ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

■ あっという間の夏休み(愛犬ミルクとの9日間)!!

2009-08-30 10:46:30 | Weblog

 先日まで夏休みで9日間のんびりと過ごしました。普通であれば何処かへ旅行にでも出掛
けるのだと思いますが、事情があって愛犬ミルクと自宅で過ごしました。

 掃除・洗濯・食事の用意や庭の手入れ、そして愛犬との散歩と、結果的には忙しい毎日を
過ごしました。掃除・洗濯・食事の用意は、意外と大変でしたが後半になってくると、それ
ぞれどのようにやると効率よくできるかを考えるようになり、ちょっと楽しくなるようなこ
ともありました。

 特に大変だったのは食事です。いつも用意されたものを食べるだけの生活から、自ら食事
を作らなければならないので大変です。難しい料理はできないので、冷凍品を解凍したり枝
豆やほうれん草を湯がいたりするもので、いたって簡単な料理ばかりでした。

 休みの前半は、まあまあこれらの方法でなんとか食事らしいものを食べていましたが、毎
回同じような内容になってしまうと、不思議なもので体が受け付けなくなります。最後は枝
豆をつまみに、普段ほとんど飲まないビールで夕食の代わりとしてこともありました。

 単身赴任していた時は、寮母さんが居たので土日を除いて食事の心配はなく、今回初めて
食事を準備する大変さを身をもって体験した次第です。食事の準備に時間がかかる半面、食
べる時間はほんのちょっとで、最後に片づけるのにまた時間を要することから、食事をする
際には心から味わって食べることが大切だと実感しました。何事も本当に良いところは一瞬
で過ぎ去り、反対にそれまでにするためにつぎ込む時間が多く、苦労があるものです。

 今回の休みの中で、読書と今まで貯め撮りしていた映画等をゆっくりと鑑賞することがで
きました。読書は、仏教関連の本で特に禅に係わるものを読み、その奥の深さに感激しまし
た。仏教には現在13宗派があるとされていますが、その中でも日本の禅宗は、日本人の根
底にある考え方に合致しているような気がしています。

 もともと禅宗は中国で始まったとされていますが、現在はほとんど日本に定着した禅宗が
世界に広がっています。自らの中に仏の心があるとする考え方は、何故か共感を覚えるとと
もに、真実であるような気がします。この点が仏教に興味を持ちさらに勉強するきっかけと
なりました。

 また、今回老子と荘子に関する本を読みましたが、禅の発祥地である中国の思想である老
子と荘子の考え方は、禅に近い考えであることも驚きでした。

 最後に「アマデウス」を久しぶりに観ましたが、モーツァルトの生き方を描いた映画であ
り、個人的には何回みても飽きないものです。また、この映画を見てモーツァルトが大好き
になり現在に至っているのも事実です。

 仮にこの映画を観ずに現在に至っているとすると、モーツァルトには全く興味を持たずに
音楽全体を聞き流していたかも知れませんし、今の自分と異なる人生を歩んでいたような気
がします。何事も出会いのきっかけとは不思議なものだと思います。

 この夏休みは最低限の仕事だけをし、あとはすべて個人のために使いました。その意味で
は有意義な9日間の休みであったと思います。普段は愚妻にべったりの愛犬ミルクですが、
この9日間は凡夫の私だけであったので、自然となつきました。その意味でも意義があった
夏休みでした。

■ 映画「クララ・シューマン 愛の協奏曲」を観て♪♪

2009-08-29 14:48:47 | Weblog
 
 先日映画館で久しぶりに映画を観た。前回は単身赴任で三重に行っている時であったので、
ちょうど5年振りのことになる。もともと人の多いところに出掛けるのは好きではないが、
映画のタイトルからして、どうしても観たいものであったが、混んでいたらどうしようかと
不安に思いながら出掛けた。

 午後7時からの上映だったので、上映の30分前に着くように行ったが、何とがらがらで
532席ある劇場であったが、その晩に一緒に観賞した人は全体で30名程度であった。ま
た、シートもゆったりとしており、今までの映画館の中ではもっとも設備が充実していた。

 さて、映画の内容であるが作曲家ロベルト・シューマンとその妻クララ・シューマンと若
き作曲家のヨハネス・ブラームスの間に繰り広げられる、敬愛と嫉妬とそして音楽的な才能
を通じての賛美の世界が描かれているものであった。

 シューマンよりもブラームスの方が音楽的な才能はあると個人的に思います。シューマン
の音楽は、後期になればなるほど音楽の展開方法が極端な発想に基づいたものになるため、
私のような凡夫には付いて行けないかあるいは、理解できない内容のものが多い。

