ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

■ 南西ドイツ・フィルハーモニー交響楽団3夜連続演奏会を聴いて♪♪

2010-06-19 23:27:10 | Weblog

 先週の8日から3日間、すみだトリフォニーホールで開催された、南西ドイツ・フィルハ
ーモニー交響楽団による「モーツァルト/ザ・テン・イヤーズ・シンフォニーズ1778-
1788」と称する3夜連続の演奏会を聴いてきました。全てモーツァルトの交響曲を3夜
連続して聴けるのですから、モーツァルト大好き人間の凡夫にとっては最高のイベントでし
た。

 この3日間は就業のチャイムが鳴ると同時に会社を出て、すみだトリフォニーホールへ向
かいました。個人的にすみだトリフォニーホールで聴くことはこれまでにほとんどなかった
ので、ホールの音やまた今回初めて聴く南西ドイツ・フィルハーモニー交響楽団の演奏にも
大きな期待を寄せていました。

 指揮者は、ヴァシリス・クリストプロスで指揮者もオーケストラも全てが初めての経験で
した。3夜連続して同じ席で聴きましたが、大満足の演奏会でした。知らないオーケストラ
だからと馬鹿にしてはならないことが、今回の演奏会で身にしみて感じたところです。

 初日は、交響曲第31番ニ長調「パリ」K.297、交響曲第38番ニ長調「プラハ」K.
504、交響曲第34番ハ長調K.338、交響曲第39番変ホ長調K.543の4曲でし
た。

 2日目は、交響曲第35番ニ長調「ハフナー」K.385、交響曲第33番変ロ長調「プ
ラハ」K.319、交響曲第37番ト長調K.444、交響曲第40番変ト短調K.550
の4曲でした。

 最終日は、交響曲ニ長調、交響曲第36番ハ長調「リンツ」K.425、交響曲第32番
ト長調K.318、交響曲第41番ハ長調K.551の4曲でした。

 全体的に音色がレトロに聴こえたことと、とても歯切れの良い演奏スタイルでありモーツ
ァルトの時代にはこのような演奏だったのではないかと思えました。また、弦楽器の演奏技
術が非常に高いオーケストラだと思いました。

 今まで、一流のオーケストラによるモーツァルトの演奏を聴いてきましたが、今回の演奏
はとても緊張感があり演奏者同士ならびに演奏者と指揮者の間の気迫を伴った演奏は本当に
素晴らしいものでした。

 ただ一つだけ面白くなかったのは、交響曲37番ト長調K.444ですが、これはミヒャ
エル・ハイドンの作曲で序奏部分のみがモーツァルトの作曲であったことです。やはり聴い
ていてモーツァルトの作品と異なることがはっきりと分かるもので違和感を感じました。

 3夜ともアンコールが演奏されましたが、初日が交響曲第39番ハ長調の第四楽章、2日
目が歌劇「フィガロの結婚」序曲、最終日が交響曲34番ハ長調の第二楽章が演奏されまし
た。

 こじんまりとしたオーケストラでしたが、演奏の実力は非常に高いものがありました。ド
イツの小さな美しい街並みがぴったり合うような清楚な音色のオーケストラの印象を受け、
ただただ脱帽の演奏会でした。

 翌週にダニエル・ハーディング指揮、スウェーデン放送交響楽団でモーツァルトのレクイ
エムを聴きに行きましたが、あまりにもハーディングの誇張的なモーツァルトのレクイエム
でがっかりしました。それに比べると今回の南西ドイツ・フィルハーモニー交響楽団と指揮
者のヴァシリス・クリストプロスは、最適の組み合わせであり、今後注目する必要があると
感じたところです。

■ 探査機「はやぶさ」本日の23時に地球に帰還予定!!

2010-06-13 17:33:52 | Weblog

 最近日本の世の中が閉塞感にどっぷりと浸かり活気が無ありませんでしたが、2003年5月に鹿児島県から打ち上げられ、地球と火星の間にある小惑星イトカワを目指した探査機「はやぶさ」が、途中で発生した多くの難関を何とか切り抜け、本日の23時頃に地球に帰還することがほぼ間違いないようです。

 以前のニュースで重要機器の故障や通信途絶、エンジン停止などのトラブルが発生したことを聞くたびに、無事に地球に戻れることはないだろうと勝手に決め付けていましたが、このプロジェクトに携わっている人々の熱い情熱が無機質の探査機「はやぶさ」の機械装置に伝わり、起こるはずがないと思われる奇跡が何度も起こり、何と故郷の地球に戻ってくるというニュースを聞き、何故か自分に失いかけていた熱い思いが込み上げてくるものがありました。

