ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

■ 第1661回NHK交響楽団定期演奏会を聴いて(Aプロ初日)♪♪

2009-12-06 10:24:00 | Weblog
 
 雨が降りしきる土曜日の夕方、N響の定期演奏会を聴きにいってきました。今月は、N響
名誉音楽監督であるシャルル・デュトワですから、年間の定期演奏会の中でも特に期待が高
まる演奏会になりました。

 思い起こせば、デュトワは1996年にN響の常任指揮者となり、その後1998年から
2003年まで音楽監督を務めたマエストロです。個人的には、30年近くN響の定期会員
として演奏を聴いてきましたが、デュトワの時代のN響が最もチャレンジブルな姿勢で音楽
に向き合っていたような気がします。

 日本のオーケストラが苦手とするフランス音楽を、デュトワが指揮するといとも簡単にN
響がフランスのオーケストラの音に変わってしまうようで、当時客席から聴いていたものに
とっては、偉大な指揮者だと思っています。

 デュトワが去った後のN響は、それなりにレベルを維持していますが、昔のような緊張感
をともなったスリリングな演奏の機会が少なくなったのは事実と思います。このような背景
から、年に1回のデュトワの登場には、自ずと期待が高まるのは無理のないことなのです。

 今回の演奏曲目は、デュトワらしい配置になっていました。前半がストラヴィンスキーの
アゴンとショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番ヘ長調作品102、後半は、R. シュト
ラウスの交響詩「ドン・キホーテ」作品35でした。

 前半の2曲は、いままで聴いたことがない曲であったので、どのような内容なのか、また
デュトワがどのように演奏するのか興味津々でした。

 ストラヴィンスキーのアゴンですが、ニューヨーク・シティ・バレエからストラヴィンス
キーに委嘱されたもので、内容はバレエ公演向けのようです。内容は、確かに近代音楽の要
素が強い内容であり、普通であれば聴くことを拒絶するのがこれまでの自分の行動様式でし
たが、ストラヴィンスキーの音楽はリズムや音色の楽しさが強く伝わってくるので、知らず
知らずのうちに真剣に聴き入っている自分がありました。背景には、これらの面白さをデュ
トワが確実に引き出していることが挙げられます。とても楽しく聴くことが出来ました。

 2曲目は、ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番ヘ長調で、独奏はロシア出身で今は
米国の市民権を得て活躍中のキリル・ゲルシュタインです。ピアノ協奏曲はモーツァルトが
最高と個人的に認識しているので、いまさらショスタコーヴィチのピアノ協奏曲を聴くのは
如何なものかと考えていましたが、初めて聴いた瞬間からこの曲の不思議な魅力に取りつか
れました。

 力強いリズムや楽想の変化に特徴がありましたが、特に第二楽章のゆったりとした流れの
中でピアノが奏でる、優しさと憂いや心の素直さがきらきらと光っているような内容で、感
動しました。

 ショスタコーヴィチの曲であるからと、聴く前から構えて聴いていましたが、この第二楽
章が始まってからは、雲のうえで寝そべって聴いているよな錯覚を覚えました。

 特にピアニストのゲルシュタインが奏でるピアノの音はまろやかでふっくらとした音色、
そして遠近感という表現が当たっているのかどうか分かりませんが、同じピアノから出てく
る音なのに、音の聞こえ方に遠近感がはっきりと感じられるのです。また、オーケストラの
方を見ながら会話しているかのようにピアノを弾く仕草には、驚きを感じました。

 後半は、R. シュトラウスの交響詩「ドン・キホーテ」で、チェロはゴーティエ・カプソ
ン、ヴィオラはN響ソロ主席の店村眞積でした。シュトラウス独特の変奏展開で弦楽器と管
楽器、さらに独奏のチェロ、ビオラ、ヴァイオリンの名手がスリリングに会話する内容で、
聴いている方は楽しく聴かせてもらったという感じです。

 今回の演奏を聴きながら、流石デュトワは素晴らしいなぁと再確認した演奏会でした。コ
ンサートが始まる時は強い雨が降っていましたが、NHKホールを後にするときには、雨が
あがっており聴き終えた充実感と同じように外の天気は晴れ晴れとしていました。

■ 民主党による「事業仕分け」を通じて感じたこと!!

2009-12-05 13:49:53 | Weblog

 民主党が取り組んできた予算削減の目玉である「事業仕分け」ですが、ニュースや新聞で
見る限りでは、あまりにも短い時間内での対応であり、その大まかな方向性を決めるのは如
何なものかと感じています。

 確かに無駄な予算を削ることに対して全く異論はありませんが、査定する側とされる側の
やり取りを見ていると、始めから無駄だとの観点からスタートしているので、終わった後に
すっきりとしたものが残らないものになっていると思われます。

 また、査定する側にはそれなりの識者がいらしたようですが、本当に適任の人物であった
のかが問われていないと思います。個人的に興味を持ってる分野である科学技術分野の予算
に関しては、見直しや廃止の方針が出されました。これらに対してものを申す科学者達が、
後日コメントを発表したり民主党に申し入れを行っています。

 特に科学技術の分野は、その研究自体の価値判断や成果に関して正しく判断することが難
しい領域が多くあります。言葉を換えて言えば、リスク要因を含んだものになっています。
さらにこれらに関しては、研究に従事している者の中でもそれぞれ意見が分かれることが多
いのです。

 ここでリスクがあるから廃止するという単純な判断は非常に危険な考えで、科学技術は過
去から失敗の連続の上に新たなものが発見されたり、偶然の中に優れたものが成果として現
われるものだということを、査定する側は勉強すべきです。

 確かにある分野に精通している議員がいますが、それでも勉強が足りない部分が多くある
のが実態です。世の中は、表面に見えることからその原因を推測しても、根本的な原因にた
どり着けない仕組みになっているのが多くあるのが現実という人間社会です。

 これらのこと無しに、単に成果が見られないというような単純一律の考え方で対応される
ならば、日本の国の科学技術は駄目になってしまいます。さらに、文部科学省の役人には、
もっと熱い心を持った上で、貴重な税金を使って科学技術に取り組む姿勢をもって欲しいと
感じています。

 最近の流行り言葉に 可視化や見える化がありますが、ある現象を見えるようにする仕組
みを作ったとしても、その見えるようになったものが、本当にその実態を表すものになって
いなければ無意味であり、反対に弊害を引き起こすことにつながります。

 民主党に対する注文としては、科学技術に関する国の方針が明らかにされれいない状況と、
マニフェストに掲げた政策を実行するための予算を確保するために、単に他の予算を削減す
るとしか思われないような感じも受けているので、改善をお願いしたいと感じています。

 民主党に投票したもの全てが、マニフェストに掲げられた全ての項目に賛成している訳で
はないことをもっと知るべきだと思います。多くの考えを持った集団である民主党の体質が
反映されていることと、現実の世の中の流れをきちんと把握していないことから、不整合が
生じるマニフェストになるのだと思います。

 政治家の基本的な考えは、国民のために命を落とす覚悟がない者は、国会議員になっては
ならないのです。売名行為としか思えない政治家も民主党の中にいることを考えると、前政
権の自民党となんら変わらない体質だと思われても致し方ないことだと思われます。

 ただ今回の事業仕分けの意義は、「すべてが公開される」という一点にあるのは間違いな
いことだと思います。