陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

良書には、作者の読書歴や思想の深さが詰まっている

2023-09-09 | 読書論・出版・本と雑誌の感想

私は歴史小説が好きで、わりあいよく読みます。
戦国武将もの、織豊政権時代、江戸時代の人情噺はよくある時代ですね。最近ですと、明治大正あたりの人気が高まっていて、歴史小説家の主戦場になっているとも言われているそうです。

歴史小説は基本、実在の人物が出てくるものですから、たとえ主人公が異なっていたとしても、周辺の登場人物でおなじみの顔ぶれがかならず登場します。そして、お約束の歴史的なイベントが起こることが約束されてしまっています。本能寺の変や関ケ原の戦いはこれまでいくら物語り化されてきたのでしょうか。

最近は歴史小説のマンネリを防ぐためか、大文字で書かれた有名人ではなく、二等星、三等星めいたより矮小なキャラを主人公に据えたりすることが多くなっていますよね。
たとえば、敗軍の将とされていたような明智光秀だとか、石田三成だとか。惨めたらしい最期を迎えたはずの人物の名誉挽回になるような新解釈を加えてみたりもする。

しかしながら、人物名を変えただけで、どこかで見た感じの展開といいますか、人間関係の描き方や歴史的事象のつなぎにある個人的なレベルの出来事について、既視感のあるようなやんわりした展開をよく見かけます。別にその場面は、その人物でなくともいいような。作者の日常の言動をその偉人にさせてみただけではないか、と言ったような。なぜそういった感慨を受けるかといいますと、その著者がどこかの本だか、ドラマだかのお手本に沿ったつくりしかできなくなっているからではないか、と思われるんですよね。

それとは逆に、これまでいくらでも使い古された人物、あるいはテーマであったのに。
その著者の手にかかったら、実に生き生きとした闊達な動きをする小説というのもあります。歴史小説だけに限らずに、企業小説やら、現代の純文学でも、そういう優れたものがある。読み進めていくうちに雷が走ったような衝撃がある。これはまさに良著だ、と拝みたくなるような本ですね。

そうした良書は、不思議なことに、その一冊を読んだだけなのに何冊も読んだ気分になれるのです。なぜか。その著者が種々様々な経験値を積んできて、いろんなひととの対話をしてきて、作家業のようなひきこもりではない実地の職業経験があって、多くの本を読みこなしてきているからです。海外の小説のなかには古典文学や聖書がさらりと引用されているけれども、そういった教養が伺える。日本の近代文学のなかにも、絵画や詩文に関する著者の造詣の深さあらわれていたりもしますよね。あるいは、その当時ならではの時代感覚で切り取ったような社会の縮図のような、人間観察が鋭いもの。

構成の妙とか、キャラの洒脱な掛け合いとか、意表を衝く衝撃的なエピソードとか。ちょっと凝った文体にしてみせたとか。
そういった技術的なことだけではなくて。人気キャラをいつまでも薄い筋書きで引っ張るんじゃなくて。そのひとをつくりあげている価値観が裏付けられてわかるような、生に対する希望を与えてくれるような、そういった肌触りになっているような本。そういう本はすごく手元に置いておきたい本です。その人の作家性や良識を信頼できるような本です。

話題性のために安易にキャラクターをばっさり切り捨てるような作家は、自分を世の中でうまく動かすことができないでいるもどかしさを感じて、虚しくなります。たとえ物語上のごく小さな存在であっても、いい意味でも悪い意味でも胸が熱くなるような役割を与えられる作家のほうが私は好きになれますね。

同じようなテーマやキャラ造形で書いているはずなのに、作者によって読書の味わいがことなるのはなぜか。それは、その一冊の中に著者の豊かな読書遍歴と人生体験、思考の形跡がしたたかに刻まれているからです。

良書はまさに良書によってこそつくられる。
それこそが、まさに読書体験が生むクリエイティビティなのです。

(2021/09/12)




読書の秋だからといって、本が好きだと思うなよ(目次)
本が売れないという叫びがある。しかし、本は買いたくないという抵抗勢力もある。
読者と著者とは、いつも平行線です。悲しいですね。



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