ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

3大レクイエムに関して♪♪

2008-02-11 00:07:30 | Weblog
 レクイエムとは、死者のためのミサとか死者を追悼する音楽の通称として広く用いられて
います。また日本の場合はレクイエムを鎮魂曲、鎮魂ミサと表現していますが、本来のレク
イエムは魂を鎮める為のものではなくラテン語で「安息を」という意味の語であるようです。

 しかし、レクイエムを聴いているとキリスト教で言うところの天に召される感じが伝わっ
てくるので、ラテン語の安息の意味は感覚的に理解することが出来ます。

 レクイエムを作曲した有名な作曲家としては、モーツァルト、ヴェルディ、フォーレ、ブ
ラームス、ブリテン、ブルックナー、ベルリオーズ、サン=サーンス、ドヴォルザーク、ド
ニゼッティ、ケルビーニ等があげられます。さらに誰が決めたのかは分かりませんが3大レ
クイエムといわれているのがモーツァルト、ヴェルディ、フォーレの作品です。

 先にあげた作曲家の作品を全て聴いたわけでないので何とも言えませんが、個人的にはヴ
ェルディの代わりにブラームスのドイツレクイエムを加えたものを3大レクイエムとして認
定したいと思っています。これらの3曲は傑作だと思っています。ヴェルディの作品は劇的
過ぎる、あるいは派手すぎるといった点が個人的に好きになれない大きな理由です。

 モーツァルト、ブラームス、フォーレの作品は何故に傑作かというと、3曲とも聴いてい
て確実に心が安らぐからです。キリスト教でなく仏教を信じている私にも、これらの音楽を
聴いていると心の奥深いところの、魂というべきものかどうか分かりませんが、そこの部分
に確実に響き渡るものがあるところに、価値があると思うからです。

 特にモーツァルトのレクイエムは、モーツァルトが死を目前にしながら最後の力を振り絞
って書いたものですから、なおさら心に響き渡ります。そして未完のままで終わった事実も
聴く側にいろいろな想いを描かせ、より深い想いの要因にもなります。

 人間だれでも「死」は怖いものです。死後の世界である天国が本当にあるのかどうか、あ
るいは地獄があるのかどうか分かりません。いやキリスト教には天国はあるのかも知れませ
んが、仏教の祖である仏陀はこの点に関してはっきりと答えていません。在るともいえるし
ないともいえる、「無記」と経典に記述されています。すなわち「空」の世界なのです。

 死は誰にでも訪れます。その時が何時訪れるかが分からないので人間はいろいろなことを
考えるのです。しかし、このようなレクイエムの音楽を通して予め少しでも慣れていると、
意外と冷静にその時を迎えることが出来るのではないかと思います。それがレクイエムの重
要な点だと、個人的に決めつけて生きているのが現状です。

 仏陀の教えを信じ、そしてキリスト教の世界の中でモーツァルト、ブラームス、フォーレ
のレクイエムを聴きながら人生を考え、死を考えるとても不思議な経験をしながら、ちょっ
と大袈裟にいうと、弱い一人の人間としての人生を考えるのです。

 モーツァルトのレクイエム以外の作品を通じても、もちろん人生を考えることが出来ます
が、さらに死というテーマを扱ったレクイエムを聴くと、今まで以上に真摯な気持ちになれ
るのがレクイエムの良いところだと思います。

 興味のある方は、是非ともモーツァルト、ブラームス、フォーレのレクイエム聴きながら
人生を考えていただければ幸いです。

プラハ国立劇場によるモーツァルト「魔笛」を観て(東京文化会館)♪♪

2008-02-02 14:18:16 | Weblog
 1月16日に上野の東京文化会館で開催されたプラハ国立劇場によるモーツァルト「魔
笛」(2001年2月13日スタヴォフスケー劇場にて初演された内容)を観てきました。
モーツァルトのオペラはモーツァルト生誕250年にザルツブルク音楽祭で観た「イドメネ
オ」以来です。この「魔笛」は「ドン・ジョバンニ」とともに個人的に好きなオペラです。

 さて、このモーツァルト「魔笛」ですが、同じプラハ国立劇場によるものを2005年1
月に観ました。3年前の魔笛もそれなりに素晴らしいと感じましたが、今回の方が数段上の
内容であったことは確かです。今回素晴らしかった点は3つありました。ひとつは舞台を含
む演出、二つ目が歌手陣の実力、そして最後がオーケストラの力です。

