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Symphonyeel!(シンフォニエール!)

ようこそ。閲覧者の皆さんとのメッセージが響き合う場となってほしいナ―という想いで綴ってます

「櫻の園」

2008-11-04 22:56:26 | シネマレビュー
「LaLa」に連載されていた、吉田秋生のオムニバス漫画「櫻の園」を、中原俊氏が1990年に映画化し、日本アカデミー賞優秀賞を始め、その年の映画賞を総なめにした映画版「櫻の園」。
あれから18年の時を経て、同監督がまったく新しい「櫻の園」を作り上げた―

「悩んだり、落ち込んだり、泣いたり、笑ったり…」
平成の現代を生きる女子高生の、煌く青春の物語…


【ストーリー】
結城桃は、音楽専攻の高等学校でヴァイオリンを弾いている高校三年生。しかし、とあることがきっかけでヴァイオリストの道をあきらめてしまい、親と姉が通っていた名門女子高校「桜華学園」に転入したところから物語は始まる。
伝統を重んじる音楽学校とそりが合わないことから転入したはずの女子高だったのに、桜華学園は、「校舎に『ごきげんよう』と挨拶をしなければならない」など、規則が厳しく、またもや伝統に囚われたままの超お嬢様校だった。
他人がどう思おうが、「自分のほうが正しい」と思ったことには妥協を許さない想いを持った桃は、転入初日から違和感を覚え、桜華学園にい続けることができるのか不安にもなっていった。
ある日、クラスメイトから「開かずの教室」があるといわれている、木造の「旧校舎」に、好奇心のままに忍び込んだ桃は、廃部となってしまった演劇部の部室で、ロシアの劇作家アントニン・チェーホフによって書かれた戯曲「櫻の園」の台本を見つける。脚本の執筆者は、なんと桃の担任の坂野先生だった。
その「櫻の園」は、学園の創立記念日に上演されるのが毎年の伝統だったのだが、とある事情から現在はそれが途絶えている事を知る桃と友人たち。
桃は、再び「櫻の園」を上演したい、と同級生や仲間を集め奔走するが―

【キャスト】
結城桃(ペーチャ役):福田沙紀
赤星真由子(ロパーヒン役・桃のクラスの学級代表):寺島咲
小笠原葵(ラネーフスカヤ役):杏
沢美登里(ワーリャ役):大島優子
横田奈々美(アーニャ役):はねゆり
水田真紀(舞台監督):武井咲
若松志乃(桃のヴァイオリンの先生):米倉涼子
坂野佳代(桃のクラスの担任):菊川怜
リミ(洲が所属するバンドのヴォーカル):上戸彩
町田洲:柳下大
結城杏(桃の姉・桜華学園OG):京野ことみ
鈴木仁三郎:大杉漣
高山玲子:富司純子

【詳細情報・スタッフ】
配給:松竹
監督:中原俊
脚本:関えり香
音楽:川井憲次
製作総指揮:古賀誠一・松本輝起
主題歌:「若葉」(スピッツ)

【感想・コメント】
2007年の「HERO」レビューに続く、久しぶりの「劇場公開前シネマレビュー」!
桃と洲が劇中で食べている鍋焼きうどんを発売している会社「キンレイ」の協賛試写会で観て来ました。
私はチェーホフの「櫻の園」も、原作漫画も、1990年版「櫻の園」もまったく知りませんでしたが、ポスターに写っていた、すがすがしい笑顔をした女子高生を演じるキャストの面々と、背景を埋め尽くす桜の美しさに期待を寄せて、じっくりと観ました。

この映画の主軸とは関係ないのですが…
私の通っていた高等学校は、「カタい伝統」や「厳しい校則」とかはありませんでしたが、旧制中学校からの歴史があり、その建物もきちんと残っていてそこが吹奏楽部の部室だったことや、校舎の丘を桜の樹が埋め尽くし、春になればまさに「桜の園」だったのです。
しかしながら、高等学校時代にいい思い出はありません。高校時代をどのように過ごしたのかを語るほどのモノも、断片的にしか覚えていません。
その高校には小学校の頃からあこがれていて大好きでした。自分の成績と志望が完全にぴたり一致し、思い切って胸膨らませて入学しました。「中学校は中学校で楽しかったけれど、高等学校に入れば何もかもが新しくなる」「思い煩っていたコトはすべて過去のモノになるんだ」と思っていた・・・のはいいけれど、待っていたのは変わり映えのしない日常、とゆーヤツでした。だから、映画が始まってすぐ、「少し高校時代を懐かしもう」、と思って観たので、とてもよかったです。秀作です。

「伝統」というコトバにあなたは何を思うでしょうか。

「伝統」=社会や集団に古くから受け伝えられてきたしきたり・風習・考え方など

それは、決めたことを長く続ける、すぐに変えてしまわない、崇高なもの―
頑固で、意地で、そしてこだわり―過去からの積み重ねで出来上がったもの。それを大事にするということ、それを貫くことで得られるモノもあるかもしれませんが、紙一重に捉えれば、「前に進もうとする力を鈍らせてしまう」「束縛してしまう」という側面も持っています。
多感な女子高生という世代のコたちが、バックボーンにある思いはさまざまあれど、閉塞した伝統を打ち破っていき、そこから自分たちの生き様の第一歩を見つけていこうとする様は、「青春だねェ」としみじみ思いましたし、映画の主軸に流れているものには素直に感動することができました。
その一方で、私の視点は別の方向を向いていました。

この映画のヒロインである桃は、転入生です。
伝統に縛られていた桜華学園は、桃が「櫻の園」の台本を見つけたときから、学年の垣根を越え、先生をも巻き込んで変わり始めます。ここの展開が非常に面白いな、と思いました。

突然ですが、「マレビト」という言葉を聞いたことがありますか?
漢字で書くと「客人」「希人」となり、客人を表す言葉「まろうど」の古い言い方のことです。
共同体の外側から訪れた異人は、渡り神と同一視され、保守硬直化した共同体に新たな価値観やシステムを齎し、パラダイムシフトを誘発する変革者だったのです。RPG(Ex:ドラゴンクエスト)で偏狭の村々を旅する「勇者」も、マレビトの一つの形態です。彼等が動くことによっていろいろなことが起こり、変わっていきますよね?
また、村を訪れる異郷からの旅人を歓待し、その祝福を受ける信仰を「マレビト信仰」というのだそうです。この代表的な例が、秋田県の「なまはげ」や石川県能登地方の「あまめはぎ」、沖縄の他界『ニライカナイ』から来訪する祖霊などです。折口信夫の説では、「マレビト信仰は日本の民族宗教の根幹を為すもの」と定義付けています。
伝統を重んじすぎて、「桜華学園の螺旋」に取り巻かれてしまった学生たち・・・そんな中、桃が「櫻の園」上演を巡って動き回るだけでいろいろなことが起こり、さまざまなコトが変わっていきました。この映画は、伝統というワクに固まってしまった集団が「マレビト来たれり」という状態が存在し、その中で自分の目指す道、自分の思いをぶつける場所を見つけ、桃と共に、あるいは自分自身で行動していく一歩を踏み出そうとする、という心の広がりの爽やかさを見せてくれるので、その様子を「女子高」というある意味で身近な集団の中で見事に表現しきっているのが興味深い部分です。
また、「したいことが見つからない」「どうせやっても反対される、だめって言われるだろう」という気持ちになる人間は、そうした集団の中に(特に若者を中心に)多いといいます。「ニート」と呼ばれる人たちや、会社のやり方と反りが合わない人がいい例でしょうね。けれど彼等は、「本当は何かしたいことがあって、それに目を向けられない・目を開けられない」だけでいるんじゃないかな、と思うんです。したいことに目を向けて、少しでも心が動くもの、心惹かれたものに全力でぶつかってみると、何かが見えてくるんじゃないか―と思います。
会社を例に挙げてみるとどうでしょうか。会社なんかでも、まったく別の世界から上司がやってくると職場の雰囲気ががらりと変わったりすることがありますよね。コレもマレビトの一形態でしょう。

「マレビトの存在がない場合」はどうするか・・・

「身なりはそれなりにきちんとしているし、マナーもしっかりしている、上司の指示には素直に従う」・・・でもそれだけで、覇気がなくお行儀がよすぎるのが悩みだ、という経営トップの方のコメントを聞いたことがあります。優等生ばかりの企業に生気が感じられないのはそのためです。組織のムードが沈滞化していると思ったら、自分から異質になって人暴れしてやろうという勇気ある人間ならできるでしょうが、新卒や親採の社員ともなると、「出る杭は打たれる」となってしまうのが悲しい現実―
だからこそ、不完全でもいい、「ワクからはみ出すことがあってもいい」というコトを、身をもって体感させてくれる機会を与えてもらえるのがいかに大切かをこの映画は教えてくれているようで、心に響きましたね。
そして、自分が「やりたい!」と思った事をやらせてもらえる機会があったらとにかく本腰入れてやること、強力な味方が付いてくれることによってますます頑張ろうとするパワーが生まれることをも教えてくれます。
実は私は、大学時代「自分の好きな教科を選択して勉強できる」という面白さに加え、「高校時代にできなかったさまざまなことにチャレンジしよう」と、メインでやっていた吹奏楽部に加え、演劇部に入っていました。ラジオドラマに憧れ、パーソナリティやナレーターを夢見ていたのです。かけもちは大変だったけれど、思い切り打ち込んでみたくて、お芝居に必要な基礎を学ぶだけでも楽しかったのに、主役までやらせてもらって、本当に楽しい日々でした。しかし、諸事情から学生指揮者の先輩から「演劇部を辞めろ」と言われてしまい、4ヶ月で退部。仕方がなく演劇の道をあきらめてしまいました。
これを書いている今は音楽を演る(やる)ことが楽しいですが、せめてもう少し、あの優しい先輩たちと一緒にお芝居をしていたかったナァ―という未練もあったのです。そういう意味で、懐かしい想いと共に、非常に心に残る映画となりました。

メインの登場人物は6人います。ヒロインの桃に意識を集中して観ていましたが、他の女の子たちや他の登場人物の、心の変化や演技にも注目して観てみるとさらに深みが増すだろうなと思います。

気持ちのいい余韻が広がる、爽やかな映画です。

「僕はラジオ」 (原題「RADIO」)

2008-11-02 23:55:30 | シネマレビュー
【ストーリー】
舞台は1976年のアメリカ、サウスカロライナ州にある小さな町アンダーソン。ハナ高校の運動部主任として、同校の名門フットボール部「イエロージャケッツ」のコーチを務める教師ハロルド・ジョーンズ(以下:ハロルド)は、ショッピングカートを押して町中を徘徊する一人の知的障害の青年が気になっていた。彼はグラウンドのそばに現れ、フットボールの練習風景をずっと眺めていた。そのことにはジョーンズは別段問題に思わなかったのだが、一部の生徒が、彼がグラウンドの外に出たボールを何気なく持ち去ってしまったことを根に持って、彼を虐める。偶然その場を目撃したハロルドは生徒たちに罰を与えるとともに、彼に何かしてやれないかと考え、彼をフェンスの中へ招き入れた。
はじめは、人見知りが激しくろくに口も利かない彼を、常にラジオを持ち歩いていてラジオが好きだとわかったことから「ラジオ」と呼んだハロルドは、彼に練習の手伝いを頼んだ。ダニエルス校長の危惧をよそに、ラジオは少しずつ自分の仕事に馴染んでいき、同時に口数も増え快活になっていった。
ハロルドはラジオの母・マギー(S・エパサ・マーカーソン)にも相談のうえ、ラジオを遠征試合にも一緒に連れていくつもりだったが、「生徒でない人間があちこちに顔を出すことを快く思わない人間もいる」、とダニエルス校長にやんわりと止められる。
選手にも恵まれていると言われた今シーズンのイエロージャケッツの成績は五割に終わった。試合後恒例になっている理髪店での後援者とのミーティングで、後援者の一人フランクから、ラジオの存在が邪魔になっている、と仄めかされて、彼に対する視線の厳しさを実感する。加えて、もともとフットボール主体の生活のために妻のリンダと、ハナ高校に通う娘のメアリーをおざなりにしがちになっている自分をも自覚しはじめるハロルド。
ハロルドは、シーズン後行き場のないラジオを、同じ運動部のコーチである同僚に頼んでバスケットボール部で預かってもらった。ラジオの無垢で素直な言動はすぐに生徒たちに受け入れられ、校内放送のアナウンスを任されるほど愛される存在になっていった。しかし、一部の生徒の心ない行動のために、ラジオはちょっとしたトラブルを起こし、理事会に目をつけられてしまう。
さらに、ラジオの身に起こった不幸を機に、町の人たちとハロルドとの間にも亀裂が生じていった…
ラジオの運命は―?
ハロルドはどう動くのか―?