 若いころは、何事も諦めた時点で失敗が確定する。よって諦めずに続ければ必ず成功するという根性論に近い考え方で行動していた時がありましたが、いつしかそのようなロマンの心が少しずつ薄れて行き、現実しか見ないさらに損得で物事を判断する企業経営の考え方に染まってしまった自分がありました。

 しかし、世の中は捨てたものではないと思えるのが、今回の探査機「はやぶさ」のプロジェクトです。当初計画から3年遅れの2010年の今晩、約7年に及ぶ宇宙の旅を終えて地球に戻ってくるのです。探査機「はやぶさ」の本体は大気圏突入時に燃え尽きてしまいますが、小惑星イトカワの砂ぼこりなどが入っていると期待されるカプセルは、本日19時51分に分離され、22時51分に大気圏に突入し23時過ぎにオーストラリア南部、ウーメラ地区の砂漠に落下する予定だそうです。

 大きなミッションをやり遂げた探査機「はやぶさ」の本体は、大気圏で燃え尽きてなくなり、本当に大切なものは耐熱のカプセルで守られて大気圏を通過し、最後はパラシュートを開き地上へ帰還するとのことです。それぞれの役割をきちんとこなし、次にその役目を引き継いで消えて行く様は、本当に感動的です。どちらかというと武士道に通ずるものがあるように思えます。

 きっとこの辺の感情に関しては、外国人には理解できない感情のエリアであると思います。日本という国は、人を宇宙に送り込むような大きなプロジェクトには適しませんが、今回のような小さなものをきちんとやり遂げることは向いていると思います。今回の探査機「はやぶさ」には、推進エネルギーの元となるイオンエンジンが積まれていますが、度重なる故障を綱渡りで切り抜け、最後の最後に故郷に戻すことを可能にしたプロジェクトのチームワークにはただただ脱帽です。

 そして、まだまだ日本は捨てたものではないと思う事が出来るようになりました。自分としても探査機「はやぶさ」プロジェクトに負けないように、日本人の持つ粘り強さを武器に、これから先も諦めずに何事にもチェレンジしようと思いました。

 探査機「はやぶさ」プロジェクトの関係者の皆様!!もうあと少しです。気を緩めることなくプロジェクトを成功させ、美酒をたらふく飲んでください。探査機「はやぶさ」帰還の感激を頂きありがとうございました。 合掌

■ 死生観に関して!!

2010-06-06 11:25:11 | Weblog

 先日、山折哲雄著の日本人と「死の準備」という角川SS新書を読みました。久しぶりに
充実した内容の本を読んだ感じがしました。いままで漠然としていた死ぬことに関してその
意味を明確にし、現在の日本人に欠けている死生観を分析した内容です。若いころにこのよ
うな本に出会っていたら、少しは人生の生き方が変わったのではないかと思える内容です。

 昔は人間の死は自宅で迎えるのが全体の8割程度あったものが、最近は病院でその人の死
を迎えるのが8割を超えているといいます。それは、命を少しでも現代の医学で延命させる
試みを行う結果から生じるものです。

 昔は自然に命が枯れて行くように死を迎えるのが普通であったことが、中途半端に科学が
進歩したものだから命を延ばすことが正しいことで、どのような場合でも延命させるという
考え方が余りにも定着したことから、結果的に多くの人が苦しみをともなって旅立って行く
ような場面が多くなった感じがします。

 医者の使命は少しでも生きながらえるようにすることなのでしょうか?原因が病気なのか
不慮の事故なのかは別にして、一つの事実としては、人間は必ず死を迎えるのです。どんな
に頑張っても遺伝子上の制約で120歳程度までしか人間は生きられないのです。

 有限の命であるのに、死に直面すると医者は使命感に従ってどうして延命させるのかわか
りません。極端な考え方ですが、自然に死なせることも一つの大きな生き方であると思いま
す。しかし、いざそのような場面に直面するとほとんどの人が延命を選択する行動になると
思います。

 いま日本人に欠けているのは自分の死に方を考えていないことだと思います。そろそろ還
暦に近づいている自分を考えると、人生の半分以上はすでに終わりあとは自分の人生を如何
に悔いが残らないようにするかを考えながら自分の残りの人生を設計し、それに従って生き
ることだと思います。この死を目標とした人生設計が出来ていないことと、死というものを
きちんと自分の中で整理し認識することが出来ていないことが最も大きな問題だと思うので
す。

