Tokyo日記

社会学者のよしなしごと

懐妊騒動とトリノオリンピック

2006-02-26 23:19:53 | よしなしごと
お久しぶりです。授業もやっと終わり、採点や入試関連業務はあるものの、なんとかホッとしているところです。とはいっても、3月は会議や委員会他続きで、ほとんどまとまった休みがないんですが。でも3月末の卒業式以後から4月の授業開始まで、10日間ほど、連続して休みになります(わたしは専攻語をもっていないので、入学式が関係ないため)。それまで何とか、頑張ろう…。

ここのところ、テレビをみたり、週刊誌を買うのが楽しくて仕方ない。というのも紀子妃懐妊騒動とトリノオリンピックという二大イベントがあったので。

紀子妃懐妊は、やった、当たった、という感じ。新年に、こうのとりの歌を秋篠宮と揃って詠んだときから、「第三子、そろそろだなぁ」と予想していたところだったから。懐妊のニュースを知ったのも劇的(?)で、知人と、そろそろ秋篠宮のところに、男子ができて一時的に解決をみることになると思う、と熱弁を振るっていたときだった。

雅子妃と紀子妃は対照的な二人で、でも記事などを読んでいると、長男の嫁、次男の嫁、それぞれに大変さがあるのだなぁと、しみじみと感じ入ってしまったりした。どうしてわたしはこんなに皇室ニュースが好きなのか、自分でもよくわからないけれど、皇室写真などをつい見入ってしまう…。

皇室典範改定について識者(?)がいろいろな意見を述べていましたが、「男女平等なのだから、女系天皇でいいじゃないか」というような口当たりのいい倉田真由美の意見よりは、「男子のみでいい」という林真理子の意見のほうにわたしはむしろ賛成(読んだの『文春』だから)。現実問題を考えたら、愛子内親王が女性天皇になって、同世代の旧宮家の男子の数人のうちから婿を取る、っていうのも、あまりに可哀想な気がする。雅子妃も、これで男子を産まなければという重圧から逃れて、のんびりして欲しいなぁと思う。というと、本当にワイドショーのコメンテーターみたいだけれど、(日記だから、ミーハーでいいのだ)。

あとはフィギュア。朝早くに起きて、みてました。とくに女子シングル。事前の予想では、1位スルツカヤ、2位コーエン、3位コストナー、4位荒川、というのが大半だったけど、なんと上位3人が転倒。荒川が1位。びっくりした。

応援していたので嬉しかったけど、個人的には、いろいろあったスルツカヤに一回ぐらい、オリンピックで金を採らせてあげたいなぁと思っていた。コーエンのショートのプログラムは、本当に可憐で、鳥肌がたつ思いがした。コストナーは、地元イタリアの開催で、かなりのプレッシャーが掛かったのでしょうね。ちょっと同情。

それに較べると、荒川は、メダルのことなんて気にしないで、淡々と滑っている感じが実によかった。清清しかったなぁ。いろいろあった競技人生だけど、最後に悔いのないように滑りたいというだけの邪心のなさが、金メダルに導いたのだと思う。

ああ、そういえば、男子フィギュアの高橋大輔も惜しかったですね。フリーは最終滑走で、転倒。「ガラスの心臓」といわれながらも、頑張ったなぁという感じがしました。ジャンプに強いタイプの選手じゃないので、男子だと難しいのかも知れないけれど、スピード感のあるスピンやステップ、わたしは結構好き。ジャンプの得意な織田より、わたしは高橋のようなタイプの演技の方が、好みかなぁ。

一般にはフィギュアは女子、という感じがするけれど、わたしは力強い男子のシングルをみるのも、結構好きです。しばらくみられないと思うと、ちょっと残念。



水に落ちた犬

2006-02-07 14:15:55 | 社会問題
日本でニュースの報道のされ方を見ていると、つくづく日本社会は「変わりにくい社会」だと思う。つまり何が問題なのかが明らかにされず、「水に落ちた犬は打て」(魯迅は、犬は叩いたほうがいいっていったんだっけ?)とばかりに、一度問題が起きると徹底的に何もかもが批判されるが、結局何が問題だったのかはわからないまま、人々の興味が薄れると問題が終わってしまう。最近は社会的制裁が厳しいので、とにかく問題が発覚しないように、打たれないように気をつけるけれど、本当に問題を理解してひとは動いているようではないみたい。これでは何も解決されないのになぁと、東横インの問題をみていて思った。

西田社長の最初の会見は、いかにもまずかった。「年に1-2回しか使われない障害者用の施設を何で作らなきゃいけないの?」とばかりのあの口調。まぁアメリカだったら(といいたくないけど)考えられない。裁判制度が充実していたら、障害者が団結してクラスアクションを起こして、できるだけお金をむしりとって、それでNPOでも作っちゃえば、って感じの、絶対に許されない差別発言でしょう。

