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ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

■ あけましておめでとうございます!!

2010-01-03 15:13:59 | Weblog

 皆さま、あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 昨年は、何といっても政権交代がもっとも大きな出来事でした。劇的な変化は社会的に大
きな混乱を招くので、焦らず着実に対応することが重要だと思います。小さな事をコツコツ
と行うことが最終的に大きな成功に繋がると信じています。

 個人的には、ゆとりのない一年でした。ゆっくりと自分を見つめ直す時間がなく、いつも
何かに追いかけられている状況でした。今年は、自分を取り戻す年にしたいと思っています。

 そのためには、何がいまの自分にとって重要であるかを判断し、その結果に基づいて自分
に甘えず行動することが大切なことだと自分に言い聞かせています。

 一方で、そろそろ定年退職を迎えますので、その後の人生設計をこの一年で決め、残りの
人生を有意義なものにするようにしたいとも考えています。特に残りの人生は、自分だけで
なく今までにお世話になった世の中に何らかの恩返しをしたいとの気持ちを持っています。

 具体的には、いままでに身に付けたサービスマネジメントのノウハウを専門学校の学生に
知らせることにより、即戦力として使える人材を育成し、彼らを通じて間接的にでも世の中
に貢献できればこの上ない喜びです。専門学校の非常勤講師を次の職として進めて行こうと
計画し出しました。講師として呼んでいただける学校がありましたら是非とも連絡をお願い
いたします。

 人間は生まれるときはひとりですし、また死ぬ時も一人です。何事も最後は全て自分には
ね返ってきます。仏教で言われている因果応報です。自分に対して一生懸命生きている姿勢
を貫いていれば、自ずと自らの道は開かれてくると確信しています。

 しかし、忘れてはいけないものに、他力があります。自分の陰には、常に多くの人の力が
働いていることを認識しなければなりません。常に他人の力に感謝することが大切です。人
間は身勝手な動物であるので、今の自分があるのは自分の力だけでここまで来たとと勘違い
しやすいものです。

 自分をしっかりもつことは確かに必要ですが、陰で支えてくれている他人の存在を自分以
上に十分に感じることが大切です。そのためにも自利でなく利他の考えを持ちながら毎日の
生活を送ることが重要であると思っています。

 今年も、私生活の面では相変わらずモーツァルトと仏教に時間を費やしたいと考えていま
す。昨年から時間を見つけては同行二人の心で、秩父34所観音巡礼を旅しながら素朴な観
音像を拝顔し、己の生き方を反省し少しでも自分の仏性を生かすように祈っています。

 桜が咲く頃までには、34所を回り終え、その後は、坂東33所や武蔵野33所観音巡礼
の旅に出たいと思っています。

 全てのものに仏性があり、これらに対する感謝の気持ちと、人との縁を大切にしながら生
きて行きたいと新しい年を迎え想った次第です。
                                  合掌 

■ 年越しクラッシック♪♪

2010-01-03 15:04:20 | Weblog
 大晦日は紅白歌合戦を見ながら新しい年を迎えるのが一般的な家庭の過ごし方のようです
が、我が家は裏番組の「年越しクラッシック」を見ながら新しい年を迎えました。内容は、
2009年に開催された主なクラシックコンサートのハイライト版で、数時間で一年の音楽
界の様子を振り返る番組でした。

 最初が、クルト・マズア指揮、NHK交響楽団によるベートーベン「交響曲第9番”合唱
つき”」でした。マズアの指揮からふっくらとした音やゆったりとした感じの音がちりばめ
られた優しさを感じる第9でした。最近生演奏で聴く機会がないので、今年の暮はコンサー
ト会場に足を運びたいと思いました。

 マズアは指揮棒を使用せず、どちらかというと右手はリズム、左手は感情を指示する方法
で指揮をしていました。ソリストは、ソプラノ:安藤赴美子、アルト:手嶋眞佐子、テノー
ル:福井敬、バリトン:福島明也、合唱:国立音楽大学と東京少年少女合唱隊で、合唱はさ
わやかで充実した演奏でした。

 その他は、ハイライト版であったので音楽の内容を十分に堪能することが出来ず、聴く側
からすると中途半端なものでしたが、一年間の流れをつかむ上ではよかったのではないかと
思いました。小澤征爾、ランラン、東京カルテット、辻井伸行、バレンボイム・・・