【キャスト】
ラジオ(ジェームス):キューバ・グッティングJr.
ハロルド・ジョーンズ:エド・ハリス
ダニエルス校長:アルフレ・ウッダード
リンダ・ジョーンズ(ハロルドの妻):デブラ・ウィンガー
メアリー・ジョーンズ(ハロルドの娘):サラ・ドリュー
マギー(ラジオの母):S・エマサ・マーカーソン
フランク:クリス・マルケイ

【詳細情報】
2003年アメリカ作品/上映時間:1時間49分
監督:マイク・トゥーリン
製作総指揮:トッド・ガーナー、ケイトリン・スキャンロン
脚本:マイク・リッチ
音楽:ジェームス・ホーナー


【感想・コメント】
行きつけのレンタルDVDショップの中で、ジャケットを表にして掲げられていた一枚のDVD―
それがこの作品でした。
驚くのは、このストーリーが実話に基づいているということ。脚本のマイク・リッチの前作は『小説家を見つけたら』と『オールド・ルーキー』。その後者の方を映画館で観て感動した体験があるだけに、とても親しみを持てる作品に仕上がっていると思えます。
ストーリー自体は、最初、「コーチによって才能を見い出された黒人の青年がフットボールの大会で大活躍!!」というカンジなのかな、と思っていたら、全然違うストーリー展開になっていて、色々と注目すべき点がたくさんあり、見終わったあとは、アクション映画なんかとはまったく違う「スカッとした爽快感」が心に染み渡る映画です。
特に、「ラジオ」とハロルドとの心の触れ合い、なぜ、ハロルドはラジオに関心を持っていったのかが注目されます。

さて―
「情けは人のためならず」という諺があります。
=「人に情け(思いやり・親切げ・人情)を施せば、必ず自分にも良い報いを受ける」というモノですが、私はこの諺が未だに好きになれません。
他人に対して情けを施す(施すというコトバにも少々違和感を覚えますが)その瞬間は、そーいったことを一切考えない・脳裏をよぎらないだろうと思うからです。その後…数時間後?数日後?数年後?―まったく別の形で自分に良い報いが受けられたとしても、はっきりとそう思えないのです。
もしかすると自分には人からの情け・親切を、「心から『ありがたい』」と思っていないレベルの低い人間なのかもしれません。
「情けは人のために為す」私はそう思っています。
それは、同情?愛情?そんな簡単なコトバじゃ片付かないものだろ―と。
ハロルドは「心のままに」「自分の奥底に眠る何かに導かれるように」ラジオに近づいていったんだと思います。

ちょっと話はそれますが、小学校のとき、複式学級の先輩や同級生と仲が良かった私、そして現在も障害者の方々とかかわる機会が多い私は、最初は関わるコトにおびえていました。誰もが一度は感じる気持ちでしょう。間違っている、なんとかしなきゃいけないことは分かっていても、どうしてももどかしい気持ちになったり、周りの人の目が気になったり…。
その、最初の大きな壁が取り払われたのは、小学校三年生のとき(だったカナ―)に恩師の先生に読んでもらった、「こわいことなんかあらへん」という本でした。「いくるくん」という男の子の一印象で語られるお話で、11歳でありながら知的障害・発達障害・歩行困難の小学校一年の同級生「やよいちゃん」への純粋な思いを語っています。
ハンディキャップを抱えた人への介助、支援、政策などは確かに「特別」なのかもしれません。でも、接するときの想いは「一人の人間として」接するのと同じ。「そこにあなたがいて、私はあなたに近づきたいの」という思いから生まれるもの―あまりにも当たり前のコト、と私は思っています。でも人によっては当たり前ではないのかもしれないですよね。
ラジオの母親でさえハロルドに問うくらいですから。
ただ、ハロルドはハロルドで、彼のみの心のままに、人と関わることにおびえていたラジオに心を向けた―
「人のために何かをすることは、間違いなんかじゃない」という印象的なセリフが胸を打ちます。

そこからもう一歩踏み込んで、もうひとつの感動するポイントは「踏み出す勇気」でしょう。
「人と違うコト」はなかなかできないものですね。純粋すぎるラジオは校内で悪質ないじめにあったり、貧しい黒人だというだけでいやらしい疑いをかけられたりするという現実(「百万歩譲って」、時代背景などを加味すると周囲が抱いていた懸念もわからないではないかなとは思うのですが、)も存在している中で考えると、それを実行したハロルドは凄いといえるのです。もしかして、「ここまででいいカナ」と、途中でやめてしまおうという事もあったのでしょう。
そう、一言で言うならば「カッコイイ」。カッコイイのは「正しい事をする・正しき道を進む者」「正義の味方」だけじゃあナイんだなァと実感させられます。

ラジオは、ハロルドから突然声をかけられた際は無口でおどおどしていたけれど、次第に打ち解け、明るさもにじみ出て、そして人間の純粋な感情を体いっぱいで表すピュアなところがでてきた、他の高校生からも愛されるまでに変わっていきました。それが「彼らしさ」だったとしたら、ハロルドに出会えたコトによってラジオは「殻を破って本当の自分になることができた」のでしょうね。
障害が比較的軽かったからここまでになることができたけれど、これ以上レベルが低かったらハロルドはラジオに近づいていったでしょうか…でも、そこは考えないほうがよさそうですね。

いじめのシーンは、中学校時代、私もいじめにあっていたコトを思い出して胸が苦しくなりました。そこでさらに思い出したのは、歯が黒いからといって『おはぐろ』、それをもっと進んで『ブラック』というあだ名をつけられいじめにあっていた同級生の話を交えて講演をしてくださった、男性の方のお話です。その人は、「どうにもならない体の文句は言うな!」というコトを強く強くおっしゃっていました。だから、無闇矢鱈にあだ名≠愛称で呼ぶコトに対する危険性も教えられます。ただそんな中「ラジオ」という呼び名を与えたハロルドのあたたかさと、「自分らしさを見つけたラジオの悦び」も私の心に響きました。そして、邦題はそれが反映されるかのように「僕はラジオ」となっているのが、キラリと光る良さだと思います。
高校時代、ちょっと人とは違う行いをしただけで「お前『身障みたい』」といって馬鹿にするクラスメイトが複数いて、はらわたが煮えくり返ったのを覚えています。
そーゆう生徒が、若者が未だにいるのだとしたら―
この映画のDVDは、学校の教材として図書室に、市の図書館に映画貸し出しコーナーがあるのならそこにも、ぜひ置いてほしい作品です。

演出面に目を向けると、長い長い「ラジオ」の人生の中の、いくつかのエピソードがきちんと纏まっていて、「感動的なドラマを映像化しました!」というわざとらしさがなく、組み立てが上手ですね。
序盤、どうしてラジオがラジオという青年に興味を惹かれるのかは、後半に「意外な形で」語られることになります。見せ方も非常にスタイリッシュで、飾らない美しさがあります。
やはり際立っているのは主人公となるラジオと、重要人物となる役割を果たすジョーンズをそれぞれ演じた俳優さんの自然そのものの演技でしょう!
また、ハロルド・ジョーンズの妻リンダの存在感も忘れられません。あくまでジョーンズを陰から支える立場で、出番は決して多くなく、ラジオとの交流も少ないのですが、一言一言がずしりとくるんです。
娘のメアリーもまた然り。メアリーにはハロルドから衝撃の事実を知らされることになりますが、やはり「子供は親の姿を見て育つ」。時間は少しかかっても、父ハロルドを尊愛している、そしてハロルドも家族に心を向けるようになっていく後半のシーンは胸が熱くなります。
ハロルドの周囲の人たちは「慈善」「同情」と彼の行為を捉えます。その言葉は余りに的を射すぎていてツラい言葉でした。それはラジオに対する視線があたたかいものだけではないというのも実話に基づいてエピソードとして登場しているので、観客に必ずしも主人公たちの味方だけをさせるのでなく、客観的な目で見てもらおうとする監督の意図(?)も見えるので、そこは勉強にもなります。
そして、音楽がちょっと物足りない感じもしましたが、驚異的な完成度を誇る映画です。それが押しつけがましくもなく、心地よく、本当の意味で感動的な映画です。ドキュメンタリーやドラマではここまでできないでしょう。

最後には、20数年がたった後の、ハナ高校のアメフトを応援しているラジオと、監督をしているジョーンズの姿が登場します。現在でも周りの人々に愛されているラジオの姿が最後まで見る人の心を掴んで離しません。そしてそこで初めて、ラジオに無償の胸いっぱいの思いやりと社会参加の機会を与えた彼と、それをあたたかく見守る心の広い人々が実在すること自体に驚かされるのです。
そして、好きなこと、好きなものにひたむきに取り組むことの素晴らしさ、純粋さ、素直さも教えてくれます。
「一番大切なものを見つけたら他は捨てること」
というコトバは胸に染みますね。物は捨ててしまってもその「エッセンス」は心に残っていますから―


素晴らしい映画に出会えたコトに心から感謝―

「象の背中」

2008-10-15 22:59:48 | シネマレビュー
【作品概要】
象は死期を悟ると、群れから離れ、ひっそりと最期を迎える場所を求めて旅立つという―

「自分探しですか?」「自分っていうのはここにいる、ここにいるのが確かな自分ですから」
「生きてください、1日でも、1分でも長く・・・!」

【ストーリー】
妻、そしてしっかり者の息子にかわいらしい娘の子供2人、マイホーム―これまで、何不自由なく暮らしてきた、中堅不動産会社部長の藤山幸弘・48歳は今まさに人生の「円熟期」を迎えようとしていた。だが、ある日突然、末期の肺癌で「余命半年」と宣告されてしまい、残された時間をどう生きるか選択を迫られる。家族の事はもちろん、建設会社の部長として精魂傾けてきたプロジェクトも気掛かり―。しかし、これまでの人生を振り返った彼の選択は、延命治療ではなく、自分なりに人生を全うしよう・「死ぬまで生きる」と決断し、大切な人に見守られて逝く、ということであった。
若い愛人・青木悦子に真っ先に癌であることを告げ弱音を吐くが、できるだけ心配や動揺をさせたくないと、妻・美和子と娘のはるかには伝えず、長男である俊介にだけ伝え、激痛に耐えながら彼は、心残りのないよう、残された時間で今までに知り合った大切な人に直接会って、癌である事実を伝え最後の別れを告げるべく、あちこちを訪ね歩いた。
しかし、日が経つに連れ、妻やはるかにもその事実が発覚してしまい、病状も悪化していき、幸弘は海辺のホスピスに入る。幸弘は、長年口を利いていなかった実の兄幸一に、死後の家族の生活資金として1400万円を工面してもらうのだった。ホスピスを訪ねてきた幸一に「本当は死にたくない、死ぬのが怖いんだ」と語る幸弘。
また幸弘は、「また会いたい」とホスピスに愛人・青木を呼んでしまうのだが、そこで青木は妻と遭遇してしまう。しかし、美和子は自由に振舞っていた夫を想い、何も言わず深々と頭を下げた。幸弘は青木にも遺骨を分けてあげてほしいと頼み、幸一もそれを受け入れる。
そして、力衰える幸弘と必死に看病する美和子は、お互いに手紙を書き、思いを伝えあう。
やがて幸弘は愛する妻と子供達に見守られ・・・。

