「LaLa」に連載されていた、吉田秋生のオムニバス漫画「櫻の園」を、中原俊氏が1990年に映画化し、日本アカデミー賞優秀賞を始め、その年の映画賞を総なめにした映画版「櫻の園」。
あれから18年の時を経て、同監督がまったく新しい「櫻の園」を作り上げた―
「悩んだり、落ち込んだり、泣いたり、笑ったり…」
平成の現代を生きる女子高生の、煌く青春の物語…
【ストーリー】
結城桃は、音楽専攻の高等学校でヴァイオリンを弾いている高校三年生。しかし、とあることがきっかけでヴァイオリストの道をあきらめてしまい、親と姉が通っていた名門女子高校「桜華学園」に転入したところから物語は始まる。
伝統を重んじる音楽学校とそりが合わないことから転入したはずの女子高だったのに、桜華学園は、「校舎に『ごきげんよう』と挨拶をしなければならない」など、規則が厳しく、またもや伝統に囚われたままの超お嬢様校だった。
他人がどう思おうが、「自分のほうが正しい」と思ったことには妥協を許さない想いを持った桃は、転入初日から違和感を覚え、桜華学園にい続けることができるのか不安にもなっていった。
ある日、クラスメイトから「開かずの教室」があるといわれている、木造の「旧校舎」に、好奇心のままに忍び込んだ桃は、廃部となってしまった演劇部の部室で、ロシアの劇作家アントニン・チェーホフによって書かれた戯曲「櫻の園」の台本を見つける。脚本の執筆者は、なんと桃の担任の坂野先生だった。
その「櫻の園」は、学園の創立記念日に上演されるのが毎年の伝統だったのだが、とある事情から現在はそれが途絶えている事を知る桃と友人たち。
桃は、再び「櫻の園」を上演したい、と同級生や仲間を集め奔走するが―
【キャスト】
結城桃(ペーチャ役):福田沙紀
赤星真由子(ロパーヒン役・桃のクラスの学級代表):寺島咲
小笠原葵(ラネーフスカヤ役):杏
沢美登里(ワーリャ役):大島優子
横田奈々美(アーニャ役):はねゆり
水田真紀(舞台監督):武井咲
若松志乃(桃のヴァイオリンの先生):米倉涼子
坂野佳代(桃のクラスの担任):菊川怜
リミ(洲が所属するバンドのヴォーカル):上戸彩
町田洲:柳下大
結城杏(桃の姉・桜華学園OG):京野ことみ
鈴木仁三郎:大杉漣
高山玲子:富司純子
【詳細情報・スタッフ】
配給:松竹
監督:中原俊
脚本:関えり香
音楽:川井憲次
製作総指揮:古賀誠一・松本輝起
主題歌:「若葉」(スピッツ)
【感想・コメント】
2007年の「HERO」レビューに続く、久しぶりの「劇場公開前シネマレビュー」!