 23時を過ぎたころには、年越しそばをすすりながら音楽を楽しみました。最後はリッカ
ルド・シャイー指揮、ライプチヒ・ゲバントハウス管弦楽団によるマーラー交響曲1番「巨
人」から第4楽章が放送されました。

 フィナーレで、ホルンを中心としたオーケストラが爆発する個所に到達しますが、その際
にはホルン奏者全員が立ちながら演奏し、熱狂のうちに全曲が締めくくられる構成となって
います。新たな2010年を迎えるのに適した曲でした。 シャイーも良い演奏をするなと
正直思いました。

 今年も個人的にはモーツァルトが中心ですが、自分にあった音楽を聴きながら奥が深いク
ラッシックを楽しみたいと考えています。

■ 第1661回NHK交響楽団定期演奏会を聴いて(Aプロ初日)♪♪

2009-12-06 10:24:00 | Weblog
 
 雨が降りしきる土曜日の夕方、N響の定期演奏会を聴きにいってきました。今月は、N響
名誉音楽監督であるシャルル・デュトワですから、年間の定期演奏会の中でも特に期待が高
まる演奏会になりました。

 思い起こせば、デュトワは1996年にN響の常任指揮者となり、その後1998年から
2003年まで音楽監督を務めたマエストロです。個人的には、30年近くN響の定期会員
として演奏を聴いてきましたが、デュトワの時代のN響が最もチャレンジブルな姿勢で音楽
に向き合っていたような気がします。

 日本のオーケストラが苦手とするフランス音楽を、デュトワが指揮するといとも簡単にN
響がフランスのオーケストラの音に変わってしまうようで、当時客席から聴いていたものに
とっては、偉大な指揮者だと思っています。

 デュトワが去った後のN響は、それなりにレベルを維持していますが、昔のような緊張感
をともなったスリリングな演奏の機会が少なくなったのは事実と思います。このような背景
から、年に1回のデュトワの登場には、自ずと期待が高まるのは無理のないことなのです。

 今回の演奏曲目は、デュトワらしい配置になっていました。前半がストラヴィンスキーの
アゴンとショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番ヘ長調作品102、後半は、R. シュト
ラウスの交響詩「ドン・キホーテ」作品35でした。

 前半の2曲は、いままで聴いたことがない曲であったので、どのような内容なのか、また
デュトワがどのように演奏するのか興味津々でした。

 ストラヴィンスキーのアゴンですが、ニューヨーク・シティ・バレエからストラヴィンス
キーに委嘱されたもので、内容はバレエ公演向けのようです。内容は、確かに近代音楽の要
素が強い内容であり、普通であれば聴くことを拒絶するのがこれまでの自分の行動様式でし
たが、ストラヴィンスキーの音楽はリズムや音色の楽しさが強く伝わってくるので、知らず
知らずのうちに真剣に聴き入っている自分がありました。背景には、これらの面白さをデュ
トワが確実に引き出していることが挙げられます。とても楽しく聴くことが出来ました。

 2曲目は、ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番ヘ長調で、独奏はロシア出身で今は
米国の市民権を得て活躍中のキリル・ゲルシュタインです。ピアノ協奏曲はモーツァルトが
最高と個人的に認識しているので、いまさらショスタコーヴィチのピアノ協奏曲を聴くのは
如何なものかと考えていましたが、初めて聴いた瞬間からこの曲の不思議な魅力に取りつか
れました。

 力強いリズムや楽想の変化に特徴がありましたが、特に第二楽章のゆったりとした流れの
中でピアノが奏でる、優しさと憂いや心の素直さがきらきらと光っているような内容で、感
動しました。

 ショスタコーヴィチの曲であるからと、聴く前から構えて聴いていましたが、この第二楽
章が始まってからは、雲のうえで寝そべって聴いているよな錯覚を覚えました。

 特にピアニストのゲルシュタインが奏でるピアノの音はまろやかでふっくらとした音色、
そして遠近感という表現が当たっているのかどうか分かりませんが、同じピアノから出てく
る音なのに、音の聞こえ方に遠近感がはっきりと感じられるのです。また、オーケストラの
方を見ながら会話しているかのようにピアノを弾く仕草には、驚きを感じました。

 後半は、R. シュトラウスの交響詩「ドン・キホーテ」で、チェロはゴーティエ・カプソ
ン、ヴィオラはN響ソロ主席の店村眞積でした。シュトラウス独特の変奏展開で弦楽器と管
楽器、さらに独奏のチェロ、ビオラ、ヴァイオリンの名手がスリリングに会話する内容で、
聴いている方は楽しく聴かせてもらったという感じです。

 今回の演奏を聴きながら、流石デュトワは素晴らしいなぁと再確認した演奏会でした。コ
ンサートが始まる時は強い雨が降っていましたが、NHKホールを後にするときには、雨が
あがっており聴き終えた充実感と同じように外の天気は晴れ晴れとしていました。

■ 民主党による「事業仕分け」を通じて感じたこと!!