 これらは自分の身の回りで死という現実に接する機会が極端に少なくなっていることと、
死生観に関する教育が行われていないことに起因しています。学校教育で死生観を全て身に
付けることは難しいことです。家庭でこそ行うべきものだと思いますが、昔のように自宅で
最期を迎える割合が極端に少なくなってきていることが原因で、人の死に方を身近で体験で
きないことが問題です。

 死にゆく姿をしっかりと見せることが年寄りの仕事であり、それを観ながら死とは生きる
とはを考え自分の番が来たらそれらを実践し、次の世代に繋げることが大切なことだと思い
ます。そのためにも自分の死生観を確立する必要があります。生きることの意味やその根底
にあるものをしっかりと考える宗教が必要だと思うのですがいかがでしょうか?  合掌

■ 第1676回NHK交響楽団定期演奏会を聴いて(Aプロ初日)♪♪

2010-06-06 00:26:18 | Weblog
 昨日の土曜日にN響の定期演奏会に行って来ました。指揮はウラディーミル・アシュケナージで演奏曲目が全てドヴォルザークで、前半がチェロ独奏デーヴィッド・コーエンによるチェロ協奏曲ロ短調作品104、後半が交響曲第8番ト長調作品88でした。

アシュケナージが指揮した演奏会で、いままでに満足した演奏会はほとんどなかったので期待せずに出掛けましたが、今回は従来と異なりN響の歴史の中でも記録に残る名演奏であったと思います。このような場を共有することができたことは、幸せだと正直に思う程の内容でした。

前半のチェロ協奏曲ですが、独奏者のデイヴィッド・コーエンが素晴らしい演奏を披露し、優れたチェリストであることを証明したような内容の演奏会でした。コーエンは、ベルギーのトュルネで生まれ、9歳にしてベルギー王立管弦楽団とソロデビューを果たすなど幼少のころからその才能を発揮していた演奏家です。特にユーディ・メニューインとロストロポーヴィッチから直接指導を通じて、持ち味の音楽性にさらに磨きをかけ、素晴らしい演奏家に成長しました。

今回の演奏会においても、とても美しい音色とともに心がこもった音楽の流れに、ただただ聴き入るだけでした。彼の楽器は1735年製ドミニクス・モンタニャーナで、小さな音から大きな音まで滑らかに流れ出るだけでなく、どこか上品さがこもっている感じを受けました。

バックで演奏したN響ですが、バランスが取れた演奏で久しぶりに満足できる内容でした。鳴りやまぬ拍手にコーエンは、カタロニア民謡「鳥の歌」をアンコールとして演奏しました。大きなNHKホールの隅々にまで「鳥の歌」が浸み渡るように流れ、時間を忘れ何故か極楽浄土に居るような錯覚さえ受けました。この世のものとは思えぬ不思議な音色に包まれ至福の時を過ごしました。

後半は、交響曲第8番ト長調で、曲の構成とその内容から一般的に良い演奏に恵まれる曲ですが、指揮がアシュケナージなので、諦めていましたが、今回の演奏は、非の打ちどころがないような充実した演奏でした。特に全体のバランスが完璧であったことと、全ての音がきちんと聴くことが出来たのは、取りも直さずバランスが取れていることを示しています。

管楽器のトランペットから木管楽器のクラリネットへ音がスムーズにフェードアウトしたり、ホルンが全体の演奏をメリハリを付けるように支えたり、またチェロとビオラが中低音部分で音の膨らみをサポートしたりと、それは素晴らしい内容でした。管楽器ではトランペットとホルン、木管楽器ではクラリネットとフルートの出来が特に良かったと思いましたし、弦楽器も従来以上に素晴らしい内容でした。

指揮者のアシュケナージですが、従来は演奏内容がいまいちなのですが、今回だけは脱帽しました。何しろ全体の構成においてバランスが取れていたことにより、聴く側の心にいろいろな感動を引き起こすことが出来たと思います。いままでにいろいろな指揮者による交響曲第8番を聴きましたが、今回の演奏が最も素晴らしい内容であったと断言できる出来栄えでした。幸いにも後日に放送するために収録が行われていたので、確実に録画しようと思いました。

久しぶりに感動した演奏会で、N響の実力を見せつけられました。皆さんも後日放送される番組で、今回の演奏の素晴らしさを味わっていただければ幸いです。久しぶりに満足感とともにNHKホールを後にしました。