でもわたしが不思議なのは、一転して謝罪した西田社長に対して、焦点は「本当に反省しているのか」。声紋を分析したり、会見の瞬きの回数を数えたり。…どうでもいいじゃん、そんなこと。社長は豪邸なのに、ホテルは安普請って、豪邸を建てたこと自体は、個人の自由の範疇ではないか(まあそのお金は消費者からでてるわけですが)と思う。

社長が反省しているというのだったら、声の調子だの、お辞儀の角度だの、そんなことはどうでもよくて、これから先どういうように改修工事を進めていくのか、その計画の全貌を明らかにし、いつまでに達成するということを、社会に向かって約束するべきであると思う。そして、反省の意味をこめて、障害者団体にお金を寄付するだとか、財団を作るだとか、意味のあることをやって欲しいよ。

そしてわたしたちは、「利益を追求する」ということがどういうことなのか、公共性を剥ぎ落として経済合理性を追求している現在の風潮のなかでこの事件が起こったのだということを、もう一度考えるべきだと思う。そして何よりも、この騒ぎのなか、開店当日、100パーセント客室稼動したというのが信じられない。わたしだったら、絶対に泊まらない。東横インに「お宅に泊まるつもりだったけど、キャンセルします。つきましては代わりのホテルを紹介してください」くらいのことはいうべきだと思う。

東横イン、わたしも出張で泊まったことがあるけれど、予約したひとは「圧倒的に安い」といっていた。わたしは、部屋においてある宗教的な啓発本のようなものが好きではなくて、あんまり快適なホテルじゃないなぁと思った記憶があるくらい。

消費者は、安ければいいのか。不買運動などを通じて、できる限りのことをする義務があるのではないか。それはひとりひとりの自覚の問題だと思う。差別には加担しないという。そうでなければ、「東横インって数字がついてたのは1045店を目指すつもりだからだったんだぁ、安いね、今度利用しようか」という宣伝効果で終わってしまう。

社長は辞任しない、今まで自分のことを「高級な人間」だと思い誤っていたというのだったら、目に見える形で責任を果たすべきだとわたしは思う。どのような形の「社会貢献」でもいいから。




本当に本当に本当にどうでもいいこと。

2006-02-06 03:20:29 | よしなしごと
文章を書き始めれば、結構早く進むのに、何でこんなに書き出すまで決心がいるんだろうなぁ。たった数枚の雑文なのに。といつも思う。あーあ。自分のこの癖を何とかしたい。とくにインターネットに接続されていると、いつまでもだらだらとウェブニュースとか見ちゃったりして。

しかもCDプレイヤーにCDが一枚しか入らないから、もう同じCDばかり何十回も繰り返しで嫌になる(変えればいいんだけど)。今聞いてるのはス××××(本の趣味を知られるのはよくても、映画と音楽だけは、絶対にいえないのは何でだろうなぁ)。その前には、ヴェートーベンのヴァイオリンソナタ、2日間くらい聴き続けて、もう辟易。

みんな、どうやって曲を聴いているのかなぁ? わたしは歌詞と曲名が一致しない限り、何度聞いても曲名が覚えられない、曲をアイデンティファイできないという悪癖があるので、カラオケに行っても、アルバムに入っていた曲を歌詞(=言語)を手がかりにしないかぎり、取り出して歌うことができない。たいてい間違っている。この曲歌うつもりじゃなかったのにとか、いってる。音楽を音楽として記憶する脳の働きが全く欠けてしまっているみたい…。 

まぁそんなことはさておき。トリノの女子のフィギアは、安藤美姫も荒川静香もプッチーニに音楽を変えたそうですね。安藤は「マダムバタフライ」、荒川は「トゥーランドット」だって。トゥーランドットは珍しく、プッチーニのオペラのなかでも素直に好き。NYのシティオペラでしか観たことがないので、一度豪華絢爛な、お金の掛かった舞台を観てみたいなぁ…。荒川静香は、なんだかさっぱりとしている感じが好き。男子の高橋大輔も、スピード感のある演技だけど、喋りとかは完全な今時のジャニーズ系で、ギャップが面白くて好き。

さて、そろそろ原稿を書こうかなぁ、ってもう本来だったら寝る時間だ。あーあ。どうしてこうなんだろう。






少々疲れているのかも。

2006-02-01 01:42:14 | よしなしごと
来週授業が終わるので、あと一息。にしても、半年15回の授業を全部こなすのは、流石に長すぎるという気がする。13回くらいなら、息切れしないのだけど。

自分でも驚くけれど、就職してから6年が経ってしまった。いや、本当に驚くなぁ。最初の頃は、社会学理論に重点を置いた講義で、「難しい」といわれることが多かったけれど(入学したばかりの学生に言語理論からセクシュアリティ理論まで細部にこだわって教えて、振り返ってみれば少々申し訳なかったような)、今はどのくらいの水準において講義をすれば学生に伝わるのかが、少しはわかるようになってきたとは思う。基礎は、外国語学部の教養の授業だからということを、一応は念頭においてやっているつもり。わかりやすいことだけがいいことだとは一概にはいえないところが、ジレンマだけれど。