2009-12-05 13:49:53 | Weblog

 民主党が取り組んできた予算削減の目玉である「事業仕分け」ですが、ニュースや新聞で
見る限りでは、あまりにも短い時間内での対応であり、その大まかな方向性を決めるのは如
何なものかと感じています。

 確かに無駄な予算を削ることに対して全く異論はありませんが、査定する側とされる側の
やり取りを見ていると、始めから無駄だとの観点からスタートしているので、終わった後に
すっきりとしたものが残らないものになっていると思われます。

 また、査定する側にはそれなりの識者がいらしたようですが、本当に適任の人物であった
のかが問われていないと思います。個人的に興味を持ってる分野である科学技術分野の予算
に関しては、見直しや廃止の方針が出されました。これらに対してものを申す科学者達が、
後日コメントを発表したり民主党に申し入れを行っています。

 特に科学技術の分野は、その研究自体の価値判断や成果に関して正しく判断することが難
しい領域が多くあります。言葉を換えて言えば、リスク要因を含んだものになっています。
さらにこれらに関しては、研究に従事している者の中でもそれぞれ意見が分かれることが多
いのです。

 ここでリスクがあるから廃止するという単純な判断は非常に危険な考えで、科学技術は過
去から失敗の連続の上に新たなものが発見されたり、偶然の中に優れたものが成果として現
われるものだということを、査定する側は勉強すべきです。

 確かにある分野に精通している議員がいますが、それでも勉強が足りない部分が多くある
のが実態です。世の中は、表面に見えることからその原因を推測しても、根本的な原因にた
どり着けない仕組みになっているのが多くあるのが現実という人間社会です。

 これらのこと無しに、単に成果が見られないというような単純一律の考え方で対応される
ならば、日本の国の科学技術は駄目になってしまいます。さらに、文部科学省の役人には、
もっと熱い心を持った上で、貴重な税金を使って科学技術に取り組む姿勢をもって欲しいと
感じています。

 最近の流行り言葉に 可視化や見える化がありますが、ある現象を見えるようにする仕組
みを作ったとしても、その見えるようになったものが、本当にその実態を表すものになって
いなければ無意味であり、反対に弊害を引き起こすことにつながります。

 民主党に対する注文としては、科学技術に関する国の方針が明らかにされれいない状況と、
マニフェストに掲げた政策を実行するための予算を確保するために、単に他の予算を削減す
るとしか思われないような感じも受けているので、改善をお願いしたいと感じています。

 民主党に投票したもの全てが、マニフェストに掲げられた全ての項目に賛成している訳で
はないことをもっと知るべきだと思います。多くの考えを持った集団である民主党の体質が
反映されていることと、現実の世の中の流れをきちんと把握していないことから、不整合が
生じるマニフェストになるのだと思います。

 政治家の基本的な考えは、国民のために命を落とす覚悟がない者は、国会議員になっては
ならないのです。売名行為としか思えない政治家も民主党の中にいることを考えると、前政
権の自民党となんら変わらない体質だと思われても致し方ないことだと思われます。

 ただ今回の事業仕分けの意義は、「すべてが公開される」という一点にあるのは間違いな
いことだと思います。

■ 家メシ・家飲み回数が増加(いい夫婦の日11月22日)!!

2009-11-23 21:14:57 | Weblog
 先日、明治安田生命が発表した「いい夫婦の日」に関するアンケート調査の結果をみて、
いろいろなことを考えるきっかけとなりました。

 アンケート結果を見ると、家メシ・家飲み回数が増加したとのことです。具体的には、
「自宅での夕食や晩酌の日数」は「週平均5.65日」、また、「夫婦もしくは家族と一緒
に夕食・晩酌をする日数」は、「週平均4.31日」という結果に正直いって驚きました。

 週7日ですから、1週間の内で外で夕食を食べたり飲んだりする日が2日弱ということで
す。さらに夫婦もしくは家族で夕食を食べるのが4日強ですから、土日を除くと週に2日強
であることが分かります。昔のエコノミックアニマルの時代は疾うの昔で、いまや欧米並み
に家族中心の世の中に変わっていく感じを受けました。

