Tokyo日記

社会学者のよしなしごと

ニューヨーク・ニューヨーク

2008-08-26 22:00:03 | よしなしごと
少し暑さも和らいできましたが、皆さんお元気ですか? 大学の先生も夏休み、のはずなんですが、どこに消えたんでしょう? 不思議だ…。

とはいえ、アメリカ社会学会と調査のため、ニューヨーク・ボストンに行ってきました。社会学会は、アメリカ社会についての統計や実証系のものに絞って参加。英語の壁があるのと、日本での社会理論の水準は決して低くないのでわざわざアメリカで聞く価値があるのかということを考えると、アメリカ社会についてのデータはアメリカでしか得られないので、長年の試行錯誤の結果、そういう参加の仕方が一番いいという結論に達しました。ウォールマート戦略とか、出生率とか結婚・同棲とか。アメリカの発表は、どちらかというとあっさりとシンプルなものが多いので、日本の学会発表とは、かなり趣が違うかも。

ボストンに行って思ったのですが、東海岸の英語でも、ボストンのものは、なんて聞きやすいんだ!! それと、みなさんとても礼儀正しいです。びっくり! ニューヨークに戻ったら、いきなりタクシーの運転手に「お前の行きたいところに行くと一通で自分が帰るのが面倒だから、ここで降りろ」とコーナーでいわれ、ああー、ニューヨークだなって思いました…。「タクシーはタクシードライバーの行きたいところではなくて、お客さんの行きたいところに行くものなのですよ」といってやろうと思いましたが、もう気力も失せて、「荷物が重いから、ちゃんと行って頂戴」というのが精一杯。こんなドライバーにチップをやったこと(+ちゃんと「ふざけるな」といわなかったこと)を後々激しく後悔しました。あーあ。闘争モードじゃないとニューヨークではやっていけないのですね…。

あとニューヨークでちょっと高いレストランに行ったとき、teaを頼んだら、what kind of tea?と聞かれ、普通のregular teaといおうと思ったのですが、アメリカ人向けに「Lipton tea」といったら、あとでウエイターが戻ってきて、「リプトンはない」といわれて、びっくりした。えー、アメリカでは、紅茶のことリプトンって呼ぶんじゃなかったんですか? 「つまりは、black teaが欲しいという意味でいったので、それで結構」っていったんですが…。

アメリカ人って、紅茶、リプトンしか飲まないんですよ(きっぱり!)。ボストンに行ったときには、「ボストン茶会事件があったってことは、あの頃はまだ、ちゃんと紅茶を飲んでいたのだなー」としみじみと思うくらい、紅茶に頓着しない。アメリカについたばかりの頃、「近所のハーレムのスーパーマーケットに行ったら、品揃えが本当にひどく、紅茶もリプトンしか置いてない。トワイニングすらなくて、びっくりした。今のアパートは、住む場所としてはどうかと思う」といったら、アメリカ人が皆、微妙な顔をして、無口になったのですよ。あとですぐわかったのですが、彼らはリプトンしか飲まない。レストランに行っても、よく紅茶の変わりにLipton, Herbal tea,という風に書いてあったので、あー、バンドエイドとか、セロファンテープみたいに、紅茶のことをリプトンと呼ぶのねと合点して、アメリカ人に合わせてLiptonといったら、「そんなものは置いてない」と今回は小馬鹿にされたので、何重にも驚きました。これから、ちゃんと「普通の紅茶」と呼ぶことにします。リプトンティーにこだわりがあるわけじゃ、全然ないので…。

でも数人の日本人に「紅茶のことを彼らはリプトンって呼ぶよね?」って聞いたら、賛同してくれるひとがいなくて、ちょっと驚いた。呼ぶと思う人いない? わたしの妄想ですか? 「sodaを中西部はpop、南部は全部cokeというように、NY限定かもね」といわれたんですが、NY以外ではリプトン以外のお茶を飲んでいて、「リプトン=紅茶」だったりはしないんだろうか? 謎だわ。

