ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

■ バランス感覚は全ての原点!!

2009-05-30 12:23:22 | Weblog
 昨年の健康診断で高脂血症と胃にピロリ菌がいるので治療するようにとのコメントがあり
ました。高脂血症は遺伝性のもので、かれこれ30年程薬を飲み続けていますが、それでも
基準値をクリアできない状態です。

 このようような状態の中で、さらにピロリ菌ですからたまりません。すぐに行きつけの医
師に相談し適切な専門医を紹介してもらいましたが、結局行かずに今日まで来てしまいまし
た。

 常日頃ピロリ菌に関しては気になっていたので、日経新聞の健康欄のところ連載されてい
る「菌とつきあう」という内容に興味を持ってからは、今更ですがヨーグルトを毎日欠かさ
ず食べるようにしています。

 それもピロリ菌と戦う力をもったLG21という乳酸菌を食べています。統計上数週間食
べ続けると少し効果が出るとのデータを信用して取り組んでいます。人間とは面白いもので
効果があると初めから信じて取り組むと、その気になるものです。

 LG21を食べ続けて1週間程たったときに、不思議と胃の調子が良いと思われるように
なったのです。それ以来毎日欠かさず食べています。さらに先日TVを見ていたら腸内には
100兆個の細菌が生息し、これらは善玉と悪玉に分けられると聞いて笑ってしまいました。

 高脂血症の原因となるコレステロールにも同じように善玉と悪玉があるからです。これら
の菌やコレステロールと同じように、自然界の中にもこの相対するものの存在があり、これ
らが上手く調和して最良の状態を保っているのが通常ですが、どこかでこれらのバランスが
崩れたときにいろいろな弊害が生じるのです。

 また、人間の心の中も善の心と悪の心が常に同居しています。善の心で行動している間は、
人間として当たり前の状態で過ごしますが、反対に悪の心の下で行動すると、人間としてし
てはならない行動を引き起こすのです。

 このように人間の体もまた心も全て相対するものや状況が存在し、常に周りの環境や要因
に従ってバランスの調整が行われますが、調整が出来ない範囲まで達すると問題が発生する
のです。

 どんなに素晴らしい心の状態を維持できる人間でも、また強靭な肉体を持っている者であ
っても相対する要素のバランスが崩れると、それ以前の状態が嘘のように壊れてしまうので
す。

 このような状態にならないようにするためには、相対する要因に対して常に中庸という考
え方に従って冷静にまた素直に行動することが重要だと思いうのです。ただ中庸という概念
ですが、凡夫にとって着実に実行するのは難しいものだと思うこの頃でもあります。

■ 第1646回NHK交響楽団定期演奏会を聴いて(Aプロ初日)♪♪

2009-05-30 12:22:02 | Weblog
 N響の定期演奏会へ出かける場合は、原宿駅から代々木公園の脇を通ってNHKホールへ
歩いているが、毎回土曜日の夕方であることも影響し、やたら若者が多くおりそれぞれに特
徴のある行動をしている光景に出会います。

 路上で自信たっぷりに楽器を演奏したり、また持参の音響機器で歌で人の迷惑を考えずに
がんがんと歌っている。またその前を無関心に通り過ぎたり、あるいはじっと聞き入ってい
る若者達がいるのです。

 べつに若者を非難する気は毛頭ないが、不思議なことにこれらの若者に共通した特徴があ
ることに気づいたのです。それは自分を確実に認識できていなのに背伸びをして自分を大き
く見せたり、あるいは他よりも優れているといった過剰な主張する行動です。

 自由闊達で良いではないかと言う方がいると思いますが、根本的な面で自我が確立されて
いないのでは全く意味がないと思うのです。自由と責任と他人あるいは社会との関係をきち
んと理解しそして認識する必要があると思うのです。こんなことを考えながらNHKホール
に向かい、5月の定期演奏会を聴いたので今までとはちょっと異なる聴き方になってしまい
ました。

