Tokyo日記

社会学者のよしなしごと

社会学理論の効用

2008-07-23 16:03:59 | よしなしごと
テストの採点がやっと終わりました。いろいろ苦し紛れの珍回答などあり、楽しませてもらったのもあり、よく勉強されているのもあり(そうでないのもあり…)。パソコンに入力して、プリントアウトして、何重にかチェックしなおしたら、やはり打ち込み間違いなどがないわけでもなかったです。最終的には、もう大丈夫と思えるところまでやりました。

今年は、社会学理論のような授業をもっておらず、久しぶりに家族社会学の授業をもったので、半年してみるとちょっと淋しいですね。前は基礎科目は、前期はジェンダー論基礎、後期は社会学理論基礎、だったのですが、ジェンダー論基礎はもちろん近代家族のありようをめぐる性別の社会的編制の話とは無縁ではなく、社会学理論は、やはり言語とジェンダーの社会的構成についての理論と無縁ではなく、さまざまなレベルで相互に関連していたのを、今回は家族社会学とジェンダー論として再構成しなおすことになったので、社会学理論部分が切り離されがちになるような感じです。家族社会学といっても、近代的家族の構成を学んだ後、1990年代以降の変化を論じたら、ほとんど「新自由主義とは何か」という格差社会論にならざるを得ず。後期のジェンダーは、(生殖)医療ほかを切り口に今年はやってみようかなぁと思っていますが、ひょっとしたら変わるかも。いずれにせよ、正面からジェンダーなどの概念や理論を教える、もしくは、フェミニズム思想史みたいなものにはならないと思います。それはそれで面白いんだけど、純粋に理論的に面白いと思えるのは、ある程度勉強した上級者のような気がするので。

それはさておき、社会学とは何か、みたいなことを喋ろうと思ったら、なんだか戸惑っている自分に気がついて、うーんという感じです。というのも、パーソンズなどに代表されるオーソドックスな社会学って、何かを分析するときに、ちょっとしたツールになるかもしれないけれど、正面切ってそれだけ話すにはどうも、かなりな何かが「足りない」ですよね。グランドセオリー自体がもう成立しなくなっているし。

90年代以来の日本社会の変容を分析しようとすれば、何らかの理論を使うというよりも、「新自由主義」や「グローバライゼーション」そのものが分析の対象となるわけで、「理論的」にというよりは、それがどのようなものか、統計等を使いながら、明らかにしていくような作業になってくる。結構、普通に「社会学」と聞いて思い浮かべるような、アメリカ的なスタイルになるわけですよ。

じゃあ、社会学って、何? 社会学理論で何がわかるの?といわれると、フーコーひとつとってみても、明らかにしようとしている敵は「近代」であって、そんなに簡単に脱近代は可能ではないし、されてもないのだけれど、でも10年前とは明らかに問題の射程が異なってしまった、としか思えない自分がいます。

社会学が何の役に立つのかって、各論ではいえても、総論ではなかなか難しいのではないか。うーん…。もう少し考えて見ます。


氷室冴子さん

2008-07-08 23:03:30 | よしなしごと
久しぶりに自分のブログに来たら、いつの間にか表示の形式が変わっていて、ログインするのに、しばらく悩んでしまった。がーん…。

今、あわあわしています。というのは、アマゾンのマーケットプレイスをぼーっと眺めていたら、いつの間にか、クリックしてしまったらしく、もっている本を注文してしまった。それだけじゃなくて、その本は、1000円程度の本なのに、なんと4000円以上の値段がついているのです。

わたしも中古で買ったけど、1000円程度だったし、何よりももっている本に余分に4000円も払うのは嫌だ…。と慌ててキャンセルしようとしたけれど、マーケットプレイス(中古)は、クリックと同時にカードから引き落とされてしまうらしい。あとは当事者同士でどうにかしてくださいよーとしか書いてないので、出品者さんが「そそっかしいひとだな~。お金を返してあげよう」と思ってくれるのを待つだけです。お願いします。出品者さん、メールをみたら、ちゃんと返してくださいね(と祈る)。

それはさておき。最近ショックだったのは、今更ですが、氷室冴子さんが亡くなったことです。デビュー作あたりから、リアルタイムで読んでいたので、まだお若いのにと、本当にショック…。とはいえ、最後のほうはずっと筆を取っていらっしゃらなかったのですけどね。なぜ書かれなくなったのかはしらないけど、ファンが「続きを楽しみにしています」といったら、「ごめんなさいね、もう書かないのよ」とすーっと涙を流されたという話をネット上で拾ったことがあったのですが(しかも、わたしの記憶にたよっているので、真偽のほどは、まったくわからないエピソードですが)、いろいろと書く気力をなくされてたのだろうなぁと思ってました。

ファンとしては残念だけど、無理をしてまで書く必要はないので、幸せにすごされていたのだったら、それでよかった。でもやっぱり残念だなー。とくにエッセイも好きだったので、エッセイなら年齢の応じた読み物をお書きになったんじゃないかと思うと淋しいです。わたしたちの世代にとっては、氷室さんって、やっぱり特別な意味をもつ作家さんなんじゃないかなぁと思います(もう少しあとに生まれていたら、かなり楽だったのではないかと。パイオニアって大変ですものね…)。

最近、構内を歩いていると、「せんせー、テストはどんなのでるんですか~?」とよく学生さんに聞かれるのですが、秘密ですv しいていえば、

授業でやったこと

がでます。当たり前ですね。ふふ。