桃と洲が劇中で食べている鍋焼きうどんを発売している会社「キンレイ」の協賛試写会で観て来ました。
私はチェーホフの「櫻の園」も、原作漫画も、1990年版「櫻の園」もまったく知りませんでしたが、ポスターに写っていた、すがすがしい笑顔をした女子高生を演じるキャストの面々と、背景を埋め尽くす桜の美しさに期待を寄せて、じっくりと観ました。
この映画の主軸とは関係ないのですが…
私の通っていた高等学校は、「カタい伝統」や「厳しい校則」とかはありませんでしたが、旧制中学校からの歴史があり、その建物もきちんと残っていてそこが吹奏楽部の部室だったことや、校舎の丘を桜の樹が埋め尽くし、春になればまさに「桜の園」だったのです。
しかしながら、高等学校時代にいい思い出はありません。高校時代をどのように過ごしたのかを語るほどのモノも、断片的にしか覚えていません。
その高校には小学校の頃からあこがれていて大好きでした。自分の成績と志望が完全にぴたり一致し、思い切って胸膨らませて入学しました。「中学校は中学校で楽しかったけれど、高等学校に入れば何もかもが新しくなる」「思い煩っていたコトはすべて過去のモノになるんだ」と思っていた・・・のはいいけれど、待っていたのは変わり映えのしない日常、とゆーヤツでした。だから、映画が始まってすぐ、「少し高校時代を懐かしもう」、と思って観たので、とてもよかったです。秀作です。
「伝統」というコトバにあなたは何を思うでしょうか。
「伝統」=社会や集団に古くから受け伝えられてきたしきたり・風習・考え方など
それは、決めたことを長く続ける、すぐに変えてしまわない、崇高なもの―
頑固で、意地で、そしてこだわり―過去からの積み重ねで出来上がったもの。それを大事にするということ、それを貫くことで得られるモノもあるかもしれませんが、紙一重に捉えれば、「前に進もうとする力を鈍らせてしまう」「束縛してしまう」という側面も持っています。
多感な女子高生という世代のコたちが、バックボーンにある思いはさまざまあれど、閉塞した伝統を打ち破っていき、そこから自分たちの生き様の第一歩を見つけていこうとする様は、「青春だねェ」としみじみ思いましたし、映画の主軸に流れているものには素直に感動することができました。
その一方で、私の視点は別の方向を向いていました。
この映画のヒロインである桃は、転入生です。
伝統に縛られていた桜華学園は、桃が「櫻の園」の台本を見つけたときから、学年の垣根を越え、先生をも巻き込んで変わり始めます。ここの展開が非常に面白いな、と思いました。
突然ですが、「マレビト」という言葉を聞いたことがありますか?
漢字で書くと「客人」「希人」となり、客人を表す言葉「まろうど」の古い言い方のことです。
共同体の外側から訪れた異人は、渡り神と同一視され、保守硬直化した共同体に新たな価値観やシステムを齎し、パラダイムシフトを誘発する変革者だったのです。RPG(Ex:ドラゴンクエスト)で偏狭の村々を旅する「勇者」も、マレビトの一つの形態です。彼等が動くことによっていろいろなことが起こり、変わっていきますよね?
また、村を訪れる異郷からの旅人を歓待し、その祝福を受ける信仰を「マレビト信仰」というのだそうです。この代表的な例が、秋田県の「なまはげ」や石川県能登地方の「あまめはぎ」、沖縄の他界『ニライカナイ』から来訪する祖霊などです。折口信夫の説では、「マレビト信仰は日本の民族宗教の根幹を為すもの」と定義付けています。
伝統を重んじすぎて、「桜華学園の螺旋」に取り巻かれてしまった学生たち・・・そんな中、桃が「櫻の園」上演を巡って動き回るだけでいろいろなことが起こり、さまざまなコトが変わっていきました。この映画は、伝統というワクに固まってしまった集団が「マレビト来たれり」という状態が存在し、その中で自分の目指す道、自分の思いをぶつける場所を見つけ、桃と共に、あるいは自分自身で行動していく一歩を踏み出そうとする、という心の広がりの爽やかさを見せてくれるので、その様子を「女子高」というある意味で身近な集団の中で見事に表現しきっているのが興味深い部分です。
また、「したいことが見つからない」「どうせやっても反対される、だめって言われるだろう」という気持ちになる人間は、そうした集団の中に(特に若者を中心に)多いといいます。「ニート」と呼ばれる人たちや、会社のやり方と反りが合わない人がいい例でしょうね。けれど彼等は、「本当は何かしたいことがあって、それに目を向けられない・目を開けられない」だけでいるんじゃないかな、と思うんです。したいことに目を向けて、少しでも心が動くもの、心惹かれたものに全力でぶつかってみると、何かが見えてくるんじゃないか―と思います。
