陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「天使のタブロー」(十一)

2013-10-10 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女


「…これが、私……?」

その美しい瞳を見張って、かおんはもひとりの自分を見つめている。
瞳をなんども、ぱちくりさせた。キャンバスの両端をがっしりと掴み、斜めに持ち上げて、細部までなぞりつくすように、ひたむきに視線を注いでいる。粘性のある油彩だからして絵の具が流れる心配はないのだが、かおんはなぜか、子どものようにそうやって近づいて傾けては、絵を眺める癖があった。そして、敢えてそれを止めようともしないひみこであった。

「そうだよ、かおんちゃん、どう?」
「とてもすてきな絵ね。ありがとう、ひみこ」

かたん、と静かに画がイーゼルに落とされる。
かおんはゆったりと安心させるような微笑みを向ける。隣り合ったその横にも柔らかな笑顔はあった。だが、どちらが優れていたのかなど一目瞭然だ。なんという薄っぺらさだろうか、あの描かれたものの笑みは。
本ものにくらべたら、こんなのは紛いもの。こんなのは薄曇りに落とされた影。それだけの価値しかない。かおんの生命の源、エターナル・マナを浸したあの魔法の絵の具さえあれば、もっといい色あいにできるのに…。でも、そんなこと、かおんに頼めるはずがなかった。他の絶対天使との戦闘に傷つき、何重もの天使拘束具に巻かれて再調整で苦しみ、そのたびにマナの光りの欠片を血反吐のごとくまき散らすあのかおんの姿を眺めて、ひみこが自身の創作のためだけに無体なお願いなどできるはずがない。しかし、かおんの協力がなければ、己だけの画力のこの絵はなんと拙いのだろう──ひみこの不安は募り、その不安はおぼろげに頼りない口元から洩れてしまった。

「ほんとうに?」
「ほんとうよ」
「…嘘だよ。だめだよ」
「ひみこは、どうしてそう思うの?」

かおんだったら、どのような絵も褒め上げてくれるだろう。
絵だけではない。かおんは、焦げ気味のハムエッグや、砂糖の配分を誤ったコーヒーでさえ、しきりと美味しいと言う。ひみこにはそれがなんとも切なかった。優しさや思いやりという妥協は、創作者にとっていちばんの命取りになり、表現をとことん弱める原因となるのだ。だが、ひみこは創作のために、自分の表現欲のためだけに非情に徹することなどできなかった。こんな至らないものが、と思い直してはみても、それ以上、かおんを拘束することはできないのだ。夕陽はすでに落ちている。十五夜には遠い月明かりは創作の味方になってくれそうにはない。創作を修正する可能性は、刻一刻と闇に包まれていく。時間を噛み切るかのような、古い柱時計のコンコンとした針の回り音が、この耳にはいっそう恨めしい。

「だってね。モデルがいいからだよ」
「そんなことないわ」
「かおんちゃんをそのまま写真に撮ったほうがいいかも」
「写真?」
「ほら、カメラだよ。前に写生旅行に出かけたときに、通りすがりの人に頼まれたよね?」

ひみこが顔の前で指を組みあわせ、小さな長方形をつくる。
右の人さし指を動かして、なにかを押すしぐさをしてみせた。ちょこまか、としてその指の動きが可愛らしい。ひみこの指は子どものようですこし短い。絵の具が染み込んで落ちにくくなった爪の先が恥ずかしくて、薄いピンクのマニキュアを施してあるのも、可愛らしい。




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