でも正直にいえば、最近、息切れているなぁという自分に気がつくことがある。本当に、実に全く罪のない些細なことで、ガックリと来てしまう。…年なんでしょうかね? 自分も学生のときには、いい学生だったとはとても思えないので、時々申し訳ないなぁと反省してしまうのだけれど。

ひとつは、私語です。はい。うちの大学は語学の大学だけあって、私語は殆どない。非常勤に来てくれた先生は、「こんなのは珍しい」と感動してくれるくらいです。今までわたしも、殆ど遭遇してこなかった。でも、…ないわけではない。ここのところ、数時間、ずっと喋っている学生がいる(模様)。

というのは、他の学生から苦情が出ているから。大教室だけれど、わたしも恐らくあの辺だろうと見当はつく。授業の最初に、「苦情が出ているから、私語は慎んで下さい。迷惑だから」と注意しているんですけどね。そんなことで消耗していたら大学教員なんかできないよ、何を甘ったれたことをいっているの? といわれそうですが、消耗するものは、やはりするのです…。

特に疲れるのは、授業が始まるときの私語。わたしの理想をいえば、先生が教室に来た途端、私語をみんな一斉に止めてくれる。ああ、一度でいいから、そういう光景に出会ってみたい。本当に、そんなことがあったら、どれだけ気持ちよく、幸せな気分で、授業を始めることができるでしょうか。一度、体験してみたい。

学生に悪気がないのは、わかるのです。もちろん。教室に入る。ざわざわしている。わたしが出席(レスポンス)用紙を配る。配り終わる。ざわざわしている。だいたい静かになったところを見計らって、挨拶する。次第にざわつきが止む。先週の授業に関すること、もしくは授業に関連するであろう雑談などを話し始める。するとまだ私語を止めない学生が一組くらいいる。彼らが黙るまで、こちらも黙る。数十秒して静かになって、気を取り直して話し始める。するとしばらくすると、他のところで私語が聞こえる。先ほどの間は何だったのだろうかと、「何か質問があるの?」と聞くと、黙る。まだ授業に入ってないと思っているのかもしれない。悪気がないのも、わかっている。だけど、これを数回繰り返すと、…もう話し始める気力が、なくなってくる。先週は、6年間教えていて初めて、気持ちを奮い立たせることができなくなって、「もう話したくない」という気持ちが湧き上がってきてしまい、話す予定だったことを取りやめてしまいました。教室が人数の割りに小さくて、学生がすし詰めだっていう条件が大きく関わっているのも、わかっているけどね。もうひとつの講義はそんなことはないから。

あと、年に数回だけど、遅れて入ってきて、わたしが喋っているのに、出席(レスポンス)用紙を要求しにくる学生がいる。授業は中断。初めはびっくりしたけど、「あとで取りに来てね。授業が中断されるから」というと、「そーかー」って納得してくれるので、まぁいいかと、驚かないようにしている。

今日の授業は、オペラ『マダム・バタフライ』の最終回だった。第三幕、シャープレス、ピンカートン、鈴木の三重唱は本当に美しかった。教室が広いので、音響がよく、DVDでもひとりで観るよりもずっと感動的だった。蝶々さん役のダニエラ・デッシーの声の見事なこと。アンナ・モッホの白黒版は、モッホの容姿の可憐さは出ているけれど、声は比較にならないほどデッシーが勝っていた。モッホの蝶々さんは、良くも悪くもバタ臭い。醜悪なオリエンタリズムが見えにくいので、つまらない。授業ではこの二つの版を取りあげていたのだけど、最後にフレーニのDVDのさわりもみせた。若き日のドミンゴの声のつややかなこと。Tシャツ姿のヤンキー振りが板についていて、軽薄で浅薄でいいなぁと。障子がスライドしてエキゾティズムを掻き立て、フレーニの化粧は能面のよう、フレーにも絶妙、ああ、定番のこちらを使えばよかったかしら、うっとり、とわたしは思ったのですけどね。やっぱりオペラ、いいなぁって思ったのですけれどね。

内職していて、画面も観なければ、字幕も読んでいない学生、一体何しに来てるんでしょう? わたしの解説を聞きにかしら? 感動を押し付けても仕方ない、少なくとも他人の邪魔はしていないからいいじゃないかと思いながらも、しばらく立ち上がれないような気分。モッフォの版のDVD、日本じゃ買えないんだぞ~(多分)。見ないと損なのに、といいたくなってしまう。最初の数回だけ出席して、単位のためにそろそろ出なきゃとまた出席し始めたのはわかっているけれど、せめてオペラだけでも、感動して欲しいなぁと思っちゃうのは、要求しすぎなんでしょうね…。

あーあ、他人に期待しすぎ、なのはわかっているのですけれどね。疲れているのかな? あと少し、乗り切ろうっと。