【登場人物・キャスト】
藤山幸弘:役所広司
藤山美和子:今井美紀
藤山俊介:塩谷瞬
藤山はるか:南沢奈央
青木悦子(幸弘の愛人):井川遥
佐久間清(幸弘の同級生):高橋克実
福岡美穂(幸弘の初恋の女性):手塚理美
高木春雄(幸弘の会社の取引先):笹野高史
今野(幸弘の会社の社長):伊武雅刀
城山(幸弘の会社の同僚):益岡徹
松井(幸弘の主治医):白井晃
藤山幸一:岸部一徳

【スタッフ・詳細情報】
監督:井坂聡
脚本:遠藤察男
音楽:千住明
主題歌:CHEMISTRY「最期の川」

【コメント・感想】
この映画が劇場公開されようとしていた2007年秋、私はとある本屋さんの準社員でした。その時店頭に流れていた予告映像でこの映画を知りました。冒頭部分の、息子に対してがんを告白する場面などのダイジェスト映像を見たので、正直怖くて見ることができませんでした。
しかし、とある番組に流れた「JULEPS」というグループが歌う「旅立つ日」という歌を知り、さらに、母親からとある衝撃の事実を知らされ、涙に暮れる母を見てこの映画を観ようと決意し、DVDをレンタルしました。

人は、いつかは死んでいきます。
突然の事故で死ぬ、病気で死ぬ、自殺してしまう、災害で命を落とす、etc・・・理由はどうあれ、人間が死ぬ確率は100%―。無理をして生きていても、楽しく生きていても、人間いつかは死を迎えます。
「どのように死ぬか」という、人間にとって避けられない大きなテーマがズシッと圧し掛かります。
「死」というものをテーマにした映画はこれまでに何作か観てきましたが、邦画ということ、「男」という自分との共通項、さらに上記の「とある衝撃の事実」が見事にリンクし、素直に映画の世界に入っていくことができました。
原作は本ということで、読んでいませんが、作者が、「川の流れのように」「メロスのように―lonely way―」など私の心に残る詩をたくさん書いている秋元康さんということで、ますます氏の世界観が好きになりました。

しかしこの映画、言い方は悪いですが、「面白いように」賛否両論。意見が真っ二つ。
「余命わずかの人を主役にして、人気アーティストの音楽を使って泣かせることばかりを狙った映画がゾロゾロ。死の周りには様々なドラマがあるだろうけど、どれも薄っぺらで、映画をなめきったような作品ばかりで、もううんざり!」
「秋元康が考えるストーリーってこんなものなのだろうとか、理想を夢見るバカな男どもが集まってこの映画を作ったんだろう」など、散々なことを言い合う人もいたそうな。

私からすれば「おめでたい人たちだな」と思います。

確かに、癌を宣告された人間に、そんな潔いことができるでしょうか、とは思いました。しかも、一家を支えている父と言える男が、ですヨ―
死に至る癌を宣告されるということを私は経験していませんが、末期がんの宣告はおろか、がん細胞になるかもしれない初期の初期の細胞が見つかっただけでも恐ろしくて眠れないという人だって、世の中にはたくさんいます。
また、私の父方の両親は、「曽祖父母よりも先に」癌で亡くなっています。
死の宣告は本人だけでなく、家族をはじめ周りの人々へも重くのしかかるのは当然です。当人の幸弘は勿論の事、彼の選択を受け入れてゆく周りの人間の「心の過程」は切なく、残酷です。それでも、最後には死に行く者の意思(意志)を尊重し、潔く死を受け入れた幸弘本人と家族の愛は、眩いばかりに輝いたものだと私は思います。
そしてそれは、この世の中に無数に存在する家族の中の、たった一つのサンプルなのかもしれません。もしかしたら、ほとんど同じ境遇の家族が同じ空の下にいるかもしれません。だから私は軽々しく酷評できないと思います(私が映画のレビューをブログにしか書かないのはそのためです)。

序盤に、井川遥さん演じる愛人の青木が出てきた時点でちょっと驚いてしまいましたが、私は「第三者の目線で」すぐに理解をしました。それは、以前観てレビューを載せた、サラ・ポーリー主演の「死ぬまでにしたい10のこと」にも、似たような設定があるからです。
もちろん褒められたことではありませんし、上記の作品と違い、愛人の関係は癌宣告前から(のよう)ですが、「浮気をしていた」という簡単な世俗的なモノではなく、「仕事を通じた出逢いの中でお互いの事を好きになり、良きか悪しきか、信愛する仲になってしまった」ということだと思います。「死ぬまでに・・・」のアンは夫や家族への思いをカセットテープに残すなどしましたが、幸弘はさらに進んで、妻の事をずっと愛し、真剣に考え、尊敬もしている。それでいながら愛人への責任を強く持っているシーンが描かれています。
遺骨を分けてほしいという願いを実兄に、家族が必死になって看病しているホスピス内で告げるということに、「どこまで自分勝手な!」「若い愛人に骨を分け与え、思い出で縛り付けるのか」とレビューに綴っていた人がいましたが、私は100%そうだとは思いませんでした。
幸弘がさまざまな人に会って最後の別れを告げるシーンも、私はその勇気に感服です。色々な人の殆どが、長い間の付き合いではなかったのに、ちゃんと会いにいきたいから、会いに行く―それを「自分勝手」「余命半年という重いモノを背負わされるのは余計に迷惑だ」という人もいましたが、私がもし逆の立場だったら、ある日突然新聞のお悔やみ欄で知るよりも何倍もマシだと思います。癌に侵されて余命半年という人間のスタミナの維持は、生半可なものじゃないという事を、この目で見ているからなのです。その体でなお「私という人間に会いに来てくれた」というだけで幸せなことではないでしょうか。喜ばしいことではないでしょうか。忙しい世の中、真剣に生きることが難しくなっている世の中、自分の事だけで精一杯の中で、自分が触れ合った他人を大切にする、そういう思いを持っている人がこの世にどれだけいるでしょうか。

そして、なんといっても、家族!
「二人の子供も素直に見送る体制が出来ているし、妻も新婚か?と思う程貞淑な女性を演じていて物分りがよすぎる」。という人がいたのが「残念」を通り越して「おめでたき人」に思いました。
物語は、癌の宣告を受ける父の話からスタートしますが、心の底から優しい妻に出会い、幸せな家庭を築き、しっかりとした子供を育て上げるのにどれだけの苦労があったのかが描かれてないだけで、それはそれは大変な苦労が会ったのではないかと私には推測できるのです。悔しかったら、自分もそんな家庭を築いてみなヨ、しっかりものの息子・娘を育て上げてみなヨ、と心の奥深くでそう思いました。


実話でないのは仕方がないこととして、何よりも、どうしても重いものになりがちな「生と死」のテーマを真正面から捉えている映画の中でも、冷たい感じがせず、温かみを感じられる演出、演技が良いと思いました。
心に引っ掛かることは取り除き未練なく過ごそう、とする反面、病気を伝えることで悲しませてしまう人もいる。そんな葛藤と進行する病状に悩みながら、運命を受け入れ、残された日々を精一杯生きる―「人生のうちで一番輝いた180日間」というのは、本当にピュアな日々だったのだと思います。
そんな日々を過ごしている現代日本人がどれだけいるでしょうか―

兄・幸一と一緒にスイカを食べるシーンのセリフが心にこだまします。
「いいさ、人間なんか所詮、みんな弱虫だ」
そう言って先に逝くことになる弟と一緒に泣くのです。音楽も含め、最高の場面だと思います。


海辺のホスピスに入ってからラストまでは、さまざまな時間帯の海の風景が映され、非常に印象的です。
そう、海といえば、村山由佳さんの小説「天使の卵」内で、こういうセリフがあります。
「象の墓場って聞いたことがあるでしょう?」「でも、鯨にも墓場があるの、知ってる?このあいだ、友達が南極で取ってきた写真をみせてくれたの。すごかった。鯨たちの骨が氷の上を、見渡すかぎりうずめているのよ。湾曲したあばら骨の先が、こう、空をつかんでるみたいに上を向いて並んでいて・・・。みんな自分の死期を悟ると、さいごの力をふりしぼって、そこへたどりついて死ぬのね」
原作の秋元康さんも、もしかすると、このコトを知っていたのかもしれない、とふと思ってしまいました。

私があえて、演出面のみ「オイオーイ」と突っ込みを入れるなら、
「癌になってもタバコはやめられず最後まで吸っていた」ということ(本当は、ドクターストップがかかるはずだし、家族も止めさせるべきなんですが、好きなモノは最後まで好きにさせてあげたいという心がそうさせたのだとも解釈できます)。
あとは、「在宅酸素療法を行っている真っ最中にもタバコを吸っていた」ということですね(これはやっちゃいけません)。

では最後に、男として、父・幸弘が、息子・俊介に語るセリフを。
「そのまま生きろ。そのまま、そのまま、お前のまんまで生きろ。自分を押し殺すな。協調性よりも大切なことがある。嫌われる勇気を持つんだ」


「アイアンマン」 原題:IRON MAN

2008-10-02 23:59:00 | シネマレビュー
【作品概要・ストーリー】
トニー・スタークは、15歳でマサチューセッツ工科大学に入学し、首席で卒業。21歳で両親から莫大な遺産を受け継ぎ、軍事企業「スターク・インダストリーズ」の社長・CEOである。プレイボーイとしても有名だが、天才的な頭脳と強い信念の持ち主で、その人望は社内外を問わず、政財界にまで及んでおり、「スターク・インダストリーズ」はアメリカ政府と契約を結んでいる。武器を作ることでアメリカを守っていると信じており、最強の兵器を見せ付ければ、敵は恐れをなし、戦う意思さえ失うだろうと考えていた。
そのスタークは、アフガニスタンで新型兵器のデモンストレーション実験中に、武装集団に襲撃・拉致される。犯人である武装テロ集団の目的は、トニーに最新鋭ミサイルを製造させることだった。しかしトニーは、医師インセンと共に、犯人の目を盗んで、兵器開発のフリをしながら、「アーク・リアクター」という未知のエネルギーで動く、脱出用のプロトタイプパワードスーツを開発し、どうにか自力で帰国を果たす。だが、自身の発明した武器が人々を苦しめる現場を見た彼は兵器産業からの撤退を表明し、自ら自宅の作業部屋に篭って、新型のパワードスーツの開発に没頭―そしてついに、人々を救うヒーローへと変身をとげる!
しかし、彼の周囲は恐ろしい陰謀がうごめいていた…


