陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

映画「キッド」(1921)

2011-09-21 | 映画──ファンタジー・コメディ
「人生は短期的に見ると悲劇の連続だが、長期的にみれば喜劇である」と言ったのは、かの喜劇王チャールズ・スペンサー・チャップリン・ジュニア。映画の黎明期にあって百年経っても色褪せない仕事をした彼の偉業については、語ることが尽きません。
山高帽にチョビ髭のいぎたないホームレス風の男だけれども、魂は紳士然として誇り高い。この類型的なトランプさんが、太っちょの警官に追いかけられたり、いかつい巨漢に殴られながらも最後に巻き返したり、また女性との淡やかなロマンスがあったりする、といつもいつもお約束のシーンがあるにせよ飽きることがないのは、貧しいながらも弱者にはこころ優しく権力には立ち向かうというヒーローを時代が求めている由縁なのでしょう。

1921年の映画「キッド」は、彼の長い映画人生にあっては初期作の作品。そしてまた、初の長編映画でもありました。

愛する男に捨てられた女は、生まれたばかりの赤子を泣く泣く残して去ってしまう。赤子は巡り巡って、貧者が集う街の一角にたどりつき、それを拾うことになるチャップリン演じる男。
ジョンと名づけられ五歳になった男の子は男とつつましく暮らす日々。男の生業はガラス売りで、ジョンの手も借りながら(けっして褒められた借り方ではないけれど)父子ふたりでしのいでいく。とちゅう、喧嘩に巻き込まれたりしながらも、少ないホットケーキを分け合う様子や、ラストで訪れる離別に奔走して子を探し出す
ことからも、男が並々ならぬ愛情をかけてきたことがみてとれます。
いっぽう、生みの母親は歌手として成功しつつも、捨てた我が子の面影を追っているうちに、それと知らずにジョンに出会うことに。

最後は、引き離された母子、そして父と子が再会しハッピーエンド。途中の夢のなかでの天使の場面(当時の評論家も解釈に苦慮したらしい)が不要に思うけれど。
台詞の字幕すらほとんどないのに、よくわかる物語です。役者の口の動きを読みとって状況が読めるのはサイレント映画の特徴であるけれど、いちど観ただけでは筋書きが呑み込めず何が言いたいのか判じがたい作品が近ごろ多いなかで、じつはこういう明快にして人生の悲哀を描ききった静かな味わいを持つ作品こそ、やはり長く共感を呼び寄せておけるものではないか、と思われますね。

子役のジャッキー・クーガンは、ヴォードヴィルで活躍していた八歳の芸人で、チャップリンがひと目見て抜擢したという逸材。本作のデヴューで一躍売れっ子になりました。
天使役でチャップリンにキスをする少女は、のちに二番目の妻となるリタ・グレイ。
母親を演じたのは、チャップリン映画で数多く共演を果たしたエドナ・パーヴァイアンス。トランプ氏が盲目の女性に尽くす「巴里の女性」の主演で有名ですね。

(2010年1月15日)





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