 モーツァルトのように音楽の流れが自然ではなく、常に異なる次元へ飛躍するような感じ
を受ける。ただ小さなピアノ作品には、素晴らしいものがあり大好きである。

 最期はライン川に身を投げたとの話は昔から知っていましたが、映像として作られた映画
作品を通じて受ける印象は、想像以上のものがあった。狂気の世界の中で作られた音楽作品
であることが分かり、別の意味での哀しさを感じた。

 だんだんと狂気のレベルが高くなる中で、ロベルトを献身的な対応で惜しみなく続ける妻
クララの行動には頭が下がります。このような献身的な行動の基本に、人間としての献身愛
があるのだと思いました。

 以前に本を通してクララの音楽的な才能の高さや純粋な生き方に関して知りましたが、普
通の人間には出来ないものだと思っている。ブラームスがクララに憧れる真意が良く分かる。
またクララもブラームスの才能を十分に理解しており、相互に魅かれるものがあったとされ
ている。

 ロベルト自身もブラームスの才能を認め、機会ある毎に自分の後継者であることを周りに
紹介するなど、この3人の間の人間的な関係は非常にデリケートで、また複雑な力関係が働
いていた。

 ロベルトの死後、ブラームスはクララに求愛するが決してブラームスと結ばれることなく、
相互の敬愛のもとの関係が続いたとのことです。映画の中でベッドシーンがありましたが、
ブラームスは「僕はきみとは寝ないよ。それでも、きみをこの腕でずっと抱き続ける。命が
尽きるまで。きみが死んだら後を追う。死の世界へお供する」と囁く場面を見ながら、クラ
ラを抱かないブラームスに対して、本当の心はどうなのか聞いてみたい気がしました。あま
りにも純粋すぎる話は窮屈で、人間とは思えない神のレベルだと思う凡夫の私です。

 その後、クララとブラームスの友情は、クララの生涯の最期まで続き、クララの死後から
数ヵ月後に、生前の約束通りブラームスもまた黄泉の国へと旅立っていったとのことです。

 映画の中でのブラームスは、陽気な青年として描かれていましたが、本来のブラームスは
内向的な性格であったと言われているので、少し戸惑いました。映画「アマデウス」程では
ないですが、少し角度の異なる視点から捉えて表現したブラームスであると思いました。

 私であれば、もう少し気難しい雰囲気を出しながら、クララに接するような描き方をした
と思います。この映画の監督ならびに脚本が、ヨハネス・ブラームスの叔父から連なるブラ
ームス家の末裔に当たるヘルマ・サンダース=ブラームスであることを考えると、このよう
な表現になるのかと思った次第です。

 最終的な感想ですが、もっと泥臭い人間を描き出せば、さらに大きな感動が得られたと思
います。全体的に清潔で純粋さが根底にある作品でした。お勧め度は「普通」といったとこ
ろです。

 映画館を出て少し歩いたところに立ち呑み屋があり、ちょっと誘惑に負けそうになりまし
たが、横目でみながら帰宅しました。正直な気持ち、やはりモーツァルトが最高です。その
次がブラームスだと思います。

■ 自分以外に対する思いやり!!

2009-08-08 10:54:37 | Weblog

 昨年9月のリーマンショック以来、世界中の経済が不安定化し、かつ成長が大幅に鈍化し
た。この影響を受けて多くの企業が打撃を受け、経営状況が悪化した結果、買収されたりあ
るいは事業を廃業したりする現象が起きている。

 経済が停滞すると、人間の生活様式も大きく変わらざるを得ない状況となる。一例として
は、プライベートブランドのような価格の安いものが注目され、贅沢品とされていたものの
販売が激減した。生活防衛のために取るべき結果の現われであると思われる。

 しかし我々庶民はそれほど困っていないのが本音だと思われる。確かに失業率は高く今だ
に職に就けない人がいることは事実であるが、今の日本では生活レベルを少し下げれば、ど
うにか暮らしていけるのが実態でありまたそれだけの力はあると思う。

 昔は生きていくために必要な最低限の物の確保が大きな問題であったが、今は反対に物が
溢れている状況だと思う。したがってどうしても必要なものだけを購入する行動に出ている
のだと思う。

 政治家はマニフェストを掲げ、今月末の選挙に臨む準備を進めているが、政権交代して日
本の政治が本当に変わるのだろうかとふと思うことがある。そもそも国民自体が自ら政治に
係わって日本の国を良くしていこうと本心で思っている人がどれほどいるのだろうか?

