陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

雨の日は、あの日の本を再読してみよう

2018-06-10 | 読書論・出版・本と雑誌の感想

年末年始やゴールデンウィークの長期休暇明けとか、帰省ラッシュに巻きこまれたお盆休み明けとか、ペースが狂って疲れやすい時期はあるもの。私は一年のうちで、この六月あたりがちょっぴり憂うつです。気象学的に考えてみましても、寒暖差が激しかったり、湿気が多かったりすると、心身への負担も多い。5月、6月は租税公課の引落も多くて、各種の支払いもかさむので懐が痛いですよね。食中毒も怖いですし、カビが生えやすいので、家のメンテナンスにも気を遣いますし。

全国的に梅雨入りしてしまった日本列島。
いま時分楽しみなのは、晴れ間の虹か、すこしだけ早くなった朝焼けか、もしくは七いろに輝く紫陽花か、百合の花か。この時期は、図書館では蔵書点検と虫干しのために長期休館するところもあります。雨の日ですから、本を外へ出すと傷むことも多いですし。私も以前、お借りした本を不手際で濡らしてしまったことがありまして、極力、雨の日には本を持ち歩かないようにしています。昔、なじみだった古書店も雨の日に買取すると査定が下がるので、持ち込まない方がいいですよ、と言っていましたね。

自治体ごとに休館期間をずらしあっているところもありますね。当方の所在地図書館も、例年だと二、三週間のところを一箇月のお休みとなっています。雑誌や新聞などを定期的に閲覧するか、仕事柄、頻繁に調査資料が欲しい方にとっては不便でしかたがないでしょう。

私にとっては、これは、むしろチャンス。
図書館に購入される新刊本ばかりめあてに通ってしまって、手持ちの本が読めないことが多いからです。図書館においてあるからいいやと思っていた本も、あえて書店で買ったりして、この借り本暮らし無沙汰のシーズンにがっつり読み込むことにしました。

この期間に読むのは、新しい本ではなく、すでにいちど読んだことがある本ばかり。
もちろん、貸出限度枠いっぱいまで借りた本もありますが、すべて自分が過去に読んで、かつ、他に予約がかからないような本にしました。具体的にいいますと、すでに著作権が切れたような古典文学とかですね。

そのなかの一冊がヘルマン・ヘッセ作の『車輪の下』。
海外文学で若い頃に熱心に読んだことがあるといえば、ヘッセぐらいかもしれません。ヘッセの『デミアン』は、アニメの「少女革命ウテナ」の生徒会メンバーの台詞「卵の殻を破らねば雛鳥は生まれない」の元ネタになったことでも知られていますよね。『車輪の下』は、日本ではいちばん読まれているヘッセ作品だそうで、ドイツのギムナジウムを舞台にした少女漫画で知られる萩尾望都や竹宮恵子の作品にも影響を与えたとされています。

その『車輪の下』をほぼ十数年ぶりに読んだのですが、昔と自分の受け取り方がまったく異なってしまったことに驚きました。この作品は、ある少年の青春の蹉跌を描いたもの。地方では神童と謳われた少年が進学した名門校では、不良っぽい友人と懇ろになってしまう。問題行動を起こして退学させられた友人を追うように、主人公ハンスも劣等生になってしまい、ついには精神を病んであえなく帰村。故郷に戻るや、かつての級友たちよりも数年遅れで機械工として社会人デヴューするが…。

これを読んだ学生時代は、多くの若い読者がそうだったように、主人公に同情しました。
親や教育者たちの教育ハラスメントが許せないと義憤に駆られていたはずです。海外やファンタジーに憧れるお年頃は、身近な大人を仮想敵だと見なしがち。ところが、再読してみると、まったくそうは思わない。なんで、こんな自堕落で喧嘩早い、詩人気取りの学友なんかに影響されたんだ、と突っ込みたくなる。技術職人として働くことに生きがいを感じ始めた矢先に、遊び慣れた女性にもてあそばれて失恋したあげくに、同僚との飲み会の帰り道に泥酔して溺れ死ぬという結末。労働がいやで絶望したわけでもなく、上司や先輩にパワハラされたというわけでもない。ただ、飲み過ぎて自制心がなくなって、事故死したというオチ。

みずみずしいとされた情景描写もなぜかとても色褪せて見えてしまい、興ざめでした。もちろん、ヘッセの筆が悪いわけではない。私が変節してしまったのでしょう。夢破れたけれど自己再生を果たしたというストーリーを、その後の映画や小説でおおく触れてきましたし、経験値を積めば積むほど、これは見飽きてしまったからといって感動のハードルが上がってしまったのです。青春時代に自分の胸にくさびを打ち込んだ一作とまた出逢って気づいたのは、ひどく合理的に、冷徹に、登場人物の器量をこきおろして、なにかを悟ったような気分になっている、いけすかない読者の自分の姿でした。私が発見したのは、繊細すぎる子どもの迷いに不感症になってしまった、まさにあの大人たちの側に立ってしまった自分だったのです。

他にも数年前に読んで夢中になったSFも、おおまかな粗筋をぼんやりと頭の隅に残しつつ再読してみたところ、自分の中で評価の星がひとつ下がってしまっていたりする。そうかと思えば、時間がなくて、おおざっぱに飛ばし読みしたものや、耐えられなくて読み投げしたものに再チャレンジすると、あんがいすらすら読み通せたりもします。もちろん年齢や生活環境の変化のせいもあるでしょうが、あんがい気象も関与しているのかもしれませんね。

やはり、雨の日はカラッと気分が晴れるようなものが読みたくなる。
筋書きはあまり複雑でなくていいので、光明がさしこんでくるものがいい。六月というのは、日本の犯罪史上陰惨な事件が起こった月でもあって気が滅入るので、やはり救いがあるものがいい。結末を知らないで、あちこち行く先に知らない船に揺られて船酔いしていくようなものは、やはり避けたくなるんです。だからこその、手持ち本の再読書に励んでいるのですが。

雨の季節なので雨をテーマにした本でも紹介すべきなのでしょうが、雨の日にちょっとしたトラウマがあるので、原則的にはあまり読まないようにしています。映像作品だったら好きなんですが(なまめかしいからか?(爆))。雨が出てくる話で好きなのは、『マリア様がみてる』シリーズの「レイニーブルー」「パラソルをさして」ですね。赤の他人が濡れねずみになってしまったときに、傘をさしかけたり、着替えをさせたり、そういうあたりまえのおもてなしをしてみせる、という優しさが、いまの日本ではできにくい世の中になっているんですよね。傘を貸そうとしたら凶器だと思われる、あるいは、庇を貸して母屋をとられるな、みたいな教訓が出回っていて。


読書の秋だからといって、本が好きだと思うなよ(目次)
本が売れないという叫びがある。しかし、本は買いたくないという抵抗勢力もある。
読者と著者とは、いつも平行線です。悲しいですね。



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