リタイアした「から」、あれがやりたい。これもやりたい。

人生のセカンドステージに、もう一度夢を描き直す。
「夢翔庵」の気ままなひとり言です。

全集を少しずつ味わう

2020年08月12日 | 楽しむ
以前、「リタイアしたら全集を読破する?」という記事を書いたことがありました。まぁ“?”マークを付けたように、それほど本気で考えていたわけではありませんが、読破とまではいかなくてもこの歳まで残した好きな作家のものを少しずつ読み進めていく習慣ができつつあります。
図書館から借りてくる種種雑多なジャンルを読み飛ばす(?)合間に、ちょっと落ち着ける時間を作って書見台に乗っけたりして耽読するのです。

好きで買い揃えた作家の全集ですから興味を失くしてしまわない限り楽しい時間を過ごすことができます。
ただ、「全集を読む」ということで改めて気づいたことがあります。

まず、本が「重い」ということ――。外へ持って出かけるなどもってのほか、一日で最も集中できる寝床に仰向けで読んでいるとすぐに両腕が痺れてきて、横を向いたりベッドに凭れたりしても支えるのがたいへんです。

次に一般的に活字が小さくて老いると読みにくいということ。二段組に小活字は出版するほう側の事情でしょうが、そもそも全集は読ませるために出しているのではないのではないか、という邪推も生まれます(先に書いた書見台もページの上下の文字と目との距離を等しくするために購入したもの)。

やや言い訳めいたことを書いて全集の読書に異議を唱えようとしているみたいですが、その前に実は持っていた全集の半分以上はここ数年でスペース確保のために処分してしまったのです。漱石や芥川など読破どころか、まったく開きもしなかった巻もあることを思うと、自分の購入動機も不純なものが相当混じっていたことを告白せざるを得ないでしょう。