Tokyo日記

社会学者のよしなしごと

許せないことの基準

2007-02-11 13:58:32 | よしなしごと
前のコメントで、「スパゲッティ屋さんに行きましょう」といわれましたが、前はちょくちょくいって、コンパにも使ったりしていたパスタ屋さんに、最近はずっと行っていない(多磨駅のパスタ屋さんじゃありません)。

なぜかというと、前回行ったときに、ちょっと不愉快な思いをしたからです。平日にひとりでパスタが食べたくなったので、ランチタイムの佳境に入る前にひとりでふらりと行きました。ランチタイムが始まったばかりで、一番乗りだったんですが(ひとりでご飯を食べようと思ったら、カウンター席のあるお店は行きやすいけれど、そうでない場合は、やっぱり気を使うので、空いているだろう時間帯に、できれば小さなテーブル(二人がけ)のあるお店に気を遣いながら行くことが多い。わたし自身はひとりでお店に行ったりするのは全然苦にならないタイプだけど、一応気を遣うことは確か)、そのうち団体客が入ってきて、わたしがちょうどテーブルの真ん中を占めていたので、一回譲って端の席に移動しました。それくらいは別に当たり前だと思ったのですが…。

そのうち混んできて、団体客がいるせいか、待つお客さんが出てきたんです。そしたら即座に、「相席をお願いします」っていわれて、エッとびっくり。わたしはあと一口のデザートが出てきたら、1-2分でお店を出ようかというところだったので、そんなときにちょっと待つお客さんが出てきたとしても、相席っていわれると思いませんでした。しかも、さっき一回譲ったのに、また席を詰めて相席をしろってちょっとなんだなぁと(しかも男性のひとり客がいたのに、男性には何にもいわないあたりもちょっと…)。食べ終わって長居をしているならともかく、1-2分、最長で5分、がそんなに大切なんでしょうか?

しかも小さな子どもと、どういう関係か知らないけれど、微妙な感じの変なカップル(?というかお互いに気があるようなふたり)に包囲されるかたちになってしまい、全員、居心地悪いことこのうえなし、でした。早々に出ましたが、釈然としない気持ち…。今まで一回利用したら、普通でも5-6千円は、コンパでは3-4万円近く使っていたんですが、それから一度も行っていません。お店には痛くも痒くもないかもしれませんが、最近通りかかっても、お客さんのいないことも多い。レストランって、サービスを含めてのサービスだから、まぁ、あの調子の接客をしていたら(前から接客はよかったと思ったことはなかったけれど)、お客さんが離れていくのも当然だと思います。少しでも多くのお客さんをと思うのかもしれないけれど、すべてのひとに気持ちよく帰って貰わないと、ひとりのお客だって、やっぱりお客なんじゃないのかなぁと。将来の顧客を失ってまで、今の利益を重視しても、仕方ないんじゃないか。

レストランを経営していると、ひとりでも多くのお客を、という気持ちもわからなくもないですが、やっぱり不愉快にさせないこと、できないことはできないと断ることも大事だと思います。以前、前から行っていた(それも、いつもはがら空きの)お店に行ったら、雑誌で取り上げられたあとだったこともあって、ものすごく混雑していました。そこで断られたら、「ああ、また行ってみよう」と思ったし、その次に行ったときに満足感がいっそう高まったのかも知れませんが、ウェイティグバーに通されたあと、空いた席に移動させてもらえるのかと思ったらそこで食事までして欲しいといわれて、一度びっくりし、注文した品が1時間で1品しか出てこない(混雑しきっているから)ので空腹に耐えられなくなり、結局お店を出る羽目に陥りました。やっぱりそれから二度と行ってない…。一過性の雑誌のブームが去ったあとどうしたんでしょう? 初めて行ったひとも、前から行っていたひとも、また行きたいなぁと思う雰囲気ではなかったことは明白でした。

わたしはせっかくの食事が台無し、と思うと、こういうことは、割と根に持つタイプなんですが(というか、もう二度と経験したくないなぁと思って二度と行かない)気にならないひとは気にならないようです。不思議。「そんなつまんないことで怒らなくても」っていわれるんですが、その「つまんないこと」の基準はひとによってかなり違うみたい。

例えばわたしは、駅のエレベーターを我先に使うひとが嫌いです。新宿駅では、数分に一本電車が来るため、大きな荷物をもったひと、ベビーカーのひと、身体の不自由なひと、がいつまで経っても乗れずに取り残され、使う必要のない健常者が機敏な動作で我先にと乗り込んでいってしまい、やっとエレベーターが戻ってきたら次の電車から新しいひとが補充され、ということが繰り返され、スーツケースをもったわたしは、あまりの公共道徳心のなさに呆れ果てる、と思ったのですが、ベビーカーのお母さんたちはじっと耐えてました。きっと何度も経験しているのでしょう。東京駅では、やっぱり機敏な動作で健常者が出て行ったあと、誰も「開」のボタンを押すという配慮もしてくれなかったため、機敏な動作のできないひとたちがまた元の階に戻されるという経験もしています。海外旅行に行くために、スーツケースをもって移動すると、必ず数回は腹を立てることになります。他人に対してのこの無関心ぶりは何なんだろうと。この間は、ぎゅうぎゅうに詰め込まれたエレベーターで唯一「閉」ボタンに近い若い男性が、音楽を聴きながら、携帯メールに熱心で、みんながずっと扉が閉まるのを待っているのにしてくれず、かなりの時間、扉の開いたエレベーターに留め置かれました。この周囲への無関心ぶりもかなり偉いし、そもそも、エレベーター使う必要がないんだから、そんな傍若無人な振る舞いをするなら、使わなきゃいいのに(こういうひとは、自分が急いでいるときは、足の悪いひとが歩いていても、さっさと「閉」ボタンを押して、エレベーターを動かすひとでもあります。何度も目撃)と、「ああ、こういうひとが、身近にいたら嫌だなぁ」と思うのですが、こういうときにやっぱり「どうでもいい」と不思議そうにいうひとと、「日頃からいつもワタシも思っていた」というひととに、はっきりとわかれます。で、ストレス溜まらないのは、「どうでもいいじゃん、そんなこと」っていえるひと(で、そういうひとが怒るときの基準は、わたしにとってはどうでもいいことが多かったりするのがまた不思議)。

許せること、許せないことの基準はひとによって大きく違うのだけど、うまく共存していくにはどうすりゃいいんでしょうか? ある意味、わたしは無用なストレスに弱いんだろうなぁと思うと、ちょっと悲しくなります。ううっ。もっと、穏やかに生きたいです…。