 日本の一般的な傾向としては、飲むのは圧倒的に職場や友人と外で飲む回数がほとんどで、
家族団欒で飲むようなことはなかったようですが、今回の調査で家族との回数が増加してい
ることは、日本の将来を考える上で、良いことだと思われます。家族は最後まで親身になっ
て考えてくれますが、職場や友人は最後はどうなるか分からないからです。

 最近思うのは、会社関係の人と過ごす時間と家族と一緒に過ごす時間を比べた時に、圧倒
的に会社関係が多いことが分かります。個人の人生を考える際に、家族や夫婦の絆をもう一
度真剣に考える必要があると思うようになりました。

 また、調査では、「夫婦一緒に夕食・晩酌する日数」が多い人ほど、「愛情を感じている」
割合が高まっていることも明らかとなったとのことなので、リーマンショックは経済面で大
きな影響を与えましたが、ひょっとすると家族や夫婦の間の関係や絆を強くするという、良
い面に貢献しているとも言えそうです。

 ただし、平日の会話時間が「30分以下」の夫婦は、3人に1人(30.2%)となり、
昨年の25.4%よりも増加しているようです。もっと言うと「会話レス夫婦」の割合が高
まっており、さらに結婚年数に比例し会話時間「30分以下」の割合が増える傾向にあり、
結婚年数「15~20年」に至っては、その45%の夫婦が「30分以内」ということで、
熟年離婚の予備軍が着実に拡大していると言えそうです。

 食事を一緒に食べる夫婦は、愛情を感じているにも係わらず会話時間が短いのは、困った
ものですね。因みに、会話時間が「30分以下」の夫婦は、何と約半数の49.2%も「離
婚を考えたことがある」となっています。「会話時間」と「愛情」は、密接な関係にあるの
です。世の中のこのデータに該当する亭主族の方は、本当に注意した方が良いと思います。

 このような結果を見て、個人的に考えてみると自宅で食事をするのは、土日を除き週に2
回程度なので4日強、また夫婦で食事するのは土日だけですので週2日、平日の会話時間は
30分以下です。

 この事実と今回のアンケート調査結果から判断すると我家は、「いい夫婦」とは言えない
ようです。ただし、土日や夏休み等においては、愚妻中心で対応しているので、それらの面
では平均以上となるかも知れません。

 今後、外で飲む回数を減らし、家飲み回数を増やして会話時間を増加し、夫婦円満になる
ように取り組もうと、単純に思いました。熟年離婚でもされたら、料理等が全くできない凡
夫なのでどのように生きていったらよいか想像がつきません。残り少なくなってきた人生を
歩む際に、やはり伴侶は必要だと素直に思うようになり、反省した次第です。

 「いい夫婦の日」に関するアンケート調査の結果は、凡夫にとって人生を歩む方向の軌道
修正を行うきっかけとなったことは確かです。興味のある方は、以下に示すURLにアクセ
スし、調査結果を参考にして下さい。皆さん、充実した人生を送りましょう。 合掌

http://www.meijiyasuda.co.jp/profile/release/2009/pdf/20091120.pdf

■ 第1659回NHK交響楽団定期演奏会を聴いて(Cプロ初日)♪♪

2009-11-22 18:40:00 | Weblog
 
 先週の金曜日の夜に、指揮者のネルロ・サンティを生で聴くチャンスがあと何回あるかど
うか分からないので、前週に引き続き渋谷のNHKホールへ出かけNHK交響楽団定期演奏
会を聴きました。

 演奏曲目は、前半がレスピーギの交響詩「ローマの噴水」と森の神々、後半はヴェルディの歌劇
「オテロ」から「柳の歌」「アヴェ・マリア」、ストラヴィンスキーのバレエ組曲
「火の鳥」(1919年版)でした。

 レスピーギという作曲家ですが、始めはヴァイオリンやヴィオラの演奏者として活動した
が、その後は作曲に転向した音楽家です。作品としては、「ローマ三部作」と呼ばれる一連
の交響詩「ローマの噴水」、「ローマの松」、「ローマの祭り」やリュートのための古風な
舞曲とアリアの組曲が有名です。

