陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「タスク・イン・ザ・ライブラリー」(三)

2011-04-02 | 感想・二次創作──マリア様がみてる


並べられたカートの最上段に立てられた大型の写真全集の一冊をおもむろに引っこ抜くと、早記は頁を手繰ってみせながら、悦に浸ったように語り出すのだった。

「この写真集はな、今は亡き高名な写真家のアトリエに眠ってたネガを焼きつけて編集したものなんやて」
「志村さん、写真が好きなの?」
「写真が好きというか、仏像鑑賞が好きなんや。中高んときの歴史の教科書の資料集なんかなんべん見返しか分からんわ。生きてるうちにこの写真集に出会えるなんて、うちはなんて幸せもんやろ」
「でも、仏像なんてお寺に行けばすぐに見れるんじゃない? 写真なんかよりも、実物を見たほうがいいように思うけど」
「カトちゃん、知らんの? 仏像ちゅうても、秘仏扱いされとるんはお寺さんがなかなか公開したがらんのやで。しかし、隠されたら隠されるほど、お宝は輝いてくるもんや。それにな、この土門拳が撮った仏像は、実物以上に神々しさを放ってて、もうなんちゅうたらええんやろ、うっとりするわ」

ほう、と淡いため息をつきながら、早記は片方の肘を支えて頬杖をついてみせるのだった。
餅の端っこをつまんで伸ばしたようなふくよかな耳たぶをしていて、柔和で細い目つきをしている早記のその姿は、あの飛鳥時代の半跏思惟像を思わせなくはない。少し日焼けしている肌も、古めかしく黒光りした仏像の肌合いを匂わせる。大理石のギリシア彫刻をしのばせる彫りの深い顔だちのあの無茶ぶりな友人と並べてみたら、いい勝負なのではないかと思えるほど、揃いも揃って国宝級のありがたい面ざしをしているのだ。ただし、そのありがたみはひと言でも喋らせなければの話である。喋らせたら最後、ゆるやかに吊り上がった唇からはがさつな笑いが洩れるし、上品で整った鼻梁も形なしでたちまち鼻の頭が上向き加減になってしまうのだ。

「なんでもな、いったん撮ったんやけど、現像するんが恐ろしゅうなって封印しとったものなんやて。でも、この観音様はな、二年前の火災で焼けてもうてなくなったんや。それで、もういちどぜひ拝みたいいう声が多くてな、めでたく刊行の運びとなったらしいわ」

頁をめくりながら、仔細に説明を施してくれるのだが、景にはまったくもってどの仏像がどの名前なのだか、さっぱり分からない。
名前自体は聞いたことがあるのだが、図版だけ見せられてもすぐに見分けはつかない。どれもそこたしのお地蔵様より衣装が華やかで、髪型をすこし複雑にしただけにしか思われないのだからして。

「タクヤくんに知らせたら、嬉しがるやろなぁ」

大判の写真集をひしと胸にかき抱き、早記は恥じらいをみせた乙女のように頬を紅潮させてみるのだった。

「タクヤくんて、志村さんの付き合ってる人?」
「ちゃうちゃう。うちの叔父さんで、仏像巡りが趣味の良き同好の士なんや。うち、タクヤくんのおかげで東京に来ようと思ってん。仏像のメッカちゅうたら、奈良・京都やとかたくなに信じ込んでたんやけどな。関東にも隠れた秘仏があんがい眠ってるもんや。タクヤくんの知り合いでリリアンの女子高生に仏像マニアがおってな。その子がいうには、幽快の弥勒菩薩っつう、重要文化財指定されてもおかしいないお宝モンの仏像があったそうや」

犬が好きだと犬に顔が似てくるとはいうが、早記の仏像への偏愛は自分の鏡像をみてうっとりするようなものなだろうか。
いずれにせよ、そのタクヤくんとやらが姪っ子を可愛がるのも趣味が通じてだけではなさそうではあるし、そのリリアンの仏像マニアとやらも、お地蔵様に長い黒髪のかつらをかぶせればできあがる、この吉祥天みたいな少女なのだろうか、と景は写真集の一頁で見た図版とまだ見ぬ相手とを重ねてみるのだった。

「リリアンてカトリック系の女子校でしょ? 仏像が好きなお嬢さまなんて信じられないんだけど」

早記がなにか言葉を返す前に、その両腕でがっちりと守っていたはずの写真集が消えた。
とっさに重みを失った手のひらをまじまじと眺め、その引きはがされたものの行方を見上げていた早記は、見るまにたじたじとなった。




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