【出演・キャスト】
トニー・スターク:ロバート・ダウニー・JR.
ローディ(空軍中佐):テレンス・ハワード
オバディア・ステイン(スターク・インダストリー最高幹部):ジェフ・ブリッジス
ペッパー・ポッツ(スタークの秘書):グヴィネス・パルトロー


【監督・詳細】
監督:ジョン・ファヴロー
2008年/アメリカ作品
上映時間:125分


【コメント】
マーベル・コミックが新たに放った、『スパイダーマン』をも凌ぐ新ヒーローがついに始動です!
武器開発者から一転、“自家製”パワードスーツを着用して平和に尽くす「アイアンマン」へと転身した男の活躍を描くヒーロー・アクションです。
予告映像を見た瞬間、とにかく派手さが目立って、面白そう!と思い、久しぶりに「ドンパチやらかすモノ」がスクリーンで観たくて、すぐに観に行きました。
武装組織に拉致されて、「パワードスーツなんて完成するはず無いぢゃん!?」っていう洞窟の中で、格好は無骨とはいえ、プロトタイプを作ってしまう!そして帰ってからはさらに改良版まで作ってしまう!そしてテロ撲滅を誓い、戦う!
なんて痛快でカッコイイんでしょう!
全編を通していえるのは、「トニーの心」の揺れ動きの良さですね。武器の恐ろしさを肌で知り、自らの責任を果たさんと、スーツを装着してテロ撲滅を誓う心が生まれる…単なる武器商人から真の平和を求める人間へと変化していく様をダイナミックに描いているのがいいです。そうかと言えば、別な面では「キカイ」とか「ものづくり」が大好きな子供の心が常にあるというのも同じ男として共感できるものがありました。
全体の性格はかなり個性的ですが、パワードスーツを作るシーンは「熱心な職人」を感じさせるもので、コンピューターを駆使しているところなんかは、見ていてカッコよかったです。
予告映像は赤を基調にしたスタイリッシュなスーツだったけれど、脱出用のプロトタイプも、無骨ながら敵をなぎ払い、突き進むシーンでさえも興奮度満点です。
で、開発が進んだ後の「究極の」スーツは着用シーンから最高にかっこいいです。人間であるトニーが「着込む」はずなのに、どこか、スーパーロボットかモビルスーツの発進前のようで。
で、装着後の破壊力が凄まじいのなんのって!ターミネーターも真っ青!(?)手からリパルサー光線放出装置、右腕には対戦車ミサイルが搭載されており、文句なしに「最強」です。しかし最大の注目は飛行シーン。バージョンアップを重ね、マッハ8を出せるジェット噴射装置で、高速飛行でステルス戦闘機と空中戦をするというなんとも痛快なシーンまであるんです。

演出面においては、とにかく「メカ好き」をくすぐる箇所が多く見られたところがいいです。トニー自らが開発し、試作段階から、開発途中の試行錯誤、そして装着シーンまで克明に描いているので、ドラマを感じます。
洒落たセンスを感じさせるコンピューターなどのITメカもいいですが、車好きの私が見た瞬間ときめいたのが、トニーの作業部屋(車庫?)にある車!
AudiR8、シェルビーコブラ427、サリーンS7(だったかな)!外車党ではない私でも一気にはまってしまうくらいでしたからね。映画に登場するスーパーカー・スポーツカーはやっぱり映える!
また、ジョークやギャグのセンスがよく、「ププッ」と笑っちゃう場面が多く、面白かったですね。
ヒロイン役のグウィネス・パルトロウは、ちょっと不器用で、どこにでもいそうな無垢な秘書をコミカルな演技で演じており、「奇跡のシンフォニー」に登場した、テレンス・ハワードをはじめ、トニーの周りの人たちもトニーをさり気なく、「オイオーイ」と突っ込みを入れたくなるように「愉快に」サポートしているところがいいです。


私は、スパイダーマンシリーズをまったく見ておらず、あのような、変身ヒーローよりも、日本の特撮で言うところの「宇宙刑事モノ」が好きだったので、その点から見てもイイ作品だと思いました。アクションエンターテイメント映画として、誰にでもお勧めできます。そーゆうのが好きな方は迷わず見に行ってください。
細かいことは気にせず、「スカッと爽快!それがいいのヨ―」ってヤツですね。

そして実は私、映画を見る前から「この作品には続編がありそう」と思っていたら、図星でした。ちょっとネタバレになりますが、それを喚起させるシーンもありますし、エンドロールの後、実際にお話は続いていきます(続編は2年後に登場予定)。

Don’t miss it!

「接吻」 Seppun

2008-08-16 22:01:38 | シネマレビュー
【作品概要・ストーリー】
白昼の閑静な住宅街でその事件はおきた。坂口秋生という男が何の縁もない一軒家に侵入し、親子三人を鈍器で皆殺しにしたのだ。坂口は、一家のキャッシュカードから現金を引き出した際、ATMのカメラに向かって警察に電話をかけ、報道局には自らが犯人であることを全国放送するように告げ、多くのマスコミ関係者に取り囲まれる中、身柄を拘束された。
偶然にもマンションのテレビを通じてその逮捕劇を目の当たりにした遠藤京子は、28歳独身の平凡なOLである。家族とは疎遠で、会社では同僚たちの都合のいいように「利用」されている彼女は、長い間孤独な人生を歩んできた。そんな京子は、テレビ画面の中で謎めいた微笑を浮かべている坂口に「何かを感じ」、すぐさまコンビニエンスストアに足を向け、ノートをはじめとした文具を購入し、新聞や週刊誌など、一家惨殺事件に関する記事のスクラップを始めた。
一方、逮捕後の坂口は警察の取り調べに対し、沈黙を貫いたままだった。国選弁護人として拘留中の彼に接見した弁護士・長谷川は「私はあなたの味方です、いいですね」と誠実に語りかけるが、坂口は彼に対しても表情を変えず、何一つ言葉を発しなかった。
京子は、初公判から裁判も熱心に傍聴し、長谷川に接近して坂口への差し入れを取り次いでくれるよう依頼する。見ず知らずの犯罪者に対し、「他人とは思えない親近感を抱いている」と明かす京子は、長谷川の目には奇妙な女性と映った。しかし、坂口と手紙のやり取りまでするようになった京子を見ているうちに、長谷川は京子のことが次第に気になり始めていった。そしてある日、長谷川と京子は、群馬県に住む坂口の「唯一の肉親」である兄の元を尋ね、坂口の不幸な生い立ちを知る。
長谷川の心配をよそに、坂口の孤独感が手に取るようにわかるようになった京子は、「あなたの声が聞きたい」と手紙に記した。やがてその思いが通じ、自分が坂口に受け入れられたと確信した京子は、獄中との坂口との面会を果たす。死刑が決まって会えなくなる事を避けるため、京子は結婚を申し込み、坂口もそれを受け入れた。
しかし、控訴期限が迫ったある日の面会で、予想だにしなかった事態が起こる―!

【登場人物・キャスト】
遠藤京子:小池栄子
坂口秋生:豊川悦司
長谷川(坂口の国選弁護人):仲村トオル
坂口秋生の兄:篠田三郎

【スタッフ・詳細情報】
製作:ランブルフィッシュ
脚本:万田珠実、万田邦敏
監督:万田邦敏
2006年作成/日本映画/フルカラー
上映時間:108分

【コメント・感想】
とある小さな小さな映画館で、ひっそりと上映されていた映画です。前評がよく面白いいい映画と聞いていましたが、実際に見てみてびっくり!というヤツでした。それこそ「いろんな意味でびっくり」で、終わったあとは刺激が強すぎて立ち上がれないくらいでした。
タイトルの「接吻」というもの…いわゆる「キス」がどこで出てくるのかな、という期待だけで観ていたのですが、最初の5分でそんなことはどこか彼方へ消え去りました。それどころか、タイトルテロップもラストシーンの後、字幕テロップの前に黒背景の中真っ赤な文字で現れたのです。何から何まで不思議で怖いコトだらけ、内容も暗いモノなので、どういうレビューを書こうか、見終わった後は悩みました。

観る方の視点は様々あるかもしれませんが、楽しんで観られる作品ではありませんし、凶悪な惨殺事件が新聞記事に時々載る現代日本を思うと、作品自体は「暗い」「怖い」が先行し、観終わった後の受け入れ方もかなり多方面に分かれると思います。
この映画を、「恋愛映画」といわれるとものすごく違和感がありますが、脚本の万田夫妻は「どんなジャンルの映画ですか」と聞かれた際「孤独映画です」と答えようかと、とパンフレット内のインタビューで記されています。
しかし、あの脚本を書いた万田氏は、本当に知的な組み立てをなさったのだなあ、とただただ感心するばかりです。

坂口の殺人はその惨劇こそ描かれていませんが、シーンは身の毛がよだつほど強烈です。そこからどうなっていくのかが読めないのがまず序盤のポイント。また、裁判のシーンが多く登場し、「裁判員制度の問題」が真っ先に浮かびましたね。背景面では、今の、そして未来の日本の問題などをうまく切り込んでいるので、リアリティが「ありすぎる」くらいです。それがこの作品の良いところと言えるでしょう。ただ、遺族からの目線ではなく、本作のテーマであるところの「死刑囚との獄中結婚」というなんともエキセントリックな中心軸を描ききるためか、殺人犯、殺人犯と結婚するほど共感する女性、弁護士、この三人だけがベースになって物語は、進められていきます。
ヒロインの小池栄子さんをはじめ、キャストの方の演技は、「表情」を中心に抜群によく、また全体に台詞が少なく、音楽も物語の展開も淡々としたもので、まるでお芝居を観るかのように引き込まれていきました。緊張感が最後まで持続するような演出の仕方も功を奏しているのでしょう。特にホラー映画風の演出が登場したときは鳥肌が立ちました。凶悪犯が捕まって刑が下りれば、遺族の感情などを除けば事件は解決、となるのでしょう。しかし、獄中の人間の心理的状況や、フラッシュバックなど心身に起こるさまざまな現象は、映像化するとああなるのかもしれないと思った瞬間、「凶悪犯も人間なのだ」という意識、そして法的に言ってしまえば「凶悪犯でも人間として尊重される」べきなのだという思いが生まれたのは確かです。
また他の様々なシーンも、「あぁ、もしかしてこうなっちゃうの?!お願い、とめて、やめて!」と心で叫んでしまいそうな部分もあれば、「え?!そんなのアリですか?!」「はは~ん、そう来たのね」と感心する部分もあって、そういう展開の違いを鑑賞上で「楽しんで」いました。(enjoyではなく)

私は正直、この映画を観て演出面だけでなく、セリフの節々に、今の日本の悩める所や他人に対する「心の視線の向け方」といった、今の日本において軽視されていること―「簡単に物事を考えてしまう、勝手に思い込みで判断して決め付けてしまう」ということの恐ろしさや、わかりあえることの難しさ―など、大切なことがたくさん登場したことで、さまざまな面で共感と共に恐怖を味わってしまい、人間が「生きる」という中で必ず心身のやり取りで永遠に繰り返される「感情」というものについて考えました。
自分にもわからない衝動的な感情があったり、わかってもらえないという悲しい想いがあったり、ずっと胸に秘めていた想いは、表には「A」のように映って見えたけど「本当はBだった」という見え方の差異だったり…
それは、映画を見ている私と登場人物、ではなく中心軸の三人の人物同士でさえもそうなのです。相手の感情を完全に理解しきっていません、共感できてもいません。
中でも、中盤の京子の言葉には全身に震えが走ったのを覚えています。
「他人に、『自殺しそうだ』と思われることがどういうことか、分かりますか?」

