『グランド・フィナーレ』

2008-02-17 12:59:14 | 文学






『グランド・フィナーレ』阿部和重 第132回芥川賞受賞作


なんつーのか、、これ全編予感、、というか、予兆の本なのね。

物語はある児童性愛の男が居て、
まぁ、憎めないちょっと弱い、、こういう性向の男は往々にしてそうなのだろうけど、、奴で、
そのことがばれて、奥さんからは離婚を言い渡され娘にも会えなくなる。

しょうがないから郷に帰って、親のやってた小学校前の文房具屋の店番をやってると、
その小学校の女児二人から、卒業時に開演する劇の指導をやってくれとお願いされる。

物語はその劇の幕が上がろうとする所で終わるのだが、
実は何も結末は描かれていない。

つまり、この主人公はこの女児たちとこれからどのように絡んでいくのか?
女児たちは劇が終わったあとも生きていくのか、、それとも・・・

このどこにでも居る少しイカレタ人間は、
そのほとんどはなんとか事件を起こさずに生涯を終えるのだろうが、
何かをきっかけにとんでもない事をやる可能性を大いに秘めているのではないか・・・

そういう、、何というか、、気分の悪さというか、、不気味さを、
全編にわたり読者は感じる事になる。


★★★☆☆



ところで、児童性愛というのは言うまでもなく変態の一形である。

変態というのはどこにでも掃いて捨てるほど居て、
およそ現代人は変態でない者の方が少ないと思われるし、
私自身も脚フェチという変態である。

ところが、
フェティシズムやコスプレ、ジェロントフィリア(老人性愛)、同性愛、などは
顔を顰められることはあっても、特にそのことで逮捕されるということは無い。

しかし、近親相姦や獣姦となるとシャレではすまなくなり、
ロリコンやショタコン(少年性愛)は犯罪となる。


こうしてみると、
性の趣向は必ずしもその個人の責任とばかりはいえない事に起因しているにも拘らず、
その方向性によって社会の受け止め方は余りにも違い、
ロリコンなどの変態野郎は可哀相な変態だなぁ、、、、


と時々思う今日この頃の変態なのだ。







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