それはさておき、今回「Feminine Mistake」という本を買って読んでいるのだけど、これがなかなか面白い。ベティフリーダンのFeminine Mistiqueにインスパイアされた著者が、女性と就労についてデータを上げつつ、同様にインタビューして書いているのだけれど、「子どもができて仕事を辞める人は、もともと仕事を辞めたがっていた人」とか、なかなか面白い。2002年以降、経済不況のため、アメリカでは女性が家庭に入る風潮があるらしいのだけど、アメリカの高い離婚率と突然死(死亡による保険補償が日本のようにないこともあると個人的には思う)のリスクを考えると、それはとても合理的な選択とはいい難いと著者はいいたいようだ。アメリカでそんなに家庭回帰の潮流があるというのは、知らなかったので、新鮮でした。日本では、今はむしろ逆のほうの動きだものね。読んでいても遅々とした歩みなので、誰か翻訳してくれると有り難いですが、いませんか? かなり売れた本のようです。

今日、知り合いの訃報を戴きました。ショックです…。ご冥福をお祈りいたします。

社会学理論の効用

2008-07-23 16:03:59 | よしなしごと
テストの採点がやっと終わりました。いろいろ苦し紛れの珍回答などあり、楽しませてもらったのもあり、よく勉強されているのもあり(そうでないのもあり…)。パソコンに入力して、プリントアウトして、何重にかチェックしなおしたら、やはり打ち込み間違いなどがないわけでもなかったです。最終的には、もう大丈夫と思えるところまでやりました。

今年は、社会学理論のような授業をもっておらず、久しぶりに家族社会学の授業をもったので、半年してみるとちょっと淋しいですね。前は基礎科目は、前期はジェンダー論基礎、後期は社会学理論基礎、だったのですが、ジェンダー論基礎はもちろん近代家族のありようをめぐる性別の社会的編制の話とは無縁ではなく、社会学理論は、やはり言語とジェンダーの社会的構成についての理論と無縁ではなく、さまざまなレベルで相互に関連していたのを、今回は家族社会学とジェンダー論として再構成しなおすことになったので、社会学理論部分が切り離されがちになるような感じです。家族社会学といっても、近代的家族の構成を学んだ後、1990年代以降の変化を論じたら、ほとんど「新自由主義とは何か」という格差社会論にならざるを得ず。後期のジェンダーは、(生殖)医療ほかを切り口に今年はやってみようかなぁと思っていますが、ひょっとしたら変わるかも。いずれにせよ、正面からジェンダーなどの概念や理論を教える、もしくは、フェミニズム思想史みたいなものにはならないと思います。それはそれで面白いんだけど、純粋に理論的に面白いと思えるのは、ある程度勉強した上級者のような気がするので。

それはさておき、社会学とは何か、みたいなことを喋ろうと思ったら、なんだか戸惑っている自分に気がついて、うーんという感じです。というのも、パーソンズなどに代表されるオーソドックスな社会学って、何かを分析するときに、ちょっとしたツールになるかもしれないけれど、正面切ってそれだけ話すにはどうも、かなりな何かが「足りない」ですよね。グランドセオリー自体がもう成立しなくなっているし。

90年代以来の日本社会の変容を分析しようとすれば、何らかの理論を使うというよりも、「新自由主義」や「グローバライゼーション」そのものが分析の対象となるわけで、「理論的」にというよりは、それがどのようなものか、統計等を使いながら、明らかにしていくような作業になってくる。結構、普通に「社会学」と聞いて思い浮かべるような、アメリカ的なスタイルになるわけですよ。

じゃあ、社会学って、何? 社会学理論で何がわかるの?といわれると、フーコーひとつとってみても、明らかにしようとしている敵は「近代」であって、そんなに簡単に脱近代は可能ではないし、されてもないのだけれど、でも10年前とは明らかに問題の射程が異なってしまった、としか思えない自分がいます。

社会学が何の役に立つのかって、各論ではいえても、総論ではなかなか難しいのではないか。うーん…。もう少し考えて見ます。


氷室冴子さん

2008-07-08 23:03:30 | よしなしごと
久しぶりに自分のブログに来たら、いつの間にか表示の形式が変わっていて、ログインするのに、しばらく悩んでしまった。がーん…。

今、あわあわしています。というのは、アマゾンのマーケットプレイスをぼーっと眺めていたら、いつの間にか、クリックしてしまったらしく、もっている本を注文してしまった。それだけじゃなくて、その本は、1000円程度の本なのに、なんと4000円以上の値段がついているのです。

わたしも中古で買ったけど、1000円程度だったし、何よりももっている本に余分に4000円も払うのは嫌だ…。と慌ててキャンセルしようとしたけれど、マーケットプレイス(中古)は、クリックと同時にカードから引き落とされてしまうらしい。あとは当事者同士でどうにかしてくださいよーとしか書いてないので、出品者さんが「そそっかしいひとだな~。お金を返してあげよう」と思ってくれるのを待つだけです。お願いします。出品者さん、メールをみたら、ちゃんと返してくださいね(と祈る)。