 今回は「ローマ三部作」の中から交響詩「ローマの噴水」が演奏されましたが、個人的に
波長が合わない作曲家です。このように好き嫌いがはっきりしてしまうと、音楽を聴く姿勢
にも影響がでてしまうのではないかと、個人的に心配してしまいますが、別に音楽評論で生
活して行く訳でもないので、気楽に感じた内容を述べています。

 「ローマの噴水」ですが、繊細なタッチで噴水を中心とした心理的な風景描写を音で表現
したものだと思いますが、凡人にはこれらの音からレスピーギが思い描いた情景が浮かんで
こないのです。自分の想像性のなさを嘆きたくなるような感じで聴きました。

 もっとも理解に苦しんだのは、2曲目の森の神々です。どちらかというとフランス音楽の
かったるさが出ているような楽想で、ソプラノのアドリアーナ・マルフィージがいくら名歌
手と言われても、聴く側からしたらこの音楽は正直言ってどのように聴いたらよいか分から
ないものでした。

 前半の演奏を聴き、失望感で一杯となったので後半はどのようになるのか心配でしたが、
後半の1曲目であるヴェルディの 歌劇「オテロ」から「柳の歌」「アヴェ・マリア」は、
素晴らしい内容でした。

 特に「アヴェ・マリア」は、最高の出来栄えで、前半のレスピーギを歌った同じプラノ歌
手とは思えないほど、声と言い表現する内容の技術面と心理面が見事に融合して、素晴らし
い演奏でした。

 聴きながら自分も同化してしまうような名演奏だったと思います。声の柔らかさと安定し
た音程、さらに心に響く歌い方は流石名歌手だと思わせるものが多くありました。

 後半の最後の曲はストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」(1919年版)でしたが、
これもしっかりとした演奏構成で組み立てられており、N響の演奏能力の高さを示した内容
でした。個人的には、指揮者のネルロ・サンティがストラヴィンスキーの作品に挑戦するな
ど、考えても見なかったことなので、意外性を持ちながら聴いた次第です。

 前月のアンドレ・プレヴィンや今回のネルロ・サンティのように、かなりの高齢なった指
揮者の演奏会は、次の機会を期待できないような感じを受けるので、今回のように2週連続
でN響を聴きに行くことになるのです。今後とも良い演奏を聴かせて欲しいものです。

■ お互いを理解するために!!

2009-11-22 13:25:45 | Weblog

 育った環境が異なれば、それだけ相手の状況を理解するのに苦労するのは当然のことだと
思いますが、自分がこれだけ相手に対して良くしているのに、理解してくれないのは何故だ
ろうと感じることがあるのは、誰もが経験していることと思います。

 そのようなときにどうしたら良いのでしょうか?簡単なのは、相手が理解してくれないの
は相手に問題があるのだから、今後は当たり障りなく適当に対応するという逃げの姿勢に入
ることです。

 一見、正しいようで納得ができるものですが、本当にそうなのかどうか迷いが生じます。
自分の事は自分が一番良く知っていると思いがちですが、自分が置かれている状況を理解し
ていないことがよくありますし、相手も同じ状況だと思います。

 であるならば、お互いに歩み寄ることが最も大切なことなのですが、残念ながら人間は自
分を正当化する方法をいろいろと考えます。所謂、保身という自分中心の世界感の考え方で
す。自分を可愛がることが出来ないものは、他人を想いやることが出来ないのも正しいこと
だと思いますが保身はいけません。

 しかし、自分を守ったところで、本来の進むべき道が開かれるわけではありませんし、こ
の世の中で、自分ひとりで物事を進めることはできないからです。たとえノーベル賞をとる
ような素晴らしい能力を持っていたとしても、一人では生きられないのです。

 ではどうしたら良いかというと、自分の周りの人との関係を円滑にする最低限の術を身に
つける必要があります。それには自分にとって苦手な相手であったとしても、最低限の対応
をすべきなのです。具体的には、まず相手を褒めることだと思います。

 決して八方美人になれとは言っていません。どんな人でも必ず良いところがあるのですが、
人間は哀しいかな相手の欠点や厭なところに目が行ってしまうのが普通です。

 そして、そこで感じたことでその人の全てを判断してしまうのです。その基準を変えない
限り、その人との関係をより良くすることが出来ません。相手に対してそのような行動に出
れば、反対に相手も自分に対して同様の対応をして来るのです。