そして、タイトルにまでにしてしまった接吻が、あのようなことになろうとは自分でもいまだに理解ができず、さまざまなパターンの解釈をめぐらせることすらも直後にはできませんでした。
一つだけ言えるのは(キスしたことがない私がいうのもナンですが―)、接吻という行為の要素の中に含まれるであろう、「幸せのキス」というのがあるのならば(結婚式でのキスがいい例でしょうね)、幸せになりたい、絶望の淵の心から私を救ってほしいという人間の想いが、京子の場合はずっとリミッターがかけられてしまっていて、それをまたしても「衝動的な気持ちから出た行動」として出してしまったのでしょう。
「人は直感的にばかげた行動をするけれど、それなしには成功しないわ」(映画「ボディガード」より)

リクツじゃあ割り切れないモノがこの世の中にはたくさんある、それをいろんな形で縛りをかけたりする人や世界がある。そうかと思ったら、「どこまでが常識的で、どこからがヘン」ということを誰もがパーフェクトにできなかったりする、人間の「本能」と「ある種のいい加減さ」というか、そういったものを感じた作品です。
あとはもう、「後味が悪すぎる、だけど、何故かまた観たくなるとてもいい映画!」としか言いようがないんです。


あなたは、凶悪犯罪のニュースがマスメディアから流れたら最初に何を思いますか?
自分が「生まれ変わったような気がする」と思った瞬間はありますか?

そして、自分が本気で好きな人の誕生日を過ごした時間を、あの名曲「Happy Birthday To You」を、アカペラで、あなたができる限りでかまいません、非常にゆっくりしたテンポで歌いながら思い出してください。
どんな時間でしたか…?

「奇跡のシンフォニー」 原題:AUGUST RUSH(オーガスト・ラッシュ)

2008-06-22 21:47:33 | シネマレビュー
【作品概要】
[音楽は、そばにある。  心を開けば聞こえてくる。  心の耳を澄ませば・・・・・・。]

11年と16日・・・施設で育った孤独な少年。
でも、彼は信じていた。
この世界のどこかで、まだ見ぬ両親がいることを・・・。

音楽の力が「再会の奇跡」を呼び起こす、感動のファンタジー。

あなたはきっと、心に沸き起こる、あなただけの音楽に涙する―

【ストーリー】
主人公のエヴァン・テイラーは、ニューヨーク(以下・NY)州の男子養護施設で育った11歳の少年。彼は、風の音やベッドがきしむ音など、あらゆる音をメロディとして感じられるという鋭い感性を備えている。まだ見ぬ両親と自分が強く結ばれていると信じてやまないエヴァンは、施設内で少年たちからいじめにあっていた。児童福祉局のリチャード・ジェフリーズと施設で出会った際、 彼に養子になることを薦められるが、「ここを離れたくない」と涙を流す。
「生まれて最初にいたこの場所を離れたら、パパとママが僕を探し出せなくなるから」と。

一方、11年前の満月の夜。コンサートでNYへやってきた新進チェロ奏者、ライラ・ノヴァチェクと、サンフランシスコ州出身のロックミュージシャン、ルイス・コネリーは、ワシントン広場を見下ろすビルの屋上で衝撃的な出会いを果たし、ロマンティックな一夜を過ごした。
しかし、厳格なライラの父、トマスによって、二人は引き裂かれてしまう。
まもなく妊娠に気づいたライラは、シングルマザーになることを決意するが、トマスは断固反対。出産を間近に控えたある夜、交通事故にあってしまったライラは、意識を取り戻した際に「お腹の子は助からなかった」と告げられてしまう。以来、演奏活動を止めてしまい、故郷のシカゴで傷心を癒すための日々を送る・・・
一方ルイスも、兄たちと組んでいたバンドを脱退し、サンフランシスコで金融ビジネスの仕事に転職していた。
そう、二人とも知らずにいたのだ。二人の間にできた子供が、この世に生を受けて存在しているということを―

ある晩エヴァンは、もしも両親が自分のことを迎えに来ないのなら自分から探しにいこうと決意し、施設を抜け出した。親切な果物屋さんのトラックに拾われたエヴァンは、NYマンハッタンへたどり着く。
そこで彼は、ストリートパフォーマーの子供たちや、彼らの面倒を見ている男ウィザード、ゴスペルを歌い、ピアノを弾く少女ホープ、牧師・・・さまざまな人物と出会い、音を感じることから音楽を奏でるようになっていく・・・
エヴァンの運命はメロディが流れるように大きく小さく、うねり、変わり、進んでいく。
そして、奇跡と呼ぶにはあまりにもリアルな、ダイナミックなクライマックスが、一曲の狂詩曲と共に訪れる―!


【登場人物・キャスト】
エヴァン・テイラー:フレディ・ハイモア
ライラ・ノヴァチェク:ケリー・ラッセル
ルイス・コネリー:ジョナサン・リース=マイヤーズ
トマス・ノヴァチェク:ウィリアム・サドラー
リチャード・ジェフリーズ(NY児童福祉局職員):テレンス・ハワード
マックスウェル・「ウィザード」・ウォレス:ロビン・ウィリアムス
アーサー(ストリートパフォーマーの少年):(レオン・トマス3世)
ホープ(教会で暮らす少女):ジャマイア・シモーヌ・ナッシュ
ジェームス牧師:ミケルティ・ウィリアムソン
ジュリアード音楽院学部長:マリアン・セルデス
ジュリアード音楽院教授:ロナルド・ガッドマン
リジー(ライラの親友):ボニー・マッキー

【スタッフ・詳細情報】
製作:リーチャード・バートン・ルイス
脚本・原案:ニック・キャッスル
脚本:ジェームズ・V・ハート
テーマ音楽:ハンス・ジマー
提供:ポニーキャニオン、東宝東和
配給:東宝東和
監督: カーステン・シェリダン

【コメント・感想】
テレビCMも流れ、夏休み映画を前にすばらしい作品が公開された!と前評判もよく、「シンフォニー」の「ォ」の字が八分音符=♪になっている邦題が印象的で、公開当日に観に行きました。
原題と邦題があまりにかけ離れていて、ちょっとギャップを感じましたが、交響曲の壮大さの如く、物語のラストまでじわじわと感動がやってきます。クライマックスを迎えたときには、涙を通り越して、空へ(宙へ)届きそうな何とも言えない不思議な感動が広がります。

主人公のエヴァンは、生まれてすぐに孤児になってしまうという運命でありながらも、決して挫けることなく、心の扉を開いてゆき、音を信じることでそこから「両親に会うんだ」という目的に向かって進んでいく・・・そこがまず一番の感動ですね。
彼が独り言のようにつぶやく「音に対する姿勢」「向き合い方」、そして「音楽の信じ方」は、殺伐混沌とした現代社会に生きる私たちにとって、音楽に触れている全ての人にとっては、「言うは易く、行うは難し」の非常に高尚な、それでいてピュアなモノだと思います。
いうならば、大空を飛ぶような、まっすぐ月まで飛んでいきそうな「自由」なベクトル。
ここでいう「自由」は、「なんでも思い通りになる」という単純なものでは決してなく、「自らを由とする」=自分の頼りにするところを基盤にした上で、誰の支配下にも置かれない、他から束縛されない自由、です。
たとえば―乗り物の自由席・・・。自分で予約を取って座れる指定席とは違ってどこへでも座れます。でも満員でも自由席は自由席。「座れないじゃないか、どこが自由なんだ」という口実は通じません。また、コンビニのウェットティッシュなど「ご自由におとりください」とある真下には「取りすぎはご遠慮ください」とある店舗もあります。
「自由」という言葉をやたら連発したがり、気軽に使いがちな日本人。とある方が新聞のコラムでこう寄せていました。

英語で言う「自由=freedom」は、「自分があって自由がある」自由なんだと思います。
それを具体的に表している一つのサンプルがエヴァンだと思うのです。
音楽はもちろんのこと、孤児という運命にありながらも両親に会えると信じる自分があり、その自分の心に素直に、正直になっていたからこそ、自由に自分の音楽が奏でられた・・・

ライラはクラシック、ルイスはロック、アーサーはストリートミュージシャン、ホープはゴスペル、と様々な形で音楽に触れ、エヴァンの前にも現れてきますが、エヴァンは彼なりに「『楽しむ』音楽」を紡ぐ―運命に導かれ、信じた道を行くことで紡いでいく―エヴァンにしかできない、感じられない心の根底にあるものと鋭敏なセンサーによって、彼は音を感じていきます。彼が施設を抜け出して最初に感じた「音楽」は、ありきたりの「音(騒音)」でしか無かったのに、エヴァンには素晴らしく感動できるものとなって、心に飛び込んできたのですから。
そして、その真っ直ぐな瞳も、他の誰にも真似出来ない、透き通る瞳でした。
あんなに真っ直ぐに音に向かう現代人は、なかなかいないのではないでしょうか。


演出面で好感が持てたのは、ルイスが歌う歌や、ホープが歌うゴスペルの歌詞、そして、右も左も分からないでいそうだったエヴァンにマイルストーンを置くかのように言葉を送り続けたリチャードやアーサーの存在です。
そして、映画の冒頭・・・エヴァンが麦畑の中で両手を広げ、「感じて」いるシーンです。
あんなふうに音楽だけでなく、さまざまな「想い」を感じるコトができればなぁ、とただただ感激してみていました。

何よりも、フィクションでありながら、ファンタジックかつ現実感が全く失われなかったのは、見事でした。まるで、目の前に起きているコトの様に、ぐいぐい引き込まれていったのです。


「音は心の耳で感じるものだ」
「3度のメシより音楽を愛せ。 人生よりも、自分よりも。弾け、両親のために」


おりしも、去年の夏公開された「ピアノの森」に続いて、この作品は、「音楽」と深く結びついた映画だったので、飽きることなく、お腹いっぱい感動を味わえました。
【音楽はもっと自由であっていいのだ】という感じ方も、この映画を見て少し変わったように感じます。

【音楽は音を楽しむと書いて音楽】
たびたび聞かれる言葉ですが、その真の意味を、この映画を見て、音楽が好きな方、実際に演奏している方はもう一度この言葉を深くかみ締めてみてください。

そして、ファンタジックな奇跡ではなく、「自分の中で描く奇跡」を信じてみてください。
それはもう、奇跡などではないということを、この映画は静かに、爽やかに訴えかけてくれます。

「この胸いっぱいの愛を」 (監督:塩田明彦)

2008-04-02 13:03:04 | シネマレビュー
【作品概要】
[一度だけ、過去に戻れるとしたら あなたの戻りたい過去はいつですか―?]