会社を例に挙げてみるとどうでしょうか。会社なんかでも、まったく別の世界から上司がやってくると職場の雰囲気ががらりと変わったりすることがありますよね。コレもマレビトの一形態でしょう。
「マレビトの存在がない場合」はどうするか・・・
「身なりはそれなりにきちんとしているし、マナーもしっかりしている、上司の指示には素直に従う」・・・でもそれだけで、覇気がなくお行儀がよすぎるのが悩みだ、という経営トップの方のコメントを聞いたことがあります。優等生ばかりの企業に生気が感じられないのはそのためです。組織のムードが沈滞化していると思ったら、自分から異質になって人暴れしてやろうという勇気ある人間ならできるでしょうが、新卒や親採の社員ともなると、「出る杭は打たれる」となってしまうのが悲しい現実―
だからこそ、不完全でもいい、「ワクからはみ出すことがあってもいい」というコトを、身をもって体感させてくれる機会を与えてもらえるのがいかに大切かをこの映画は教えてくれているようで、心に響きましたね。
そして、自分が「やりたい!」と思った事をやらせてもらえる機会があったらとにかく本腰入れてやること、強力な味方が付いてくれることによってますます頑張ろうとするパワーが生まれることをも教えてくれます。
実は私は、大学時代「自分の好きな教科を選択して勉強できる」という面白さに加え、「高校時代にできなかったさまざまなことにチャレンジしよう」と、メインでやっていた吹奏楽部に加え、演劇部に入っていました。ラジオドラマに憧れ、パーソナリティやナレーターを夢見ていたのです。かけもちは大変だったけれど、思い切り打ち込んでみたくて、お芝居に必要な基礎を学ぶだけでも楽しかったのに、主役までやらせてもらって、本当に楽しい日々でした。しかし、諸事情から学生指揮者の先輩から「演劇部を辞めろ」と言われてしまい、4ヶ月で退部。仕方がなく演劇の道をあきらめてしまいました。
これを書いている今は音楽を演る(やる)ことが楽しいですが、せめてもう少し、あの優しい先輩たちと一緒にお芝居をしていたかったナァ―という未練もあったのです。そういう意味で、懐かしい想いと共に、非常に心に残る映画となりました。
メインの登場人物は6人います。ヒロインの桃に意識を集中して観ていましたが、他の女の子たちや他の登場人物の、心の変化や演技にも注目して観てみるとさらに深みが増すだろうなと思います。
気持ちのいい余韻が広がる、爽やかな映画です。
あれから18年の時を経て、同監督がまったく新しい「櫻の園」を作り上げた―
「悩んだり、落ち込んだり、泣いたり、笑ったり…」
平成の現代を生きる女子高生の、煌く青春の物語…
【ストーリー】
結城桃は、音楽専攻の高等学校でヴァイオリンを弾いている高校三年生。しかし、とあることがきっかけでヴァイオリストの道をあきらめてしまい、親と姉が通っていた名門女子高校「桜華学園」に転入したところから物語は始まる。
伝統を重んじる音楽学校とそりが合わないことから転入したはずの女子高だったのに、桜華学園は、「校舎に『ごきげんよう』と挨拶をしなければならない」など、規則が厳しく、またもや伝統に囚われたままの超お嬢様校だった。
他人がどう思おうが、「自分のほうが正しい」と思ったことには妥協を許さない想いを持った桃は、転入初日から違和感を覚え、桜華学園にい続けることができるのか不安にもなっていった。
ある日、クラスメイトから「開かずの教室」があるといわれている、木造の「旧校舎」に、好奇心のままに忍び込んだ桃は、廃部となってしまった演劇部の部室で、ロシアの劇作家アントニン・チェーホフによって書かれた戯曲「櫻の園」の台本を見つける。脚本の執筆者は、なんと桃の担任の坂野先生だった。
その「櫻の園」は、学園の創立記念日に上演されるのが毎年の伝統だったのだが、とある事情から現在はそれが途絶えている事を知る桃と友人たち。
桃は、再び「櫻の園」を上演したい、と同級生や仲間を集め奔走するが―
【キャスト】
結城桃(ペーチャ役):福田沙紀
赤星真由子(ロパーヒン役・桃のクラスの学級代表):寺島咲
小笠原葵(ラネーフスカヤ役):杏
沢美登里(ワーリャ役):大島優子
横田奈々美(アーニャ役):はねゆり
水田真紀(舞台監督):武井咲
若松志乃(桃のヴァイオリンの先生):米倉涼子
坂野佳代(桃のクラスの担任):菊川怜
リミ(洲が所属するバンドのヴォーカル):上戸彩
町田洲:柳下大
結城杏(桃の姉・桜華学園OG):京野ことみ
鈴木仁三郎:大杉漣
高山玲子:富司純子
【詳細情報・スタッフ】
配給:松竹
監督:中原俊
脚本:関えり香
音楽:川井憲次
製作総指揮:古賀誠一・松本輝起
主題歌:「若葉」(スピッツ)
【感想・コメント】
2007年の「HERO」レビューに続く、久しぶりの「劇場公開前シネマレビュー」!