 さて、今回の演奏ですが、指揮者がオリ・ムストネンで、2曲目のピアノ協奏曲では弾き
振りをしていました。演奏曲目は、ムストネン自身の作品である3つの神秘(2002)、
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲ニ長調(ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61の作曲者自身に
よる編曲)、シベリウス/交響曲第6番ニ短調作品104、シベリウス/交響詩「フィンラ
ンディア」作品26の4曲でした。

 演奏を聴いた感想ですが、ムストネン自身の作品である「3つの神秘(2002)」です
が、静寂とした楽想のなかに感情や主張が静かに流れる感じの曲で、現代音楽と少し異なる
内容のものでした。心に響く度合いで述べるのであれば普通レベルのものでした。

 2曲目のベートーヴェン/ピアノ協奏曲ニ長調(ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61の作
曲者自身による編曲)は、ムストネンのピアノ演奏が問題ではなく、もともとヴァイオリン
のために書かれた協奏曲をピアノ向けに編曲した内容であることから、表現に違和感を持ち
ました。

 独奏楽器の協奏曲はその楽器の魅力を最大限に発揮するために書かれるものなので、それ
を他の楽器に変えて演奏するのは意味がないことだと思います。せっかく注目されているム
ストネンのピアノが聴けると思ったのですが、非常に残念でした。ムストネンのピアノを聴
きながら気持ち的にはベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番を聴きたいと思いました。

 休憩後に演奏されたシベリウス/交響曲第6番ニ短調作品104、シベリウス/交響詩
「フィンランディア」作品26はフィンランド生まれの演奏家が自国の作曲家の作品を演奏
するので、安心して聴くことが出来ました。

 特に交響曲第6番はなかなか演奏される機会がないので真剣に聴きました。シベリウスの
他の交響曲と少し異なる楽想でしたが、素直に聴く事ができました。積極的に再度聴きたい
かといわれると遠慮する分野の曲でした。

 最後の演奏の交響詩「フィンランディア」は特に有名であり、学生の時に実際に演奏した
曲なのでいろいろ興味を持ちながら聴きましたが、N響の力量も加わわりレベルの高い演奏
でした。個人的に満足しました。

 ムストネンのピアノ演奏は注目されているようにいろいろな場で述べられていますが、私
から見るとピアニストよりも指揮者に専念して活動を続けて欲しいと思いました。誠心誠意
取り組む演奏家の印象を持ちました。指揮の特徴としては、エネルギーを丸い球体に閉じ込
めて、適宜膨らませたり調整するような演奏内容でした。

 少し満足感を味わいながら帰宅の途につきました。幸いなことに代々木公園の脇で演奏し
てた若者は誰もいなくなり、心に安らぎをもちながら駅まで歩けたのは幸いでした。

■ 慈悲と智慧が仏教の原点♪♪

2009-05-06 16:32:07 | Weblog

 五木寛之を通じて仏教の世界に足を踏み入れた私ですが、まさか自分が宗教に興味を持つ
とは思ってもみないことでした。それだけ自分としての人生の生き方が定めっていなかった
というか、曖昧な状況の中でただ単に生きていたのだと思っています。

 しかし、整理はされていませんでしたが、自分なりの生き方の基本は持っていたつもりで
す。さらに昔は、宗教に興味を持つ者は自我の確立が出来ていない弱い者であると、勝手に
決め付けて生きていました。中途半端に理解するこということは本当に恐ろしいことです。

 仏教の誕生の背景を釈迦の人生を通して学ぶと、その本質の偉大さに驚きを感じます。正
にその広さと深さの規模は宇宙と同じだと思います。今から2500年ほど前に釈迦が6年
間の苦行を通じて最終的に悟りを開き、その本質を弟子たちに分かりやすく教え、さらに当
時の迷える衆生を優しく救った釈迦の行動の根本にある仏教の教えは、今の時代にも何の遜
色もなく心に響くものがあります。

 仏教の教えの基本は慈悲と智慧に尽きると思います。慈悲は、常に相手の立場やそのとき
の状況を判断し、優しさをもって接し想いやる心を大切にすることです。もっと極端な言い
方をするとい自分を捨てて他人のために生きるとでも言うことだと思います。正に利他のた
めに生きることだと想います。