「過去からの旅人たちが繰り広げる物語」が描かれた、2003年の大ヒット映画『黄泉がえり』のスタッフが送る、「未来からの旅人たちが繰り広げる物語」・・・

【ストーリー】
舞台は2006年。携帯電話を片手に空港ロビーを急ぎ足で歩く、鈴谷比呂志・30歳。百貨店のお弁当フェア担当である彼は、出張で、小学生時代を過ごした北九州・門司を訪れた。
久しぶりに味わう門司の空気。海も街も、そして比呂志が幼い日を祖母と過ごした旅館も、まったく変わっていない。しばし郷愁に浸る彼の前に、ひとりの少年が行き過ぎる。その瞬間、言葉を失う比呂志。その少年は、なんと20年前の自分“ヒロ”だった―
新聞の日付を確認するために喫茶店に入った比呂志は、以前出会った若いヤクザの男―布川輝良・19歳―と再び出会う。そこで2人は、間違いなく自分たちが1986年にタイムスリップしていることを確認し、連絡を取り合う方法として、コーラの空き瓶に紙を入れて、海岸の赤い棒の麓に埋めておくというルールを決める。
途方に暮れる比呂志だったが、咄嗟に、その日・1986年1月5日の出来事を思い出し、小学生時代を過ごした旅館の台所を一目散に目指した。そこで彼は、ボヤになりかけの火を消し止める。見知らぬ来客に唖然とする旅館の人々。20年前・1986年の祖母の誕生日にケーキを焼こうとして火事を起こしてしまったことを思い出した比呂志は、その火を未然に消し止めることに成功したのだ。この出来事をきっかけに、比呂志はヒロと同じ部屋に暮らし、旅館に住み込みで働くことになる。なぜか自分の気持ちをよく知っている突然の来客に戸惑いを隠せず、反発するヒロ。20年前の自分と現在の自分の、不思議な同居生活がはじまった。
比呂志が旅館の仕事に励んでいるある日、彼はひとりの女性と「再会」する。それは、ずっと比呂志の胸に住み続けていた憧れの女性“和美姉ちゃん”だった。東京からやってきて友達ができず、ひとりぼっちの淋しい日々を過ごしていたヒロにとって、近所のお蕎麦屋さんのひとり娘・和美は、唯一の友達だった。音大を卒業して半年後に門司に帰ってきた和美は、ヒロの将棋友達であり、ヒロにヴァイオリンを教えてくれる優しいお姉さんだった。しかし、和美は難病にかかっており、手術を拒否し、「2006年の現在」ではすでにこの世を去ってしまっているのだ。大好きな和美姉ちゃんを救えなかったことが、ずっと心にひっかかっていた比呂志。まだ、その事実を知る由もない子供の頃の自分=ヒロを前に、彼の胸には複雑な思いがこみ上げる。大人になった比呂志は、幼い頃の叶わなかった願い・・・「大好きな和美姉ちゃんを救うこと」ができるのか―?
また、比呂志と同じく、門司行き・224便に乗っていた乗客の中で、タイムスリップをしてしまったあと3人の人物・・・、彼らは20年前・1986年の門司で何を思い、どういう行方をたどるのか?
 そして4人は、無事、2006年に戻ることができるのか―?!
(オフィシャルサイトhttp://www.kono-ai.com/index.htmlより、引用・改定)

【登場人物・キャスト】
鈴谷比呂志:伊藤英明
青木和美:ミムラ
布川輝良(タイムスリップしたやくざの男):勝地涼
臼井光男(タイムスリップした乗客の一人):宮藤官九郎
鈴谷椿(比呂志のおばあちゃん):吉行和子
青木保(和美の義父): 愛川欽也
ヒロ(幼少期の比呂志): 富岡涼
布川靖代: 臼田あさ美
ヤクザの兄貴:ダンカン
間宮浩介: 金聖響
花を愛する男:中村勘三郎
角田朋恵(タイムスリップした乗客の一人):倍賞千恵子

【スタッフ・詳細情報】
製作:TBS、MBS、東宝、東京都ASA連合、中部日本放送、小学館、WOWOW、ジェネオンエンティンメント他
配給:東宝
監督:塩田明彦
原作:梶尾真治「クロノス・ジョウンターの伝説」より
プロデューサー:平野隆
音楽:千住明
主題歌:「Sweet Mom」 柴咲コウ
ナレーション:鈴木順(TBSアナウンサー)

【コメント・感想】
 「フィクションとはいえ、それが誰かの人の心を揺り動かす、何かしらの要素・ストーリーを持っているのならば、全ての人間が紡ぐ物語には感動がある―」

 この映画は、映画の、とりわけ邦画の面白さを教えてくれた私の親友が紹介してくれた一本です。「ストーリーは言葉では説明してもちょっと複雑でわかんないと思う、でも面白いし、君好みだと思うから見てみなよ~」と。
さすが、私の心をある程度掴んでいる人がお勧めしてくれただけのことはあって、観て大正解。映画館で一緒に観て、泣き顔をその人や誰かに見られなくて良かった―と思いましたね。

「タイムスリップ」というモノが絡む映画は、ロバート・ゼメキス監督の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を始め、今まで何本か見てきました。もちろん現実にはありえないことけれど、今の自分の生きている時代とは違う時代(特に過去)に自分が来てしまった!という時のことを想像して、どんな体感を得るんだろう、どんな風に行動するだろう、と不意に考えたりしてしまうんですね。そして、「自分の過去はどうなんだろう」「あの時やり残したコト、いろいろあったよな」「あの人に会いたい」など・・・。辿り着いた先が、自分の思い出深い場所だったらなおさらです。
原作は読んでいませんが、この映画の主軸である、「一度だけ、過去に戻れるとしたら」という題材と、人が生きる上で、それこそ数え切れないくらいにある、「手に入れることができるもの・捨てざるを得ないもの」、「やりたかったこと・やろうとしたけどできなかったこと・やらなかったこと」を上手くリンクさせて、主人公だけでなく、複数の人物が織り成す物語を交錯して描いているのが見事です。

主人公の30歳の比呂志と、10歳のヒロの20年という年齢差、これは多くの人に当てはまることだと思うんですが、20年という時間は、その間の色々な経験などを経て、過去の出来事を「あのときはああだったよなァ」といろいろ思い出したりする、「ちょうどいい」間隔ではないでしょうか。今このレビューを書いている私も今年30歳になるのですが、小学校時代のことを最近懐かしく思い出すようになりましたから・・・。それと同じように、40歳の人が二十歳の頃を思い出す、60歳の人がバリバリ働いていた頃を思い出す・・・そういう想いがある人は、ぜひ、この映画をお勧めします。そして、ストーリーの主軸にあるとおり、その間にどうしても心に引っかかっていることが、過去に戻ってできるとしたら・・・という夢物語を見せてくれますが、そこには、現代の自分と過去の自分の狭間で揺れる自分の心、今の自分の生き様そのものをきちんと保っていないといけない―そういう現実も見せられ、突きつけられる映画ですね。
そして、タイムスリップした人物が何らかの行動をすることで、未来は大なり小なり変わってしまいます。バック・トゥ・ザ・フューチャーでは、それを登場人物に台詞として語らせることでタイムトラベルの素晴らしさと危険性を示唆していますが、この映画における「タイムスリップによる後の時代の変わり方」は、ラスト少し手前で「えッ?!」という衝撃と共に訪れます。その直後からの登場人物の心の揺れ動き・人を想う気持ちは本当に熱く、胸がいっぱいになります。


過去に戻ってやり直したいこと― それは私にも山ほどあります。
ほんの数日前のことだってやり直したいと想うコトだってザラですから。
でも、この主人公たちはたまたま心に一番残っていることを成し遂げられるかもしれないという時代に飛ぶことができたワケですが、「さあ、今から過去に飛んで『今まで生きてきた人生のうち、一つの時代に飛んで一度だけできなかったことをやり直してもいいよ』という保障がある」中で、1986年に飛んだのではないのです。そこにポイントがあります。
だからこそこの映画は、「後悔のオンパレードの人生、・・・少しでも後悔のない人生を送って生きたいよね」、というメッセージだけでは片付かないと想います。
何年経ってもそれが後悔だと気づかないコトだってあるし、「後悔したらしたで想うことは山ほどあるけれど、あの結果の方がむしろよかったんだヨ」ということだってあるだろうし。
決して「あきらめ」「妥協」ではなく、後悔を後悔と想わないような半ば強い意志を持った生き方、マイナスの出来事が訪れてもどうプラスに変えて生きていくか―を教えてくれます。


この映画にはヴァイオリンという楽器が和美姉ちゃんとヒロを繋ぐものとして存在し、オーケストラのシーンも登場します(しかも指揮者は金聖響!)。音楽好きの私は、彼らの演奏や、人の手によってでないと演奏されない「楽器」というものが物語に登場した瞬間に心が引きずり込まれてしまいました。2006年の30歳の比呂志がヴァイオリンを弾き続けているという描写が無く、1986年においての二人を繋ぐモノでしかないですが、それが物語のラストにはとても重要なキーとなっていることに気づかれます。
また、この映画の舞台である1986年は、私にとっても懐かしい時代であると共に、上記のヴァイオリンという楽器と共に、現在好評放送中で、密かに私が毎週日曜の朝見ている、「仮面ライダーキバ」に登場する時代でもあるのです。仮面ライダーのあらすじの方はオフィシャルサイトに委ねますが、現在と過去が、「親子の関係」といった何らかの繋がりを持った異人物によって織り成され、交錯していくというストーリー展開が、タイムスリップして直接過去の自分に会うというこの映画の展開と、どこかしら似ているように思えて面白く見ることができたんです。
「仮面ライダーキバ」を見ているお子さんがいるお父さん・お母さんになった世代の方は、この映画を観てみてください。きっと何か通じるものがあるかもしれません。

そして今や日本の作曲界のリーダー的立場にある、千住明さんの素敵な音楽にも注目です。美しいメロディに乗って、「胸いっぱいの愛」があなたの心に広がることでしょう。

「銀色のシーズン」  (監督:羽住英一郎)

2008-01-14 23:09:56 | シネマレビュー
【作品概要】
雪を蹴り 空を切り 風と舞うとき 雪猿現る―

「雪の上では史上最強!」あの大ヒット作『LIMIT OF LOVE 海猿』から一転、今度は「雪猿」たちの季節がやってきた―!

『No guts, No glory. Go for it!』=根性なしに栄光なし。行ってみろ!

長野県白馬村の全面協力の下、雪山での3ヶ月間という長期オールロケ、撮影用モーグルコースを長野冬季五輪で公式コースを実際に作ったスタッフに作成してもらい、世界の名だたるプロスキーヤーたちが、驚愕のスキーアクションをこれでもかといわんばかりに炸裂させる。そして、映画「スパイダーマン」の撮影を行った「spydercam」(スパイダーカム)のクルーが日本映画初参加にして、そのカメラワークを遺憾なく発揮!
これは、「挑戦」をテーマに、自分たちの力で歩き、オリジナルの脚本を作り、不安要素が多い「『雪山』という自然環境の中』で撮影するという中で生みだされた、爽快感満載の前代未聞・前人未到のエンターティンメント大作!!