 まず一番目の舞台を含む演出です。通常は幕があり序曲が終わるあるいはその途中で幕が
開き、オペラが始まりますが今回の演出は始めから幕がなく、演出用の道具等も丸見えのま
まで始まりました。

 序曲が始まると茶色の衣装をまとった舞踊団が出てきて踊り出すのです。とても奇妙に思
えましたが、オペラが進むうちに分かってきたのですが、この舞踊団は登場人物の心理的な
状況を表現するとともに、その場面の構成要素の一つとしての働きをするのと、さらに歌舞
伎等での黒子の役目(歌手に道具を渡したり、衣装を取ったり、また演出用のカーテンを動
作させたり)を行っていました。非常に考えてオペラ全体が組み立てられていることに対し
て感心しました。

 さらにびっくりしたのは、パミーナ役が客席(1階7列31番:私が座った席の4列前)
に座っていて、登場する場面になるとスポットライトがあてられた後にその場で立ち上がり、
少しずつ移動しながら舞台に上がるという演出でした。

 さらにその様子が舞台上の色彩豊かなカーテンにTVカメラを通じて映し出されるのです。
開演の前に、白いドレスに着飾った貴婦人(どこかの大使館の外交官夫人かと思っていまし
た)がその席に座ったのを見ていましたが、まさかパミーナ役のパヴラ・ヴィコパロヴァー
であるとは気がつきませんでした。

 二つ目が歌手陣の実力です。特に注目されるのは夜の女王が歌うアリアで、これは一般的
にコロラトゥーラの代表的な曲とされています。この魔笛の中でのコロラトゥーラの最高音
はF(ファ)と、とんでもなく高い音です。

 この役を演じたのは、エレオノーレ・マルゲールで、ウィーン国立歌劇場に同役でデビュ
ーを飾って以来、ドイツ国内の名歌劇場で次々と夜の女王を歌い続けておりモーツァルト公
演には欠かせないソプラノ歌手です。

 当日も素晴らしい美声を披露していただけましたが、コロラトゥーラで音のスケールを駆
けあがっていく途中で疲れによるものなのかもしれませんが、若干曇るというかシャープで
ない箇所があったのが残念でした。やはり「復讐の心は地獄のように燃え」は一気に歌い上
げる超技巧が求められるので、少しでも問題があると全体に影響してしまうのは致し方のな
いことだと思います。

 また、3人の待女や3人の童子による3重唱もこれまた見事な出来栄えでした。もちろん
パパゲーノとパパゲーナ、タミーノとパミーナが素晴らしいのは言うまでもありませんでし
た。これだけ充実した歌を聴いたのは本当に久しぶりでした。

 最後はオーケストラの力です。プラハ国立オペラ管弦楽団の力量はこれまた素晴らしいも
のでした。音色が素朴で暖かさを感じるものでありさらに、素晴らしかったのは歌手陣との
調和が見事だったことです。これは普段から一緒に演じている仲間だからこそ、このように
微妙な音のやり取りとか音楽全体の調和をうまく作ることが出来るのだと思いました。

 今回のプラハ国立劇場によるモーツァルト「魔笛」は大満足のオペラだったと思います。
ウィーン国立歌劇場の「魔笛」を三つ星の高級レストランの味とすると、今回のプラハ国立
劇場による「魔笛」は、下町のビストロで楽しむ愛情と人情がたっぷりの庶民の人気料理と
でも言えるのではないかと思いました。

 午後9時過ぎに寒さが厳しく冷たい風を頬に受けながら、心はとても温かく満足感いっぱ
いで東京文化会館を後にしました。やっぱりモーツァルトは偉大だと思いました。なお、参
考に当日の主なキャストは以下のようでした。

指揮:ヤン・ハルペツキー
演出:ダヴィド・ラドク
舞台美術・衣装:カタリーナ・ホラー
振付:ハカン・マイヤー
演奏:プラハ国立劇場オペラ管弦楽団/合唱団/バレエ団
夜の女王:エレオノーレ・マルゲール、タミーノ:アレシュ・ブリツェイン、パミーナ:パ
ヴラ・ヴィコパロヴァー、パパゲーノ:フランティシェク・ザフラドニーチェク、パパゲー
ナ:カテジナ・クニェジーコヴァー、第一の侍女:イトカ・スヴォボドヴァー、第二の侍女:
イヴォナ・シュクヴァロヴァー、第三の侍女:レンカ・シュミードヴァー