桃と洲が劇中で食べている鍋焼きうどんを発売している会社「キンレイ」の協賛試写会で観て来ました。
私はチェーホフの「櫻の園」も、原作漫画も、1990年版「櫻の園」もまったく知りませんでしたが、ポスターに写っていた、すがすがしい笑顔をした女子高生を演じるキャストの面々と、背景を埋め尽くす桜の美しさに期待を寄せて、じっくりと観ました。
この映画の主軸とは関係ないのですが…
私の通っていた高等学校は、「カタい伝統」や「厳しい校則」とかはありませんでしたが、旧制中学校からの歴史があり、その建物もきちんと残っていてそこが吹奏楽部の部室だったことや、校舎の丘を桜の樹が埋め尽くし、春になればまさに「桜の園」だったのです。
しかしながら、高等学校時代にいい思い出はありません。高校時代をどのように過ごしたのかを語るほどのモノも、断片的にしか覚えていません。
その高校には小学校の頃からあこがれていて大好きでした。自分の成績と志望が完全にぴたり一致し、思い切って胸膨らませて入学しました。「中学校は中学校で楽しかったけれど、高等学校に入れば何もかもが新しくなる」「思い煩っていたコトはすべて過去のモノになるんだ」と思っていた・・・のはいいけれど、待っていたのは変わり映えのしない日常、とゆーヤツでした。だから、映画が始まってすぐ、「少し高校時代を懐かしもう」、と思って観たので、とてもよかったです。秀作です。
「伝統」というコトバにあなたは何を思うでしょうか。
「伝統」=社会や集団に古くから受け伝えられてきたしきたり・風習・考え方など
それは、決めたことを長く続ける、すぐに変えてしまわない、崇高なもの―
頑固で、意地で、そしてこだわり―過去からの積み重ねで出来上がったもの。それを大事にするということ、それを貫くことで得られるモノもあるかもしれませんが、紙一重に捉えれば、「前に進もうとする力を鈍らせてしまう」「束縛してしまう」という側面も持っています。
多感な女子高生という世代のコたちが、バックボーンにある思いはさまざまあれど、閉塞した伝統を打ち破っていき、そこから自分たちの生き様の第一歩を見つけていこうとする様は、「青春だねェ」としみじみ思いましたし、映画の主軸に流れているものには素直に感動することができました。
その一方で、私の視点は別の方向を向いていました。
この映画のヒロインである桃は、転入生です。
伝統に縛られていた桜華学園は、桃が「櫻の園」の台本を見つけたときから、学年の垣根を越え、先生をも巻き込んで変わり始めます。ここの展開が非常に面白いな、と思いました。
突然ですが、「マレビト」という言葉を聞いたことがありますか?
漢字で書くと「客人」「希人」となり、客人を表す言葉「まろうど」の古い言い方のことです。
共同体の外側から訪れた異人は、渡り神と同一視され、保守硬直化した共同体に新たな価値観やシステムを齎し、パラダイムシフトを誘発する変革者だったのです。RPG(Ex:ドラゴンクエスト)で偏狭の村々を旅する「勇者」も、マレビトの一つの形態です。彼等が動くことによっていろいろなことが起こり、変わっていきますよね?
