レクイエムとは、死者のためのミサとか死者を追悼する音楽の通称として広く用いられて
います。また日本の場合はレクイエムを鎮魂曲、鎮魂ミサと表現していますが、本来のレク
イエムは魂を鎮める為のものではなくラテン語で「安息を」という意味の語であるようです。
しかし、レクイエムを聴いているとキリスト教で言うところの天に召される感じが伝わっ
てくるので、ラテン語の安息の意味は感覚的に理解することが出来ます。
レクイエムを作曲した有名な作曲家としては、モーツァルト、ヴェルディ、フォーレ、ブ
ラームス、ブリテン、ブルックナー、ベルリオーズ、サン=サーンス、ドヴォルザーク、ド
ニゼッティ、ケルビーニ等があげられます。さらに誰が決めたのかは分かりませんが3大レ
クイエムといわれているのがモーツァルト、ヴェルディ、フォーレの作品です。
先にあげた作曲家の作品を全て聴いたわけでないので何とも言えませんが、個人的にはヴ
ェルディの代わりにブラームスのドイツレクイエムを加えたものを3大レクイエムとして認
定したいと思っています。これらの3曲は傑作だと思っています。ヴェルディの作品は劇的
過ぎる、あるいは派手すぎるといった点が個人的に好きになれない大きな理由です。
モーツァルト、ブラームス、フォーレの作品は何故に傑作かというと、3曲とも聴いてい
て確実に心が安らぐからです。キリスト教でなく仏教を信じている私にも、これらの音楽を
聴いていると心の奥深いところの、魂というべきものかどうか分かりませんが、そこの部分
に確実に響き渡るものがあるところに、価値があると思うからです。
特にモーツァルトのレクイエムは、モーツァルトが死を目前にしながら最後の力を振り絞
って書いたものですから、なおさら心に響き渡ります。そして未完のままで終わった事実も
聴く側にいろいろな想いを描かせ、より深い想いの要因にもなります。
人間だれでも「死」は怖いものです。死後の世界である天国が本当にあるのかどうか、あ
るいは地獄があるのかどうか分かりません。いやキリスト教には天国はあるのかも知れませ
んが、仏教の祖である仏陀はこの点に関してはっきりと答えていません。在るともいえるし
ないともいえる、「無記」と経典に記述されています。すなわち「空」の世界なのです。
死は誰にでも訪れます。その時が何時訪れるかが分からないので人間はいろいろなことを
考えるのです。しかし、このようなレクイエムの音楽を通して予め少しでも慣れていると、
意外と冷静にその時を迎えることが出来るのではないかと思います。それがレクイエムの重
要な点だと、個人的に決めつけて生きているのが現状です。
仏陀の教えを信じ、そしてキリスト教の世界の中でモーツァルト、ブラームス、フォーレ
のレクイエムを聴きながら人生を考え、死を考えるとても不思議な経験をしながら、ちょっ
と大袈裟にいうと、弱い一人の人間としての人生を考えるのです。
モーツァルトのレクイエム以外の作品を通じても、もちろん人生を考えることが出来ます
が、さらに死というテーマを扱ったレクイエムを聴くと、今まで以上に真摯な気持ちになれ
るのがレクイエムの良いところだと思います。
興味のある方は、是非ともモーツァルト、ブラームス、フォーレのレクイエム聴きながら
人生を考えていただければ幸いです。
います。また日本の場合はレクイエムを鎮魂曲、鎮魂ミサと表現していますが、本来のレク
イエムは魂を鎮める為のものではなくラテン語で「安息を」という意味の語であるようです。
しかし、レクイエムを聴いているとキリスト教で言うところの天に召される感じが伝わっ
てくるので、ラテン語の安息の意味は感覚的に理解することが出来ます。
レクイエムを作曲した有名な作曲家としては、モーツァルト、ヴェルディ、フォーレ、ブ
ラームス、ブリテン、ブルックナー、ベルリオーズ、サン=サーンス、ドヴォルザーク、ド
ニゼッティ、ケルビーニ等があげられます。さらに誰が決めたのかは分かりませんが3大レ
クイエムといわれているのがモーツァルト、ヴェルディ、フォーレの作品です。
先にあげた作曲家の作品を全て聴いたわけでないので何とも言えませんが、個人的にはヴ
ェルディの代わりにブラームスのドイツレクイエムを加えたものを3大レクイエムとして認
定したいと思っています。これらの3曲は傑作だと思っています。ヴェルディの作品は劇的
過ぎる、あるいは派手すぎるといった点が個人的に好きになれない大きな理由です。
モーツァルト、ブラームス、フォーレの作品は何故に傑作かというと、3曲とも聴いてい
て確実に心が安らぐからです。キリスト教でなく仏教を信じている私にも、これらの音楽を
聴いていると心の奥深いところの、魂というべきものかどうか分かりませんが、そこの部分
に確実に響き渡るものがあるところに、価値があると思うからです。
特にモーツァルトのレクイエムは、モーツァルトが死を目前にしながら最後の力を振り絞
って書いたものですから、なおさら心に響き渡ります。そして未完のままで終わった事実も
聴く側にいろいろな想いを描かせ、より深い想いの要因にもなります。
人間だれでも「死」は怖いものです。死後の世界である天国が本当にあるのかどうか、あ
るいは地獄があるのかどうか分かりません。いやキリスト教には天国はあるのかも知れませ
んが、仏教の祖である仏陀はこの点に関してはっきりと答えていません。在るともいえるし
ないともいえる、「無記」と経典に記述されています。すなわち「空」の世界なのです。
死は誰にでも訪れます。その時が何時訪れるかが分からないので人間はいろいろなことを
考えるのです。しかし、このようなレクイエムの音楽を通して予め少しでも慣れていると、
意外と冷静にその時を迎えることが出来るのではないかと思います。それがレクイエムの重
要な点だと、個人的に決めつけて生きているのが現状です。
仏陀の教えを信じ、そしてキリスト教の世界の中でモーツァルト、ブラームス、フォーレ
のレクイエムを聴きながら人生を考え、死を考えるとても不思議な経験をしながら、ちょっ
と大袈裟にいうと、弱い一人の人間としての人生を考えるのです。
モーツァルトのレクイエム以外の作品を通じても、もちろん人生を考えることが出来ます
が、さらに死というテーマを扱ったレクイエムを聴くと、今まで以上に真摯な気持ちになれ
るのがレクイエムの良いところだと思います。
興味のある方は、是非ともモーツァルト、ブラームス、フォーレのレクイエム聴きながら
人生を考えていただければ幸いです。