それはさておき。最近ショックだったのは、今更ですが、氷室冴子さんが亡くなったことです。デビュー作あたりから、リアルタイムで読んでいたので、まだお若いのにと、本当にショック…。とはいえ、最後のほうはずっと筆を取っていらっしゃらなかったのですけどね。なぜ書かれなくなったのかはしらないけど、ファンが「続きを楽しみにしています」といったら、「ごめんなさいね、もう書かないのよ」とすーっと涙を流されたという話をネット上で拾ったことがあったのですが(しかも、わたしの記憶にたよっているので、真偽のほどは、まったくわからないエピソードですが)、いろいろと書く気力をなくされてたのだろうなぁと思ってました。

ファンとしては残念だけど、無理をしてまで書く必要はないので、幸せにすごされていたのだったら、それでよかった。でもやっぱり残念だなー。とくにエッセイも好きだったので、エッセイなら年齢の応じた読み物をお書きになったんじゃないかと思うと淋しいです。わたしたちの世代にとっては、氷室さんって、やっぱり特別な意味をもつ作家さんなんじゃないかなぁと思います(もう少しあとに生まれていたら、かなり楽だったのではないかと。パイオニアって大変ですものね…)。

最近、構内を歩いていると、「せんせー、テストはどんなのでるんですか~?」とよく学生さんに聞かれるのですが、秘密ですv しいていえば、

授業でやったこと

がでます。当たり前ですね。ふふ。

家族

2008-04-28 18:03:06 | よしなしごと
先週の土曜日の家族問題研究会(という名前ですが、学会です)の霊界、じゃなかった例会は、毎年恒例の修士論文を書かれた方の発表でした。

司会をさせていただいたのですが、6人の方たち、どれも熱意のある発表で、とても充実していました。真正面から家族を取り上げるだけではなく、さまざまな事象を切り口として家族という存在に迫っていたのが印象的でした。

今年度は家族社会学の講義や演習をもっているので(あとは格差社会、オペラ、マンガ、ジェンダーなど)、家族社会学についてもう一度復習すると同時に、自分なりに新しいテーマを見つけたいなぁと思っています。最近は、授業をしていて「わたしの大学時代は、…でした」というと、「えっ(ちょっと前はそうだったの?)」から、「ふぅ~ん(大昔はそうだったんだ、爆笑)」という反応に変わってきているのをヒシヒシと感じます。…。思い起こせば、大学入学したときにはベルリンの壁はあったし、あれから倍近く生きてきてしまったんですもんね。冷戦以前と、それ以後のグローバライゼーション下での変化を、驚きをもって較べろというほうが無理なんですよね。

後期のマンガ、「ベルサイユのばら」とか取りあげたいんですが、取りあげてわかるのかしら~?と思うと少々不安になってきました。誓ってもいいですけど、読んだことのある学生さん、1ケタ台だろうな。少々淋しい…。近代家族のロマンティックラブイデオロギーとか、「遠い過去の奇妙な風習」なんでしょうかね?

ほんとうによしなしごと

2007-11-23 02:05:03 | よしなしごと
とうとうまたひとつ本棚を買ってしまった。が、床に置いてあった本を入れても、すべては入りきらなかった。…。もう本を所有することはやめたいと思いつつも、なかなか実現しない。かといって、デジタルで読んでみたこともあるけれど(マンガなど)、やっぱりパソコンの前に座って読む、というものでもない気がする。マテリアルのかたちを取らないと、落ち着かない。

とくにあっという間に絶版になってしまう消費財のような書籍は、手に取ったときに買っておかないと、もう二度と会えない。と思うので、本がたまっていくのですが…。困ったものだ。

それはさておき。最近自分が年を取ったなぁと思うことは、他のひとが、あのひとのああいう発言が許せないとか、こういう論の建てかたはどういうつもりだ、というような批判を聞いても、それが大筋ではなっとくできるけれど細部に不同意がある程度なら、批判する側の情熱がまぶしいなぁと思ってしまうことである。まぶしいというか、わたしにはとてもできないなぁというか。

わたしももちろん、自分の考えをたえず押さえつけてくるある種の枠組みを批判することはあるけれど(それはそれで大切)、でも細かな点については、まぁいいじゃないの、そのひとがそういうことをいうのは、無理解だったり、関心がなかったり、誤解してたりするんじゃないの、で、全体や文脈を無視してそのことだけを取りあげて批判し続けることがそんなに重要だろうかと、相手がよほどの影響力のあるひとではないかぎり、そう思う。