 日本人の生き方として、自分がやらなくてもきっと誰かがやってくれるから大丈夫だと思
っている輩が多いのが現状だと思う。これは国に対してもまた企業や自分が住んでいる地域
でも全く同じことが言えるのではないかと思う。

 確かに自分の存在意義が最終的に最も重要なものだと思うが、個人が発揮できる力の数%
でも自分以外の目的ために使ったとしたら、この日本の国は劇的な変貌をとげるのではない
かと思っているが、皆さんはどのように思われるだろうか?

 いまいち世の中において真剣さがないと思われる現象の現われの例として、TV番組の内
容の多くがクイズとお笑い系であることがあげられる。番組制作コストが安いのかどうか知
らないが、どの番組も同じような内容であり、それを見ながら国民が楽しんでいる異常さは
少し不気味である。

 このような時代であるから少しでも明るくという趣旨なのか知らないが、このままでは日
本は確実に世界の中で脱落する国になってしまうと思う。

 今の日本人に欠けているものの一つとして、自分以外に対する思いやりがあげられる。こ
のような心が無くなりかけている背景には、日本の教育の中に課題があるような気がしてな
らない。変な理屈でゆとり教育が出てきたり、制度や環境が揃っていないのに英才教育を進
めるなど、地に足がついた行動をとらないところに大きな原因があると思われる。

 過去の歴史が物語るように、全ての人間が満足する社会的なシステムやそれを支える仕組
みの構築は困難である。唯一可能なのは、人間としての生き方の明確化だと思う。人間の幸
せを物と心で図る尺度としたらどちらが本質的なものであろうか。私は、それは絶対に心だ
と思っている。

■ 才能ある音楽家を育てるために周りが行うべき事♪♪

2009-08-02 18:46:15 | Weblog
 
 米国テキサス州フォートワースで開かれた第13回バン・クライバーン国際ピアノコンクー
ルで盲目の日本人ピアニスト辻井伸行が優勝したニュースが6月上旬に流れたので彼の名前は
多くの方に知られる存在になった。

 正直言って私は彼の存在を今回のニュースで知ったのが初めてであった。幼少の頃から音楽
的な才能を発揮し、日本だけでなく海外のオーケストラとも共演をするなど、如何なくその実
力を発揮し素晴らしい音楽を多くの人に届けている若者だと思う。

 先日彼の公式ホームページを見てみると、今後のスケジュールがびっしりと詰まっており、
各方面から引っ張りだこの状態が続いている。たぶんこの状態が今後も続くとしたら、そのう
ち彼の音楽の中身が薄くならざるを得ない状況になると思うのは私だけだろうか。

 演奏するためのエネルギーを蓄積し、そして会場で全てを発散するので普通あるが、この繰
り返しが短ければ短いほど、充電式のバッテリーの寿命が短くなるように、彼の精神的なエネ
ルギーは弱ってしまうものだと思う。

 意地悪な言い方をすると、マスコミや音楽事務所、さらにイベントを企画する商魂たくまし
いプロフェッショナルに踊らされて、本来の才能を摩耗しないようにして欲しいと願っている。
また、演奏を聴く側もただマスコミに踊らされてチケットを購入しているようでは問題だと思
っている。

 彼が盲目であるという境遇に同情し、コンサートホールに行かないようにして欲しい。なぜ
ならば、音楽会はピアニストの心の音楽を聴くのが目的であって、音楽の本質の前に盲目であ
るという事実はなんら関係のないことだからである。

 これは、聴く側の姿勢の問題である。この聴く側の姿勢を狂わす要因として、マスコミの過
剰な報道があげられる。普段クラシックの話題を提供しない番組が、あたかも以前から取り組
んで来たかのように全面的に取り扱う行動には閉口してしまう。

 従来通り、お笑いやゴシップだけを扱っていれば良いものを突然にクラシック音楽を前面に
報道して欲しくないと思う。このような異常な取り上げ方で、CDの売り上げも他のミュージ
ックと同じようにクラシックとして異常な販売枚数を記録したようだ。

 今までクラシックを聴かなかった層が聴くようになったのであれば良いが、なんとなくファ
ッションや単なるブームに乗って購入した層が多いように感じられる。

 彼のような才能のある人材を壊してしまわないように、時には厳しくそして感動した時は大
きな声援を送るような流れに是非ともして欲しいものである。過去に、フジコ・ヘミングも今
回のような現象が起きたのは記憶に新しい。

 ほんのちょっとしたことで、才能ある人材が消え去ってしまうことが多い時代なので、聴く
側の姿勢も含めて、彼を支援する気持ちを引き締める必要があると感じている。