 こちらが好意的な対応をすれば、自ずと相手も同じ対応に出てきます。仮に相手が好意的
に出てこなくても、こちらは常に好意的な姿勢を出し続ける必要があります。こちら側から
の好意的な対応が無くなった段階で、相手との関係は単純に終わってしまい、元の状態に戻
ってしまうという最悪の状態は避けるべきです。

 人間は、他力によって生きているという考え方に共感し、それに基づいて行動することが
出来れば、自分以上に他人に対する接し方が自ずと変わるので、必然的に相手の対応も変わ
るはずです。

 さらに、相手が直ぐに変わらなくても変わるまで待つという忍耐力が特に必要となります。
自分のためでなく、他人のために自分を捧げるといった利他的な考え方をする人が多くなれ
ば、この世の中はオセロゲームのように、ある時一挙に変化する大きな現象が起こると思っ
ています。

 その日が来るまで、ひたすら自利でなく利他のために自分を生かすことが重要だと思って
いるこの頃です。合掌

■ 第1658回NHK交響楽団定期演奏会を聴いて(Aプロ初日)♪♪

2009-11-15 01:55:06 | Weblog
 
 オバマ大統領がサントリーホールでアジア政策演説を行った日の夕方、渋谷のNHKホー
ルへN響の定期演奏会を聴きに出かけました。いつも原宿の駅で降りてNHKホールへ歩い
て行きますが、今日はほとんどの人が代々木体育館とさらに体育館横に仮設置された臨時の
イベントの方へ人の流れが延々と続いていました。

 さて、本日の演奏曲目は、前半がウェーバー:歌劇「オベロン」序曲、シューベルト:交
響曲第7番ロ短調D.759「未完成」、後半がブラームス:交響曲第1番ハ短調作品68
でした。指揮者は2年振りにN響に登場するネルロ・サンティでした。

 演奏の内容ですが、ウェーバー:歌劇「オベロン」序曲は、初めて聴く曲でしたが聴いて
全体的に柔らかくかつ暖かみを感じる曲想で好感を持ちました。特にホルンの旋律と弦楽器
との調和は最高でした。今日は、特にホルンが最高で、音色はベルリン・フィル並みの音色
でした。

 2曲目はシューベルトの交響曲第7番ロ短調「未完成」ですが、本当に久しぶりに聴きま
した。聴きながら初めてクラシックを聴きだした頃の思い出が広がり、青春時代の自分の姿
が浮かび上がるとともに、懐かしさとその頃の幼い自分に対する恥ずかしさが入り混じった
複雑な思いが蘇りました。

 後半のブラームス:交響曲第1番ですが、第2楽章の演奏で違和感を感じました。弦楽器
が奏でる旋律の中に、遠くからまずオーボエが入ってくる場面がありますが、そのオーボエ
が強弱とテンポの面であまりにも単調であり過ぎたので、流れがそこで止まってしまった感
じを受けたのです。

 シューベルトの時のオーボエは良かったのでとても残念でした。個人的には、ブラームス
はセカンドを吹いていた池田昭子に代わって欲しいと思いました。また、オーボエに続いて
クラリネットが入って来ますが、クラリネットの演奏内容は強弱とテンポ面が絶妙で、しか
も感情がしっかりと入っており、非常に充実したものでした。

 全体を通しての感想ですが、ブラームスの特徴である重厚でドイツ的な響きがなく、どち
らかというと明るいイタリア風のブラームスに感じられました。ブラームスで欲しいのは日
本文化で言うところの侘びとさびを出すことに尽きると思っています。

 さらに最終楽章では、もっと緊張感を増すような弦楽器の弾き方が欲しと思いました。ど
のパートも技術レベルは高いのですが、全体的なバランス調整の面で、もう少しサンティに
よる配慮があれば、今回の演奏は名演奏になったと思いました。その意味からも、非常に残
念でした。ただし、ホルン、ファゴット、クラリネット、オーボエ等内容は非常に良かった
と思います。

 今回のN響は全体を通じて、普段のN響と異なった感覚が漂っていました。その原因とし
て2つ考えられます。一つは金管楽器のメンバーがいつもと異なり、全体に若かったからか
も知れません。その影響かどうか知れませんが木管楽器もそれに同調し管楽器全体の響きが
輝いていました。

 二つ目は、指揮者のネルロ・サンティが、全体的に円熟みを前面に出した演奏スタイルを
とっていたように思われます。今回のサンティですが、どの曲を終えた後も、満足している
現われなのかそれとも逆の思いなのか分かりませんが、にこにことしていたのが気になりま
した。