【ストーリー】
北アルプスの麓にある桃山町。良質の温泉があり、こじんまりとした町営のスキー場がある。しかし、向い山の「黒菱リゾート」に客足を取られ、寂れかけている。
そんな中、町営スキー場で無鉄砲にやりたい放題はしゃぎまわる3人の「雪猿」たちがいた。軽快に傾斜を滑り、宙を舞う「城山銀」・世界中の階段の手すりを滑り切ることを夢見ている「小鳩祐治」・スキーの滑りで川を渡りきることに命を懸ける「神沼次郎」のバカ3人組である。彼らは、「雪山の何でも屋」を名乗り、個人レッスンからスキーのチューンナップ、駅への送迎まで何でもかんでもを商売にしながら、大好きなスキー三昧の日々を過ごしていた。しかしその三人、スキー場で当たり屋を演じたり、賭けスキーをやったりして生活費を稼ぐことまでしている困ったヤツら。桃山町の人たちは町おこしのために集客を狙うべく頭を悩ませていたが、それ以上の悩みは「雪猿」3人の存在だった。しかし、当の町の人たちは、彼らの行動に、文句を言いつつも、なぜか見て見ぬフリをしていた。
そんなある日、町おこし・集客策のために編み出した「雪の教会」で結婚式を3日後に控えた花嫁第一号である、「綾瀬七海」がやって来た。仕事の都合で到着が遅れるという花婿より一足先に桃山町入りした彼女であるが、なんと七海は雪を見るのも初めて・スキーも全くできなかったのである。教会のすばらしさに感動した七海は、ライスシャワーを浴びながら新郎新婦がスキーでスロープを滑り降りるという演出のために一人でスキーの練習を開始するが、ゲレンデをはずれ、斜面に落っこちてしまうという始末。それを見た銀は、一日2万円で彼女のコーチ役を買って出る。
そんな時、七海が泊まる宿「はなみずき」で彼女は、銀が元モーグル競技のワールドカップスキーヤーだった頃の写真を見つける。『桃山町期待の星』ともてはやされていた銀だったが、町の人たちの期待に応えようと難易度の高いジャンプに挑戦したが失敗し、全治10ヶ月・リハビリ2年という大怪我を負い、引退してしまったという過去を、スノーボード好きの旅館の仲居・「北原エリカ」から知らされる。銀の引退に繋がる大怪我に負い目を感じていた町の人たちは彼ら雪猿たちの行動に目を瞑るようになったのだ、という。その真実を知り、銀のことが気になり始めた七海。
しかし、挙式を次の日に迎えた朝、とあることがきっかけで雪の教会がとんでもないことに・・・
そして、七海の関係者に電話で連絡を取り合っていた町の人たちは、衝撃の事実を知ることになる―
バカ3人と七海が過ごす時間は、三日未満のはず、だったのだが、彼らの運命の歯車は今までとは違った方向に静かに回り始め、新たな一歩を踏み出す勇気となる・・・!

(パンフレット・予告チラシより一部引用アリ)

【登場人物・キャスト】
城山銀:瑛太
綾瀬七海:田中麗奈
小鳩祐治:玉山鉄二
神沼次郎:青木崇高
北原エリカ(旅館『はなみずき』の仲居):佐藤江梨子
矢野新平(スキー場ゲレンデ食堂の店長兼コック):小林勝也
宮部智明(スキーパトロール隊隊長):杉本哲太
瀬戸雅之(旅館『はなみずき』のオーナー):國村隼

【詳細情報】
製作:フジテレビジョン ROBOT 東宝 電通
脚本:坂東賢治(代表作:「ただ、君を愛してる」「タイヨウのうた」「KIDS」)
音楽:佐藤直紀(代表作:「海猿」シリーズ、「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズ、「俺は、君のためにこそ死ににいく」、「ウォーターボーイズ」シリーズ)
監督:羽住英一郎(代表作:「LIMIT OF LOVE 海猿」
主題歌:コブクロ『WHITE DAYS』


【コメント】
この映画は、私が2007年の夏期、シネマでアルバイトをしていて、9月中旬で辞める直前にデモ映像を見て知った作品です。ファットスキー(幅広で浮力のあるスキー板)を履き、3人のスキーヤーたちが、壮大な景色をバックに、降り積もったばかりのパウダースノー上を華麗に滑走していくあのシーンと、そこに流れる音楽に興味を持ったのです。しかしその時点ではオフィシャルサイトすらオープンしておらず、どんな作品かとても楽しみでした。
実は、私は「海猿」のドラマはもちろん、映画も観ていません。また、スキーなどウィンタースポーツもできませんし、お金がかかるという理由だけでまったくやっていませんでした。しかし、この作品を見ただけで、ウィンタースポーツをやりたくなるくらいにアツい作品になっています。特に、数多く登場するスキーの滑走シーンは、プロフェッショナルの技だけでなく、実際に役を演じている人たちが滑っているという事実もすごいところです。
また私は、山や海などの自然を車で見に行くのは好きです。そして、スピード感やスリルがあるものも大好きです。しかし、山を登るという行動は、人間が重力に逆らい、体力を多く使うことですし、スピード感というものも車と比べるまでも無く全然ありませんが、スキーで雪山を滑るのは、車で峠道のダウンヒルを軽快に駆け抜けるのに似ています。ましてや、人間が整備した道路ではなく、雪山という自然を颯爽と駆ける―山の斜面と重力という自然の力に任せ、雪という自然現象の上をゆく―これほどスリリングな勇姿がどこにあるでしょうか。
だからこそ、惹かれたのです。

映画のストーリーも、想像していたのと全然違いました。特にラストシーンは、自分が「こうあって欲しいな」という結末とは違っていたので、ちょっと「残念」というか「ん~」という複雑な気持ちでした。でも、セリフのそこここに「男の友情」を感じさせるものがあり共感できたり、オーラを感じる表情や努力の結晶といえる演技の数々が見られ、振り返って思うと、素敵な作品に仕上がっていると思います。
また、デモ映像に流れていた、サウンドトラック内の一曲が、映画の中で大々的に使用されておらず、メインテーマの方が多数流れていたので、音楽家の端くれの私としてはちょっと残念に思いました。しかし、さすが佐藤直紀さん!いい曲でこの映画を盛り上げてくれます。

雪猿たち3人は全て男性。男の友情のひとつのカタチが描かれると共に、いくつになっても「少年の心」を忘れない20代前半の青年たちの思いが詰まった山小屋の様子やメカの数々は、まさに「秘密基地ごっこ遊び」。そういったわくわく感・楽しさもありますね。
また、主要登場人物は、何かしらの裏事情を抱えています。彼らの中に流れているモノの深さ、そこにどーゆう距離感を置けばいいか、「線の引き方」はどうすればお互いにギスギスしないのか、何かネガティブなものを抱えている人が前に向かい生きていくという決意をするときの過程はどんななのか・・・それは、それぞれの登場人物に思いを重ね、何度も繰り返し観ることによって伝わることでしょう。他人の人生に思いを重ねると、自分の心は大なり小なり揺り動かされ、変わっていく・・・それがどれだけ難しくて大切なのかも教えてくれます。特に、登場シーンの多い銀と七海の心の通い合いを見ていたり、今までとこれからの彼らの心に流れていこうとしているものを鑑賞後に想像したりしてみると、視点を変えて、ちゃんと映画館のスクリーンで何度でも観たくなるような、そんな作品です。
しかし、これは、観る人によってはかなり反応の差が出る映画なんじゃないカナ―と思います。


最後に、デモ映像で、「私が最初に聞いた瞬間は、間違ってこう聞こえた」という、銀が雪上パラグライダー上から叫んでいたセリフと、次郎の、気合の入ったあのセリフを。

「雪山へー、ファラウェーイ(Far Away)~!!!!!!」(「雪山の~、何でも屋~~!」が正しいセリフ)
「レッッディィ~~~~~~、ゴオォーっ!!」

「SMILE スマイル ☆聖夜の奇跡☆」 (脚本・監督:陣内孝則)

2008-01-02 21:54:32 | シネマレビュー
「ホッケーの経験は?」「まったく。」
「スケート滑れるの?」「ぜんぜん!」

「365日24時間スティックを持て。飽きるまで持つんだ!」

「お前たちは最高だ!!!」


陣内孝則さんが、忘れられない映画である「小さな恋のメロディ(1971年・イギリス)」からインスピレーションを得て描いたという、ひとつの「奇跡」の物語―

【ストーリー】
東京でプロのタップダンサーになるという夢を、膝の故障が原因で断たれてしまった修平(シュウヘイ)は、小学校教諭に転職し、恋人・静華(シズカ)がいる北海道へとやってきた。静華との結婚を申し込む修平に対し、静華の父親は、自身がオーナーを勤めている少年アイスホッケーチーム「スマイラーズ」を勝利に導け、という条件を突きつけてくる。しかし、修平はスケートも滑ったことがない・ホッケーのルールも知らないド素人。そしてスマイラーズは試合で一度も勝ったことが無い弱小チームだったのである。

一方、辛い過去を持つスマイラーズのエース・昌也(マサヤ)と、静華がコーチを務める、東京からやってきたフィギュアスケーターの少女・礼奈(レナ)は、スケートリンクで出会い、次第に淡い恋心を抱いていく。それは、二人の初恋の始まりだった―
礼奈の笑顔に励まされるようにして、昌也は少しずつ心を開いていく・・・。

家族関係や取り巻く環境など、さまざまなものに大小の傷や悩みを抱え、いやいやながらもリンクへ向かったスマイラーズの試合を見ていた修平は、タップダンスのリズムに乗せて、奇想天外な作戦を次々と編み出し、チームはめきめき力を伸ばしていく。それに応えるように、アイスホッケーが楽しくなっていき、試合にも勝てるようになっていくスマイラーズのメンバーたち。
だが、その矢先、礼奈が病気で倒れてしまう・・・!

修平とスマイラーズのメンバーたちは、一致団結し、試合に勝ち進むことこそが礼奈に勇気を与えるんだ、奇跡を起こすんだ、と信じ、最強のチーム「サンダーバーズ」との試合に臨む。
ド素人監督修平は、彼らをどうやって勝利に導くのか―?
そして、笑顔を忘れた少年昌也と礼奈の恋の行方は・・・?

(オフィシャルサイトより一部引用アリ)

【キャスト】
修平:森山未来
静華:加藤ローサ
礼奈:岡本杏理
昌也:綿貫智基
スケートリンクの管理人:谷啓

大人になった昌也:坂口憲二


【詳細情報】
監督/陣内孝則
脚本/陣内孝則・金子茂樹
主題歌:レミオロメン『Wonderland』

【コメント・感想】
秋頃から予告映像が流れていて、私が好きな男性俳優さんの一人「森山未来」さんが主演、ということで注目していた作品です。でも、陣内孝則さんといえば、「ロックンローラー」「役者」といった肩書きのほうが強いので、映画の監督となると、「うーん・・・?」と思いましたが、観に行って大正解!
「最高!」とはいえないまでも「秀作」です。

さて、脚本を書く前の陣内さんの目と心に映ったモノは、上記の「小さな恋のメロディ」という忘れられない映画作品に加え、息子さんがやっているアイスホッケーの試合観戦の際に見た、フィギュアスケートの少女の姿でした。そこから思い描いたのは「アイスホッケー少年とフィギュアスケーターの少女との初恋」だったそうです。
そして、未経験ながら北海道一のアイスホッケーチームを作り上げたという監督のエピソードも交え、この作品を書いたのだそうです。ですから、この作品は、半分はラブストーリー、半分は真のドキュメントなのです。
だから、何も知らず見に行って「つまらな~い」「どこに感動しろってゆーんだよ」と言っていたカップルや、「監督がもうちょっと上手く見せてくれればナァ」という人もいましたが、私はそんなことはあまり感じませんでした。どちらかというと「テレビドラマ」色が少し強い感じがする映画ですが、ドラマではしつこすぎます。公式サイトやコメントなど鑑賞後アクセスして、その直後だからこそ言えるのですが、率直に感動できる、「気持ちのいい」「ある種の爽快感のある」映画に仕上がっていると思います。

