「独り善がりの記」・吉祥点

うつ病発症十余年。
寛解?が心身症、不安障害に。
現在食事療法で糖尿病治療中!
独自・独断・独善の我儘放題自由帳。

「おばちゃん」お参りに行くよ。

2007-08-13 06:39:43 | Weblog

「おばちゃん」は私の母の姉です。故有って確か小学校の3年生位まで、同居していた記憶があり、50歳を過ぎてから故笠智衆さんによく似たS氏の後添えとして初めて結婚し、G駅のすぐ側に家がありました。

S氏はとても優しい方で、ある程度財産もあり、再婚に際しては家を新築して「おばちゃん」を迎えてくれました。本当に晩婚でしたが、結婚当初は短い期間ではありましたが、幸せを味わう事が出来たのではないかと思います。

しかし、残念な事にS氏は何年も経たずに病魔に冒され、彼女の献身的な看護も虚しく他界。S氏の実子は当地には居らず、よくある話ですが、結局は最期の面倒を見るために後妻になったようなものでした。子供だった私にはよく分かりませんが
色々苦労があったようてす。

同居していた時は、本当にどんな時でも無条件に私の味方をしてくれて、当時はまだ若く元気な母に叱られた時には、泣き虫の私をいつも慰め庇ってくれました。
私も芯から彼女に甘えていました。我が儘を言い困らせた事と思います。しかし、
彼女から怒られた記憶は全くありません。それほど私を実子以上に愛してくれたのです。

また、結婚してからも私は彼女の家によく遊びに行きました。特にS氏が亡くなってからは、土曜日泊まりがけで訪れました。献立はいつも同じ。土曜の昼は近所からラーメンをとり、夜は焼き魚と野菜の煮付け、翌朝は卵ご飯に納豆、肉じゃが。
いつも同じなので、時々文句を言うと「美味しいから、騙されたと思って食べなさい。」がいつもの口癖でした。49歳の今、出来るならインゲンとニンジンが特徴のあの煮付けをもう一度食べてみたく思います。

彼女は和裁と編み物の学校を卒業していたので、小学生までの私のセーターやカーデガンは全て彼女の手製でした。私のデザイン通り面倒がらずに作ってくれました。高校生の時の流行のロングマフラーが最期の作品になりましたが、今でも大切にとってあります。

勿論、学芸会等は必ず母と二人で見に来てくれました。今一番鮮明に瞼に浮かぶのは、中学3年最期の中体連の試合でマウンドから見た、バックネット裏にチョコンと二人並んだ姿です。ルールも分からずただただ黙って心配そうに私を見つめていました。本当にありがとう。

悲しいことに「おばちゃん」は62歳で旅立ちました。お通夜は奇しくも私の大学の入学式の日で、私は参列出来ず、下宿で一人でお通夜をしました。初めてお酒とビールを買い、一晩中泣きながら少しずつ飲みました。とても辛い味でした。
「おばちゃん」はきっと大学に入った私に安心し、逝ってしまったのでしょう。
早いもので30年の歳月が経ちました。

「おばちゃん」あれから私は大学を卒業、就職し、結婚して二児に恵まれました。いろいろ病気、手術を随分しましたが、この「うつ病」でお終いにしますよ。
色々あって、もう出世は出来ないけれど、今は諦観し当面復職が一大事です。
どうか、無事実現できるように守って下さい。

体調が悪くて、何年もお参り出来ずごめんなさい。
でも、今日は絶対行きます。楽しみに待っててね。合掌

私の座右の銘です。「思い煩う事なかれ、生きてるだけで丸儲け。」
変かな?大丈夫だよね。おばちゃん。