Yumi @ Sudan

北アフリカの国、スーダンでの生活日記

人の国で暮すということ

2005-06-19 | Weblog
外国人がどんどんどんどん増えて、道路が大きくなって、空港も綺麗になった。空港ではVIPルームを新しく作っている。上空を飛ぶ飛行機の数が増えて、高級な車の数も増えている。

外国人の私がこんな事を言うのは、何だかおかしいけれど、外国人はスーダンに土足で入ってきているような気がしてならない。ハルツームの文化が急速に変わっていくのがよく分かる。

たとえば・・・・・・・・・、
先日、外国人の人たちと夕食をしている際に、スーダン人は図々しいっていう話になった。お金も物ももらって、あたりまえだと思っている。ちゃっかりしてるって。
彼らの言っているスーダン人は、外国の組織や、会社で働く一部のスーダン人のことです。

その話を聞いて、私は、スーダン人を、そういう風に変えてしまったのは、われわれなんじゃないかなあと思った。
外国人と接する場所に居るスーダン人は、圧倒的な経済力の違いを知ってしまうんだもん。
オフィスでは当たり前のようにクーラーがついていて、みんなミネラルウォーターを飲んでいて、綺麗な服を着て、いい車に乗っている人もいれば、見たこともないようなビデオカメラを持っていたり、ipodで音楽を聴いていたり。
そんなの見てたら、少しくらい、もらって当たり前だって思っちゃうのかもしれない。

私の住んでいる花町の人たちは、もっとずっときちんとしている。花町の人たちと一緒にいると、スーダンの文化って古い時代の日本に似てるなって、たびたび思います。
私は、ここでお金を貸してなんていわれたことはないし、日本のお土産をあげても、ちゃんとお返しをしてくれる。写真一枚を上げただけでも、ありがとうっていう気持ちをちゃんと表現してくれる。遊びに行くと、「よく来た!」って喜んでくれて、自分の子供たちには飲ませないのに、私にはペプシを買ってきてくれたりする。私がケーキを焼いて持っていけば、夕飯のおかずを持たせてくれる。

スーダンという多くの問題を抱えている国を助けるために、たくさんの外国人がここへ入ってくる。それは素晴らしい事なのかもしれない。私も、ありがとうって思う。花町の人たちもそう思ってくれている。だけど、威張っていいわけじゃない。私たち外国人は、一時的にこの国に住まわせてもらってるのだから。

「おじゃまします」っていう言葉って、英語にないなあって最近考えました。
「いただきます」って言う言葉もないなあ。

変えてはいけない物、変わって欲しくないもの。この国にはそういう大切なものたたくさんある。私はそんな国に住むことが出来て、幸せだなあって思う。
祈るような気持ちで、今日も私はスーダンの人たちと一緒にいる。

コメント (4)
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