というより、同じ次元で細かく批判するよりも、なんというか、論文を読んだひとが、深く頷いてくれるような大きな枠組みで違う物語を描きたいと思う。人生はとても短いので、自分のできることにも限りがある。そんななかで、瑣末なことに振り回されるのではなく、新しく美しい分析的なテクストを書くべきではないかと個人的には思うのである。


久しぶりにフィギュアについて

2007-07-22 22:36:03 | よしなしごと
まだ冬が近づいてきていないというのもあるが、最近フィギュア(スケート)熱があまり盛りあがってきてはいない。というのも、高橋大輔、世界選手権で、銀をとりましたねぇ。ちょっとびっくりしました。

高橋君はどちらかというと、というよりかなり、プレッシャーに弱いタイプだったので、メダルを狙える位置にSPでつけて、地元開催、ときたら、今までだったらもう駄目だろうと「怖くて見れないわ」という気持ちになり、TVでも観なかったんですが、LPでは見事1位で、総合で2位に輝きました。演技そのものの質ならNHK杯のほうがよっぽどすごかったんですが、なんというか、やっぱりドラマを感じて、陳腐な言い方ですが感動してしまいました。

もうわたしの応援は必要ないのね(…初めからない)という気持ちになり、高橋君の卒業を見送ったような感じ…。しかしニコライ・モロゾフ、振付師としては、選手にあった実に点の取れるプログラムを作り、コーチとしては精神面で弱いひとを応援するのがうまいひとですねぇ。荒川静香にはコリオグラファーとして貢献したかもしれませんが、そういう意味では、高橋大輔や安藤美姫にあったコーチなんだろうなぁと思います。

安藤美姫は、やっぱりジャンプが上手い選手で、細かな情感を表現するタイプの選手ではない、と思います。なのでその前のオリンピックのシーズン、マイファニーヴァレンタインを選んだのは、「表現力をつけたほうがいい」といわれたからで、実際に滑り込めば味のある、わたしは好きなプログラムなんですが、先シーズンの腕をブンブン振り回すような、悪く言えば粗雑さが目立たない、よく言えば元気なプログラムのほうが彼女の魅力を最大限に引き出していたと思います。

で、わたしが今注目しているのは、浅田真央。このひとには、求道者のような趣がありますね。もう既に点数を取るよりも、何というかひとりで淡々とフィギュアの世界の天井に挑戦していっているような印象を与えます。先シーズンでは、ステップからのトリプルアクセルに挑戦していましたね。女子でトリプルアクセルを跳べる選手なんて何人もいないのに、なぜ成功するとは限らないステップを入れるのでしょう? プログラムも派手さはないのに、実に難解なものを選んでいる。安藤美姫が実力以上の点数をとるためのプログラムを組んでいるとしたら、実力からすれば損をしかねないプログラムを組んでいる。

別に手堅く優勝したいわけではない、圧倒的に技術を磨いて実力をつけて自分に勝ちたいのだ、という印象を与える浅田真央に、驚きました。正直にいえば、圧倒的に浅田真央のほうが上手いと思わされたのに、僅差で敗れた先シーズンは、気の毒でした。今シーズンはどうなっているのかなぁ、年齢以上の期待をかけられても、淡々と受けこなしている浅田真央が楽しみです。

恩田美栄が引退して、個人的にはとても淋しいです。引退前に、最後の一花を咲かして欲しかったと思いますが、お疲れさまでした。新旧交代を大きく印象づけた先シーズンでした。今シーズンはどうなるのでしょうか?(しかし日本の選手の話ばかりで終わるっていうのも、本当に日本のフィギュアの層が厚いってことですね)。

恐るべしアマゾン!!

