最近のビジネスで話題となっているものに事業の継続性がある。事業の継続性とは、天災
やシステムの不具合の発生によりビジネスに大きな影響が出た場合に、どのような対処をす
るかを予め想定し、かつ準備を行いいざという場面であわてずに対応することを指す。
この問題は非常に難しく事業継続性には正解がないというのが個人的な見解である。なぜ
ならば、どのような場合を想定するかによって対応の内容が大きく異なるだけでなく、検討
の範囲は限りなく発散し、検討自体が意味を成さない結論に落ち着くケースも出てくる。
所詮、完全な事業継続性を求めるならば、常時現行と同じ内容のシステムを別な場所で同
期を取りながら稼動させておく必要がある。このように現状を継続させることは非常に大き
な労力や投資を伴うものである。
ビジネスにおける継続性は難しい問題があったが、人生の継続性はどのように考えればよ
いのだろうか。人生の継続性が途絶えるときは、その人間の死を意味している。
しかし、その死を除けば、人生は生まれたときから死ぬまでの期間の継続性は保障される。
最低限の食べ物と休息をとれる環境があれば、誰もが人生を継続することが出来る。単純に
考えても人生は素晴らしいと思える。しかし、どれほどの人間が人生に対してこの素晴らし
さを感じているのか疑問である。
人間の素晴らしいところは、考えることが出来ることにあると思う。考えることが出来る
ということは、昨日よりも今日、今日よりも明日を良くすることが出来るということである。
一日一日の小さな行動の積み重ねが、あるレベルに達したときに大きな飛躍に繋がる。普
段見ることの出来なかった新たな景色が見えてくるものである。そしてそこまで到達するま
での道のりに、ささやかな満足感がとても残るのだと思う。
その気持ちの安らぎは、ちょうどモーツァルトのピアノ協奏曲の第二楽章の楽想を聴くと
きに感じるものと同じだと思う。何かゆったりとした心の動きの中に、ささやかな喜びと希
望と優しさを感じるのである。
しかし、命には限りがあり、いつかは現世からあの世へ行かなければならない。その際に
個人を基準に考えると、命の継続性はその時点で途切れるものであるが、その人間が生きた
その様は、周りの人の心の中に残ることから、形を変えて継続することが出来る。
さらにその人の心を通じて、他の人へ伝承されるとすると、確実な継続性に変化する。命
が心へ変化し、継続されるのである。反対に今生きている自分の心の中には、いままで他人
から影響を受け、何らかの形で感動した事象の記録が残っている。すなわち他人が自分の中
で継続していることにもなる。
このように人生を考えると、他人と自分を比べることに意味がなく、個人にとっていかに
充実した人生を送るかが大きな意味をもつのだと思う。
最近、仏教を中心とした柔軟で素直な心を持ち続けることの重要性を感じながら、日々少
しですが反省と改善を行っているのです。人生は継続が基本です。