また、村を訪れる異郷からの旅人を歓待し、その祝福を受ける信仰を「マレビト信仰」というのだそうです。この代表的な例が、秋田県の「なまはげ」や石川県能登地方の「あまめはぎ」、沖縄の他界『ニライカナイ』から来訪する祖霊などです。折口信夫の説では、「マレビト信仰は日本の民族宗教の根幹を為すもの」と定義付けています。
伝統を重んじすぎて、「桜華学園の螺旋」に取り巻かれてしまった学生たち・・・そんな中、桃が「櫻の園」上演を巡って動き回るだけでいろいろなことが起こり、さまざまなコトが変わっていきました。この映画は、伝統というワクに固まってしまった集団が「マレビト来たれり」という状態が存在し、その中で自分の目指す道、自分の思いをぶつける場所を見つけ、桃と共に、あるいは自分自身で行動していく一歩を踏み出そうとする、という心の広がりの爽やかさを見せてくれるので、その様子を「女子高」というある意味で身近な集団の中で見事に表現しきっているのが興味深い部分です。
また、「したいことが見つからない」「どうせやっても反対される、だめって言われるだろう」という気持ちになる人間は、そうした集団の中に(特に若者を中心に)多いといいます。「ニート」と呼ばれる人たちや、会社のやり方と反りが合わない人がいい例でしょうね。けれど彼等は、「本当は何かしたいことがあって、それに目を向けられない・目を開けられない」だけでいるんじゃないかな、と思うんです。したいことに目を向けて、少しでも心が動くもの、心惹かれたものに全力でぶつかってみると、何かが見えてくるんじゃないか―と思います。
会社を例に挙げてみるとどうでしょうか。会社なんかでも、まったく別の世界から上司がやってくると職場の雰囲気ががらりと変わったりすることがありますよね。コレもマレビトの一形態でしょう。
「マレビトの存在がない場合」はどうするか・・・
「身なりはそれなりにきちんとしているし、マナーもしっかりしている、上司の指示には素直に従う」・・・でもそれだけで、覇気がなくお行儀がよすぎるのが悩みだ、という経営トップの方のコメントを聞いたことがあります。優等生ばかりの企業に生気が感じられないのはそのためです。組織のムードが沈滞化していると思ったら、自分から異質になって人暴れしてやろうという勇気ある人間ならできるでしょうが、新卒や親採の社員ともなると、「出る杭は打たれる」となってしまうのが悲しい現実―
だからこそ、不完全でもいい、「ワクからはみ出すことがあってもいい」というコトを、身をもって体感させてくれる機会を与えてもらえるのがいかに大切かをこの映画は教えてくれているようで、心に響きましたね。
そして、自分が「やりたい!」と思った事をやらせてもらえる機会があったらとにかく本腰入れてやること、強力な味方が付いてくれることによってますます頑張ろうとするパワーが生まれることをも教えてくれます。
実は私は、大学時代「自分の好きな教科を選択して勉強できる」という面白さに加え、「高校時代にできなかったさまざまなことにチャレンジしよう」と、メインでやっていた吹奏楽部に加え、演劇部に入っていました。ラジオドラマに憧れ、パーソナリティやナレーターを夢見ていたのです。かけもちは大変だったけれど、思い切り打ち込んでみたくて、お芝居に必要な基礎を学ぶだけでも楽しかったのに、主役までやらせてもらって、本当に楽しい日々でした。しかし、諸事情から学生指揮者の先輩から「演劇部を辞めろ」と言われてしまい、4ヶ月で退部。仕方がなく演劇の道をあきらめてしまいました。
これを書いている今は音楽を演る(やる)ことが楽しいですが、せめてもう少し、あの優しい先輩たちと一緒にお芝居をしていたかったナァ―という未練もあったのです。そういう意味で、懐かしい想いと共に、非常に心に残る映画となりました。
メインの登場人物は6人います。ヒロインの桃に意識を集中して観ていましたが、他の女の子たちや他の登場人物の、心の変化や演技にも注目して観てみるとさらに深みが増すだろうなと思います。
気持ちのいい余韻が広がる、爽やかな映画です。