 先月のアンドレ・プレビンと同様に、ネルロ・サンティにも言えますが、高齢であるので
健康面でとても心配しています。健康に配意し、次回も今日と同じような内容の演奏を期待
したいと思います。

 次回の12月定期演奏会は、指揮がデュトワであるので、今日と同じ管楽器のメンバーで
あれば名演奏が聴ける予感がするのですが、如何なものでしょうか・・・・・

■ 東京アカデミーオーケストラ第36回定期演奏会を聴いて♪♪

2009-11-08 23:16:35 | Weblog
 
 この日曜日は、東京アカデミーオーケストラ第36回定期演奏会に出かけ、モーツァルト
のピアノ協奏曲を聴いてきました。 

 東京アカデミーオーケストラは、1991年に結成された室内オーケストラで、早稲田大
学交響楽団や慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・オーケストラ等の大学オーケストラ首席
経験者が中心となって組織され、これまでに指揮者を置かずに活動を続けてきたオーケスト
ラとのことです。

 今回、初めてこのオーケストラを聴くきっかけとなったのは、今回の演奏会でモーツァル
トのピアノ協奏曲第21番を弾くピアニスト久元祐子の存在があります。昔からレクチャー
を交えたミニコンサートや、カルチャーセンターでの講義を行うなど、他のピアニストと異
なる活動を続けている音楽家として尊敬していました。

 また今回の演奏会は、先月のN響の演奏会を聴きに行った際に演奏会場の入り口で配布し
ているコンサートチラシの中に入っていたのを見つけ、わざわざ横浜の青葉台にあるPHILIA
HALLへ出かけたのです。

 演奏曲目は、前半がハイドン:交響曲第48番ハ長調「マリア・テレジア」とモーツァル
ト:ピアノ協奏曲第21番ハ長調KV467、後半がメンデルスゾーン:交響曲第4番イ長
調「イタリア」でした。

 1曲目のハイドンの交響曲でしたが、個人的に全体の流れについて行けない感じを受けま
した。この傾向はハイドン全ての交響曲に言えます。まとまりがない感じと、モーツァルト
のように滑らかに流れる音楽となっていなからです。

 ハイドンは交響曲を104曲も作ったようですが、これらの曲を聴いても共感が得られな
いのは、聴く側の個人的な問題かも知れませんが、ハイドンはどうもいただけません。

 2曲目は、久元祐子によるモーツァルトのピアノ協奏曲でしたが、第一楽章はオーケスト
ラとピアノの対話が少しギクシャクしているようで、どうなることかと心配しながら聴いて
いましたが、途中で久元が主導権をとり、オーケストラを引っ張った関係でまとまりがつい
た感じがしました。

 第二楽章以降は、弦楽器が鳴るようになりモーツァルトらしさが出てきました。特にチェ
ロのパートは良く鳴っていたと思います。ただし、管楽器のパート(特にフルートとホルン)
の音色が全体の楽想と上手く溶け合わない感じを受けました。

 さらに、カデンツァですが、今回はリパッティのものを使用するとのことで耳を澄ませて
聴きました。このカデンツァは初めて聴くものでしたが、全体的に生き生きとし、さらに堂
々としたももで、どちらかというと男性的な内容のものでした。

 カデンツァを弾く久元ですが、オーケストラとの掛け合いの内容と打って変わり、ピアノ
が自由にまた滑らかにメロディを奏でるのを聴きながら、新鮮で新しいモーツァルトの一面
を見た感じがしました。

 後半は、メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」でした。指揮者のいないオーケス
トラの演奏を聴きながら、感じたことは、指揮者の存在の大きさです。指揮者の必要性の有
無ではなく、音楽をより高度にまた内容を充実させるためにも、このオーケストラには指揮
者が必要と感じました。

 オーケストラの技術レベルは高いものを感じましたが、全体のバランスや感情の自由な動
きが少なく、単純にいうと音楽の面白さを十分に発揮出来ていないと感じました。プログラ
ムやホームページを見ると指揮者をわざと置かないで音楽を作り出すことを念頭において活
動しているようですが、プロの音楽家であっても指揮者を置かずに演奏することには難しさ
があると思いますので、個人的には置かないことに対する疑問を感じました。いろいろな指
揮者のもとで、いろいろな音楽を作り出しながら成長することが重要だと思っています。

 さらに感じたことは、今回の演奏はアンコール曲であるモーツァルト:歌劇「フィガロの
結婚」序曲を含め4曲演奏されましたが、曲ごとにコンサートマスターが変わっていました。
演奏内容が良かったのは、モーツァルトの2曲であり、これらの曲のときはともに女性のコ
ンサートマスターでした。女性の方が全体をまとめやすいのでしょうか?