 この考えを今の時代の中で実践することは非常に難しいことです。今の世の中は個人の自
由を尊重することに重点を置きすぎている感じを受けます。教育がこの考え方で進んできた
ので、ゆとり教育を受けた若者に関しては、特に自我の成長の面で問題の多い実態が浮き彫
りになる事件や出来事が毎日のように生じています。

 個性は尊重しなければなりませんが、その基本となる自我を確立させるべきことがなされ
ていないことがもっとも大きな由々しき点です。あまりにも心の問題に注意を払わずに目に
見える物質中心の考え方が前面に押し出された結果が今の世の中で、物は溢れ便利で充実し
幸せそうに見えますが、個人の心はその形を成していないほどずたずたになっているのが正
直なところではないかと思います。

 誰もが釈迦のように優しい思いやりのある心を持って生まれてきているのに、心を重視す
る育て方を教育の場でも家庭という根本的な育成の場でも行われてこなかったのが、大きな
問題だと思っています。

 人間の生きるよりどころを自分で見つけられるような手助けをすべきだと思います。慈悲
を通じて得られる諸々の知恵を集積し、さらに人生の生き方に昇華することを通じて得られ
るものが智慧だと思います。

 262文字で構成されているお経である般若心経は、この智慧について説いたお経とされ
ています。素晴らしい内容が詰まった正に智慧の集大成が般若心経だと思っています。毎日
1回は般若心経を読むと心が晴れやかになること間違いありません。是非とも般若心経を手
にし音読してみて下さい。  合掌

■ メルマガ発行9年目を迎えて!!

2009-05-06 16:29:41 | Weblog

 2001年5月5日にメルマガの第1号を発行して、とうとう9年目に突入しました。思
い起こすとはじめの頃はただ単に好きなことを面白く書きながら過ごしていたのですが、回
を重ねるうちにだんだんと真面目なことを書きたくなり今日に至っています。

 最近は自分の生き方を整理するために時間を要することが多くなり、以前のように毎週発
行する時間がなくなりました。書きたいテーマはどんどん増えて行くのですがそれにともな
って知らないことがさらに増え、学ぶための時間が必要になるという無限サイクルに入って
しまい、なかなか抜け出せない状況に陥っています。

 さらに歳をとった事も影響しており、気力が落ちてきていることは確かです。昔であれば
ちょっとやそっとでは諦めなかった事が、最近では簡単に諦めてしまうことが多いこの頃で
す。

 気力が落ちるということは、それだけ人生の終わりに確実に近づいていることを物語って
います。これからは今まで以上に素直に生きることを信条として過ごして行こうと思ってい
ます。

 好きなモーツァルトと仏教を2つの柱として、残りの人生を歩むためには、これから先の
残された人生設計をしっかりとしたものにしておかないと、無駄な時間を過ごすことに成り
かねません。

 愚妻は年金がもらえるようになる65歳まではなんとしても働けと言っています。確かに
生きていくためにはある程度の収入を確保しておく必要があります。そのためにも年金が支
給される前までは働く必要があります。

 60歳を超えたら今までの経験を生かして、どこかの大学で講師でもしながら暮らせれば
いいなぁと勝手に思っていますが、そろそろ60歳に近づくので、自分なりの計画を実現す
るための行動にでなければならないと思っています。

 この1年がその勝負の年となるのではないかと思います。その際に何の分野を中心として
教えるのかとなりますが、いままで経験してきたなかでもっとも興味のあるシステム運用の
体系化に関して独自の世界を構築してみたいと考えています。

 そのためには、今から準備を行い関連する論文でも発表しながら少しづつ知名度を上げ、
第二の人生の就職口を捜すことにしなければなりません。老体に鞭打って新たな世界に乗り
出す準備を進めながら、その状況や心境をこのメルマガに書き記しながら自分の最後の夢を
追い求めてみたいと思っています。

 何かをしたいと思っている心があれば、歳に関係なく何事も出来ると思っていますので謙
虚な心で対応したいと想います。

 メルマガ発行から9年目を向かえ、新たな決意でこれから先も取り組んで行きますので、
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 

http://members3.jcom.home.ne.jp/don_giovanni/