浅野ゆうじの独り言

社会・政治に関連する本の感想や日々の出来事についての私なりの考え方を書いています。

「未来工業 山田相談役」の講演を聞いて

2010-08-21 09:11:56 | 日記・エッセイ・コラム

昨晩、未来工業の創業者である山田相談役のユニークな経営方針を初めて伺い、刺激を受けたと同時にいろんなことを考えさせられました。

独特の語り口、シニカルなまた傍観者的な表現、極端な例え、実績が伴う自信、脱線する話など、1時間では核心をつかむことのできない講演でしたが、それでも普通の会社では考えられない経営方針に驚くばかりでした。

「徹底した差別化、つまり人のすることの逆をやれ」、「常に考えて仕事をする」、「思い込みが行動を阻害する」といった経営理念が、徹底的に浸透している会社であることは確かです。そして人の心理や行動に信頼を置いた「人は働くために」という信念で経営が貫かれているということが核心だったのではないかと思います。小手先の経営手法ではなく、理念、思想として経営をとらえていることに驚かされました。

講演を聞いていて、スウェーデンの社会保障政を思い出していました。よく社会保障政策のシステムとしてスウェーデンが取り上げられていますが、大切なのはシステムそのものではなくそこに貫かれている理念なのです。つまり、「人間は働くことによって生きがいを求め、人としての尊厳を求めている」(うまく表現できませんが)という理念によって社会保障政策のシステムが成り立っているということではないでしょうか。そうでなければ社会全体が高い社会保障費を負担しようとするシステムになりえないのです。

話がそれてしまいました。

政策を考える上での原点を見たようなとてもうれしい講演でした。

以上


「先へ進む」政治

2010-08-20 08:14:11 | 国際・政治

一つの政策に賛否両論あろうとも、将来のために「先へ進む」という明確な政策が議論されない限り、また何かが変わるであろうと国民が期待する政策が打ち出されない限り、政治家の発言は政局的な権力発言に終始してしまいます。

「消費税」議論は、将来避けて通れないものでありながら、政局に影響するということだけで、棚上げされていることは明らかです。財政問題から、お金の流れが止まっていることは明らかであり、結果として消費税を上げざるを得ないことは、多くの人が認識しているのではないかと思います。

事業仕分けなどの無駄を省く政策は、財源不足だからという理由ではなく、当然あるべき姿にという政策的なものであり、増税議論と結び付けてはいけないのです。「無駄を省いたうえで増税を」という言葉は、実態を認識しない詭弁でしかありません。

「国民の期待にこたえる」と叫ぶ政治家に、私たちは何を期待するのでしょうか。

以上


地方議会の権限

2010-08-19 07:49:07 | 国際・政治

一部の皆さんが誤解しているであろう地方議会の役割及び地方議員の権限について、ひいては二元代表制が機能するための地方政治の在り方を述べてみたいと思います。

国会議員との違いは、法律を制定する権利は同様にあっても、予算編成権を持っていないという仕組みです。予算編成権は首長にあります。そのため条例の制定は、議会の決議で実行可能となりますが、ほとんどが予算を伴わないものに限られてしまいます。つまり、予算を伴う政策実行においては、議会のできる権限は限られてしまうということです。首長との対立において、よく議会は対案を出さないと言われますが、国会の政策対立は予算を伴う政策の議論に対し、地方議会は予算執行に対する拒否権しかないというのが地方自治法なのです。 対案を出さないのではなく、その機能がもともと付与されていないのです。

予算執行権を持つ首長の権限にブレーキをかけることができるのは議会しかないということです。アクセルが首長とすれば、議会はブレーキの役目をする、それが二元代表制の機能といえます。アクセルだけでは暴走し、ブレーキだけでは動きません。両方踏んでも動かないでしょう。運転する人は一人ではなく、何千何万という市民の皆さんの多様な民意です。

こうしたことが、議員や議会の権限のすべてではありませんが、ぜひ理解していただきたいと思います。リコールや住民投票の話題が昇る昨今、こうした基本を理解していただくことも、判断の基準になっていただければと書きました。当たり前のことだだと言われるかもしれませんが。

以上


民主主義のコスト

2010-08-18 16:33:14 | 国際・政治

議員定数や議員報酬の削減が問われるとき、民主主義制度を前提とした議会制度のコストはどのように考えればいいのでしょうか。

政治は市民が主役であることは間違いないとしても、多様な意見を集約する過程で、選挙による議会制度の維持が、民主主義制度の要であるとすれば、単に定数や報酬の削減を議論することには問題があります。

しかも、その削減が、首長と議会の対立構図の中で、攻撃の手段としてつかわれてしまうことに、この議論の不幸があります。感情や感覚で判断されてしまうことを危惧します。

オール与党的な議会が、財政破たんを招いたり、権力構図を助長したりする例は、数多く見受けられます。また、リーダーが常に正しい判断ができるという保証はどこにもありません。議会本来の役割を議員が理解しまた活動するという原点に戻ることによって、議会改革が進み、議会が民主主義のコストとして認知されるようになるのでしょう。

以上


引き続き「日曜討論」

2010-08-17 08:23:37 | 日記・エッセイ・コラム

一昨日の日曜討論に寄せられたブログやツイットを見ますと、いろいろ考えさせられます。こうしたインターネットでは深い議論はできないのではないかという感想は別として、一定の方向性のようなものが感じられることに興味を覚えました。

やはり、若い世代に、かなり根深い制度不信のようなものがあることに気づかされると同時に、政治的関心に向かっていない現状を如実に表しているのではないかということです。批評家と同様に、問題を指摘し、批評する自分を持ってはいても、解決すべき方法についてはなかなか答えが出せないという深まりが感じられないのです。私自身も結論が出せないまま、語っているという反省は当然しなければなりませんが。

結論はこうしたムーブメントをどうして政治に結び付けていくことかになるのかもしれません。地方の政治家として反省はいっぱいあります。地道に活動を続けるしかないのでしょう。

以上