 今回の演奏会は、オーケストラにおける指揮者の重要性に関して、真面目に考えるきっか
けとなりました。

■ 人生と加齢と体力低下!!

2009-11-08 11:34:51 | Weblog

 人間、誰でも歳をとると体のどこかが悪くなるものです。私は30歳を過ぎたころに受診
した健康診断で、コレステロール値が高いと診断され、それ以来30年近く薬を飲み続けて
生きています。コレステロールを下げる薬がなければ、とうの昔に心臓発作で死んでいたと
思います。

 長期間飲み続けていても、一般的に管理値と定められている値を現時点でクリアすること
が出来ていません。あとは、適度の運動とコレステロール値を上げないないような食事療法
を確実に行う必要があります。

 若い頃は、コレステロールを上げる食べ物をなるべく取らないようにしてきましたが、人
生50年を過ぎ、残りはおまけの人生のようなものだと思うようになると、ついついいい加
減になってしまいます。本当に困ったものです。

 また、幼少のころは小児喘息で苦しい思いをしましたが、中学生になる頃には発作がでな
くなりました。それ以来これまで一度も出なかったのですが、最近加齢による体力低下によ
るものと思いますが、朝晩喘息が出るようになりました。昔、小児喘息で苦しい思いをした
記憶が蘇りました。

 幸いにも現在掛かっている医師(年齢はほぼ凡夫と同じ女医さん)からアレルギー疾患治
療薬をもらっているので、朝晩薬を飲み発作を軽減しています。薬に頼るようになると人間
も終わりかなぁと思いますが、もう少しやってみたいことがあるので、しばらくは薬の厄介
にならざるを得ないと思っています。

 先日もいつもの医者に薬をもらいに行った時の会話ですが、「喘息がでたの?そう。でも
あなたはもう齢なのだからしかたがないのよ。」と言われ、納得感と自分の年齢を改めて認
識した次第です。

 さらに「あなたは、お酒が好きだったわよねぇ。週に何回お酒を飲むの?飲みすぎは駄目
よ。お酒の飲みすぎで消化できないものは体の中に蓄積し、最終的に脂肪に変化するのでコ
レステロール値が上がるから、注意しなさい」と言われ、その時は少し反省し、お酒の量を
控えようと思うのです。

 しかし、目の前に大好きな〆鯖や鰯や秋刀魚の刺身、さらに燗酒にぴったり合う鍋がある
と、ついつい日本酒の量が増えてしまいます。我が愚妻曰く、「好きなお酒を飲んで死ねる
のだから本望でしょう」と皮肉っぽく逆説的な良い方をされると、これまたへそ曲がりの凡
夫にとって意地でも飲んでやろうと思ってしまいます。

 仏教を信じ、少しでも自分の中の仏性を高めようとしている身でありながら、情けない行
動しか取れない自分を恥じることが多々あります。これでは、良い死に方ができないなぁと
反省の日々が続いています。

 仏教や禅の本をそれなりに読んでいますが、考え方だけ身に付いて、実践が伴わない情け
ない結果となっています。しかし、気分が乗っている時とか、あるいは心が充実している時
は、般若心経を唱えたりして、一時的ですが無心の世界とでもいう状況を体験しています。

 最近はこのように歳をとって体力的にも人生的な面でもちょっと問題の状況に陥っていま
す。ただ一つだけ言えることは、人それぞれに異なったものだと思いますが、自分なりにい
ろいろな経験を通して、今の自分のある部分は形成されたと言って過言ではないと感じてい
ます。

 歳をとったらそれまでの経験を生かすことが重要であるし、また一方で、体力は必然的に
低下するのでそれに合わせた生き方を行うべきだと最近感じています。人生1回だから味が
あり、また失敗を通じて賢くなるプロセスを学ぶことが出来るのが、人生の醍醐味であるこ
とを考えると、いまのままが最高だと思います。

 歳を積み重ね加齢によるいろいろな不具合が出てきても、それを良しとして進む人生をす
べきだと思っていますし、自分には、モーツァルトと仏教があれば人生迷わず前に進むこと
が出来ると確信しています。モーツァルトと仏教に出会たことが最高の喜びです。合掌