2007-06-29 01:10:42 | よしなしごと
最近はアマゾン依存率がどんどん高まっていて、結構まずいです。アマゾン型の商売ってあまりにうまくできている。カスタマーに無料でレビューを書いてもらって蓄積し、しかも、個人情報も集積し、いいのか、いいのか、と思いつつも、わたしの好みをばっちり把握されているだけあって、「あなたはこれが好きなんじゃありませんか?」「お客様のために取り置きして置いたんですよ」「新しい商品が入荷しましたぜ」「この間、この商品をお迷いでしたね。今回こそいかがですか?」「他のかたにも、こんなにご満足戴いているんですよ」と、どんどん誘いかけてくるアマゾンの罠にはまっています。

しかも。なっちゃったんですよねぇ。プライム会員に。

これは3900円の年会費で、お急ぎ便使い放題、送料はつねに無料というサービス。何が恐ろしいかって、ワンクリックで買ってしまうので、レジで「あら、買いすぎちゃった。少し返品しようかしら」という後悔をすることなく、どんどんどんどん注文してしまうという、恐ろしいライブ感が味わえることです。・・・。

これによって1500円しない新書やマンガや雑誌が実に買いやすくなってしまいました。雑誌はもって帰るのが重いし、マンガ(っていうか、最近のはコミックっていうよね? マンガっていうと何か、年代を感じてしまって悲しいわ)はシュリンクが掛かっているのだから店頭で買ったってどうせ一緒。なんだか歯止めが掛からない感じ。

しかもミネラルウォーターから家電まで、何でもアマゾンで揃うんですよね。恐ろしいことだ。リアルにショッピングをする以上にショッピングをしているような感覚(とはいえ、店員さんにああでもない、こうでもないと聞くのは好きなんですけどね。家電などは)。

しかしもともと本など儲かる商売ではないのに、400円の雑誌を配達していて、利益は出るのだろうかと不思議に思ってしまう。人件費や店舗の費用を大幅に削減し、たとえその商品で利益が出なくても、他の商品で元を取れば大丈夫ということなんでしょうか? アマゾンは、実によくできたシステムで、他のネット書店に追随を許さない。そしてわかっていながらも、犠牲になっている自分に、なんかなぁと思うのです・・・。

でも専門書だけは、やっぱり店頭で見て買うことに勝るものはないと思ってしまいます(それなのに、店頭でチェックして、アマゾンで買ったりするのだから、なんだか本屋さんに申し訳ない・・・)。

日本女性学会

2007-06-08 02:20:08 | よしなしごと
あまりに長い間、更新してなかったことを思い出して、ブログを訪れてみると、いつの間にか、編集の画面のスタイルが変わっていました。本当にご無沙汰だったんだなぁと実感しました。…どうでもいいことですが。

今週末は日本女性学会の大会です。
法政大学の市ヶ谷キャンパスですので、行きやすいと思います。
もし興味のある方は、お越しください。

シンポジウムのテーマは、「バックラッシュをクィアする-性別二分法批判の視点から」です。ジェンダーとセクシュアリティを絡ませたテーマは女性学会ではあまりなかったと思いますので、期待しています。
発題者はクレア・マリィさん、風間孝さん、井上輝子さん、コメンテーターは、田中玲さん、金井淑子さん、コーディネーターは風間孝さんです。



昭和は遠くなりにけり

2007-04-04 21:44:06 | よしなしごと
お久しぶりです。年度末のパンチが結構効いてました。疲れた…。

先年度の試験は、採点は本当に楽でした。できているひとと、できていないひととが、はっきりと分かれていたからです(専門のほうは、出席していないと書けない問題だったというのもありますが)。

いつもとは違うタイプの問題にしたのもありますが、興味深かったこと。

1)板書しないと、理解しないひとがいるということが、よくわかりました。
最後の二回で授業のまとめを行って、それが試験の内容だったため、あまりにも楽すぎると思って板書をほとんどしませんでした。そうしたら、出席率は悪くなかったはずなんだけど、できているひとはほぼ完璧に解答ができていて、できてないひとは、本当にできてなかった…。先生の話を聴きながらノートを取る、って確かに大学ではじめて登場するスタイルなのかもしれなけれど、それ以降の人生に板書はないから、やっぱり少しは慣れておいて欲しいように思います。

2)昭和は遠いのだなぁということ。
わたしにとって1990年は学生時代真っ只中だったのだが、学生さんにとっては物心つく前のこと。なのだなぁと実感しました。フランス革命以前と取り違えている解答がなきにしもあらずで、話の種としては面白かったのですが…。わたしも親の世代が、かつて冷蔵庫に氷を入れていたとかいうと、へぇっと思いますが、そんな感じなんでしょうか?

3)格差社会?
大学で教え始めて8年、「上部構造=勝ち組・ブルジョワジー、下部構造=負け組・プロレタリアート」という解答をみたのは、初めてでした。が、しかし。あまりにも多かったので、授業中にひょっとして、わたしが教えてしまったのではないかと、不安になりました。世情でしょうか?