陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「アンサング・ヒロイン」(二十六)

2010-12-25 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女

あたしが「音速のファイナルステージ」を読んでいる間、レーコはベランダのある窓へと視線を向けていた。
その長い沈黙は、音楽に喩えるなら、四分音符が八つ以上は並ぶぐらいはあったかもしれない。

さっきよりはていねいに紙をそろえて、封筒にしまいこんで。
「ありがと、いいハナシだったわ」なあんて、しおらしい感想までつけて。いつになく自分らしくもなく、あたしはその下書き原稿をレーコに返していた。ど、ど、ど。呼吸が熱く弾んでしまう。激しいダンスを一曲踊ったあとみたいな高揚感。こころはどこか時速百キロぐらいで運ばれていた。好きを仕事にしたプロフェッショナル、そこそこ売れて人生万事オッケー…なはずなのに、なにが、どうして、こんな後ろ暗い、底なし沼のように深いものを、エグい人間模様をこいつに描かせてしまうのだろう。ドラえもんののび太ママみたいな単純な顔のつくりしてやがるのに。

「好きなものを稼ぎにするとね、逃げ場がないわけだ。だから、こういう落書きも描きたくなる。想像できる気持ちのいい友だちが、力強い救いのヒーローが、理解のある恋人が。そんな安直な話じゃない。自分の分身を殺せるから、私は絵描きになったのかもって自覚するぐらい。これじゃ世の中に出せないって、編集には釘さされまくってるけど」

口の端をつりあげて、苦笑いするレーコ。
そうじゃない。陽の目をみない妄想だから。それでも誰かに読んでほしくて、いいねが欲しくて。そんな下心のために描いたものじゃない。あれは、読む人を選んでしまうような気味の悪い怪作だ。こいつは、この魂の地獄めいた一作をあたしに読ませるために、あたしをこのマンションに誘ったのだ。雨の日の傘の下に招き入れたのだ。下を見たら目がくらむぐらいの高さはある、この建物のベランダにまで、あたしの押しつぶされた気持ちを追い詰める、ただこの瞬間のためだけに。

「あんたさ、さっきの空き瓶って…あれも、あいつらに拾わせてんの?」
「うっかり落とす、そのときコロナはその凶暴な音で気づくんだ。自分の代わりはいないって、元通りにはならないって。自分を壊したくなんかないんだって」

どくん。胸が高鳴ってしまう。びくん。脳が震える。
ぐわぁっしゃああああん。ものが粉々に砕け散った音が遠くで聞こえた。壊れたのを見ていない。なのに、からだのどこかが軋みあがる、そんな音が響くのが怖い。外の声が聞こえない、音がぼやける、くすむ。なのに、こいつの声だけは一言一句やたらとはっきり刻み込まれるように聞こえるのだ。怖い。

あたしは知ってた。うすうす感づいていた。
一階の店先から顔を出して、急にわざとらしく往来でバドミントンやったり、パイ投げ合戦をしてみたり、紙飛行機飛ばしっこしたり、寝転がって雲の流れを観察したり、道端にテントやら布団やらをおっぴろげて干していたりする、あのトンチンカンな絶望の快速レストランの、暇そうな働き手たちの力を。怠惰で遊び上手な彼らがこの街でおこる最悪のためにひとしれず救っているものがあることを。何ごとも未然が未来を紡ぐのだということを。勇気をふるってガラスの切れ端に血を流すような人生を歩んだことがあるからこそ、絶望の破片を喜んで拾おうとしているのだということを。強靭なマエストロになれなかったブレーメンの音楽隊のつごう四匹たちが合体技でなけなしの居場所を得たように、ノケモノなりが奏でる生命の強さこそ、しびれるような魅力があるのだと。どんなに役立たずと言われようが、あたしらはそれで生き抜いたっていい。

「雨の日や雪の日はね、空から悲しい落としものが少ない。なんでだろ?」
「あたし、ベランダから落とすほどマヌケじゃないわよ。通行人のメーワクじゃない」

声がぐしゃぐしゃになる。目の前でレーコの顔がにじんで広がった。くもりガラスみたいな景色になる。
強がって言ってみたい。激情にかられて、うっかりあの柵を飛び越えたりしないって。あたしは、あんたの前でそんなことしないって。いくらなんでも出会ったばかりのファン1号の前で、道端に無残に寝転がったりなんかしないって。あたしのファイナルステージはそんなんじゃないんだって。さっきの、あんな、こころに食い込むような酸っぱい話をつくっちゃうようなあんたに、そんな場面見せたりしないって。あたし、そこまで弱くないって。むしろそんな絶望まみれな子のために、あたしは歌いたくて。なのにほしいまま歌えなくなった、歌わせてもらえなくなったのだって。そう、だから――それでも、今は、あたし、どうしたってタバコしか選べない。それが、この世界に抵抗できる狼煙(のろし)なのだから。だって、最後に奇蹟で幸せになれるヒロインじゃないのだから。まだ麻薬に逃げるよりは、なんぼかマシだから。

「タバコはからだに悪い。でも、タバコの灰を落とさないコロナは悪くない。だから、私はコロナが好きだな」
「あんたのそういうとこ好きじゃない。アイドルコロナさんを買いかぶりすぎじゃない?」
「惚れた作品や人間を高く買うのが、オタクのいいところ。ファンだからあたりまえ」
「そりゃ、どーも」

雨の日で体が冷えたはずなのに。体温がわずかにあがる。
朝露をはじいた木の葉みたいに、くるんとカールした睫毛が濡れていた。目から流れたなにかが顎を伝って、無理して笑うと口にすべって塩からい。なんだか心底こそばゆくて、あたしは鼻づらをあげた象みたいに、両腕をあげてうんと伸びをした。それから、終生リストバンドが外せそうにないあたしは、手のひらの肉のやわらかい付け根で顔をごしごし洗ってみた。



【目次】神無月の巫女二次創作小説「ミス・レイン・レイン」




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