
(J-CAST テレビウォッチより)

褒められて伸びればいいけど、世の中甘い(そうかな?)

褒める練習をしているけれど正直メンドウだ。

褒めすぎってよくないことなんじゃないの?

褒められることを待っている人間は伸びない。

都合の好いときだけ褒めまくる…変なおべんちゃらなんてイラナイ?

傷の舐めあいばかりする、甘い人間・精神年齢が低い大人ばかりが増える?

気持ち悪い?

私ははっきり申し上げたい。
私が部下を複数持つ上司なら、「100回叱るより5回褒める」。

【やってみせ いってきかせて させてみせ ほめてやらねば 人は動かじ】
(連合艦隊司令長官 山本五十六)


まず勘違いしてはならないのは、「褒める」と「世辞をいう」のは、紙一重のところで違うということだろう。

【人にお世辞を云うのは、云う人が考えるほど効果的ではない】
(野上弥生子 『断章』より)

何かを期待してお世辞を言っても、こちらの顔を見透かされてしまったり、真意を汲み取ってもらえなかったりする。お世辞は、せいぜい人間関係を円滑にするぐらいに考えておいたほうがいい。
褒めることをただ「気持ち悪い」ととっている人は、ただのお世辞と本当の褒め言葉との区別が、心の中でできていないのではないかと推測される。
褒められて、「照れくさい」人は居るけれど「イヤな」顔(心)をする人は居ない。イヤな顔をするというコトは、恥ずかしいか、その人と、多面的に「イイ関係」が築かれていないからだろうと思う。

会社などで、「褒めるくらいならカネをくれ」って言う人も居るだろうけれど、「褒めて・褒められて」という人間関係が築かれていき、そこから信頼関係が生まれ、
さらにそこから、仕事の能率が上がり、部署や会社全体で大きくなっていける―

さらには、周りの人間関係もよりよいものになっていく―
それらは、「お金じゃあ買えない」。

それがわかるのは、もしかすると定年近くになるまでわからないかもしれないが―

また、相手を素直に褒められるようになると、自分も元気になる。
テレビ番組で、よく海外の家族の様子を収めた映像が流れて、夫婦がお互いのことを褒めあったりしている様子が出ている。そんな雰囲気が、互いの人間関係をよい状態にするのではないだろうか。

母も言う。自分は長男だからなおのことかもしれないが、私を育てている間は、子育てそのものだけでなく、家計のやりくり、心配事がいっぱいで、褒めるなんて余裕がなかった、と。
年齢と経験を重ねるにつれ、父に悪口も冗談も言えるようになり、お互いを敬愛しているからこそ、良い仲になっていく―
率直に褒めあうことはしないけれど、はっきりいって、理想の夫婦のサンプルといっていいと思う。
だから、会社の人間関係だとか云々の前に、身の回りにいる人たちを褒めてみることからはじめてみてはどうだろうか。
私は異性の縁がないのであえて強く言いたいのだが、地球にはたくさんの人がいるというのに、たった一人目の前に自分が選び・あるいは選ばれたパートナーがいる、それだけで幸せなはずだから、もっと率直に、素直に褒めあう関係になってもいいと思う。

褒めることの根底に必要なのは「心の余裕」と「観察力」―
心にどれだけの余裕があるかどうかで決まる、と私は思う。

この、「余裕」ということと、人の気持ちを受け止めることから始まる、聴いてもらうと嬉しくなる効果を生むためのきっかけから「褒めること」について考察してみたいと思う。


最新の画像もっと見る