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陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

労働者の生産能力と、組織の大小や職種の華やかさは無関係

2025-04-26 | 仕事・雇用・会社・労働衛生

様々な職歴を経験しているがゆえに、私なりの仕事観というものがある。
それは現在の中小企業勤めであることの偏見といえば、そうかもしれない。だが、日本企業の9割以上は中小企業であり、しかも、誰もが憧れる大企業や公務関係勤務とは言いながら、実質派遣社員だったり、請負だったり、はたまた非正規職スタッフが組織の大半を占める場合がある。

なぜ、こうした構造がおきるかといえば。
どの組織でも、ラインとスタッフの階層構造があるからだ。ラインとは上位管理者であり、会社の中枢部門。経営上必要な経理作業や法務手続き、労務管理を行う。組織の指揮命令系統の心臓部である。

スタッフとは、それ以外の末端組織。
会社で言えば営業部隊だとか、製造や販売部門だとか。営業は契約書などで法務を扱う場合があるので原則正社員雇用であるが、たいがい生産管理やサービス系は、その部門長をのぞけば、現場スタッフ扱いである。要するに代替要員がいるような作業。

もちろん、小さな組織であればあるほど、ラインがスタッフ職を兼ねることがあるだろう。
実質、ひとり事業主は、営業販売や経理労務法務も兼ねての、その分野の専門職である。なので、帳簿のつけ方がわからないからほぼ無給で経理をやってくれとか、そういったお願いをえせ個人事業主さんたちにされると、私は眉をひそめてしまう。自分のお金も管理できず、決算書も読めずに税務手続きもしたことがない。そんな人間が事業主を名乗れるはずがなく、ひとに作業指示もできるはずがない。

かつて、同じ就職氷河期世代の旧友の発言で驚いたことがある。
彼女は英語力を活かしてマスコミ関係の記者やアナウンサー志望だった。だが、就活の練習台として、ある中小企業の食品メーカーを受験したが不採用。「あんな小さな会社まで受けたのに…」と不満をこぼしていた。この彼女、もちろん本命のマスコミも撃沈、その後、大手マスコミの専業ウェブデザイナーを標榜していたが、実際は派遣職だったらしい。そして、今はウェブ上でフリーランスのディレクターを名乗って出張していますとうそぶいてる。実際は仕事がなくて、親からの援助で遊び回っているだけなのだろう。

ほんらい、ウェブデザインの独立を見越して実績を積むならば、小さな印刷会社やらデザイン会社に直接雇用で入社し、営業から経営管理から何から何まで経験すべきだったのだ。中小企業を小馬鹿にしていた彼女は、そうした実地経験を積むことなく、チームマネジメント経験もないまま40歳を過ぎると、その派遣の就業口ですら紹介されなくなってしまったのである。これは時給が高いから、自由が利くから、雑用はしたくないからと「専門職(実際はコーディング作業などの作業員なのだが)」にこだわった人間の末路であって、かつてはクリエイターをしていたが50過ぎたら清掃や警備員なんて人はゴロゴロいるわけだ。

私は30歳ぐらいの頃、親族の公務員から小役人の受験を勧められたことがある。
県庁職員や市役所職員。もちろん博物館学芸員も。すべて不採用だった。でも、もし採用されていても私には務まっただろうか? たしかに見栄えはいい職務であろう。しかし、窮屈で旧弊なタテ社会のお堅い職業が私には不向きに思えてしまったのだった。

個人事業上の届出で、私は毎年、ある自治体の行政委員会へ出向くのだが、そこの職員でも若手の有望な人ほど税務課や教育委員会など花形部門へ移動し、冴えない中高年管理職はずっとそこへとどめ置かれている。二年前の担当者だった男性課長は、私の分もふくめた書類を放置したことが発覚したのか、うつ病を患って退職してしまったという。図書館で勤めていた時も、正職員の司書たちは何時間も裏でお茶を飲みながらサボっていたし、あげく遅刻や無断欠勤をくりかえすのに海外旅行だけはしっかり行ってしまう、意識高い系モンスターおばさんもいた。こうした文化施設が現在、ほとんど非正規職で運営されているのは、理に適った運営だと言える。税金で運営している施設に無能なのにプライドだけは高い、文化系乞食の労働者を高い給与で囲っていてほしくないからだ。


