って青山孝史さんはおっしゃっていたようです。
きのうテレビで久しぶりにフォーリーブスの方々をみました。
小さいころはよくわからなかったけれど、あのグループってわりと年齢差があったんですね。北公次さんは60歳って書いてありました。ジュリーとおんなじなんだ。
青山さんは去年の秋ごろから具合が悪くなりはじめ、楽屋で横になりながら自分のソロパートのところだけ歌ってらしたんだそうです。
楽屋では辛そうで話し声もボソボソって感じなのに、いったんステージに立つとピッとなっていた、と。
きっともう助からないという覚悟はしてらしたと思うの…。ただ一日でも長く…と思ってがんばってらっしゃったんだろうな…。
あまりにも悲しくてきのうはテレビ見ながら、朝から泣いてしまいました…。
彼とわたしはいっしょになったときに、ふたりで決めたんです。
もしもどちらかが余命何日という宣告を受けたらお互いに隠さずに教え合おう、そしてふたりでしっかり立ち向かって行こうと。
だいたいわたしが、彼の 命があと○日、とお医者さまから告げられたら、顔見たとたん、泣いて泣いてしまってとても隠しておく自信がないのです。
敏感な彼のことだもん、わたしの様子がおかしいことに気づいてしまうでしょうし…。
でも実際にそうなったらどうなるかわかりません。
現にパパのときには、ついに告げられませんでした。
パパはママほどではないとは言え、やはり突然亡くなりました。
亡くなる前日、ママとわたしは主治医の先生に呼ばれ、次に呼吸困難になったときは覚悟してください…と言われました。
菌の繁殖が速くて薬が追いつかない、まだ若いし丈夫だからよけいに進行が速い…って。
ママとわたしは泣き崩れました。まさかこんなことになるとは思わなかったから。わたしが大学生のころ8時間にも渡る胆のうの手術にも耐えたパパが、たった4日の入院で病原菌に負けてしまうなんて…。
パパは彼と同じように敏感な人でした。おかしな顔をしてたら、きっと追及してくるだろう…と思い、わたしはママを連れて病室に戻りました。
案の定パパは「先生なんだって?」と聞いてきました。わたしはとっさに
「今のお薬よりちょっと強いお薬に変えるんだって」と答えてました。
我ながらそんな嘘がすらすら出てくることにびっくりしました。ママは後々、この時のことを「あなたがいてくれて助かったわ。ママひとりならパパに気づかれたかもしれない」と言ってました。
それから14時間後にパパは亡くなりました。本人が最後まで気づかなかったかどうか、今となってはわかりません。ただ最後に呼吸困難になる直前まで、大好きだった中日ドラゴンズの日本シリーズの結果を気にしていました。
だから、わたし、彼がそうなったとき実際に告げる勇気があるかどうかも自信ないし、隠し通せるかどうかも自信がありません。
でも彼はちゃんと教えてほしいんだそうです。
「ゆかりんに遺すものを整理して、ゆかりんのことを周りの人に頼みに行かなきゃいけないから」と彼は言います。
わたしも自分がそうなったら教えてほしいです。彼についてってもらってお世話になった方々にお礼に行きたいし、身辺整理もしておきたいし…。
ってわけで今のところ彼とわたしは隠さずに告げ合おう、ということになっています。
ジュリーは還暦を迎えたときに「死ぬ準備をし始める」と言ってました。
用意周到なジュリーのことだから、そういう取り決めもしてらっしゃるのでしょうか?