6月中旬から7月末までの1ケ月半は、個人的にちょっと大変な時期でした。今までの価値観やルールが変わり、それに対応せざるを得ないような事態に直面しました。凡人というのは、悲しいかな慣れ切った状態をいつまでの続けたいと願うものです。そして情けないことですが、結果的に保守的になりやすい人種です。
一番厄介なのは、新たな相手から提示されるものが論理的に正しいことに対して、今まで行ってきたことをどのように正当化するかが問題です。世の中は、論理的に正しいものばかりで構成されていないことは誰もが経験から知っていることですが、論理的に正しいことを行っていないことに対する言い訳ほど、難しいものはありません。
このような状況において、優位に立つのは攻める側で、最も辛いのが守る側です。凡夫はこの守る側の位置づけに立ちながら今回対応しました。自分でも情けなくなりますが、自分が行ってきた結果に対して指摘されるのですから、それ相応の対応をしないと、攻める側も納得しないのが世の中の流れです。
ここで問題となるのは、自分自身にどれだけの責任があったのかが焦点となります。自分が招いた結果によるものであればそれなりに意見や背景の考え方を説明できますが、自分が関わっていないことに対しては、なんとも言えません。それでも攻める側が手を緩めない場合は、誰もが切れてしまう状態に陥ると思います。
世の中ではいろいろなことが起きますが、何事も急激に変えたりあるいは全てを否定するような行動にでることだけは避けるべきだと思います。確かに正しい方向に導くために、いままでの価値観やルールを変えることは正しいことですが、それらを一挙に行うといろいろな面で支障をきたします。
地道にじっくりと変化させながら目的を達成するのが、最も良い方法ではないかと思っています。今の世の中はスピードが命であると経営者達が断言し、突き進んでいる時代です。これらは、単なる競争面の迅速性のみに偏った考え方です。本当にスピードが必要なのか誰ひとり立ち止まって考えている人がいないように思われます。これらの背景には、理論的な面では米国のMBAに代表される経営学の影響であり、また国の力強さの面からみると新興国のなかで特に中国やインドの台頭がスピード偏重の大きな要因となっています。
スピードをあげて駆け抜けたその先に、一体何があるのかをまるで考えていない感があると言わざるを得ません。過去の時代のように、ゆっくりと時が流れる様を、確実に自分自身で実感することが必要であると考えます。スピード偏重主義は、人間の生き方に大きな悪影響を及ぼす恐れがあることを、今一度冷静に考える必要があると思います。
この1ケ月の間、いろいろなことに遭遇しましたが、最後は自分自身の考え方がしっかりとしているかが大きな要因となることを再確認した次第です。特に攻めより守りの重要性と確実性、スピード経営偏重より人間重視が大切であることを個人的に確認したこの1ケ月でした。