どうしてこんなことが起きるのか?
本人が適性を理解せず、ただ大企業だから、公務員だから、将来安泰というだけで就職してしまうことが多いからだ。中小企業、とくに中途採用組はキャリア重視のために職種を固定されているが、大組織はそうではない。研究者気質なのに営業職に回されたり、行動派なのに経理職になったり、企画や発案が得意なのにマニュアル作業の製造や販売、受付へあてがわれたりする。人事部がその仕事を割り振るのはそれなりの事情があるのだが、本人は適職でないと失望し、早期退職もしくは労働意欲のない窓際中高年になったりする。生産性の低い中高年管理職が降格させたり、あるいは、チーム内で一人の正社員管理職のみを置いてあとは非正規か派遣職だらけにするといったマネジメントも、公務関係で珍しくなくなった。そして、ITスキルのある若手を新卒厚遇で大抜擢するという。だが、それも問題がある。スキルはあっても、管理職に相応しい人的折衝能力を備えたZ世代が多いとも思えない。

会社の業務内容が合わず、あるいは希望のキャリアコースを描けなかったがために、士業資格を取得して独立したという話もよく聞く。
だが、それで成功できるのはほんの一握り。そもそも組織運営上の立ち回りで失敗した人間が、士業で独立して、会社経営に関するコンサルタントなどできようか? 社労士の資格の勉強に何年も費やして無職のままでいるよりも、そこたしの会社の総務事務に採用された方が、よほど社会保険・労働保険の手続きの何たるかが学べてしまうのだ。何せ実際の申請書類を手にしたり、「これこれ株式会社の総務の〇〇ですが」と名乗って、お役所に堂々と問合せできるのだから。

多くのひとは、職業=自分のアイデンティティだと思いこんでいる。
高給取り=高度な仕事をするためには、高学歴が必要で。だからこそ、なんとかクリエイターだとか、外交官やら医者やら学者やら弁護士や税理士やらと、なんとなく派手で賢そうなイメージがある職業は社会的ステータスが高いと思いこんでいる。それを目指せば、おめでたくも何者かになれると信じている。だが、医者にも大学病院での組織構造があり、開業医ならば経営知識が必要なのである。たとえ高度専門知識をもっていても、人間関係の中で上手く泳げない労働者は仕事を失ってしまう。その事実に学生時代から気づかせないと、卒業後に社会に出て挫折したまま隠棲者になってしまう。

スキルアップなどと称して、自分の能力を活かすためには何が必要かを学んでこなかったからだ。そのうち、自分の失敗談を売りにして本を出そうとか、ブログで売ろうとか、ユーチューバーで一山あてようとか、小銭稼ぎの既に新規参入が難しいような仕事にりつこうとして年月を消費する。そしてネット引きこもりのできあがりだ。

現在、憧れやすいマスコミ記者やアナウンサー、デザイン職、士業関係の法務事務、医療事務、公務の一般事務までもが、ほぼ派遣や非正規職に置き換えられている。
なぜか? こうした知的判断の必要な職務がAIに置き換えられることが判明してしまったからだ。少子化で先細りする教員もしかり。もう大学は専任のアカポスを増やさず、非常勤講師ばかり。50歳まで非常勤講師を掛け持ちしたあげく、コマがなくなり、コンビニ店員などの別の職種で糊口をしのいでいる、なんていう学者崩れは珍しくないのだ。

東大の博士号持ちがタクシー運転手をしていたり、留学経験者が英語で仕事にこだわりワーホリばかり繰り返して、日本の社会保険に未加入で老後破綻する、という不都合な事実は存在する。

働くために何が必要か? 働くことで得られるのは名誉や金銭だけではない。
生きていくためにプライドを捨てて、どんな仕事でもできる。そういった覚悟ができているひとほど、真に強く賢い労働者なのではないだろうか? そして、日本のお受験教育は、ゆがんだ選民意識の無能なえせエリートを生み出しているだけで、自分が働けないのを社会のせいにしたり、親やら配偶者やら、役所の補助金やらに寄生すれば生きられると甘く考えているフリーライダーを多く生み出しているのである。

教育を受けるのは、クイズ王者になって頭がいいと褒められるからではなく、自分が社会に一員として地道に働くために必要な基礎学力を得るためだということを教師も親も理解できないまま、子どもを育てているのだろう。マネー教育やら、IT授業やらをするまえに、もっと教えることがあると思うのだが、まあ、お役人に教育方針なんて決めさせているから無理だろう。ゆとり教育の失敗もしかり。

(2023/07/22)






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