さて、森山未来さんは「世界の中心で、愛を叫ぶ」であまりにも有名ですが、タップダンスでも秀逸な技術をお持ちであることはご存知でしょうか?(私は知りませんでした!)
なぜ、アイスホッケーにタップなのか―?
これはオフィシャルサイトからの引用・受け売りですが、かの世界的プロサッカー選手「ロナウジーニョ(ロナウド・デ・アシス・モレイラ)」は「ブラジルのサンバのリズムが体の中に刻み込まれており、そのリズムが彼の独特のドリブルのリズムを生んでいる」という話を聞いた陣内監督は、リズミカルなアイスホッケーの攻撃を表現するために、タップダンスにノせることを思いついたそうです。そう、それは大きく捉えれば『音楽とスポーツの融合』です。フィギュアスケートやシンクロナイズドスイミングなど、音楽が流れないスポーツの中で「音楽(を)する」コトなのです。
広い場所から、20cmにも満たないフェンスの上まで、森山未来さんが繰り出す見事なタップ!
森山未来さんのタップと情熱的な演技なしでは、この作品は完成しなかった、と言っても過言ではないのです。

その森山未来さん演じる修平は小学校の先生です。

私個人の話になりますが、私は複式学級の同級生たちと仲がよく、養護学校高等部に進学した同級生と友達の出会いから養護学校教諭になりたくて、社会福祉系の大学ばかりを受験しましたが失敗しました。滑り止めに受けた大学の法律学部への進学への背中を押してくれたのは、小学校時代の大恩師でした。
そして、そこに通う傍ら、毎日遅くまで残って教職課程を修得し、社会科教員の資格を取りました。しかし、中学校・高等学校教諭は、小学校教諭と違って、採用枠が教科によって差が出てしまい、「同じ土俵で勝負できない」厳しい世界でした。ましてや社会化教諭の免許は教育学部だけでなく、文学部でも、経済学部でも、かなりたくさんの学部で取得が可能です。毎年、たくさんの受験者が会場を埋め尽くします。そんな中、正式に教員として採用されるには厳しい世界です。苦労しても教員になれず、夢をあきらめる人間が後を絶ちません。
私はその世界から半ば逃げるように、福祉の世界に航路を変更しました。
それには、理由がもう一つあります。
仮に先生になれたとして、私は社会科を「勉強する」ではなく「学んでほしい」と教えることと同じくらい、吹奏楽部の顧問になって、子供たちと楽しく音楽がしたかったのです。でも、教育委員会は、教科で教員を選ぶのであって、指導できる部活動で選ぶワケではありません。だから、赴任先の学校で「君、明日からテニス部の顧問ね」と言われたら、私は我侭かもしれませんが教員を辞めているでしょう。それ以上に、私には、免許こそ保持してはおれど、教員になる資格はありません。
でも、修平はやってのけた― そこに私なりに得た感動があるのです。


演出面でも、同じシーンのパターンを何回か使うという「バック・トゥ・ザ・フューチャー」振りの面白みのある見せ方、心を振るわせるセリフ、スリルやドキドキが止まらない試合展開とその撮影、そして、子供たちの心の成長・・・そういったものに注目してみると、いろいろなことが学べる、あたたかな味わいのある映画である、ともいえます。
最後にレミオロメンの歌が聴こえてきても、感動の余韻はずっとずっと心に残ります。
それぞれの登場人物の結末は、映画の中で描かれている人物とそうでない人物とがいます。描かれなかった人物は、この物語の後どうなったのカナ・・・という想像をしてみるのも面白いかもしれません。

モノゴトにひたむきに取り組む姿への情熱、小学校時代あたりに誰もが経験するであろう初恋、そしてお世話になった強く優しく温かい先生のことを思い出しながら観てみてください。


「ブリッジ」 原題:THE BRIDGE(製作・監督:エリック・スティール)

2007-10-19 20:25:51 | シネマレビュー
悩める現代社会が抱える最大のタブー“自殺”
ゴールデンゲートブリッジ・・・世界最大の自殺の名所

「あの橋にはロマンがあるわ、でもそれは偽りよ」

カメラは、この美しい橋で何を捕らえたのか?
この映画は、史上初にしてこの問題に真正面から向き合った―!

【ストーリー・概要】
アメリカ合衆国、サンフランシスコ州の象徴とも言える橋、ゴールデンゲートブリッジ=金門橋。
設計者はJ・シュトラウスという人物で、完成は1937年。6車線の道路と歩道を持っている、サンフランシスコとマリン郡を繋いでいる交通要所であり、毎年900万人の観光客が訪れている。
全長:2790m、高さ:230m、海までの距離、66m。
そして・・・手すりの高さは、1.2m。
アメリカ合衆国を代表する観光スポットであると同時に、この橋は、「世界最大の『自殺の場所』」でもあるのだ。
1937年の完成以来、約2週間に一度の割合―約1300人もの人間が命を絶っているという事実を世界に伝えるべく、カメラは、2004年~2005年の1年間という間、この橋を撮り続けた。
そして、橋で命を絶った人物の肉親や友人たちの無念の想い、飛び降りはしたものの奇跡的に命を取り留めた青年や、自殺志願者を食い止めた人物のインタビューを交え、自殺を減らす方法はないかを模索している。
この映画は、橋・・・それもただの橋ではない、ゴールデンゲートブリッジという場所で繰り広げられた「命の記録」―。
2006年トライベッカ映画祭でワールドプレミア上映されるや、全米で大激論を巻き起こし、全世界での映画祭で熱烈な歓迎を受ける一方で、あまりにもセンシティブな内容だという理由から、一部の保守的な映画祭では上映拒否も受けているという、ドキュメンタリー映画である。

(パンフレット・予告チラシより一部引用アリ)

【詳細情報】
製作・監督:エリック・スティール
音楽:アレックス・へフス
エンディング曲:ハウィー・デイ「End Of Our Days」
配給:トルネードフィルム
原案:ニューヨーカー誌内「ジャンパーズ(飛び降りる人々)」(タッド・フレンド執筆)

【7つの実話の中心人物】
① ジーン・スプラーグ(34歳)
② エリザベス“リサ”スミス(44歳)
③ フィリップ・マニコー(22歳)
④ デヴィッド・ペイジ(50歳)
⑤ ダニエル“ルビー”ルーベンスタイン
⑥ ジェームス“ジム”シンガー(56歳)
⑦ ケヴィン・ハインズ(25歳)→一命を取り留めている


【コメント】
とある映画館で手にした一枚のビラ。それが、この映画との出会いでした。
「命をめぐる7つの実話」というキャッチコピーと、「ブリッジ」の「ジ」についた濁点が、通常の右上ではなく、右下についた邦題が印象的だったのに惹かれ、率直に、これは死ぬ前に観てほうがいいと思った映画でした。
大学時代に「生と死を科学する」というタイトルで、臓器の移植に関する法律やその教育の仕方、自殺に関することまでを卒業論文にした私がまず言えるのは「観て大正解!」ということ。監督のエリック・スティール、「あんたはエライ!」ということ(監督のエリック・スティール氏は、姉を交通事故で、弟を病気で亡くしています)、そして、ある種の意見や感銘を持った人は「幸せな人」、「何も感じない、つまらない」という感想しか持てなかった人は「おめでたい人」だよナ、と思いました。
この作品はR-15指定になっていて、所々に、衝撃的なシーンが登場します。しかし、これが現実なのだ、ということを知った瞬間、身に震えが走りました。だって、1.2mしかない橋の手すりを、ふわり、と乗り越え、夢の中の出来事のように人が落ちていくのですから―!
「見たくない」⇔「目を反らせられない、本物の、現実の出来事」の間に位置する複雑な気持ちが渦を巻きます。
だから、「命というモノを考える」きっかけ・原因を作ってくれる経験をさせてくれる映画だなと思います。
語りの部分は、家族、友人などのインタビューと自殺未遂者自身のものなのですが、一つ一つ語られていくのではなく、誰かの語りが終わって次の人物の話へいった、と思ったらまた前の人物の話に戻ってくる、という形をとっています。残された人のインタビューは交互に折り重なり、その間に、ゴールデンゲートブリッジの周辺の景色や、ビデオを早回しするというカタチで、橋の一日の様子を映していたりもします。そういうコントラストが、橋を美しくも見せ、恐ろしい場所にも思わせます。
語られている内容は「自分で『飛び降りるという方法』で死を選んだ」ということに対する痛切な思いばかりか、というとそうでもなく、自殺した人とその関係にあった人のやりとりも赤裸々に描かれているのが大きい特徴なのです。
まさに自殺願望が心を渦巻いている人を含むの全ての人間に対して「向き合わなきゃ、このありさまと!この現実と!」という映画なのです。
これと似たようなものに、「日本の性教育」がありますね。アメリカを問わず、自殺をオープンに語る事はしませんが、日本は生と死の問題どころか、生の営みである「性」について、特に戦後、真剣に考えなかったこと、オープンに議論してカタチにしなかったコトを反省すべきではないかな、ということを、大学の恩師に、社会人になって間もない頃言われたことがあり、それを思い出します。

自殺=身勝手、現実逃避と思っている人は、ぜひこの映画を観ることをオススメします。
だって、自殺に明確な理由なんてないのですもの。引き金となるものはいっぱいあっても・・・。

でも悲しいかな、この映画は、「『完全な・完璧な』自殺予防・抑制の喚起の映画」にはなっていないかもしれません。現代社会を取り巻くさまざまなモノや、宗教など歴史の古いものを加味したとしても、自殺というモノはなくなることはないでしょう。
自殺願望に直面している人、自殺願望者がそばにいる人、「自分の大切な人が自殺してしまった」という人、全てに言えるのは、「無理をして生きていてもどうせ死んでしまうんだ」という短絡的な捕らえではなく、かといって「私がもっと優しく接していれば」でもない、「その人が決めたことだからどうしようもなかったんだ、止めることは出来なかった」と捕らえるでもない、「なんで自殺なんかしたんだ」と責めるでもない―。そう、答えなんてないのかもしれない、私はそう考えます。
人間としてイキイキと生きる資格があるのなら、人間として安らかに死ぬ資格があったっていいじゃないか、そう思うのです。不治の病で安楽死・尊厳死が実施されることはありますが、自殺も実はそのひとつなのではないか―この映画を観てわたしはそう考えました。だから、「知らない間に、いつの間にかどこかに行っていなくなっていて死んでしまっていた」場合は仕方がないとしても、せめて、自分が愛している人の死に向き合った場合は、最期まで優しく、温かく見守るのが人間としての義務ではないか・・・そう思います。
そして、この映画が誰にでも観られるDVDなどになって出回り、教育その他の現場で大いに役に立つことを願っています。

最後に、パンフレットにあった監督のインタビュー内から。
「実は9.11の同時多発テロの日、ワールドトレードセンターが崩壊するのを目撃していたんです。ビルから飛び降りて人々が命を立つ瞬間も目にし、それは生涯忘れられないイメージとして私の脳裏に焼きつきました。(中略)9.11では物理的な地獄から、そして橋の上では心の地獄から逃げたいと思った人々が飛び降りたんだな、と感じました。あらゆることに絶望して死んでしまいたいと思うことは誰にでもある。(中略)なぜ大変なことが自分の身に降りかかっても頑張ろうと考える人と、もう一日も生きていけないと感じる人がいるのか。その間にある線は脆く、なかなか理解しがたいものだけに・・・(以下省略)」