陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

空白の夢見鳥・白鳥空の妄想力

2007-01-19 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女

「京四郎と永遠の空」
それは夢想屋さんで独舌家、白鳥空のオトボケ口述手記。
彼女の無垢な状況説明に視聴者はいちいち突っ込まずにはいられないので、
落ちついた心で眺められません!



白鳥空の独白調は、いずれ視点の切り替えによってあらたまることになりそうです。
主人公がモノローグで物語をはじめるのは少女漫画の常套手段なんですが、
劇画や小説ならともかくアニメでやられるのはちょっときついですね。
視聴者は白鳥空の思考をむりやり埋め込まれるわけで、さらに彼女が語る間は
BGMや効果音が入れられないんです。
だから感興をそそり心情を焙りだすような音楽演出もできない。

そして、空の語る言葉も客観的状況の記述というか、淡々とした語り口。
空の心の声だけれど手紙形式なので、文面をただ読み上げている感じ。
誰かに直接話しかけるなら、そのやりとりの間合いの取り方や息継ぎで、
そのキャラの心の在り様が分かって、観る側も感情移入できるというもの。
でも対話の相手が見えているわけじゃないから、感情が籠もっていなんですよ。

さすがに京四郎が空を庇って腕を負傷するシーンは、空の独り言を挟まずに
スローモーションで流してましたが、もっと映像で見せて視聴者に悟らせる、
考える余地を与える工夫をしてもいいと思うんですよね。
ただし、せつなと京四郎の関係に限っていえば、せつなの鈴の音色や
顔の表情の微妙な変化のつけ方によって、この心理状況の暗喩が功を奏している
といえます。
逆に空と京四郎の関係は、彼女のおめでたい話調のせいで、コメディにしか思えない。
(あくまで今のところは)

神無月のときは前半部の千歌音の内面吐露や、第六話の初めての出会いを
双方向に描いた部分や、第十話での二人だけの夜のシーンを姫子視点のみで
語らせたあたり等、かなり効果的に用いられたモノローグ。
ですが今回は、ギャグにしか思えないんです。
まだ空が切迫した状況に置かれておらず、想いが募っていない段階なので
こんな調子でも仕方ないんですが、回を追うにつれて語り口調がどう変わってゆくのか、
みものですね。

「京四郎と永遠の空」って、もしや「神無月の巫女」のシリアス手法を逆手にとって
ギャグ化したアニメなんじゃなかろうか。
神無月の正式な続編とはいえないが、神無月のパロディアニメ。
随所にもりこまれた神無月を髣髴とさせる場面が、涙を通り越して
ちょっと滑稽なんです。
シリアスを繰り返すことは、ナンセンスな笑いをもたらすものなんですね。


…と、ここまでは、かなり白鳥空の一人語りを茶化して貶していますが、
彼女の名誉のためにもちょっと補足事項を。
実際まじめに聞いてみると、乾いた日常を精一杯少女らしい明るさと驚きで
装ったような物言いで綴った痛々しさが、窺われるんですよね。
あまりにも現実が空疎だから、自己と身の回りを物語化しおもしろおかしく
演出するしかない。
これは誰しも覚えのあることで、だからこそ白鳥空は主人公たりえるのかもしれません。
特別なものになれないもどかしさ。
そんな平凡さは、ある意味白鳥空の一つの魅力なのですが、綾小路京四郎が
手を差し伸べたのは、彼女自身も知り得ない何かの能力を感じてのようです。
やはり綾小路京四郎、喰えない男です。


「永遠の空」と題されたアニメ第一話。
観る者の口癖になりそうなくらい終始「拝啓、私の王子様」で語られてゆく
この初回は主人公、白鳥空の人となりを大いに印象づけるものとなりました。
しかし、空が自分を「空っぽ」と感じているのは、いわばアドゥレセンス特有の
倦怠感なのか、それとも…?
何の取り柄もなく、表面上は周囲から浮き立たないように自戒している彼女ですが、
その誇大妄想ナレーション能力は、絶対天使たちの戦闘能力を凌ぐほどの、
(視聴者の(笑))精神を破壊する力があります。
過剰な演出は、その内面世界の凄さを表現するためなんでしょう。








でもこの物語のすべては、白鳥空の邯鄲の夢でした!なんて
夢落ちじゃないことを祈ってますが。
(漫画『ハイスクール奇面組』の最終回がそうだった…)
EDがそんなことを予感させるんですよね。

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