Tokyo日記

社会学者のよしなしごと

水に落ちた犬

2006-02-07 14:15:55 | 社会問題
日本でニュースの報道のされ方を見ていると、つくづく日本社会は「変わりにくい社会」だと思う。つまり何が問題なのかが明らかにされず、「水に落ちた犬は打て」(魯迅は、犬は叩いたほうがいいっていったんだっけ?)とばかりに、一度問題が起きると徹底的に何もかもが批判されるが、結局何が問題だったのかはわからないまま、人々の興味が薄れると問題が終わってしまう。最近は社会的制裁が厳しいので、とにかく問題が発覚しないように、打たれないように気をつけるけれど、本当に問題を理解してひとは動いているようではないみたい。これでは何も解決されないのになぁと、東横インの問題をみていて思った。

西田社長の最初の会見は、いかにもまずかった。「年に1-2回しか使われない障害者用の施設を何で作らなきゃいけないの?」とばかりのあの口調。まぁアメリカだったら(といいたくないけど)考えられない。裁判制度が充実していたら、障害者が団結してクラスアクションを起こして、できるだけお金をむしりとって、それでNPOでも作っちゃえば、って感じの、絶対に許されない差別発言でしょう。

でもわたしが不思議なのは、一転して謝罪した西田社長に対して、焦点は「本当に反省しているのか」。声紋を分析したり、会見の瞬きの回数を数えたり。…どうでもいいじゃん、そんなこと。社長は豪邸なのに、ホテルは安普請って、豪邸を建てたこと自体は、個人の自由の範疇ではないか(まあそのお金は消費者からでてるわけですが)と思う。

社長が反省しているというのだったら、声の調子だの、お辞儀の角度だの、そんなことはどうでもよくて、これから先どういうように改修工事を進めていくのか、その計画の全貌を明らかにし、いつまでに達成するということを、社会に向かって約束するべきであると思う。そして、反省の意味をこめて、障害者団体にお金を寄付するだとか、財団を作るだとか、意味のあることをやって欲しいよ。

そしてわたしたちは、「利益を追求する」ということがどういうことなのか、公共性を剥ぎ落として経済合理性を追求している現在の風潮のなかでこの事件が起こったのだということを、もう一度考えるべきだと思う。そして何よりも、この騒ぎのなか、開店当日、100パーセント客室稼動したというのが信じられない。わたしだったら、絶対に泊まらない。東横インに「お宅に泊まるつもりだったけど、キャンセルします。つきましては代わりのホテルを紹介してください」くらいのことはいうべきだと思う。

東横イン、わたしも出張で泊まったことがあるけれど、予約したひとは「圧倒的に安い」といっていた。わたしは、部屋においてある宗教的な啓発本のようなものが好きではなくて、あんまり快適なホテルじゃないなぁと思った記憶があるくらい。

消費者は、安ければいいのか。不買運動などを通じて、できる限りのことをする義務があるのではないか。それはひとりひとりの自覚の問題だと思う。差別には加担しないという。そうでなければ、「東横インって数字がついてたのは1045店を目指すつもりだからだったんだぁ、安いね、今度利用しようか」という宣伝効果で終わってしまう。

社長は辞任しない、今まで自分のことを「高級な人間」だと思い誤っていたというのだったら、目に見える形で責任を果たすべきだとわたしは思う。どのような形の「社会貢献」でもいいから。





2 コメント

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I've got U! (123)
2006-02-17 01:44:48
日記読ませてもらいました。

先生弱ってますね~。私も激しく躁鬱を繰り返しています。ノタレジネ宣告のせいかな!

進学先でも先生のような、私が惚れちゃえるような人と出会えることを期待・・・、でもちょっと不安だけど。

Mexicoはシティ、グアダラハラ、グゥワナハト、プエルトバジャルトを一週間強で巡るという強行日程です・・・。

スペイン語勉強しなくちゃ~





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Unknown (本人)
2006-02-20 06:59:09
メキシコ、どうでしたか?



一人前になるのに長い時間がかかる職業もあります。気を落とさないで、頑張って。



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